長女 | 黄梅院(1543−1569.6.17) 母は正室三条氏。武田館の西曲輪で育てられる。 | |||
1552年 | 11月 | 駿河の今川義元の娘が兄太郎義信に嫁いで来る。 | ||
1553年 | 1月〜2月 | 武田家と北条家の婚約が整う。盛大な婚儀が行われる。 | ||
1554年 | 12月 | 12歳で北条氏政(15)に嫁ぐ。 | ||
1557年 | 11月 | 8日 | 長男を生むが夭逝。 | |
1562年 | 国王丸(新九郎氏直)を生む。 | |||
1564年 | 菊王丸(十郎氏房)を生む。 | |||
1566年 | 七郎直重を生む。 | |||
1568年 | 信太郎氏定を生む。後、氏邦の養子となる。 | |||
12月 | 信玄、駿河を攻める。 | |||
1569年 | 1月 | 氏政と離別して甲府に返される。 | ||
信玄は知行として巨摩郡南古庄の内16貫200文を与え養生させる。 | ||||
死期を予感し、大泉寺の安之和尚を導師として尼となり法諱宗芳、雅号春林、法号黄梅院を与えられる。 | ||||
6月 | 17日 | 逝去。 | ||
1570年 | 12月 | 信玄は巨摩郡龍地宿(双葉町)に黄梅院を開基とする寺を建て、大泉寺塔頭として黄梅院と名付けた。本尊は子安地蔵。 | ||
1575年 | 7月 | 氏政は黄梅院の分骨を小田原に迎え、早雲寺の塔頭として黄梅院を造営する。 | ||
次女 | 見性院(1545−1622) 母は正室三条氏。 | |||
1559年 | 穴山信君に嫁ぐ。 | |||
1582年 | 6月 | 夫と死別。出家して見性院と号す。 | ||
1587年 | 6月 | 7日 | 一子勝千代(16)で早世。 | |
・晩年は江戸にて徳川秀忠の子、幸松丸(保科正之)を養育する。 | ||||
三女 | 真竜院(1550−1647.7.7) 真里姫。母は不祥。 | |||
1555年 | 6歳で木曽義昌に嫁ぐ。 | |||
1582年 | 夫の裏切りに憤り木曽山中に隠棲。 | |||
四女 | 桃由童女(1553−1558) 母は不祥。 | |||
五女 | 信松院(1561−1616.4.16) 松姫、お松御料人。新館御料人。母は油川氏。 | |||
1565年 | 5月 | 重い病気に罹る。 | ||
10月 | 兄、太郎義信、幽閉された東光寺で逝去。 | |||
11月 | 13日 | 兄、四郎勝頼に織田信長の養女、遠山氏が嫁ぐ。 | ||
1567年 | 1月 | 勝頼の嫡男、武王丸が生まれるが遠山夫人は難産のため逝去。 | ||
1月 | 21日 | 織田信長、奇妙丸(織田信忠)の嫁に松姫を申し請けたいと申し入れる。 | ||
織田信忠との婚約が成立する。 | ||||
1568年 | 6月 | 信玄、秋山信友を使いとして信長に答礼する。 | ||
信玄は躑躅ケ崎屋形の近くに新館(にいたち)を建て、松姫を住まわせる。以後、新館御料人と呼ばれる。幼い二人の書信、贈り物のやりとりが始まる。 | ||||
1572年 | 12月 | 信玄、信長と断交する。 | ||
1573年 | 4月 | 12日 | 信玄、死す。当時、実兄の五郎盛信は信州安曇郡大町館に在城していたが、不遇の松姫を引き取る。 | |
1575年 | 5月 | 長篠の合戦。織田信忠は武田勝頼の敵となる。 | ||
1576年 | 舞い込む縁談を断り、独り身を通す。 | |||
1577年 | 出家して、信松尼と号す。 | |||
1581年 | 3月 | 高天神城落城後、盛信は松姫を伴い、伊那高遠城に入る。高遠を守っていた逍遙軒は伊那大島城に移る。 | ||
12月 | 24日 | 勝頼、躑躅ケ崎館から韮崎の新府城に移る。 | ||
1582年 | 2月 | 盛信、信松尼に3歳になる娘、督姫を預けて新府城に避難させる。 | ||
信松尼、勝頼の娘、貞姫(4)と小山田信茂の娘、香貴姫(4)を伴い避難する。山梨郡栗原村の海島寺に身を寄せる。住職は信玄の伯母。後、塩山の向岳寺→大菩薩を越え、尾根道伝いに郡内を横切り、相州津久井郡を経て武州案下峠を越え、案下谷を下って、八王子心源院の卜山和尚(76)を頼る。和尚の庇護のもと、昼は農耕を習い、夜は裁ち縫いに励み、雨日は仏典の修得に精進する。 | ||||
3月 | 11日 | 武田家、滅亡する。 | ||
武田家の寡婦や孤児たちが信松尼を慕って集まって来る。信松尼はこれらの人々に耕作、養蚕、紡織などに従わせ、余暇には読み書きを教え、女子には裁ち縫いなどを習わせた。 | ||||
5月末 | 武田家の旧臣、下島与右衛門(新館御料人と呼ばれた頃、松姫に仕えた)が信松尼を訪ねて来る。下島に伴われて織田信忠に会うため岐阜に向かうが尾張まで来た時、戦死の知らせを受け八王子に帰る。 | |||
1590年 | 7月 | 北条氏、滅びる。 | ||
8月 | 徳川家康、江戸に入城。家康は武田家の遺臣、大久保長安を関東郡代に命じ、八王子に置く。長安は家康の許しを得て新八王子に信松院のために草庵を建てる。家康に保護される。 | |||
1616年 | 4月 | 16日 | 端座微笑して56歳の生涯を閉じる。『信松院殿月峰永琴大禅定尼』 | |
・信松尼が心源院において侍女、寡婦らと始めた紡織の仕事は発展して『八王子織』となる。 | ||||
六女 | 大儀院(1563−1604.3.16) 菊姫、お菊御料人、甲斐御前。母は油川氏。 | |||
1573年 | 4月 | 信玄、死す。伊勢長島の顕証寺への婚約は立ち消えになる。 | ||
1579年 | 10月 | 上杉景勝に嫁ぐ。 | ||
勝頼の妻、北条夫人(1564−1582.3.11) 北条氏康の娘。 | ||||
1577年 | 1月 | 22日 | 14歳で勝頼(32)に嫁ぐ。 | |
1581年 | 12月 | 24日 | 新府城に移る。 | |
1582年 | 3月 | 3日 | 新府城に火を付け、勝頼と共に岩殿城を目指す。 | |