歓迎の宴
宿屋に戻ると一九と津の国屋は帳場のある建物の三階の広間に案内された。ここも眺めがよく、床の間の付いた立派な広間だった。すでにお膳が並び、都八が一人、部屋の隅で壷廻りの女、おかよと何やら楽しそうに話している。 「お帰りなさいませ」とおかよは頭を下げると出て行った。 後ろ姿を見送りながら、 「可愛い娘だ。あれだけの娘は江戸にもそうはいめえ」と津の国屋が笑った。 「桐屋の料理だそうです」と都八がお膳を示した。 「ほう、 一九は煙草盆のそばに座ると、 「月麿はどうした」と都八に聞いた。 「それが、夢吉の 「相模屋は見つかったのか」と津の国屋が腰の 「それが、中善の隣りにある山本十右衛門に泊まってました」 「なに、本当に来てたのか」 津の国屋は煙草を詰める手を止め、信じられないという顔をした。 「まさか、追って来るとはなア」 「へい、驚きましたよ。一昨日、こっちに着いたようです。それが、やっと見つけたんですよ。まず、ここの帳場で聞いて、それから、広小路に出て、すぐ右側にある宮崎文右衛門で聞いて、その隣りの 「で、夢吉もその桐屋にいたのか」 「それが、相模屋の奴も夢吉を捜してるようで。一昨日、中善にいる夢吉を見つけて会って、昨日も会ったらしいんだけど、今日、会いに行ったらいなかったそうです。その後、捜し回ったけど見つからなくて、やっこさん、 「河内屋? 何者だ」 「さあ、酒屋仲間じゃねえですか。でも、あの 「河内屋か‥‥‥」と津の国屋は考えていたが、 「聞いた事アねえな」と首を振った。 「とにかく、夢吉が相模屋と一緒じゃねえとすると、 「さっぱりわからねえ」と都八も首を振る。 「月麿の奴は相模屋と一緒じゃねえ事がわかって喜んでますがね」 「妙だな。雨っ降りにそう遠くへ行くめえとは思うが」 「そのうち、ケロッとした顔で帰って来ますよ」 「そうだな。帰って来りゃア豊吉たちと一緒にここに来るだろう。あれ、豊吉たちは相模屋の面を知らねえのか」 「それが知らねえんだそうです。噂にはよく聞くけど、二人とも会った事はねえそうで。あれが相模屋の旦那だったのって、たまげてましたよ」 「へえ、そうかい。もっとも、やっこさんは夢吉一筋だったからな」 津の国屋は心配している様子はないが、一服つけながら話を聞いていた一九は何となく、いやな予感がした。 「おい、おめえ、おかよちゃんと何を話してたんだ。やけに親しそうだったじゃねえか」 津の国屋がニヤニヤしながら都八に聞いた。 「なに、ちょっと、江戸の話をしてやってたんですよ。月麿に聞いたんですけどね、壷廻りの女ってえのは口説き 「なに、そいつは本当か」と津の国屋は吸い殻を 「本当ですよ。草津には宿場と違って飯盛女はいねえんです。その代わりに宿屋にいる壷廻りの女とか水汲み女は口説き次第では客を取るそうです。水汲み女ってえのは力仕事だから、年増ってえか、中年の女が多いんだけど、壷廻りの女はみんな若くて、着飾って壷を廻ってんですよ。おかよちゃんみてえに土地の娘はわりと少なくって、春になるとあちこちから流れて来て、宿屋に雇われるんです。男で苦労してる女も多いらしくて、口説き次第で、ころっと行くそうですよ」 「ほう、そいつはいい事を聞いた。それで、おめえ、おかよちゃんを口説いてたのか」 「いや、まだ、そこまでは行きませんよ。商売女と違って 「何を知った風な事を言ってやがる。そういやア、漬物売りの娘はどうなんだ。さっき、可愛いのがいたぞ」 「さあ、そこまでは聞かなかったけど腕次第じゃアねえですか」 「旦那、見て下せえ。こいつは歌麿師匠が描いた 床の間の掛け物を眺めていた一九が振り返った。 「どれ」と津の国屋と都八が床の間にやって来た。 「ほう、こいつは、まさしく師匠の絵だ」 それは吉原の 「草津に来た時に残してったのかな」 「多分、そうだろう」 「十年 「旦那、成田屋の歌もありますよ」と都八が言う。 床の間の脇の柱に狂歌を書いた
「 「六代目ってえと今の 「七代目は六代目の 「七代目もここに泊まってんでしょう」 「七代目はまだ十八の若さだ。来てるかどうかは知らねえが、五代目は何度も来ていたはずだぜ」 「成田屋の一行が来た時はそりゃア凄えでしょうねえ」 「そりゃそうだろう。草津中が大騒ぎだ。成田屋が入った後の湯に女どもが競って入るに違えねえ」 床の間の飾り物を眺めていると主の安兵衛がやって来た。 「今宵はまことに勝手ながら、ささやかな宴を開かせていただきます。どうぞ、心行くまで、草津の夜をお楽しみ下さい」 安兵衛は草津の文人たちを一九らに紹介した。まず、 鷺白は黒岩 名主の治右衛門は四十の後半で湯安の隣りにある宿屋の主人であった。伜も俳諧をやっていて、今、江戸で修行中だという。その伜は後に 眺草は真っ白な髪をした七十近くの小柄な老人で、中沢杢右衛門という宿屋の主人の叔父だという。夕潮は六十前後で、ただ一人、草津生まれではなく、加賀の国(石川県)から草津に来て住み着き、小さな宿屋をやっている。眺草は鎌倉時代の事に詳しく、夕潮はその後の戦国時代の事に詳しいという。 それぞれの紹介が終わった頃、どやどやと芸者衆がやって来た。六人の綺麗どころが着物の 「なんだ、おまえ、また、桐屋さんで遊んでたのか」と安兵衛が若い男に言って、苦々しい顔をした。 「なんとまア、偉えお人が顔を揃えて。親父もいるんじゃ、のこのこついて来るんじゃアなかった」 「何を言ってる。さっさとここに来て、挨拶をせんか。まったく困ったもんで、これがうちの総領なんです」 「新三郎です」と若い男は父親の隣りに来て座り、頭を下げた。 「あれ、おめえ、こんなとこにいたのか」と津の国屋が太鼓持ちに声を掛けていた。 「へへっ、どうも、御無沙汰で」 「吉原を追ん出されたと聞いちゃアいたが、まさか、こんなとこにいるたア、まったく、ぶったまげたぜ」 一九が太鼓持ちを見ると、太鼓持ちも軽く頭を下げた。そのとぼけた面には見覚えがあった。 「たまげたのはこっちでさア。まさか、旦那が来ていて、そのお座敷に呼ばれるたア思ってもおりませんでした。しかも、一九先生もご一緒とは」 「なんだ、平七はお二人をご存じだったのか」 安兵衛が驚いた顔をして聞いた。 「へい。お二人共、江戸では名の知れた遊び人でして、吉原では知らぬ者はおりません。一九先生など、若え頃はもう吉原で暮らしていたようなもんで」 「これ、昔の事を言うな」 一九は照れくさそうに手を振った。 「まったく、こんなとこでおめえに会うとは」 「へっへっ、あの頃はよく遊びましたねえ」 「もう言うなってえのに」 「まあまあ、とりあえずは、お近づきの印に、まず、 宴が始まった。芸者たちが江戸振りの歌と踊りを披露し、一九たちは盃を重ねていった。六人の芸者のうち、以前、深川にいた梅吉と春吉の二人は一九も知っていた。後の四人は地元の芸者で、お夏、お糸、おそよ、お峰という名だった。四人共、梅吉らに仕込まれたのか、決して田舎臭くはなかった。 豊吉たちと一緒に深川の太鼓持ち、 「先生、夢吉の奴、まだ、帰って来ねえんですよ」 今にも泣き出しそうな情けない顔をして、一九の隣りに座った。 「夢吉ねえさんがどうかしたのですかな」と治右衛門が聞いた。 「あれ、夢吉をご存じなんですか」と月麿が顔色を変えて聞く。 「ご存じという程のもんじゃないが、二、三日前、中善さんで、ちょっとした集まりがありまして、中善さんが今、うちに深川の芸者衆が泊まっているから、ちょっと呼びましょうという事になったんですよ。あの二人と夢吉ねえさんも来ましたよ。いやア、驚きました、あれ程の 「それが、どこかに消えちまったんです」 「消えた?」 「はい、昼間、出たきり、まだ、帰って来ねえんで」 「それは大変ですな。何かあったんでしょうか」 「なに、大丈夫ですよ」と一九が心配顔の治右衛門に言う。 「心配ありません。子供じゃアねえんですから。こいつは夢吉に惚れきっていて、江戸から夢吉を追いかけて来たんです。せっかく、会いに来たのに会えねえもんだから、大袈裟に騒いでるんですよ」 「そうだったんですか。まあ、何事もなければいいが‥‥‥」 月麿は落ち着いて酒も飲めず、途中で席を立ち、中善へと行った。 「草津の湯は 「行基菩薩は奈良の東大寺の大仏様を作られた偉いお坊様でございます。行基菩薩に発見された草津の湯は湯治場として栄えましたが、近在の者たちが利用する程度で、それ程、有名ではありませんでした。草津の湯が全国的に有名になりましたのは、 「戦国の世になりますと、様々な人が草津にやって参ります」と夕潮が話を引き継いだ。 「明応四年(一四九五年)には太田の 眺草と夕潮の話はさらに続いた。一九は一言も漏らさず、二人の話を手帳に書き込んでいた。 津の国屋は鷺白や菅菰らと俳句や狂歌について談じている。都八は三味線を弾きながら安兵衛と治右衛門に一中節や 月麿は浮かない顔をして、中善に行ったり来たりしている。いつの間にか、若旦那の新三郎はいなくなっていた。
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上州草津温泉之全図 湯本安兵衛版(草津町日新館蔵) |
1.草津温泉の年表 2.十返舎一九の年表 3.文化五年、六年の出版状況 4.文化五年、草津温泉の図 5.文化五年の草津温泉の様子 6.湯本安兵衛の湯宿 7.喜多川歌麿の略歴 8.喜多川月麿の略歴 9.山東京伝の略歴 10.艶本一覧 11.「草津温泉膝栗毛 冗談しっこなし」のあらすじ、主要登場人物