酔雲庵


侠客国定忠次一代記

井野酔雲






19 しばらく、赤城山ともおさらばだ




 山開きの大博奕の後も、忠次は赤城山中を移動しながら隠れ、夜になるとお町やお鶴のもとに通っていた。また、縄張り内の村々に隠れ家を作って逃げ回っていた。

 五月八日、伊与久(いよく)村の源太郎が木島村の助次郎に殺された。

 源太郎は今年の正月、忠次が盃をやった子分の中の一人だった。その後、保泉村の久次郎に預けたため、どんな奴だったか忠次には思い出せなかった。

「何で、殺されたんでえ?」

 忠次は赤城山中の岩屋の中で、加部安から贈られた洋式の短銃の手入れをしながら、久次郎の話を聞いていた。

「どうも、女がからんでるようです」と久次郎は首をひねった。

「女? 源太が助次の妾にでも手を出したんか?」

「いえ、そうじゃなくて、源太の幼馴染みに伊与久村の名主んとこの姉妹がいるんでさア。伊与久小町って呼ばれる程の器量良しの姉妹でして、姉ちゃんの方はもう嫁に行っちまったんだけど、妹の方がちょっと変わっていて、旦那に興味を持ってるようなんで」

「俺に興味を持ってる?」

「へい、そのようで」

「何を言ってやがんでえ」

「いや、本当なんすよ。旦那の噂を色々と聞いて、憧れてるというか」

「その娘ってえのはいくつなんでえ?」

「十八とか聞きましたが」

「十八の娘っ子が博奕打ちに興味を持つたア面白え世の中になったもんだ」

 忠次は短銃を片付けると、煙管に煙草を詰め始めた。

「博奕打ちというよりは、親父に反発してるようです。名主のくせに村人のために何もしねえ親父に比べて、村人たちのために色んな事をしてる旦那の方が偉えと思ってるようですね」

「俺が偉えだと? 偉え奴がお上に追われて、こんなとこに隠れてるか」

「いえ、それが、偉えお人なのにお上に捕まって牢屋に入れられてる人がいるらしいんです。高野長英(ちょうえい)っていうお医者さんでしてね、境の随憲(ずいけん)先生んとこによく来てたらしいんです。その長英先生がその娘のうちにも来たらしくて、色々と影響されたようです。とにかく、頭のいい娘らしいですよ」

「ほお」と言いながら忠次はうまそうに煙を吐いた。

「その長英先生ってえのは、俺も噂を聞いてるぜ。なんでも『夢物語』とかいうのを書いて、それがお上を批判したとか言われて捕まっちまったんだんべえ。日新の奴が偉え先生だって言ってたっけ‥‥‥それで、源太とその娘がどうかしたんか?」

「へい、源太の話によりゃア、ただ、時々、会って旦那の話をしてただけだと。多分、親父が助次に頼んだんじゃねえんですか、源太を娘に近づけるなって」

「それで、助次の奴は源太を殺したんか?」

「殺す気はなかったんでしょう。取っ捕まえて、江戸送りにすりゃア当分は帰って来られねえと思ったんでしょうが、誤って殺しちまったってえとこでしょう」

「助次はどうなったんでえ?」

「一応、押し込めという事に。娘の親父が裏で動いたんでしょう」

「子分を殺されて黙ってるわけにゃアいかねえな」

 忠次は久次郎に助次郎を殺せと命じた。ところが、忠次を恐れて、助次郎はどこかに逃げてしまった。助次郎のいなくなった木島村と伊与久村は忠次の縄張りとなった。

 六月の世良田の祇園祭りも五年振りに忠次が采配した。

 表には出なかったが、忠次が上州にいるというだけで、例年よりは活気があった。忠次が祭りの最中に世良田に現れるという噂が広まり、忠次を捕まえるため、八州廻りの役人が木崎宿に集まって世良田周辺を固めた。しかし、忠次は八州様の裏をかいて、祭りの屋台(山車)の上に派手な歌舞伎装束で登場して皆を喜ばせ、何台も出ている屋台に隠れて逃げ去った。

 七月の末には、赤城山の山開きの時、気が合った笹川の繁蔵の花会に参加するため下総に旅立った。花会には赤城山に負けない程の親分衆が集まった。忠次は花会が終わった後も、繁蔵のもとでのんびり過ごして、八月半ばに帰って来た。丁度、玉村の八幡宮の祭りの二日前で、忠次が玉村に現れるという噂が広まっていた。玉村宿には八州様が勢揃いして目を光らせているという。

 八幡宮の祭りは佐重郎が仕切っていた。恩のある佐重郎の縄張りを犯すつもりは忠次にはなく、佐重郎から頼まれれば出て行くが、そうでない限りは余計な口出しはしなかった。今回も祭りに登場して、八州様を煙に巻きたかったが、八州様の道案内である佐重郎に迷惑を掛けるわけには行かない。忠次は人々の期待を裏切り、玉村には現れなかった。拍子抜けした八州様たちは祭りが終わると忠次を捜すために散って行った。

 この頃になると忠次の名をかたる偽者があちこちに現れた。赤城山に隠れているのに、忠次が信州に現れただの、甲州で暴れ回っているだの噂が広まり、八州様は神出鬼没の忠次にてんてこ舞いだった。忠次としてはありがたくもあり、憎らしくもあった。人助けをする偽者なら大歓迎だが、中には悪さをする者も多い。そんな奴は許せなかったが、どうする事もできなかった。

 八州様が上州から消えて一安心した忠次は田部井村の又八の家に馴染みの旦那衆を集めて日待ちの博奕を開いた。観音のお紺、羽衣のお藤、お辰の後を継いだ吉祥天のお絹の三人の女壷振りを集めて、盛大に行なった。

 三人が揃うのは珍しいと、日が暮れると続々と客が集まって来た。境からわざわざやって来た旦那衆もいるし、助八に連れられて、平塚からやって来た旦那衆もいた。手のあいている代貸たちも集まり、子分たちには厳重に警戒させた。

 お辰は文蔵が亡くなった後、壷振りから身を引き、田部井村に移って後継者を育てていた。その日は旦那衆たちの世話をしていたが、是非とも、壷を振ってくれと頼まれ、久し振りに披露した。引退したとはいえ、その手(さば)きは見事で、旦那衆から喝采(かっさい)を浴びた。忠次も御機嫌で度々、賭場に顔を出しては挨拶して廻った。

 外はまだ暗かったが、鳥が鳴き始め、夜明け間近を知らせている時だった。名主の宇右衛門が血相を変えて飛び込んで来た。

「手入れだ、早く逃げろ!」と宇右衛門は叫んだ。

 客たちは慌てたが、忠次がすぐに出て来て、客たちを落ち着かせた。

「廻りは子分たちがしっかりと固めてる。子分たちからは何も言って来ねえぜ」

「いや、村の廻りはすでに囲まれてる。一斉に攻めて来るつもりだ。早く、逃げなけりゃ全滅するぞ」

 宇右衛門は木崎宿の左三郎から知らせを受けて飛び出して来たと言う。忠次は宇右衛門の言葉を信じ、客たちを宇右衛門と共に逃がせた。

「旦那も一緒に逃げてくだせえ」と又八が言った。

「後は俺たちに任せろい」

 富五郎が長脇差を腰に差してニヤリと笑った。

「頼んだぜ」と忠次は女壷振りたちを連れて逃げようとしたが遅かった。

 見張りをしていた子分たちが逃げ帰って来て、

「大変だ。完全に囲まれちまった」と息を切らせながら言った。

「おい、敵は何人なんでえ?」と忠次は聞いた。

「分かりません。分かんねえけど、百人、いや、二百はいそうです。御用提灯が波のように迫って来やがる」

「二百人だと‥‥‥おめえ、寝ぼけてんじゃねえのか?」

 富五郎は怒鳴ったが、ほかの者たちも二百人はいるだろうと言う。

 忠次は二階に行き、廻りを見回した。確かに百以上もの提灯の波が近づいて来るのが見えた。

「くそっ! はかりやがった。こうなったら、敵を突破して逃げるしかねえ。人数はいるが寄せ集めだ。逃げられねえ事はねえぜ」

 忠次は長脇差を抜くと、富五郎、甲斐新、久次郎と共に女たちを守りながら、御用提灯に向かって行った。

 敵は簡単に道をあけるだろうと思ったが、そうは行かなかった。

 鉄砲の音が鳴り響き、先頭を走っていた富五郎が飛ぶように倒れた。

 鉄砲に勇気付けられて、様々な武器を手にした捕り方たちは忠次たちに向かって来た。

 忠次は長脇差を振り回して戦い、何とか、突破できたがみんなとはぐれてしまった。必死に忠次の後をついて来たのは、匕首(あいくち)で戦って来た観音のお紺だけだった。

「怪我はなかったかい?」

 忠次は長脇差の血を拭いながら、お紺に聞いた。

 お紺はうなづいた。

「畜生め! 富の奴がやられちまった。あれだけの人数を集めたってえ事は、前もって、俺があそこにいる事を知ってたってえ事だぜ。一体(いってえ)、誰がたれこみやがったんだ」

「あたしには‥‥‥」

 お紺は乱れた着物を直しながら、忠次を見て、首を振った。

「まあ、おめえに聞いてもしょうがねえか。今のおめえは久次の事で頭が一杯(いっぺえ)だんべえからな」

「やですよ、旦那」

「なあに、久次の奴は大丈夫(でえじょぶ)だ。今頃、山でおめえの事を待ってるだんべえ。それより、軍師と相談しなくちゃなんねえ」

 忠次が赤城山の隠れ家に着いた頃には夜が明けていた。

 清蔵と喜代松がすでに待っていて、忠次を見ると飛んで来た。

「旦那、無事でしたか。心配しましたぜ」

「俺は大丈夫だ。せっかく逃げて来たのに済まねえが、軍師を呼んで来てくんねえか」

「分かりやした」と清蔵は山を下りて行った。

 無事に逃げ切った者たちが、続々、赤城山に集まって来た。その中に、富五郎、又八、お辰、秀吉、鹿安の顔がなかった。

 夜になって、清蔵が円蔵を連れて来た。円蔵が来たお陰で、ようやく状況がつかめた。

「富だけじゃなく、又八の奴も殺されちまったのかい。畜生め、許せねえ‥‥‥」

 忠次は焚き火を睨んでいた。

「それとな、日新の奴もやられた」と円蔵がぼそっと言った。

「なに? 日新が殺された‥‥‥」

 忠次は顔を上げると円蔵を見た。

「体中、傷だらけだったらしい」

「逃げ足の速えあの野郎が何で殺されるんでえ?」

「奴は長脇差を振り回しながら、敵の中に突っ込んで行きました」と次郎が低い声で言った。

「奴がか‥‥‥」

「もしかしたら、奴は死に場所を捜してたんかもしれねえ」

 円蔵が闇の中を見つめながら言った。

「生田先生んとこに行きたかったんだんべえ」

「あの馬鹿が‥‥‥つまんねえとこで死にやがって‥‥‥」

 捕まったのはお辰、曲沢の竜吉、鹿の安次郎、磯の豊吉、上田(かみだ)の吉三郎、今井の牧太、新川(にっかわ)の秀吉、平塚の助八の八人だった。まさか、そんなにも捕まったとは、忠次には信じられなかった。殺された富五郎と又八、捕まった秀吉と助八は代貸だった。忠次が自由に動けない今、四人の代貸を失うのは非常な痛手だった。

 捕まった八人は四人づつ伊勢崎と木崎に送られ、八州役人の取り調べを受けているという。

「誰がたれこみやがったんでえ?」

「探ってみたが、そいつがよく分からねえんだ。道案内の木崎の左三郎と馬太郎、太田の苫吉(とまきち)、伊勢崎の久兵衛、三室の勘助が八州様と一緒に捕り物に参加している。そん中の誰かに違えねえと調べてみたんだが、どうもはっきりと分からねえ」

「玉村の親分はいなかったんだな?」

「いねえ。木崎辺りが中心になってると睨んだんだが、どうも違うらしい。捕り物のあった日、左三郎は武蔵屋に上がり込んで、昼間っから騒いでたようだ。その夜に大捕物があるってえのを知ってたとは思えねえ」

「左三郎の奴ア名主さんに知らせてくれたんだ。奴が張本人じゃあるめえ。馬太郎の野郎じゃねえんか?」

「いや、馬太郎も違うようだ。奴も夜になってから慌てて人足を集めていやがった」

「すると、太田の苫吉か?」

「奴も違う。奴も慌てて人足をかき集めて駈けつけて来た口だ」

「それじゃア、一体、誰なんでえ‥‥‥もしかしたら、助次の奴じゃねえのか。俺から逃げ回ってる振りして、俺を捕まえて手柄をあげる気でいるんじゃねえのか?」

「助次はあの後、見かけねえ。国越えしてるようだぜ」

「伊勢崎の久兵衛じゃねえぜ。久兵衛は栗ケ浜の親分の身内だ。仕方なく、捕り物に参加しただけだ。久兵衛んとこに突撃した者たちは、道を開けてくれた久兵衛のお陰で助かってんだ」

「それは知ってる」

「そうなりゃ、残るは勘助だけじゃねえか。あの野郎がそんな大それた事をするとは思えねえ」

「あっしも最初はそう思って、勘助を除外してたんだが、勘助んとこに佐与松の野郎が出入りしてると聞いてな、どうも気になるんだ」

「佐与松だと? 奴がまた舞い戻って来やがったんか?」

 佐与松は忠次の代貸として田部井村を任されていたが、飢饉の最中にイカサマをやって堅気の衆から銭を巻き上げたため、忠次は縁を切って追放した。その佐与松が六年振りに戻って来たという。

「奴なら田部井村の旦那衆をよく知ってる。馴染みの旦那んとこに顔を出して、又八の賭場の事を知ったんかも知れねえ」

「佐与松と勘助が組んで、八州役人にたれこみやがったのか‥‥‥そういやア、あの晩、浅の野郎も顔を見せなかったぜ」

「まさか、浅は関係ねえだんべえ。浅が裏切るわけがねえ」

 忠次はすぐに、見張りをしている板割の浅次郎を呼んだ。

「おい、おめえ、手入れのあった晩、何してたんでえ?」

「あん時はちょっと、やぼ用で」

「やぼ用たア何でえ?」

「へい、女房と大喧嘩しちまって、その仲裁に入ったんが、たまたま草鞋を脱いでた甲州津向の文吉親分の子分でして、奴を連れて又八兄貴んとこに行こうとしたんですが、野郎は博奕よりも女好きで、玉村に連れて行ってくれって言うもんで」

「玉村で遊んでたんか?」

「へい、常盤(ときわ)屋に上がって騒いでたんです。そしたら翌朝、旦那が捕まったてえ噂を聞いて、野郎の事も放ったらかしに飛んで来たってわけで」

「おめえ、勘助んとこに佐与松が出入りしてたのを知ってたか?」

「いえ、知りませんけど」

「そうか‥‥‥もう、いいぞ」

 浅次郎は首を傾げながら、去って行った。

「嘘を付いちゃアいねえようだぜ」と忠次は円蔵に言った。

「もう少し、調べた方がよさそうだな」

「百々村の方は大丈夫なのかい?」

「今の所は大丈夫だ。捕まえた奴らを江戸に送るまでは、八州様も余計な事はするめえ」

「助ける事はできねえのか?」

「無理だ。百人以上の者たちが牢屋の回りを固めてる」

唐丸籠(とうまるかご)を襲うしかねえのか?」

「一応、手は打ってみるが、それも難しいかもしれねえ。文蔵が捕まった頃と違って、八州の役人も大勢いる。当然、警固は厳しくなる。五、六人で襲っても助けられねえかもしれねえ」

「五、六人で駄目なら、二、三十人で襲えばいい」

「そんな大人数で動けば、すぐに見つかっちまう。徒党を組んでたと籠を破る(めえ)に捕まっちまうぜ」

「しかしよお、奴らを見殺しにゃアできねえ。何としてでも助けなくちゃなんねえ」

 円蔵は敵の様子を探るために山を下りて行った。その後、円蔵の使いとして喜助が毎晩やって来て、木崎と伊勢崎の様子を知らせてくれた。どちらも警固が厳重で、捕まった者たちが無事かどうか確かめる事もできないという。

 忠次が赤城山に籠もって三日目の夜、喜助が若い娘を連れてやって来た。どう見ても、山の中にいる娘ではなかった。

「この娘が旦那に会いてえと山ん中をうろついてやしたぜ」

「一人でかい?」

「へい。たった一人だったんで、旦那の知り合いだんべえと連れて来やした」

「俺は知らねえ。一体、誰なんでえ?」

「あたし、伊与久村のお貞と申します」

 娘は忠次を恐れる事なく、はっきりした声で言った。

 伊与久村と聞いて、忠次は名主の娘に違いないとピンと来た。着ている着物も、どことなく上品な雰囲気も、丁寧な口の利き方も大事に育てられたお嬢さんに間違いなかった。

「俺に何か用なのかい?」

 忠次はお貞の顔を眺めながら聞いた。

 色白で目のくりっとした器量よしだった。

「あたしを親分さんのお妾にして下さい」

 お貞は大きな目で忠次をじっと見つめながら、そう言った。

 忠次だけでなく、回りにいた子分たちもお貞の言葉に驚き、空いた口がふさがらなかった。

「馬鹿な事を言うんじゃねえ」

 忠次はしばらくしてから言った。

「おめえさんは伊与久の名主の娘だんべえ。そんな冗談(てんごう)を言ってねえで、早くうちに帰る事だ」

「あたしの事、知ってたんですか?」

 お貞は嬉しそうに笑った。

「源太から聞いてな」

「源太さんは死んでしまいました」

「堅気の娘が渡世人なんかと付き合うんじゃねえ。おい、喜助、お嬢さんをちゃんと、うちまで送り届けろ」

「いやです。あたし、帰りません。もう、うちを出て来たんです。死んでもうちには帰りません」

 忠次は家に帰そうとしたが、お貞は強情だった。無理やり連れて行こうとすると隠し持っていた匕首(あいくち)を抜いて、自分の首を刺そうとする。そのうち、気が変わるだろうと忠次はお貞をお紺に預けた。

 九月になり、そろそろ、捕まった者たちが江戸に送られるだろうと円蔵から知らせが届き、忠次は子分たちを武州の中山道筋に送り込んだ。しかし、裏をかかれ、唐丸籠は中山道を通らず、船に乗せられ利根川を下って行った。

 捕まった子分たちを取り戻す事に失敗した忠次は、何としても密告者を殺さなければ気が済まなかった。円蔵は勘助の近辺を探っていたが、確定的な証拠は何もつかめず、佐与松を捕まえて、口を割らせようとしたが、佐与松には逃げられてしまった。

「佐与松が消えた事が何よりの証拠だんべえ。勘助の仕業に違えねえ。あの裏切り者め‥‥‥絶対に許さねえ! おい、浅、おめえはどう思ってんでえ?」

「伯父貴がそんな事をするとは‥‥‥」

「勘助じゃねえってえのかい? 富と又八と日新が殺され、お辰、(ひで)(りゅう)鹿安(しかやす)吉三(きちざ)(とよ)(まき)が捕まっちまったんだぜ。捕まった奴らが助かる見込みなんかねえ。みんな、首をはねられて殺されちまうんだぜ」

「‥‥‥分かりやした‥‥‥俺が伯父貴の首を取って来ます」

「よく言った。おめえが勘助の甥だってえんで、おめえの事を疑ってる者がいるんだ。おめえ自身の手で濡れ衣をきっぱりと晴らして来い」

 勘助は八州様と共に伊勢崎に詰めていた。帰って来たら、すぐに知らせろと忠次は子分を勘助の妾のいる小斉(おざい)村に送った。

 その夜、遅くなって、傷だらけになった秀吉がやって来た。

「旦那、すまねえ」と秀吉は泣きながら頭を下げた。

「おめえ、逃げて来やがったんか?」

「そうじゃねえんで‥‥‥」

「そうじゃねえ? 逃げて来ねえで、何でここにいるんでえ?」

「八州の役人どもが山狩りをするってえのを聞いちまって、何としても旦那に知らせなくちゃなんねえと思って‥‥‥」

「おめえ、まさか、目明(めあか)しになったんか?」

「へい、すいません」

「ここを知らせたんじゃアあるめえな?」

「いえ、そんな事はしません。旦那の居場所が分かったら知らせると約束して出て来たんです」

「誰かにつけられてんじゃねえのか?」

「いえ、大丈夫です。山ん中を走り回って、追い払ってから、ここに来ました」

「そうか‥‥‥おめえ、山狩りとか言ったな。いつやるんでえ?」

「二、三日のうちです。今、あちこちから猟師を駆り集めてます」

「畜生め。江戸送りが済んだんに、八州の野郎ども、いつまで経っても動かねえと思ったら、そんな事をたくらんでいやがったのか」

「旦那、早く逃げてくだせえ」

「おい、秀、おめえは誰がたれこんだのか知ってるか?」

「俺もその事を役人に聞いてみたんですけど教えてくれねえんです。ただ」

「ただ、何でえ?」

「小斉の勘助がやけに得意顔だったのを覚えてます」

「やはりな‥‥‥」

 八州廻りが山狩りをする前に、勘助を殺して逃げるつもりだったが、勘助はなかなか家に帰って来なかった。忠次はイライラしながらも、お貞を相手に話をしながら気を紛らせていた。

 お貞は結局、家に戻らなかった。お紺がお貞の味方になって、忠次を説得してしまった。頭のいい娘で色々な事を知っていて、日新を失ってしまった忠次にとって、丁度いい話相手になった。日新と共通した所があり、女だてらに、世の中を変えなければならないと真剣に考えていた。百々村にいる円蔵より伊与久村では名主の娘がかどわかされたと大騒ぎしていると知らせて来たが、お貞の決心は(くじ)けなかった。可愛い顔をしていながら、その芯の強さには忠次も呆れた。

 勘助が帰って来たと知らせが届いたのは八日の晩だった。浅次郎は下植木村の平五郎、上植木村の万蔵、野州の角太郎、五目牛村の音次郎、茂呂村の茂八、桐生町の長五郎、波志江(はしえ)村の市松を連れて、小斉村に向かった。

 八人は勘助の家を取り囲み、勘助らが寝静まった頃を見計らって、家に踏み込んだ。無警戒で眠り込んでいた勘助は簡単に浅次郎の槍で突き殺され、泣きわめいた四歳の太郎吉も殺された。一緒に寝ていた妾は傷を負いながらも逃げ去った。

 浅次郎らは勘助の首を持って、近くにある八寸村の七兵衛の家に立ち寄った。そこで勘助の首を洗い、衣服を整え、山に戻って、忠次に首を披露した。

 忠次は満足そうにうなづいてから、

「浅、伯父貴を殺させてすまなかったなア」と辛そうに言った。

 勘助の首を見つめている、その目には涙が溜まっていた。

「なんで、こんな事になっちまったんでえ」

 忠次は生首に向かってつぶやいた。

 目頭をこすると顔を上げ、

「しかしな、裏切り者は絶対に許しちゃアおけねえんだ」とうつむいている浅次郎たちに言った。

 そして、立ち上がると、子分たちの顔を見回した。

「これで、一応、殺された曲沢の富五郎‥‥‥田部井の又八‥‥‥太田の日新‥‥‥それと、捕まって江戸送りになっちまった吉祥天のお辰‥‥‥曲沢の竜吉‥‥‥鹿の安次郎‥‥‥上田の吉三郎‥‥‥磯の豊吉‥‥‥今井の牧太郎‥‥‥それに、平塚の助八の仇は討った。勘助一人を殺して、死んで行った者たちが成仏するたア思えねえが仕方がねえ。今の俺にゃア、これしかできねえ‥‥‥日新の野郎が言ってたように、今の世の中はどっか狂ってるんかもしれねえ。奴がいつも言ってたように、新しい世の中ってえのを作らなけりゃなんねえんかもしれねえ‥‥‥」

 忠次は弓張り月を見上げ、しばらく眺めていたが、改めて、子分たちを見回すと話し続けた。

「これで、また、赤城山ともしばらくはおさらばだ。おめえたちも手配されるかもしれねえが、絶対に捕まるんじゃねえぞ。こんな事ぐれえで国定一家がぶっ潰されてたまるか。まだまだ、お上に一泡も二泡も吹かせなきゃ気が済まねえぜ、いいな?」

「おう!」と子分たちは(とき)の声を上げた。

 忠次は大久保一角の案内で、お貞を伴い、赤堀の相吉と市場の千吉の二人だけを連れ、野州大久保村へと向かった。









国定忠次一代記の創作ノート

1.国定忠次の年表 2.『群馬県遊民史』より 3.『上州路』より 4.『東村誌』より 5.『大前田栄五郎の生涯』より 6.お鶴・お町・お徳・お篠・お貞の略歴 7.百々村の紋次の略歴 8.大前田栄五郎の略歴 9.日光の円蔵の略歴 10.島村の伊三郎の略歴 11.三ツ木の文蔵・国定の清次郎・五目牛の千代松の略歴 12.木崎宿の左三郎・木島の助次郎・三室の勘助の略歴 13.『やくざの生活』」より 14.『日本侠客100選』より 15.「侠客国定忠次一代記」のあらすじ、主要登場人物、忠次の生きた時代背景




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