酔雲庵


侠客国定忠次一代記

井野酔雲






16 国定忠次のお通りでえ




 太田宿の日新と名乗る風変わりな三下奴(さんしたやっこ)がいた。

 世良田の祇園祭りの終わった頃、突然、百々村にやって来て、忠次の子分にしてくれと言い出した。見た所、年は二十二、三で渡世人には見えなかった。円蔵が話を聞いたが太田宿の生まれというだけで、今まで何をやっていたのか話したがらない。何となく、ただ者ではないと感じた円蔵は日新を三下奴にして様子を見る事にした。

 普通、三下奴は十六、七の若者が多かった。子分とは認められず、朝早くから夜遅くまで雑用にこき使われた。何を命じられても、逆らわずに従わなければならない。飯だけは食わせて貰えるが、銭は貰えず、厳しい修行だった。

 日新は年を食っていたが文句も言わず、自分より若い子分たちにこき使われた。返事をする以外、滅多に口も利かず、何を言われても怒る事はなかった。半年余りが経つと、三下奴でありながら、子分たちから先生と呼ばれるようになった。読み書きができ、色々な事を知っているので、子分たちは日新に手紙の代筆を頼んだり、悩み事の相談をしたりするようになった。

 忠次もその噂を耳にして、百々村に行った時、円蔵に聞いた。

「軍師、日新とかいう三下だがな、ありゃ一体(いってえ)、何者なんでえ?」

「あいつか、ありゃどうも学者崩れのようだな」と円蔵はお茶を一口飲むと目を細めて言った。

「学者崩れ? お(かみ)の回し(もん)じゃアねえだんべえな?」

「そいつは大丈夫(でえじょぶ)だ。あっしもその事が心配(しんぺえ)で様子を見てみた。しかし、そんな素振りは見せねえ。逆に御用聞きを恐れてるような風がある。もしかしたら、何か凶状を持ってんのかもしれねえ」

「奴が凶状持ちだと? へっ、そうは見えねえぜ」

 忠次も熱いお茶をすすった。

「なあに、凶状持ちといっても殺しやなんかじゃねえ。あっしが思うにゃア、お上に楯突いたんじゃねえかと‥‥‥」

「あの野郎がお上に楯突いた? 一体、何をしたんでえ?」

「去年の二月だったか、上方の大坂で大塩平八郎がお上の御政道に楯突いて反乱を起こしたってえのを旦那も御存じだんべえ」

「ああ。飢饉の時だったからな、あっちこっちで騒ぎが起こったが、与力の旦那が一揆を起こして大坂の町を焼き払ったってえ、(てえ)した評判になったなア」

「へい。その後、大塩の残党と名乗る奴らが、あちこちで一揆を起こしたんだが、越後の柏崎でもそんな騒ぎがあった」

「おう、聞いてるぜ。代官の陣屋に殴り込みを掛けたんだんべえ。何でも、その張本人は上州生まれの浪人だったってえじゃねえか」

「そうなんでえ。あの事件を間近で見たってえ旅人(たびにん)が、うちに草鞋(わらじ)を脱いだんで、あっしは聞いてみたんでさア。その張本人は生田(よろず)ってえ先生で、館林のお(さむれえ)だったんだが、何でも、お殿様に御政道に関する意見書を提出して、お殿様の怒りを買って浪人になったんだそうだ。その後、江戸に出て、偉え先生のもとで勉学に励み、上州に戻ると太田宿に私塾を開いて、若え者たちに学問を教えてたらしいぜ」

「太田宿でか?」

「そうなんだ。日新の野郎も太田の生まれだ。どうも、その生田先生の教え子だったようだな」

「聞いてみたかい?」

「いや、本人がしゃべりたがらねえのに聞いても話すめえと思ってな。まだ、聞いちゃいねえ」

「すると、奴も越後に行って、陣屋を襲撃したってえのかい?」

「その可能性はある。奴がここに来たんは、越後の襲撃から一月も経っちゃアいねえ」

「ほう、面白え奴が転がり込んで来やがった」

「本人に会ってみますかい?」

「そうだな、呼んでくれい」

 日新は忠次の前に出ると、

「親分さんの噂はよく聞いておりました。わたしが以前、お世話になった先生も会ってみたいと常々、申してました」とぼそぼそと言った。

「その、先生てえのは生田先生だな?」と円蔵が聞いた。

 日新は驚き、円蔵の顔を見つめた。

「どうして、それが‥‥‥」

「やはり、そうかい。それで、どうして、うちに来たんでえ」

「それは‥‥‥お尋ね者になっちまって、帰る所もねえし、渡世人になって男を売ろうと思いまして‥‥‥」

「おい、おめえもあん時の襲撃に加わったんかい?」

 忠次が興味深そうに聞いた。

「はい、でも、途中で逃げてしまったんです。そんな自分が恥ずかしくて、一時は死のうと考えましたが、先生の教えをもう一度、実践しようと考え直したんです」

「何だと? おめえ、また、陣屋に殴り込みを掛けるつもりなのか?」

「いえ、そうじゃありません。違います。先生の教えはあんなに過激じゃないんです。でも、あの時は飢饉の最中で、みんな、どうかしてたんです。実力行使をしなければ、お上の目は醒めないとあんな風に‥‥‥」

「お上の目が醒めねえ?」

「はい。親分さんは飢饉の時、貧しい者たちを助けたから分かると思いますけど、お上のやり方は(ひど)すぎます。あの時、食う者がなくて死んで行った者は大勢います。お上はそんな人たちを助けないで、自分の事ばかり考えていたんです」

「どういう事でえ?」

「お上は侍たちを飢え死にさせないために、あちこちから米を集めて江戸に運んだんですよ。米商人たちはお上のためにせっせと米を集めて江戸に送って、たんまりと銭を稼ぎ、お陰で貧しい者たちは食う物が無くなって飢え死にしたんです。先生は江戸に送る米をみんなに分け与えてやろうとして、陣屋を襲撃したんです。けど、失敗して自害してしまった‥‥‥」

「そうだったんかい‥‥‥そういやア、平塚からも米を積んだ船が江戸に向かい、そいつを襲撃しようとした連中が取っ捕まったとか聞いたな」

「親分、今の世の中、おかしいと思いませんか?」

 日新は真剣な顔付きで忠次を見つめた。

「確かにおかしいような気もするが‥‥‥」

 忠次は少したじろいだ。

「何とかしなければならないんです。新しい世の中を作らなければならないんです」

「新しい世の中か‥‥‥」と忠次は円蔵を見た。

 円蔵は何も言わず、日新の顔をじっと見つめていた。

 日新はその日から、子分に昇進して、忠次と共に田部井村に移った。

 日新というのは勿論、本名ではなかった。新しい世の中が来る事を願って生田先生が付けてくれた号だという。かなりの書物を読んだとみえて、難しい事を色々と知っていた。

 忠次は日新を身近に置き、話を聞いては様々な知識を増やして行った。忠次は気づかなかったが、知らず知らずに日新に感化され、世の中の見方も少しづつ変わって行った。

 今まで、忠次はお上(幕府)に反抗して来たが、それは自分を捕らえようとしている御用聞きに対してであって、決して、お上に楯突くなんて大それた事を考えてはいなかった。忠次から見れば、お上なんて雲の上の存在で、自分とはまったく縁のないものだった。それが、日新の話を聞く事によって、お上の存在は身近になり、世の中が狂って来たのは、お上のせいなのだと思うようになって行った。

 桜も散った三月の半ば、八州様が木崎宿に来た、と女郎屋通いをしていた武士(たけし)村の若者が知らせてくれた。前日、境の市日だったので、忠次は百々村に来ていた。

「旦那、文蔵を連れて、しばらく隠れていてくだせえ」と円蔵がいつものように言った。

「伊三郎を殺してから、もう四年近くになるんだぜ。もう大丈夫なんじゃねえのかい?」

「いや、危ねえ。去年、将軍様がお代わりになられて、もうすぐ、領内見回りの巡見使が来るはずだ。八州様としても、ボロを出さねえように必死になってる。目障りな野郎はみんな、しょっ引くつもりだぜ。隠れてた方がいい」

 忠次と文蔵は赤城山の裾野にある新川(にっかわ)村に隠れた。新川村には子分の秀吉の家があった。

 八州様が利根川向こうの玉村に行ったと知らせを受けると忠次は田部井村に、文蔵は百々村に戻った。

 三月二十六日、八州様は倉賀野宿へと行き、忠次らはすっかり安心していた。

 その日、世良田の朝日屋で賭場が開かれる事になっていた。朝日屋の賭場は茂吉に任せてあったが、その日は祇園祭りの打ち合わせもあるので、是非、顔を出してくれと言われていた。

「六月の祇園祭りにはまだ間があり、早すぎるんじゃねえのか?」と言うと、今年は将軍様がお代わりになって最初の祭りなので、いつもより盛大にやるので早くから準備を始めなければならないと言う。それなら仕方がないと忠次は承諾した。

 昼飯を食べた後、忠次が世良田に向かおうとした時、桐屋の賭場に梁田(やなだ)宿の上総屋源七親分が来たと鹿安が知らせに来た。

 源七は去年の秋、信州権堂村の女郎屋を弟分の島田屋伊伝次に譲り、一旦は故郷の邑楽(おうら)郡大高島村に帰った。しかし、船問屋だった生家は没落しており、生家を立て直すために、再び、梁田宿で女郎屋を始めた。顔が広く、各地の親分たちにも睨みがきくため、八州様の相談役を務める羽目となり、今回、八州様の道案内として玉村宿まで従った。ようやく解放され、久し振りに忠次の顔を見るために寄ったのだと言う。

「せっかく、源七親分が旦那に会いに来てくれたんだ。世良田の方は俺が代わりに行くぜ」

 文蔵が長脇差を腰に差しながら言った。

「そうだな、祇園祭りの相談だ。俺よりおめえの方がいいかもしれねえ。済まねえが頼む」

 忠次は子分の喜代松を連れて源七に会うため桐屋に行き、文蔵は子分の佐吉を連れて世良田へ向かった。

 市日ではないので、境の宿場はのんびりとしている。高札場の回りで子供たちが遊び、ツバメが飛び回り、軒下の巣作りに励んでいた。

 賭場に顔を出すと、源七は堅気の衆に混じって遊んでいた。

 忠次が小声で挨拶をすると、

「境名物の女壷振りを見物に来たぜ」と観音のお紺に軽く頭を下げて席を立った。

「遊ばせてもらったぜ」と代貸の甲斐新に五両を渡し、

「みんなでうめえもんでも食ってくれ」と言って笑った。

 忠次は源七をおりんの店に連れて行った。

「今日はゆっくりして行けるんでしょう?」

 源七のお猪口(ちょこ)に酒を注ぎながら忠次は聞いた。

「いや、そうもいかねえんだ。まさか、玉村くんだりまで付いて行くたア思ってもいなかったからな。もうすぐ、京からお公家さんや例幣使(れいへいし)がやって来る。何しろ、初めての事だから色々とやる事があるんだ。まったく、面倒くせえ所に越して来ちまったぜ」

「毎年の事だから俺は慣れちまったけど、確かに例幣使が来る時ゃア境宿も大騒ぎだ。もっとも俺は表には出られねえんで、子分たちに任せっきりだが宿場役人は大変(てえへん)らしい」

「その宿場役人になっちまったのよ」

「へえ、そうですか‥‥‥そいつは大変ですね」

「まあ、しょうがねえ」

 源七はおりんが作った、にぼうと(おっきりこみ)を食べると帰って行った。

 忠次が源七を宿場はずれまで見送り、百々村に帰って来ると後ろから、

大変(てえへん)だ! 大変だ!」と誰かが大声で叫びながらやって来た。

「親分、大変だ。文蔵さんが捕まっちまった」と男は息を切らせながら何度も言った。

「何だと! てめえ、いい加減な事を言うんじゃねえ」

 忠次は物凄い形相(ぎょうそう)で男の胸倉をつかんだ。

 男は女塚(おなづか)村の百姓で世良田の朝日屋の賭場に行ったが、今日は大事な寄り合いがあるから、それが済んでからだと言われ、店の中で酒を飲んでいた。そのうちに、文蔵がやって来て二階に上がって行った。まもなく、始まるなと思っていると、血相を変えた文蔵が二階から勢いよく降りて来た。

 何事かと見上げると、十手を振りかざした茂吉が、

「御用だ! 御用だ!」と叫びながら文蔵を追って行く。

 文蔵が朝日屋から飛び出すと祇園さんの鐘が鳴り響いて、捕り方が大勢集まって来た。

 文蔵は手裏剣を打ちながら捕り方と戦ったが、手裏剣がなくなると長脇差を預けてしまったため簡単に捕まってしまった。一緒にいた佐吉も捕まったという。

「茂吉の野郎はいつ、十手持ちになってんでえ?」

 忠次は怒りを抑えながら円蔵に聞いた。

「知らねえ。そんな事ア、一言も聞いちゃいねえぜ」

「あのくそったれ野郎、裏切りやがって、絶対に許せねえ」

「茂吉の奴ア旦那を捕まえて、手柄をあげるつもりだったんだぜ」

「くそっ! 何としてでも、文蔵を取り戻さなくちゃなんねえ」

 忠次は喜代松に命じて、子分たちを全員集めさせると共に、文蔵の様子を探らせるため、下田中村の沢五郎を世良田村に送った。

「茂吉だけの考えじゃねえぜ、こいつは」と円蔵は腕組みをして唸った。

「奴にそれだけの度胸はねえ」

「木崎の左三郎が後ろにいるってえのかい?」

「いや、それだけじゃねえ。八州様が後ろで糸を引いてるに違えねえ」

「八州様は倉賀野に行ったんだんべえ」

「本当に行ったかどうか分かんねえぜ」

「源七親分が玉村まで一緒に行ったと言ってたぜ」

「源七親分が玉村から引き返して来たってえ事は八州様だって引き返せるってえ事だ。利根川を舟で下れば、あっという間だ」

「しかし、平塚に上がれば助八が知らせるはずだ」

「平塚じゃねえ。前島から上がって木崎に入ったのかもしれねえ」

「八州様がそんな面倒くせえ事をするかのう」

「とにかく、八州様がいるかもしれねえって考えてた方がいい」

 忠次が文蔵を奪回するための喧嘩支度を始めていると沢五郎が帰って来て、捕まった文蔵と佐吉が木崎宿に連れて行かれたと告げた。

「おい、八州廻りはいるのか?」

「よく分かりませんが、木崎の左三郎の奴が得意顔でいました」

「くそったれ! 団子屋のガキが‥‥‥」

 徒党を組んで木崎宿に乗り込んだら、向こうの思う壷にはまるから、もう少し、様子を見た方がいいと円蔵は言ったが忠次は聞かなかった。今まで、ずっと忠次の片腕として働いて来た文蔵が捕まった事で頭がカアッとなっていた。何が何でも助けなければならないと、忠次は武装した子分たちを引き連れて木崎宿へと向かった。

 すでに日暮れ間近になっていた。

 畑仕事を終えた百姓たちが、何事かと武装した忠次一行を恐る恐る眺めていた。

 空ではカラスがうるさく飛び回っている。

 三ツ木村辺りまで来た一行は前方を見つめて足を止めた。木崎宿がやけに明るかった。

「おい、火事じゃねえのか?」と富五郎が言った。

「火事なら、兄貴を助けられる」

 文蔵の妹婿(むこ)の清蔵が喜んだ。

 忠次らは古城跡の三ツ木山に登って、木崎宿の方を眺めた。

 火事のようにも見えるが、どうも、そうではないらしい。松明(たいまつ)のようだった。それにしてもおびただしい松明の数だった。

「おい、浅、ちょっと見て来い」

 忠次は足の素早い板割の浅次郎に命じた。

 浅次郎はうなづくと槍をかついで飛び出して行った。清蔵もじっとしていられずに、浅次郎の後を追った。

 三ツ木山には遅れて来た子分たちも集まり、七十人近くに膨れ上がり、絶対に文蔵を奪い返してやると意気も上がった。しかし、偵察に行った浅次郎と清蔵が戻って来ると状況は変わった。

「木崎宿は武装した村人たちが完全に包囲していて、とても入れそうもありません」

「武装してると言っても、奴らはこの辺りの百姓だ。こっちが威勢よく攻め込みゃア、さっさと逃げちまうぜ」と友五郎は言ったが、清蔵も浅次郎も首を振った。

「敵の数は二、三百もいるんです。それにかなりの鉄砲もあります。もし、突破して宿場に(へえ)れたとしても、今度は逃げられません。少なくても、半分は捕まっちめえますよ」

「二、三百だと?」

 忠次は驚いて聞き直した。

「へい。宿場の回りだけでも、そのくれえはいます。宿場ん中にもいるだんべえから、四百ぐれえはいるんじゃねえでしょうか」

「軍師の言った通りによお、こいつは八州様が必ず、後ろにいるぜ」と千代松が口をとがらせて言った。

「俺たちが攻め込むのを待ち構えてるに違えねえ。どうする、旦那?」

「畜生め!」と忠次は唇を噛んだ。

「くそっ、堅気の衆相手に喧嘩はできねえ。出直しだ」

 忠次は木崎宿をじっと睨みながら、込み上げて来る怒りにじっと耐えていた。

 百々村に戻った忠次は代貸たちを集めて今後の対策を練った。木崎宿で文蔵を救出する事は諦め、江戸に向かう途中を狙う事にした。曲沢の富五郎、甲斐の新十郎、五目牛の千代松の三人に文蔵救出を頼み、神崎の友五郎、八寸の才市、上中の清蔵の三人には裏切り者の世良田の茂吉を殺す事を頼んだ。忠次自身は手配されているため、国越えしなければならなかった。

「奴らは本気になって、旦那を捕まえようとしている。留守の事はあっしらに任せて、旅に出て男を売って来てくだせえ」

 円蔵は厳しい顔付きで忠次を見た。

「文蔵の事は頼んだぜ。必ず取り戻してくれ。旅から戻って来た時、文蔵がいなかったら、おめえら承知しねえぜ」

「任せておけ」と富五郎が言うと、新十郎と千代松も力強くうなづいた。

 忠次は夜明けと共に、新川村の秀吉、境川の安五郎、太田宿の日新、鹿村の安次郎、赤堀村の相吉の五人を連れて旅立った。文蔵を捕まえた裏切り者、世良田の茂吉に対する怒りをじっと(こら)えて、取りあえずは信州へと向かった。

 日が暮れる前に大戸に着き、その夜は加部安の所に泊まる予定でいた。加部安の屋敷の前まで来て、忠次は目の前の関所を眺めた。

「おい、日新、何で関所なんてもんがあるんでえ?」

「それは、お上が自分たちを守るためですよ」と日新は言って、詳しく説明を聞かせたが、忠次は聞いていなかった。

 じっと関所を睨み、

「あんな(もん)があったら、旅人たちが迷惑するぜ。あんな物はいらねえんじゃねえんかい?」

「ええ、無用な物です」と日新はうなづいた。

「どこの関所もちゃんと抜け道が用意されてるんですからね。あんな物は無用です」

「よし、あそこを通り抜けるぜ」

 忠次は関所を睨みながら、腰の長脇差を力強く握った。

「何ですって? 切手もないのにどうやって通るんです?」

 日新は驚き、忠次の顔を見た。

 その顔は厳しく、忠次の決心を知った日新は背筋が寒くなるのを感じた。

「なあに、加部安の旦那に頼みゃア切手なんか、何とでもならア」と秀吉が笑いながら言った。

「いや、切手なんかいらねえ。切手なしであそこを通り抜けるぜ」

「旦那、そりゃア無茶ですぜ」

 力士崩れの大男、安五郎が止めた。

「日新、おめえは世の中を変えなくちゃなんねえと言ったな。旅人たちが迷惑する関所なんか用はねえぜ。てめえ勝手な事をしてるお上なんざ許しておけねえ」

「しかし、そんな無茶しなくも、抜け道があるのに‥‥‥」

 日新は何とか、忠次の考えをやめさせようと思ったが、無理である事を悟った。

「天下の大道を通るのに、何でコソコソと抜け道を通らなけりゃならねんだ。俺はあそこを堂々と通ってやるぜ」

 日新は関所を眺めながら、ブルッと震え、大きく息を吸うと、

「分かりました。やりましょう」と力強くうなづいた。

 秀吉も安五郎も鹿安も相吉も覚悟を決め、関所に向かって力強く歩き始めた。

 鹿安は鉄砲を隠し持っていたが、それを構え、他の者たちは長脇差の(つか)に手を掛け、関所へと向かった。

 日暮れ近くで、もうすぐ、関所が閉まる時刻だった。

 近所の百姓が四人、のんきそうに並んでいる。

「どいた、どいた、てめえら邪魔だア!」

 忠次は長脇差を抜いて、関所に突撃した。

「国定村の忠次郎のお通りでえ」

 鹿安が脅しの鉄砲を撃った。

「通行の邪魔んなる関所なんか取り潰せとお上によーく言っておけ」

 忠次は怒鳴ると関所を通り抜けて行った。

 関所の役人たちはとっさの出来事に何の反応も示さず、あっけに取られたように、忠次たちを見送った。

「関所破りだ!」

 しばらくして役人の一人が叫んだが、国定忠次という名を聞いて恐れ、捕まえようともしなかった。

「やったぜ。あの役人どもの馬鹿面を見たかい?」とみんな、大騒ぎして喜んだ。

 忠次もお上に一泡吹かせてやったといい気分だった。しかし、この関所破りの付けは後になって大きくのしかかって来る事となった。







大戸関所跡




国定忠次一代記の創作ノート

1.国定忠次の年表 2.『群馬県遊民史』より 3.『上州路』より 4.『東村誌』より 5.『大前田栄五郎の生涯』より 6.お鶴・お町・お徳・お篠・お貞の略歴 7.百々村の紋次の略歴 8.大前田栄五郎の略歴 9.日光の円蔵の略歴 10.島村の伊三郎の略歴 11.三ツ木の文蔵・国定の清次郎・五目牛の千代松の略歴 12.木崎宿の左三郎・木島の助次郎・三室の勘助の略歴 13.『やくざの生活』」より 14.『日本侠客100選』より 15.「侠客国定忠次一代記」のあらすじ、主要登場人物、忠次の生きた時代背景




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