![]() ![]() |
昭和 | 3年(1928) | 4月 | 叔父の敬順、小学校の教諭になる。 | ||
4年(1929) | 4月 | 叔母の秀子(12)、二高女に入学。 | |||
9月 | 美里千恵子、那覇市久茂地町に生まれる。 | ||||
父親は県庁職員の誠順(1889-.30)、母親はシズ(1904-.25)。 | |||||
千恵子が生まれた時、家には祖父朝盛(53.松山小学校教頭)、祖母ツル(49)、父誠順(30.県庁職員)、母シズ(25)、姉奈津子(2)、叔父敬順(21.小学校教諭)、叔母敏子(17.郵便局)、叔母秀子(13.二高女1年)、叔母浩子(11.久茂地小学校6年)が同居。 |
|||||
5年(1930) | 4月 | 叔母の浩子(11)、二高女に入学。 | |||
8月 | 26日 | ・井野次郎、第22代沖縄県知事となる。 | |||
紙芝居に『黄金バット』が登場。 | |||||
6年(1931) | 1月 | 『少年倶楽部』に『のらくろ』登場。 | |||
2月 | 弟、康栄、生まれる。 | ||||
8月 |
日本で初のトーキー映画『マダムと女房』封切られる。 |
||||
9月 | 18日 | 満州事変勃発。 | 2歳 | ||
7年(1932) | 2月 | 22日 | ・爆弾三勇士戦死、話題になる。 | ||
3月 | 1日 |
満州国建国宣言(執政溥儀、首都新京)。 |
|||
4月 |
祖父朝盛、松山小学校の校長になる。 |
||||
4月 |
叔母の秀子(15)、那覇のデパート『山形屋』に務める。 |
||||
5月 | 4日 |
沖縄の平和館にトーキー映写機が備え付けられる。 |
|||
14日 |
チャップリンが初来日。 |
||||
15日 |
五・一五事件。 |
||||
9月 | 上之山小学校教員の叔父の敬順(24)、嫁を貰い家を出る。 | 3歳 | |||
11月 |
・沖縄で学校給食始まる(県下の児童93%が欠食児童)。 |
||||
《物価》外米1升7銭、大福餅2銭、牛めし5銭、入浴料7銭、レコード1円20銭。 | |||||
当時の女学生の所持品は腕時計、ガマグチ(18銭〜3円位)、ブローチ、手袋、模様入りハンカチ、洋傘、絵葉書、雑誌、書籍、脂取り紙、外国映画女優のブロマイド等。雑誌は『少女倶楽部』が断然多く、『サンデー毎日』や『中央公論』の読者もいる。『少年倶楽部』『婦人倶楽部』『新青年』『令女界』『主婦の友』等も読む。書籍は通俗小説が多く、菊地寛のものが全盛だが、吉川英治、直木三十五も人気がある。流行語を多用し、先生にはあだ名を付け、喧嘩も日々繰り返される。どこの学校でもバスケットとバレーは全盛。女学生の学費は公立で1カ年、約150円。私立だと70円高くなる。 | |||||
8年(1933) | 4月 | 姉、奈津子(5)、久茂地尋常小学校に入学。 | |||
夏 | ヨーヨーが大流行する。外国製は3円、日本製は10銭。翌年には誰もしなくなる。 | ||||
9月 | 1日 | ・那覇市に上水道竣工。 | 4歳 | ||
10月 | 那覇の郵便局に務めていた叔母の敏子(21)、今帰仁村の郵便局員、宮城昌信に嫁ぐ。 | ||||
12月 | 23日 | 天皇家に男子が誕生する。国中が喜びに沸き、旗行列や提灯行列が各地で行われる。 | |||
シャーリー・テンプルの映画が流行る。 |
|||||
9年(1934) | 4月 | 叔母の浩子(15)、県立病院の看護養成所に入学。 | |||
5月 |
妹、登美子、生まれる。 |
||||
沖縄に民間建築鉄筋コンクリート3階建てデパート円山号が建造される。 | |||||
6月 | 5日 |
・東郷平八郎元帥の国葬。 |
|||
9月 | 21日 |
室戸台風来襲。 |
5歳 | ||
11月 |
アメリカ大リーグのベーブルースら来日。 |
||||
『東京音頭』が全国的に大流行。『赤城の子守歌』流行。 | |||||
10年(1935) | 1月 | 首里市営バス、那覇首里間に運行開始。 | |||
2月 |
ビーズ製の袋物流行。主に主婦の内職。 |
||||
4月 | 千恵子、久茂地尋常小学校に入学。 | ||||
4月 |
叔父の敬順、名護の小学校に転任。 |
||||
5月 | 19日 |
・首里城内に孔子廟落成。 |
|||
11年(1936) | 1月 | 少年倶楽部に『怪人二十面相』が連載される。 | |||
2月 | 26日 | 二・二六事件。 | |||
3月 |
祖父朝盛(60)、校長を定年退職する。 |
||||
4月 |
弟、康栄(5)、久茂地尋常小学校に入学。 |
||||
4月 |
叔母の浩子(17)、県立病院の看護婦になる。 |
||||
◇二高女、焼ける。 | |||||
4月 | 18日 | 日本の国号が『大日本帝国』に変わる。 | |||
10月 | 妹、由美子、生まれる。 | 7歳 | |||
二・二六事件の『今からでも遅くない』が流行語に。 |
|||||
12年(1937) | 7月 | 7日 | 日中戦争勃発。 | ||
8月 |
『綴方教室』中央公論社から発売、ベストセラー。定価1円50銭。 |
||||
8月 |
・この頃、沖縄でも愛国献金運動や千人針の愛国運動展開される。 |
||||
11月 | 25日 | 日独伊防共協定に調印。 | 8歳 | ||
12月 | 13日 |
日本軍、南京を占領。日本国内はお祭り騒ぎとなる。 |
|||
歌詞募集国民歌『愛国行進曲』100万枚売れる。 |
|||||
千人針、慰問袋作りが盛ん。 |
|||||
《物価》サイダー20銭、レコード1円65銭、天丼40銭。 |
|||||
13年(1938) | 1月 | 3日 | ・女優岡田嘉子(36)と新協劇団の演出家杉本良吉(32)、樺太から越境しソ連に亡命。 | ||
3月 | 国家総動員法公布。 | ||||
5月 | 19日 |
日本軍、徐州を占領。国中、戦勝に沸く。 |
|||
8月 | 女学校教員を中心に琉装全廃運動起こる。 | ||||
8月 | 16日 | ヒトラー・ユーゲント来日。 | |||
10月 | 27日 | 日本軍、武漢三鎮を占領。国中、戦勝に沸く。 | 9歳 | ||
11月 | 23日 |
沖縄男子青年団大会、標準語励行を申し合わす。 |
|||
映画『愛染かつら』主題歌とともに全国的に大ヒット。 |
|||||
竹・木・陶器製の代用品が出回る。 |
|||||
ミッチェル作『風と共に去りぬ』ベストセラー。 |
|||||
《物価》白砂糖1kg43銭、アンパン5銭、ジャムパン10銭。 |
|||||
14年(1939) | 2月 | 16日 | 政府、鉄製不急品の回収を始める。郵便ポスト、マンホール、街頭、火鉢など鉄類が町から消える。 | ||
4月 |
姉の奈津子、第二高女に入学。従姉の知念陽子、第一高女に入学。 |
||||
◇制服が生地節約のため半袖になる。 |
|||||
4月 | 7日 |
愛馬の日。『愛馬進軍歌』が流行。 |
|||
5月 | 11日 | ノモンハン事件起こる。 | |||
7月 |
弟、昌栄、生まれる。 |
||||
8月 | 16日 |
学生の運動競技は土曜午後、休日以外は禁止される。 |
|||
9月 | 1日 | ◇毎月1日は『興亜奉公日』となり、日の丸弁当と指定され、慰問文と献金が集められるようになる。酒不売で飲酒店休業、ネオン消灯。月一回日曜日は、波上神宮の清掃と出征兵士家庭の手伝いが課せられた。 | 10歳 | ||
10月 | 16日 | 沖縄に台風襲来。近年稀なる惨禍を被る。 | |||
愛国婦人会、『銃後のわたしはタスキがけ』を合言葉に各地で活躍。 |
|||||
《物価》映画館入場料55銭、ワイシャツのクリーニング料金2円80銭。 |
|||||
15年(1940) | 2月 | ◇二高女、新校舎完成する。 | |||
3月 |
叔母の秀子(23)、糸満町の漁師に嫁ぐ。 |
||||
3月 | 28日 |
内務省、芸能人の外国名やふざけた芸名の使用を禁止。 |
|||
4月 |
妹、登美子(5)、久茂地尋常小学校に入学。 |
||||
4月 | 24日 |
米、みそ、醤油、塩、マッチ、木炭、砂糖など10品目の切符制を決定。 |
|||
8月 | 30日 |
学生、生徒が平日に映画、演劇を鑑賞することを禁止。 |
|||
9月 | 27日 | 日独伊3国同盟調印。 | 11歳 | ||
10月 | 12日 | 大政翼賛会(総裁、近衛文麿)設立。 | |||
11月 | 10日 | 紀元2600年祭。奥武山公園で全女学校のダンスや演技の奉祝催しが盛大に行われる。提灯、旗行列、音楽行進など多彩。赤飯用もち米特配。 | |||
小学校では記念式典、運動会、学芸会、展覧会、音楽会が開かれ、記念植樹も行われる。 | |||||
12月 | 10日 | 大政翼賛会沖縄支部、発会式。 | |||
20日 |
・沖縄日報、沖縄朝日新聞、琉球新報、統合されて『沖縄新報』となる。 |
||||
『ぜいたくは敵だ』の看板が町に立てられる。 |
|||||
国民服が普及する。 |
|||||
喜劇役者高勢実乗の『あのネ、おっさん、わしゃ、かなわんよ』が流行語になるが禁止。 | |||||
16年(1941) | 2月 | 11日 | 李香蘭、日劇に出演、観客殺到し警官出動。 | ||
4月 | 小学校を国民学校と改める。男子生徒に柔道、剣道、相撲、女子生徒に弓道、薙刀が正課。 | ||||
4月 |
千恵子、第二高女に入学する。同学年は150余名。 |
||||
従姉の知念幸子、県立女子工芸学校に入学。 |
|||||
4月 | ◇女学生の制服が今年の新入生からへちま襟に変わる。へちま襟の上着にフレアスカート。体操の時のブルマーだけは、まだプリーツが許されていた。 | ||||
髪形も一年生おかっぱ、二年生分け髪、三年生分けて結ぶ、四年生三つ編みとなる。 | |||||
5月 |
稲福全栄、第二高女の校長となる。 |
||||
7月 | 1日 |
全国の隣組、一斉に常会を開く。 |
|||
7日 |
支那事変四周年記念式典が学校で行われる。 |
||||
10月 | 18日 | 東条内閣の成立。 | 12歳 | ||
11月 | 23日 |
ソプラノ歌手関屋敏子(38)自殺。 |
|||
12月 |
・沖縄放送局が首里に設立。 |
||||
8日 |
日本軍、ハワイ真珠湾を攻撃(太平洋戦争始まる)。 |
||||
12日 |
閣議、戦争の名称を《支那事変》を含めて《大東亜戦争》と決定。 |
||||
22日 |
◇那覇近郊の全女学校生徒、毎週月曜日、連隊区司令部で書類整理の手伝いに動員される。 |
||||
『歩くうた』が流行り、体力増強のため『歩け歩け運動』が提唱される。 | |||||
17年(1942) | 1月 | 2日 | 閣議、毎月8日を《大詔奉戴日》とする事を決定する(興亜奉公日は廃止)。 | ||
8日 |
初の大詔奉戴日。全国の神社、寺院で先勝祈願。日の丸弁当。 |
||||
23日 |
・沖縄の護国神社竣工。 |
||||
3月 |
・沖縄放送局、放送を再開する。 |
||||
4月 | 弟、康栄(11)、首里の第一中学校に入学し野球部に入る。首里の祖父母の家に下宿。 | ||||
6月 | 5日 |
ミッドウェー海戦で日本艦隊、大敗を喫す。 |
|||
7月 | 12日 |
全国中等学校野球大会中止を発表。康栄、陸上部に移る。 |
|||
7月 |
義勇託児所開設され、県下全女学校生徒を夏休みに駆り出すようになる。 |
||||
9月 |
2学期より英語の学科が廃止される。 |
13歳 | |||
11月 |
沖縄県、標準語純正化のため『会話読本』を国民学校へ配布する。 |
||||
12月 | 8日 |
開戦一周年国民大会。『海行かば』の斉唱。 |
|||
15日 |
・沖縄県食糧営団が設置される。 |
||||
31日 |
・大晦日に除夜の鐘もならない。 |
||||
この頃から講堂に全校生徒が集まると『海行かば』を斉唱するようになる。 | |||||
流行標語『欲しがりません勝つまでは』 |
|||||
流行歌『婦系図の歌』『空の神兵』『月月火水木金金』『新雪』 |
|||||
18年(1943) | 1月 | 7日 | たばこ値上げ(ひかり18銭→30銭、金鵄10銭→15銭)。 | ||
13日 |
ジャズなど米英音楽の演奏、レコードを禁止。 |
||||
1月 |
宮古島、石垣島で飛行場の建設が始まる。 |
||||
2月 | 1日 |
雑誌の英語名禁止。 |
|||
春 | 第二高女、豊見城村の伊良波・翁長一帯の畑地で出征兵士の留守宅の農作業を手伝う。 | ||||
3月 |
沖縄本島の読谷と伊江島飛行場建設のため労務者の徴用が開始される。 |
||||
4月 | 1日 |
◇女子青年学校の通学服をモンペに統一する。 |
|||
4月 |
姉の奈津子、県立病院看護婦養成所に入所(同期生は50人)する。 |
||||
従姉の知念陽子、師範学校女子部本科に入学。 |
|||||
5月 | 29日 |
アッツ島守備軍、玉砕する。玉砕という言葉が初めて使われる。 |
|||
6月 | この頃より、師範学校、中学校、青年学校の生徒、現地の各部隊に協力し、陣地構築、食糧増産等に動員される。 | ||||
7月 | 11日 |
東条首相、沖縄に立ち寄る。那覇近郊の全学校生徒が歓迎する。ブラスバンド部は演奏。 |
|||
8月 | 第二高女、夏休みに与勝国民学校を宿舎にして出征兵士の留守宅の託児所手伝いをする。 | ||||
第二高女、小禄飛行場の排水溝掘り作業に駆り出される。 |
|||||
8月 | 22日 |
大本営、7月29日のキスカ島守備軍の完全撤収を発表。 |
|||
9月 | ・この月までに琉球8社のうち、普天間宮、末吉宮、沖宮、識名宮、天久宮、八幡宮の修復工事竣工する。 | 14歳 | |||
11月 | 4日 | ◇県立女子工芸学校、県立首里高等女学校となる。 | |||
30日 |
◇日本全国女子学徒動員を決定。女子中等学校生徒に看護教育始まる。 |
||||
野球用語他一切英語禁止。 |
|||||
流行歌『加藤隼戦闘隊』『勘太郎月夜歌』『十三夜』『お使いは自転車に乗って』 | |||||
19年(1944) | 1月 | ◇女師・一高女で毎週2時間、校長の『国体の本義』『臣民の道』の講和が行われる。 | |||
13日 |
◇女師、一高女、心身鍛練のため17里行軍を実施。 |
||||
25日 |
政府、《決戦非常措置要綱》を決定(高級料亭追放、劇場閉鎖など)。 |
||||
3月 | 20日 |
◇沖縄家政女学校を積徳女学校と改称する。 |
|||
22日 |
第32軍(沖縄守備軍)が新設される。 |
||||
29日 | 第32軍(南西諸島守備軍)司令官渡辺政夫中将、参謀長北川潔水少将、沖縄に赴任。ブラスバンド部演奏。 | ||||
B女師・一高女の校舎の3分の1の兵舎となる。 |
|||||
4月 |
女学生は制服の胸に住所、氏名、血液型を書いた名札をつけ、モンペと防空頭巾が義務づけられ、救急カバンを常時携帯となる。『四大節』だけはスカート着用と決まる。 |
||||
4月 | 9日 |
第32軍司令部の残余兵員150人、那覇に到着。ブラスバンド部、演奏。 |
|||
5月 |
第一陣として鈴木繁二少将の独立混成第44旅団約6000名が沖縄に送られる。 |
||||
◇中学生・女学生ら陣地構築に駆り出され授業停止する。 |
|||||
6月 | 初め |
那覇において将校、下士官、兵を招集し、看護婦、筆生、雑仕婦を民間より採用する。 |
|||
6月 |
◇小禄飛行場建設工事に、女師・一高女、首里高女が動員される。 |
||||
第二高女、小禄飛行場の排水溝掘り作業に駆り出される。 |
|||||
『少女の友』6月号は総頁数76ページ、ざら紙の5ミリくらいの厚さしかなかった。表紙は田植えの少女(松田文雄画)、裏表紙は『野菜を食べましょう』と野草の絵(辻永画)が描かれていた。 | |||||
叔母浩子(25)、陸軍病院の外科に採用される。 |
|||||
夏 | 初め | ◇首里高女が軍の被服工場となり、生徒たちは機織り機で軍隊用の蚊帳やミシンで死装束を縫う。 | |||
7月 | 6日 |
第9師団司令部の兵員100人、空路沖縄に到着する。ブラスバンド部、演奏。 |
|||
中旬 |
・沖縄県県庁職員家族の本土引き揚げが始まる。 |
||||
19日 | 7月7日のサイパン島全滅が報道される。学校では校長の訓話、『海行かば』の合唱。 | ||||
末 |
千恵子の祖父母、母親、妹二人と弟一人が宮崎県に疎開する。 |
||||
シュミット少将指揮の米海兵隊4万2000人、テニアン島に上陸する。 |
|||||
8月 | 4日 |
・沖縄市の上山国民学校、松山国民学校、天妃国民学校の3校、宮崎県に疎開する。 |
|||
5日 |
第24師団(雨宮巽中将)、沖縄本島に到着する。ブラスバンド部、演奏。 |
||||
10日 |
第32軍新司令官として牛島満中将が着任する。ブラスバンド部、演奏。 |
||||
19日 |
第62師団(藤岡武雄中将)、沖縄に到着する。 |
||||
22日 | 沖縄から本土への学童疎開船対馬丸、悪石島付近で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。第二高女3年生、上原政子、対馬丸に乗り戦死。 | ||||
第二高女の校舎は沖縄入りした軍隊が落ち着き先へ配置されるまでの一時宿舎となる。 | |||||
8月 |
夏休みもなく、作業に動員される。 |
||||
9月 | 15日 | 第32軍、航空作戦準備強化のため地上作戦準備を1ケ月休止、飛行場建設に専念。 | 15歳 | ||
29日 |
・米軍、B29で初めて沖縄の空中写真を撮影する。 |
||||
9月 | 女師・一高女、二高女、垣花ガジャンビラと天久の高射砲陣地構築作業に動員される。始めは三部制で一部は動員、一部は校内作業(避難壕掘り、食糧増産)、一部は授業。 | ||||
10月 | 初め |
陸軍病院、南風原分院を開設。 |