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明治 | 22(1889) | 父、山口文雄、佐賀県に生まれる。 | ||
27(1894) | 母、石橋アイ、福岡県に生まれる。 | |||
39(1906) |
父、文雄(17)、中国に渡る。 |
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5月24日 |
川島芳子、生まれる。 |
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大正 | 9(1920) | 2月12日 |
淑子、満州北煙台に生まれ、生後まもなく一家は撫順に引っ越す。 |
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昭和 | 6(1931) | 9月18日 | ◆満州事変勃発。 | 11歳 |
11月19日 |
◆関東軍、チチハル占領。 |
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7(1932) | 1月3日 |
◆関東軍、錦州占領。 |
12歳 | |
1月28日 | ◆上海事変。 | |||
2月5日 | ◆関東軍、ハルビン占領。 | |||
3月1日 |
◆満州国、建国宣言を発表。 |
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4月 |
淑子、撫順高女に入学する。 |
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9月15日 | ◆楊柏堡事件。 | |||
9月16日 |
◆平頂山事件。 |
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8(1933) | 1月1日 | ◆日本軍、山海関で中国軍と衝突。 | 13歳 | |
淑子の家族は満州第一の都会、奉天(瀋陽)に引っ越す。 |
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住所は奉天市小西辺門外商埠地三経路聲宣里111号。 |
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李際春将軍の名義上の義理の娘になり『李香蘭(リイ・シャン・ラン)』の名を貰う。 |
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当時、淡谷のり子は『ブルースの女王』で奉天でもショーをした。 |
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4月10日 |
◆関東軍、長城線を越えて華北へ侵入。 |
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淑子、李香蘭としてラジオ番組『満州新歌曲』でデビューする。 | ||||
9(1934) | 3月 | ◆溥儀、満州国の皇帝になる。 | 14歳 | |
5月 | 淑子、北京に留学する。潘淑華を名乗り立羽教女学校に通う。 | |||
11月 | 新京・大連間に特急あじあ号運転開始。 | |||
12(1937) | 7月 | ◆日中戦争始まる。 | 17歳 | |
7月 | 淡谷のり子の『別れのブルース』発売。時節柄、ほとんど宣伝しないのに中国大陸の出征兵士の間で望郷の歌として歌われ始め、戦場から町へ、町から港へ、そして海を渡って本土に逆上陸して来た。下関、神戸、大阪、名古屋と日本内地で流行しだしてからは一日5万枚のペースで売れたという。また、漢口の前線から汗と涙の混じった兵隊の合唱がNHKの電波に乗って日本全国に紹介され、これが『別れのブルース』の初放送となった。中国大陸の戦線慰問では最も人気のあった曲で、淡谷のり子は憲兵隊の逮捕を覚悟で歌ったという。歌い始めると監視についていた将校たちはわざと居眠りするか、所用を思い出した素振りで席を外し会場から姿を消す。前線の兵士たちは水を打ったようにシーンとして聞き入る。歌い終わって廊下に出ると、姿を消した将校たちも廊下で聞いていて涙ぐんでいた。 | |||
夏 | 淑子、川島芳子(清朝粛親王王女)と会う。当時、芳子は天津の日本人租界 松島街にある中国料理店『東興楼』を経営していた。 | |||
夏 |
新京(長春)に満州国と満鉄が半額づつ出資し『満州映画協会』が誕生する。 |
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13(1938) | 第一回映画作品『蜜月快車』上野真嗣監督。 | 18歳 | ||
第二回映画作品『富貴春夢』 | ||||
第三回映画作品『寃魂復仇』大谷俊夫監督。 |
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『私の鴬』満映の音楽映画、大仏次郎原作、島津保次郎監督。公開されず。 | ||||
14(1939) | 春 | 東洋一の満映新スタジオが完成する。 | 19歳 | |
『東遊記』大谷俊夫監督、東宝と提携、原節子、霧立のぼる、高峰秀子、沢村貞子、藤原釜足共演。 | ||||
『鉄血慧心』山内英三監督。 |
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淑子、初めて日本に行く。 | ||||
7〜10月 | 『白蘭の歌』東宝。久米正雄原作、渡辺邦男監督、長谷川一夫共演。主題歌は『白蘭の歌』(伊藤久男・二葉あき子)と『いとしあの星』(渡辺はま子、映画の中では李香蘭が歌う) | |||
『さらば上海』でレコードデビュー。売れ行きは芳しくない。 |
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15(1940) | 3月 |
『夢の太湖船』テイチクより発売。 |
20歳 | |
夏 | 『支那の夜、前後篇』東宝。伏水修監督、長谷川一夫共演。 | |||
『支那の夜』(渡辺はま子)が先にヒットし同名の映画ができる。 |
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『想兄譜』と『蘇州夜曲』は映画では李香蘭、レコードは渡辺はま子。 | ||||
内務省が適性用語や不敬語の禁止通達を出す。 | ||||
10月 |
『紅い睡蓮』コロムビアより発売。 |
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『孫悟空、前後篇』山本嘉次郎監督、榎本健一主演。 | ||||
冬 |
『熱砂の誓い、前後篇』東宝。渡辺邦男監督、長谷川一夫共演。『建設の歌』(伊藤久男)と『紅い睡蓮』(映画、レコード共に李香蘭) |
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『何日君再来』をレコーディング。後に前年に発売した渡辺はま子の日本語版と共に発売禁止処分になる。 | ||||
16(1941) | 2月11日 | 日劇で『歌う李香蘭』のショー。観客が溢れて大騒動となる。 | 21歳 | |
『いとしあの星』『蘇州夜曲』『支那の夜』『赤い睡蓮』『聞かせてよ、優し愛の言葉(シャンソン)』『乾杯の歌(椿姫、オーケストラの少女の挿入歌)』 |
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6月 |
『夜霧の馬車』コロムビアより発売。 |
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7月 |
『そうだその意気』コロムビアより発売。 |
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9月 |
『蘇州の夜』コロムビアより発売。 |
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『蘇州の夜』野村浩将監督、佐野周二主演。 | ||||
12月8日 | ◆真珠湾攻撃。 | |||
17(1942) | 3月 |
『迎春花』コロムビアより発売。 |
22歳 | |
夏 | 『黄河』満映のセミドキュメンタリー。評判になるが日本では公開されず。 | |||
11月 |
『萬世流芳』がクランクイン。卜萬蒼、朱石鱗、馬徐維邦監督。中国映画のトップ男優・高占非、このヒーローを巡る二人の美女に『木蘭従軍』でトップ女優にのし上がった陳雲裳と人気抜群の袁美雲。阿片の悩む青年志士に人気二枚目の王引が起用され、その恋人を演ずるのが李香蘭。 |
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『迎春花』佐々木康監督。 | ||||
18(1943) | 6月 |
『萬世流芳』が封切られ大ヒット。李香蘭が歌う『売糖歌』も大ヒット。 |
23歳 | |
『戦いの街』原研吉監督。 | ||||
『サヨンの鐘』清水宏監督。 | ||||
6月 |
『サヨンの歌』日蓄(コロムビア)より発売。 |
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『誓いの合唱』島津保次郎監督。 | ||||
19(1944) | 秋 | 『野戦軍楽隊』マキノ雅弘監督。 | 24歳 | |
20(1945) | 8月 | ◆終戦 | 25歳 | |
21(1946) | 3月 | 淑子、帰国する。 | 26歳 | |
22(1947) | 10月22日 |
川島芳子、死刑の判決を受ける。 |
27歳 | |
23(1948) | 3月25日 |
川島芳子、北京第一監獄刑場で銃殺刑に処される。 |
28歳 | |
25(1950) | 1月 | 『夜来香』ビクターより発売。 | 30歳 |