◇飯道山‥‥‥飯道権現、飯道寺、白髭社 |
|
飯道山 | 役の小角、開山 |
飯道神社 | 祭神、素盞鳴命 |
元慶八年(884年)3月27日、従五位上飯道神に従四位下を授く。 | |
近衛院の久安年中(1145〜1150年、僧兵の横暴時代)、飯道権現の勅額を玉い、今宝蔵にあり。此時甲賀郡の惣社となる。 | |
飯道寺 | 天平年間(729〜749)聖武天皇の勅願により、良弁僧正が紫香楽宮の鬼門鎮護のために、飯道山上に造立した一宇が開基となる。 |
和銅七年(714年)熊野三所を勧請す? | |
初め、奈良興福寺に属すが、後、比叡山が栄えると天台宗に改易する。 | |
中世には入峯修行の道場として栄え、僧坊も58を数えた。 | |
当山派先達寺院‥‥‥梅本院・岩本院。 | |
本山派‥‥‥宝寿坊・快玄坊・奥之坊・仙良坊・岩之坊・但馬坊・北之坊・順光坊・池之坊・愛宕坊・理教坊・教学坊・福谷坊・成就院・千寿院など | |
天正年間(1573〜1592)には、織田信長の味方して松永久秀を追い、信長の保護が厚かった。 | |
飯道神社の別当職も兼ねる。 | |
白髭社 | 天台宗比叡山の末社。神名、猿田彦命。 |
・相模国北条氏の領地に残る修験社名には、飯道大明神と称するものが、2、3ケ所あるが、白髭社はすこぶる多い。 | |
『近江国興地志略』(江戸時代中期頃、書かれた) |
|
飯道寺草創以後、金奇山と号す。土俗は飯道寺山と呼べり。 | |
飯道寺 飯道寺山にあり、役行者の開基なり。 | |
和銅年中(708〜715)、金勝寺安願和尚の弟子安受和尚中興す。安受の弟子を重受という、相継いで、法相宗たり。 | |
重受の弟子を安峯法師という、安峯専ら修験道をつとむ。七百年来、梅本院・岩本院・大峯、当山方、三宝院御門主の先達を勤め、毎年金峯山に入るの縁を以て、其時始めて山号を改め、金奇山飯道寺と号す。 | |
五院有り。五大尊を表すという。五坊はいわゆる梅本院、岩本院、古菴室、鳥居坊、水本坊なり。今、梅本、岩本の二院のみ、住僧あり。 | |
此五院の内にまた坊あり、梅本院内戒乗院、岩本院内西方院、古菴室院内智積院・行満房・寿命院・不動院・顕性坊、鳥居坊院内金剛院・法乗院・寿量院・定泉坊、水本院内化城院・常楽院・大蔵坊・実蔵坊・松寿院・常応院。 | |
本堂 | 本尊薬師如来・日光・月光・十二神将に阿弥陀仏・不動明王・役行者の像等安置す。 |
護摩堂 | 本尊不動明王。 |
弁財天社 | 寺の中央にあり、寺僧いう、当地主の神なりという。非なるべし。 |
飯道権現社 | 寺僧いう。これ熊野三山の権現にて、女子の高野山に准ずという。臣按するに、祭神スサノオノミコトなり。 |
白髭社 | 飯道山西の麓にあり。 |
以上は飯道寺の界内にあり、一山、天台宗にて、比叡山の末寺なり。御朱印二百石、信楽宮町高六百五十名の内を寺領とす。臣按するに、六百五十名ともに飯道神ら社領なるべし。いずれの日にや廃して、其内二百名残りて、寺領となる御朱印なるべし。 | |
毎年正月三日、柴焼大護摩あり。正月四日、西の山麓、白髭の社において、柴焼大護摩執行す。三月三日、諸人群集す。七月、梅本、岩本二院、金峯山へ入峯し、九月五日飯道寺へ帰る。すなわち、其日飯道権現の神前において、柴焼大護摩あり。最笈渡の式法あり。 | |
◇飯綱権現 | 信濃国戸隠山中の飯綱社。 |
相模国大山の大天狗、小天狗。 | |
遠江国秋葉山の三尺坊。 | |
◇多賀神社の観音院、般若院、成就院など‥‥‥飯道山伏が多数いた。 | |