酔雲庵


侠客国定忠次一代記

井野酔雲






13 上州に帰れねえってえのは辛かったぜ




 忠次と文蔵が旅から帰って来たのは翌年の七月だった。

 一緒に旅立った民五郎と浅次郎は手配されなかったので、去年のうちに戻って来ている。下総方面に逃げた富五郎たちも去年のうちに帰っている。境宿が手に入ったため、人手が足らなくなり、円蔵が呼び戻したのだった。

 百々村に帰ると忠次と文蔵は見知らぬ子分たちに迎えられた。

「おおっ、何でえ、よそんちに(けえ)って来たみてえだぜ」

 文蔵はじろりと見慣れぬ顔を見回した。

 二人の顔を知らない者は殴り込みかと警戒している。

「長旅、御苦労さんでした」

 円蔵がニコニコしながら顔を出した。

「親分、兄貴、お帰んなさい」

 見慣れた顔がぞろぞろと現れた。

「おうっ、今、帰って来たぜ」と文蔵は威勢よく言ったが、

「おい、千代松、お辰の顔が見えねえぜ」と急に心配顔になった。

「兄貴、心配しなくも、ちゃんと兄貴の帰りを首を長くして待ってるよ」

「どこにいるんでえ?」

「桐屋で壷を振ってらア」

「おう、そうか。ちょっと、顔を出して来らア」

 文蔵は旅支度も解かずに飛び出して行った。

「相変わらずだな」と円蔵は笑った。

 忠次は汗を流してさっぱりすると、円蔵から今の状況を聞いた。

「境宿は以前のごとくになりましたぜ。大黒屋、佐野屋、伊勢屋の三ケ所を市日に開帳し、桐屋ではほとんど毎日、やってる」

「ほう、佐野屋の賭場も復活したのかい?」

 忠次は自慢の市河米庵(べいあん)の掛け軸を背に座り込み、旅先で手に入れた渋い煙管(きせる)に煙草を詰めていた。

「それにな、平塚と世良田にも一ケ所づつ賭場が増えたぜ」

「なに、本当かい?」

「賭場といっても、こっちから出向くわけじゃねえ。カスリが貰えるだけだがな」

「なあに、カスリだけでも(てえ)したもんだぜ。一体(いってえ)、どうしたわけなんでえ?」

「世良田の弥七が平塚を手に入れた彦六に殺されちまってな、弥七の跡目を継いだ茂吉の奴が、うちに助けてくれって駆け込んで来やがった。見捨てるわけにもいかねえんで助けてやったのさ。一時は出入りになると思われたがな、彦六が頼りにしてた中瀬の藤十と前島の秀次の二人が島村一家と縁を切って、独立しちまったのよ。そうなりゃア、彦六はてめえのシマを守るんが精一杯で、出入りどころじゃねえ。結局、何事も起こらずに、あっしらは引き上げて来たんだが、茂吉の奴は助けて貰ったお礼だと祇園さんの門前にある朝日屋のカスリをくれたのよ」

「ほう、随分、気前(きめえ)のいい事だな」

「あっしらを引き留めて置くための手段に違えねえ。あっしらは茂吉にも彦六にも義理はねえからな、あっしらが彦六側に付いたら大変(てえへん)だと、賭場の一つをくれたのさ。伊三郎にカスリを取られていた頃に比べりゃア、一つくれえカスリを取られたってどうって事アねえのよ」

「そりゃそうだ」

 忠次はうまそうに煙を吐いた。

「結局、伊三郎の跡目は誰が継いだんでえ?」

「形の上では島村にいる林蔵の子分だった大次郎だんべえな。だが、縄張りは島村だけだ。後はみんな、独立しちまった」

「伊三郎の仇討ちにゃア、誰も来なかったのかい?」

「威勢のいい三下奴が一人だけだ。威勢だけはよかったが、うちの若え者に叩きのめされてな、あっしが助けて旅に出してやったよ。あっ、そうだ。旅で思い出したが、中島の甚助を殺して国越えしてた助八が三年振りに帰って来てな、うちに草鞋を脱ぎやがった」

「ほう、子分どもを連れてか?」

「いや、そん時、連れてたのは二人だけだったがな、だんだんと集まって来やがった。何としてでも、平塚を取り戻してえと助っ人を頼まれてな、うまく行ったぜ。彦六の奴は不意の襲撃に慌てて、川向こうに逃げて行きやがった。助八は平塚と念願だった中島まで手に入れる事ができて、お礼に賭場をくれたというわけだ」

「助八が戻って来たか‥‥‥」

「長旅で苦労したとみえて、随分と角が取れたようだぜ。平塚と中島を手に入れる事ができて充分に満足してるようだ。昔のように広瀬川一帯を仕切ってやると言い切る程の勢いはまったくねえ。まあ、時が経てば、変わるかもしれねえがな」

「それで、彦六の野郎はどこ行ったんでえ?」

「奴か‥‥‥奴は運の(わり)い野郎だぜ。てめえの子分に殺されちまったわ」

「何だと? 子分に殺された?」

「奴は中瀬の藤十んとこに逃げ込んで、平塚を取り戻そうとしてたんだが、藤十はいい返事をしなかったようだ。詳しい事は分かんねえが、奴の子分たちが藤十の身内になったとこを見ると、奴の差し金だったに違えねえ。彦六は伊三郎を笠に着て、威張ってばかりいやがったから、子分たちにも見捨てられたんだんべえ。情けねえ奴だぜ」

「そうか、てめえの子分にな‥‥‥(めえ)に大前田の叔父御が言ってたぜ。子分たちにはできるだけ目をかけて可愛がってやれってな」

「へえ、栄五郎親分がそんな事を言ったんですかい?」

「ああ。下の(もん)には目をかけてやれ。上の者とは五分に付き合えってな。口で言うのは簡単だが、実行するのは難しいぜ」

「成程、親分さんらしいお言葉だ」

「という事はだな、平塚と中島は助八のもんとなり、世良田に茂吉がいて、島村には大次郎、中瀬には藤十、前島には秀次がいるってわけだな?」

「へい。それに柴に啓蔵、木島には助次って具合だ」

「あの裏切り者たちか‥‥‥放って置くわけにゃア行かねえな」

「なあに、親分、焦る事はねえよ。今、百々一家は日の出の勢いだ。あんな奴らは放って置きゃア、そのうち、向こうから頭を下げてやって来らア」

「そんなもんかね?」

「そうさ。親分は知らねえだろうが、伊三郎を()ってから、親分の株は驚く程、上がったんだ。大勢の若え者が子分にしてくれと集まって来るし、あっちこっちから旅人も大勢やって来る。市日の賭場はどこも客で一杯(いっぺえ)だ。裏の人足部屋までも人足どもが溢れてる有り様だ」

「ほう、人足どもも帰って来たかい。そいつは忙しくなったな」

「なあに、その分、子分も増えた。親分はしばらく、のんびりして旅の疲れを取っていて下せえ。おかみさんも姐さんも首を長くして親分の帰りを待ってますぜ」

 忠次は御隠居の紋次に挨拶をすると国定村に帰った。先にどっちに顔を出そうか迷ったが、筋道に従った方がいいとお鶴を先にした。

 母親もお鶴も元気そうだった。秋の養蚕が始まり、弟の友蔵の妻と一緒に、忙しそうに働いていた。友蔵の長女、おりんはもう四歳になっていて、驚く程、大きくなり、可愛い盛りだった。おりんという名は勿論、弁天のおりんから取った名だった。おりんが生まれた時、国定村は弁天のおりんの噂で持ち切りで、友蔵がおりんにあやかって付けたのだった。

 おりんが生まれてから、お鶴も子供が欲しいと言い出し、忠次もそれなりに努力はしたが子供には恵まれなかった。忠次は半ば諦めていた。しかし、お鶴はまだ諦めてはいなかった。その夜、お鶴は忠次を眠らせず、夜が明けるまで責め続けた。

 忠次は寝不足で目をしょぼしょぼさせながら、田部井村のお町の家に向かった。お町なら優しく迎えてくれるだろうと信じていたが、そんなには甘くはなかった。

 お町は忠次の顔を見ると、

「一晩中、待ってたのに、何よ」と(ほうき)を振り回した。

 忠次は逃げ出して、嘉藤太の家に行った。

「親分、頼みがあるんだがなア」と嘉藤太が挨拶の後に言った。

「何でえ、兄貴」と忠次は目をこすった。

「実はな、一家の名前(なめえ)の事なんだが、百々一家ってえのはどうもなア。国定村の忠次なんだから、国定一家に変えたらどうでえ?」

「国定一家か‥‥‥」

「村の奴らもな、おらが村の親分さんなんに、百々村にいたんじゃ面白くねえらしいぜ」

「そうは言っても、俺は百々一家の跡目を継いだんだ。御隠居だって、一家の名を変えるっていやア気分を悪くするぜ」

「正式に変えなくもいいんだ。とにかく、こっちにちゃんとした本拠地を持ってよ。こっちにいる時だけでも、国定一家を名乗っちゃアどうでえ?」

「国定一家か‥‥‥」

「土地はあるんだ。新しいうちを建てねえか?」

「どうしたんでえ、その土地は?」

「博奕で取られた土地を何とかして取り戻したのよ」

「そうだったのかい。そいつはよかった」

「そこに新しい屋敷をおっ建ててよお、国定一家を張らねえか。ここは田部井村だが、そんな事はどうでもいい。とにかく、親分がそばにいてくれるってえだけでも、村の者たちは安心するんだ。どうでえ、お町のためにも新しいうちを建ててやってくれい」

「うちを建てるんはいいがよお、そんな銭があんのかい?」

「親分は銭の事なんか心配しなくてもいい。こっちに賭場を開帳してから、もう五年にもなる。小銭も五年も溜まれば、うちぐれえ建てられるぜ」

「そうか、その事ア兄貴に任せる。お町のためにでっけえ屋敷を建ててやってくれ」

 その後、忠次は嘉藤太の家で一眠りした。目が覚めたら、もう夕方になっていた。

 忠次はお町の家に行くと、そおっと中の様子を(うかが)った。お町は縁側でぼんやりしていた。その膝の上に忠次が子分に届けさせた土産の人情本が載っていた。

「今、帰ったぜ」と忠次が声を掛けるとお町は顔をふくらませたが、すぐに笑って、

「お帰りなさい」と忠次を迎えた。

「すまなかったな」

「いいのよ、仕方ないもの」とお町は笑いながら言った。

 その笑顔はどことなく淋しそうだった。

「お袋に心配かけるわけにゃアいかねんだ。早く、おめえに会いたかったんだけどな」

「もう、いいってば、お鶴さんはおかみさんだもん。しょうがないわ」

「おめえの顔を見て、やっと帰って来たってえ感じだぜ」

 忠次は家に上がると大の字になって寝そべった。

「やっぱり、うちはいいなア」

「ほんと?」

 行灯(あんどん)()をともすと、お町が嬉しそうに寄って来た。

「本当さ。おめえと一緒にいる時が一番のんびりできるぜ」

 忠次はお町の作った料理を(さかな)に酒を飲みながら、旅の話を聞かせた。

「信州の山ん中の野沢の湯ってえ湯治場(とうじば)にずっと隠れてたんだ。湯治客は死にぞこねえの年寄りばっかしでな。遊ぶとこも何にもねえ、つまんねえとこだったぜ」

「何言ってんの、女はいたんでしょ?」

 お町は忠次を横目で睨んだ。

「婆さんとガキはいたが、娘っ子は一人もいねえ。みんな奉公に出てんだとよ」

「嘘ばっかし、あんたが女っ気のない所に一年もいられるわけないでしょ」

「そんな事言ったってしょうがあるめえ。信州の中野ってえとこに代官所があってな、俺と文蔵の手配書が回ったんだ。山ん中に隠れてるしかなかったんでえ」

「あたしはよく知らないけど、湯治場にもお女郎さんがいるって聞くわ」

「そんなのは伊香保や草津みてえなでっけえ湯治場の話だ。遊び場もねえ小せえ湯治場にそんな者はいねえ」

 忠次はとぼけたが、本当は女がちゃんといた。しかも、忠次はその女と夫婦気取りで暮らしていたのだった。

 その女はお(しの)といい、宿屋をやっている後家(ごけ)だった。忠次たちがその宿屋に泊まった時、お篠をものにしようと中野の博奕打ち、忠兵衛の伜、原七(はらしち)がやって来た。お篠が嫌がったので、忠次らは原七を追い払ってやった。その後、原七は子分を引き連れて仕返しにやって来たが、それも見事に追い払ってやった。その事が縁で、お篠は忠次に感謝して、ずっと、そばにいてくれという事になってしまった。後家とはいえ、まだ二十一歳、忠次好みの別嬪だった。

「なあに、山ん中ばかりにいたわけじゃねえ。時には中野まで行って賭場荒らしをして暴れたもんだ。人助けだってやったんだぜ」

「へえ、人助けねえ‥‥‥」

「野沢村はよお、食い物が足らなくてな、賭場荒らしで稼いだ銭で米を買って村に持って行ったんだ。みんな、喜んでくれたぜ」

「よかったわね」とお町は言ったが、ジロッと忠次を睨んだ。

「ねえ、最初っからちゃんと話してよ」

「最初っからか‥‥‥」

「そうよ。都合の悪い事も隠さないで」

「何も隠しちゃいねえ。一年前か‥‥‥随分と昔のような気がするぜ。あっ、そうだ、信州に行く前に大戸(おおど)加部安(かべやす)んとこに世話になったんだ」

「加部安って、あのお金持ちの?」

「おう、そうさ。何年か前、境の市場で偶然に会ってな、意気投合したんだ。遊びに来いって言われてたんで、ちょっと寄ってみたんだが歓迎してくれてよお、大層な御馳走で持て成してくれたぜ。おう、そおいや、加部安は酒も造っててな、そいつが何ともうめえ酒だったぜ」

「そのお酒、『牡丹』て言うんでしょ?」

「そうだ。何でおめえが知ってんだ?」

「加部安さんからお酒が届いたって、兄さんが大喜びしてたのよ。上州一の分限者(ぶげんしゃ)から、お酒が届くとは親分も大したもんだって言ってたわ」

「へえ、その酒はまだ、あんのかい?」

 お町は首を振った。

「お正月にみんなで飲んじゃったみたい」

「そうか。加部安はわざわざ酒を送ってくれたんか‥‥‥」

 境の市で出会ったと忠次はお町に言ったが、実際に会ったのは境ではなく、玉村宿の女郎屋だった。平塚の助八が中島の甚助を殺して国越えした時だった。円蔵の作戦がうまく行ったと喜んだ忠次らは玉村宿に繰り出した。

 玉村一の女郎屋、玉斎楼(ぎょくさいろう)に上がり、玉村一の女郎、白菊を呼んだ。しかし、白菊はなかなかやって来ない。我慢しきれず、忠次らは白菊のいる座敷に押し入った。そこにいたのが加部安だった。加部安は忠次が思っていたよりも若く、年の頃は三十前後といった所で、笑いながら忠次を見ていた。

「おめえさんが有名な忠次親分かい? おめえさんが来るのを待ってたぜ」

 加部安は忠次たちを恐れるわけでもなく、ふてぶてしい顔をして言った。

「俺を待ってただと?」

「そうだ。白菊はおめえさんを怒らせたらまずいからって行こうとしたんだがな、俺が引き留めたんだ」

「何だと、てめえは俺に喧嘩を売ろうってえのかい?」

「そう怒るな。前からおめえさんとは会いてえと思ってたんだ。渡世が違うんで、なかなか会う事もできねえ。それで、こんな手を使ったってえわけだ。こっちから出向いて行ってもよかったんだがな、おめえさんの部屋の隣りに、ちょいと会いたくねえ野郎がいてな、野郎に見られたら何を言い触らすか分かんねんだ。そこで、おめえさんの方から来てもらったってえわけよ。ここで会ったのも何かの縁だ。近づきになってくれねえか?」

「何を言ってやんでえ、この野郎」と文蔵は加部安を睨みながら片肌脱いで、背中に彫った吉祥天の刺青(ほりもの)をちらつかせたが、円蔵が中に立って丸く納めた。

 加部安の遊び方はとても真似ができない程に豪勢だった。着飾った女郎たちを全員呼び集め、主人の幸兵衛まで呼んで、大騒ぎとなった。威勢のよかった忠次たちも、加部安の豪快さには腰を抜かしてしまう程だった。

「大した男だぜ、加部安は‥‥‥」と忠次がニヤニヤしながら言うと、

「何が?」とお町が不思議そうに聞いた。

「何がって、金持ちはやる事が何でも豪勢だって事だ。加部安のお陰で大戸の関所なんか簡単に通れたぜ」

「へえ、よかったわね。それから信州に入ったの?」

「そうさ。途中、大笹の親分とこに寄ってな、そこから信州の松本まで行ったのよ。松本には軍師の兄弟分(きょうでえぶん)の勝太親分がいてな、しばらくはそこで、のんびりしてろって言われたんだが、あんまり居心地はよくなかった。軍師の手紙を見せたんだが、俺の事なんか全然知らねえし、一応、客人扱いしてくれたが、さっさと出てってくれってな顔付きだ。たまたま一緒になった旅人(たびにん)から、善光寺の門前の権堂(ごんどう)村に(あい)の川の政五郎親分がいるって噂を聞いてな、そっちに行く事にしたんだ。政五郎親分にゃア越後に行った時、文蔵と一緒に世話になってな、上州生まれの貫録のある立派な親分さんだぜ。親分は権堂村で上総(かずさ)屋ってえ旅籠屋をやっててな、なぜか、源七って名前(なめえ)を変えていた。親分は俺たちの事を覚えていてくれてな、歓迎してくれたぜ。そこにしばらく厄介になるつもりでいたんだが、そうは行かなかった。中野の代官所に手配書が回ってな、仕方なく、山ん中の野沢に行ったってえわけだ。源七親分の子分、茅場(かやば)の長兵衛ってえのが案内してくれてな、その後、ずうっと一緒にいたんだ。いい奴でな、兄弟分になったぜ」

「それからずっと、野沢って湯治場にいたってわけ?」

 お町は忠次に寄り添いながら、酌をしてくれた。

「そうさ。野沢を本拠地にしてたんだ、軍師と連絡を取るためにな。時には長兵衛に案内させて、信州をあちこち旅したが、上州に帰れねえってえのは辛かったぜ。山を一つ越えりゃア上州に帰れるって分かっても、じっと我慢したんだ。夢ん中に何度も、おめえが出て来て悩ましやがった」

「ほんとかしら?」

「ほんとだとも。おめえのようないい女はどこにもいねえ」

 忠次はお町を抱き寄せ、口を吸った。そして、都合の悪い事は一切省いて、お町に旅の話を聞かせ続けた。

「あたしも知らないとこを旅したいわ。今度、連れてってよ、ねえ」とお町は忠次に甘えながらせがんだ。

 忠次もお町を連れて旅に出るのもいいと思った。そのうちに、円蔵とおりん、文蔵とお辰を連れて草津の湯にでも行くかと提案した。お町は子供のようにはしゃいだ。

 忠次はお町のもとで、のんびりして旅の疲れを取った。帰って来た事を知らせるために、国定村と田部井村の賭場にも顔を出した。どちらの賭場も賑やかで、忠次が顔を出すと客たちは大喜びした。

 境の市日には境の賭場も見て回った。大黒屋では田部井村のお藤が壷を振っていた。

 お藤はおりんが仕込んだ娘だった。おりんが田部井村で壷を振っていた頃、おりんの真似をしていた娘の一人で、おりんに何度も断られても諦めずに弟子になり、おりんの後継者になった。どことなく冷たい感じのする、ほっそりとした美人で、それが賭場の雰囲気によく合っていた。能面のように笑顔を見せる事がなく、物知りの旦那が『羽衣(はごろも)』という能に出て来る天女にそっくりだと言った事から、羽衣のお藤と呼ばれるようになっていた。

 おりんの方はもう三十路(みそじ)になり、人様の前に出るのは恥ずかしいと壷振りをやめて、境宿で居酒屋をやっていた。その店は以前、お仙がやっていた店で、首吊り事件の後、誰も借り手がいなかった。おりんはお仙の供養にもなると、その店を借りて、若い者たちの面倒を見ていた。

 佐野屋にも女壷振りがいた。水沢観音で有名な水沢村から出て来たため観音のお紺と呼ばれていた。お藤とは対照的に、いつも微笑を称えた可愛い女だった。

 お紺は四年前に父親と一緒に、境の絹市に来て、おりんとお辰の噂を聞き、父親と一緒に伊勢屋の賭場に入った。壷を振るお辰の姿に憧れ、壷振りになりたいと父親に言うと父親は大賛成し、さっそく、大久保一家で壷を振っていたという老人を連れて来て、お紺に仕込ませた。お紺は老人と共に賭場を渡り歩き、修行を積んで、去年の末に百々村にやって来た。おりんの目にかなって、佐野屋で壷を振る事になった。

 伊勢屋の吉祥天のお辰、大黒屋の羽衣のお藤、佐野屋の観音のお紺、三者三様で、どこの賭場も盛っていた。

「軍師のお陰で、境は昔以上の盛況振りだ」

 百々村に帰ると忠次は満足そうに円蔵に言った。

「あっしだけじゃねえ。親分の留守をしっかりと守らなくちゃなんねえと子分たちが一生懸命やったからだ。しかし、まだまだ、これからだぜ。親分にはもっとでっかくなってもらわなけりゃなんねえ」

「その事なんだが、平塚の助八と世良田の茂吉を身内にする事はできねえのかい?」

「助八の方は何とかなるだんべえ。奴は中島のシマをうちに取られやしねえかと心配していやがる。奴のシマを保護してやると言やア、身内になるに違えねえ」

「どっちが得でえ?」

「銭勘定にすりゃア、中島を取った方がいい。ただ、助八を敵に回すと、奴は中瀬の藤十、前島の秀次、それに木崎の孝兵衛と手を組んで、うちと対抗するかもしれねえ。そうなると、また面倒な事になる」

「成程な。伊三郎がいなくなってから、木崎一家は動いてんのか?」

「前島の秀次は孝兵衛と兄弟分になったようだぜ。その孝兵衛が世良田を狙ってるのよ」

「なに、木崎一家が出て来やがったか‥‥‥」

「孝兵衛の子分に左三郎ってえ八州様の御用聞きになった奴がいてな。そいつがちょくちょく、世良田に出入りしてるようだ」

「左三郎なんて奴は聞かねえぜ」

「団子屋の吉十(きちじゅう)の野郎が、つい最近になって名前(なめえ)を変えたんだ」

「あの野郎か‥‥‥何でまた、名前なんか変えたんでえ?」

「何でも、八州様に吉田左五郎様ってえのがいてな、その伜を養子に貰い受けたんで、左五郎にあやかって左三郎にしたとかいう噂だぜ。八州様を笠に着て、あくでえ真似をしてるらしいな」

「ふん、許せねえ野郎だな」

「許せねえ野郎だが、殺す程の値打ちはねえ。一応、祝い金を送っておいたぜ」

「そうかい。それで、茂吉の方はどうなんでえ、木崎になびきそうか?」

「迷ってるようだな。木崎に付けば、うちを敵に回す事になる。かと言って、左三郎に逆らえば、十手をかざして何をするか分かんねえ。本音は中立でいてえんだろうが、そうもいかねえで悩んでるようだ」

「十手持ちってえのは始末におえねえな」

 忠次は舌を鳴らした。

「いや、弱みを握ればいいのよ。奴の弱みを握って動けなくすれば、世良田を手に入れる事はできる」

「弱みったってなア、博徒を打ってるとか、女郎屋から袖の下を貰ってるなんてえのは弱みにはなんねえぜ」

「分かってる。もっと、個人的な弱みを捜してみるつもりだ」

「捜してみるって、軍師が捜すのかい?」

「この仕事は子分たちには任せられねえ。下手をすりゃア捕まっちまうからな」

「大丈夫かい、敵は軍師の顔を知ってんじゃねえのかい?」

「なあに、汚ねえ山伏の格好になりゃア分かりゃしねえよ」

「そうか‥‥‥まあ、急ぐ事もねえぜ。今までずっと留守を守ってくれたんだ。二、三日、のんびりしてくれ」

「そんな気遣いはいいと言いてえとこだが、たまには、おりんの相手をしてやらねえと逃げられちまうからな、お言葉に甘えますぜ」

「おりんさんに逃げられたら大変だ。たっぷりと可愛がってやってくだせえよ」

「親分、何を言ってるんでえ」

 円蔵は照れ笑いをしながら出て行った。







野沢の湯




国定忠次一代記の創作ノート

1.国定忠次の年表 2.『群馬県遊民史』より 3.『上州路』より 4.『東村誌』より 5.『大前田栄五郎の生涯』より 6.お鶴・お町・お徳・お篠・お貞の略歴 7.百々村の紋次の略歴 8.大前田栄五郎の略歴 9.日光の円蔵の略歴 10.島村の伊三郎の略歴 11.三ツ木の文蔵・国定の清次郎・五目牛の千代松の略歴 12.木崎宿の左三郎・木島の助次郎・三室の勘助の略歴 13.『やくざの生活』」より 14.『日本侠客100選』より 15.「侠客国定忠次一代記」のあらすじ、主要登場人物、忠次の生きた時代背景




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