- 兵隊の世界では階級の上下よりメンコ(飯)の数が幅を利かした。
- 朝、5時30分に起床ラッパでたたき起こされ、素早く軍衣に着替え、二人が組になってベッドの敷布毛布を畳む。ぴっちり折り目をつけて畳むのは初年兵には一苦労。
- 『点呼用意!』と週番上等兵の声が中隊内にこだまする。駆け足で舎前営庭に整列。『点呼!』の声に週番士官が士官下士官を従えてやって来る。
『第一内務班、総員32名、事故1名、現在員31名、事故の1名は就寝休、番号!」班長の号令で『いーち』『に』『さーん』『し』『ごう』『ろーく』よどみなく兵隊たちは叫ぶ。番号がもたつくと、班長は顔をこわばらせ、『番号、もとへ!』
- 日朝点呼が終わると初年兵は内務班の掃除、その間に、『食事当番、集合!』の週番上等兵の声が響き、中隊から十数人の初年兵が炊事場へ飯上げに向かう。
- 飯と汁のバッカン(桶)が各班に配られると卓上に並べられた食器に飯を盛り、汁を注ぐ。
- 20時30分に日夕(にっせき)点呼。21時に消灯ラッパ。
- 内務班を出る時は、大声で『島田二等兵、厠へ行って来ます』と実行報告しなければならない。
- 『気をつけっ!、前へ進めえ!』『小隊止まれ!』『全体ィ止まれ!』『頭(かしら)ァ中ア!』『点呼おわりっ、解散!』『回れ右、前へ進め!』『中隊長どのに敬礼っ、頭っなか!』
- 軍服、軍帽、巻絆、襦袢、袴下、白い靴下、軍靴、スリッパが支給される。
- 軍隊では軍服の上着の事を上衣(じょうい)、ズボンの事は袴(こ)、シャツの事は襦袢(じゅはん)、ズボン下は袴下(こした)、ゲートルは巻絆(まきはん)と言う。
- 便所は厠(かわや)、洗濯物の干し場は物干場(ぶつかんば)、内務班は舎前(しゃぜん)、舎後(しゃご)、軍靴は編上靴(へんじょうか)、ふだん戸外ではく靴は営内靴(えいないか)、スリッパは上靴(じょうか)、靴クリームは保革油、鉄砲は銃、灰皿は吸殻入れ、小物入れは手箱、風呂は入浴場という。
- 初日の夕飯はお頭つきのタイに赤飯、卵をまぶした汁、デザートの果物までもついている。
- 内務班の中央廊下に5ワットほどの微光灯がついているだけ。
- 後輩を殴る事をビンタをとるという。『両足を開いて、歯を食いしばれ』と予告してから殴る。
- 不寝番勤務は就寝時刻の9時から翌朝起床時間の6時まで1時間交代の勤務。勤務の内容は兵隊の寝静まった内務班の巡回が主で、他からの侵入者や火災の監視にも目を光らせる。二人が組になり班内を巡回するのと中隊玄関の石畳で立哨するのを交代で行う。週番士官と出会ったら『四番立ち不寝番立哨中、異状ありません』と報告する。今週の週番士官の要望事項を言わされる事もある。要望事項は、内務班の整理整頓、火災予防、任務の励行などで、毎週変わる。『不寝番、勤務中異状なし』と報告して終了。
- 将官以上は閣下の敬称をつけ、兵長以上は殿をつけて呼ぶ。同じ一等兵でも三年兵になると『○○三年兵殿』と呼び、『○○一等兵殿』とは言わない。兵長以下の古参兵が下の階級の兵隊を呼ぶ時は通常『お前』だが、ビンタをとる時などは『貴様』だった。
- 従来、自分の事を『自分はこれより勤務につきます』という言い方をしたが、戦争たけなわの昭和18年頃から、『田中一等兵は』とか『田中は』と言うようになる。
- 兵隊の進級は6ケ月後には必ず一等兵になれたが、それ以後は成績次第。入隊3年目(四年兵)で全員が上等兵に進級するが、何かの失敗をした者は依然として一等兵に甘んじなければならない。
- 軍人になった以上は『軍隊内務令』『作戦要務令』などの項目をすっかり暗記しなければならない。
- 軍人勅諭の五ケ条はほんの一節であり、すっかり暗誦するとなると約20分はかかる。
- 食事当番は一週間交代。週番上等兵の引率で炊事場へ飯上げに行き、それを班内で食器に飯を盛り、汚れたバッカン(飯や汁を入れた手桶)を洗って炊事場へ返還し、全員の食器も洗う。
- ふきん3枚、ヒシャク1個、手桶1個、タワシ2個、大シャモジ2枚。
- 食器には番号が刻まれていて自分の器が決まっていた。
- ビンタをもらっても『ご苦労さんであります』とお礼を言う。
- 棚には各自の手箱があり、その中に軍人に必要な『軍隊内務令』『作戦要務令』といったポケット判の典範令や私物の便箋ハガキ、筆箱などを入れる事になっている。手箱のそばに支給された二装軍衣袴、予備の襦袢袴下、靴下、巻絆などをきちんと菓子折箱のようにたたんで置く。棚の下には銃剣、鉄帽、編上靴、裁縫袋、食器袋などが吊るしてある。
- 班内を見回る週番下士官が出来損ないの菓子箱を突き崩す。
- 兵隊の生死を軽んじる軍隊が家系制度については非常識と思える程、重視し、一家の長男は、ほとんどが特攻隊からも除外された。
- 報告の最後には『異状なく』の言葉をつけなくてはならない。『古屋上等兵、外出よりただいま異状なく帰隊いたしました』『我が方、田岡上等兵ほか二名、名誉の戦死。その他異状なし』『A中隊は一名を除き、全員名誉の戦死、その他異状なし』
- 炊事場送りになったら、まず、進級は相当遅れるというのが常識になっていた。炊事兵の朝は4時起床。
- 日夕点呼後は内務班でたばこを吸ってはいけなかった。
- 中隊直属の将校を見かけたら、下士官兵はどこにいようが敬礼をしなければならない。最初に通りかかり将校を見つけた兵隊は『敬礼!』と大声で将校の来た事を告げ、他の兵隊に知らせる事になっている。敬礼は相手の将校の姿を認めてから、その方に向かって、一斉に不動の姿勢を取り挙手の礼をするのが礼儀。将校の方は兵隊たちが敬礼したのを見届けてからゆっくりと答礼する。
- 初年兵が脱走すると班長の点数が下がり軍曹を棒に振る。
- 週番士官は、その週だけ中隊内の一切の管理を任される者。週番士官を補佐するのは週番下士官、週番上等兵。週番士官は、日朝、日夕点呼の時、各班ごとに班長の報告する人員数と事故者などを確認する。
- 班長など下士官の食事は『下士集(下士官集会所)』と決まっていて、食事時は中隊兵舎にはいない。
- 酒保には汁粉、アンパン、大福餅などが売っていた。酒保の物品販売所にいるのは四年兵の上等兵や五年兵の兵長だったので、お客さんの兵隊はまず敬礼する。
- 昭和19年半ば、軍歌『戦友』を歌ってはならぬとお達しがある。が、これが最後だと念を押しながら、この歌は終戦まで歌われた。
- 陸軍では勤務が優秀な兵隊に精勤賞という奨励賞が与えられた。赤地の山型腕章で、上衣の右腕に付けるのが決まりとなっていた。精勤賞をまともに呼ぶ兵隊は少なく『バカ賞』と呼ばれた。
- 日朝点呼後には必ず、『各班2名使役集合』と週番上等兵の声が掛かり、雑用をやらされる。
- 憲兵は下士官までは自由に取り締まれる特権を持っていた。
- 中隊当番は一等兵の勤務で、仕事は事務室に出入りする将校、下士官にお茶を出したり、私用で飛行場へ走ったり、いわゆる事務室業務を中心にした雑役。
- 演芸会は夕食後、中隊の大広間などで行なわれた。演芸会の時は無礼講で特別配給の酒も出て、和気あいあいのムードになる。ほとんどの兵隊が得意の歌を披露するのだが、なかには手品、声帯模写、落語をやる者もいた。『誰か故郷を想わざる』『湖畔の宿』『並木の雨』『九段の母』『春よいずこ』『チャイナ・タンゴ』『別れのブルース』『軍隊ストトン節』『可愛いスーちゃん』
- テンホというのは軍隊用語だが、語源はどうも中国語の『頂好(テンハオ、最高)』から来たらしい。
- 飛行場の防衛として飛行場端にいくつもの塹壕が掘られ、高射砲隊も駐屯した。さらに大格納庫の屋根にヤグラが作られ、ここに監視所がおかれた。監視所には14ミリ機銃が備えられ、監視兵は1時間交代で2名。
- 恩賜のたばこが支給される時は一装の軍装を整えて待機する。恩賜のたばこはカビ臭かった。
- 少年飛行兵学校出身者はほとんど十八、九歳の若い下士官だったが、飛行経験も豊富で新参将校より腕は確かと定評があった。
|