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越前河口庄、坪江庄、三国湊。 | |
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越前和田庄、坂北庄。 | |
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越前織田庄、加賀南白江庄。 | |
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気比庄敦賀津。 | |
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越前三国、加賀元吉、能登輪島、越中岩瀬、越後今、出羽秋田、津軽十三。 文明の頃、商船の往来が絶えず、遠く、松前地方とも交易があった。 |
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海運を利用して、東国では人買いが横行する。十何歳かの娘を二貫二百文で永代に売った(1399年)。 | |
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名田の所有者、名田は在家によって構成され、在家の経営者を名子と言う。名主は、下人や名子の労働力によって、4,5町程、自分で経営し、他は、在家に耕作させ、一定の公事、年貢を徴収していた。土地を広げて行くのに成功した名主は、やがて、武士となり、直接の生産者は、名子の手に移り、それぞれ、地位が上昇して行き、下人だった者も百姓となる場合もあった。 | |
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観音18日(7月10日、四万六千日)、阿弥陀13日、薬師8日、地蔵24日、弁天巳日、大黒子日、毘沙門寅日。 | |
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信州鎌と善光寺詣、越前鎌と漆掻き職人、越後鎌と毒消し売り。 刃の形態から細刃型、広刃型、刃の厚さから薄物、中厚物、厚物に分類。 |
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稗、粟、大豆などが作られた。火入れに先立ち、焼畑予定地の立木や下草などを鋸、鉈、鎌などで伐りそろえて十分に乾燥しておく。火入れは、火打石、付木などで、傾斜地の上から下へ行なう。年二回行なわれる。 白山麓の焼畑は1年目、稗。2年目、粟。3年目、大豆。4年目、稗。5年目、大豆。そして、放棄。 |
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刃の大型のものをハビロ、マサカリ、刀状に長く小型のものをナタと言う。 | |
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山林の伐木や木取り、荒削りなどの造材をする人。作業地近くに杣小屋を建て、ここに寝泊りした。 | |
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杣、木挽、木地師などの専門職を除く土着の山林労働者。 | |
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主に、製鉄や鋳物などに限られ、一般に使用されるようになるのは近世以降。 | |
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栃(とち)、欅(けやき)、椈(ぶな)、イタヤカエデなどを材料に、椀や盆や食籠などの円形のくり物を作る。キサギという道具を使って木を削る。 轆轤を使わずに、農具の柄や枕を作っていた者がいた。 |
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仏像、梵鍾、茶釜、湯釜、塩釜、鋤、鍬などを製作。 | |
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鎌、鍬、犂、鋸、包丁などを製作。鋳物師と共に、守護神は荒神、稲荷神、金屋子神。 | |
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親方を棟梁と呼び、土方、左官、畳屋、指物師、屋根師など、家作りに関する職人すべてを統轄していた。大工たちは、職人神として太子を祀る。1月あるいは8月の21日もしくは16日を太子講と称し、集まり、色々な取り決めを行なった。 | |
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籠、笊(ざる)、簾、つづらなどを製作。材料の竹は、旬の10月から2月にかけて切ると虫がつかない。ナタで切り乾燥させる。 | |
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1714年、大阪にテグス問屋ができてから、全国に広まる。 | |
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吉野スギだけで間に合わなくなると、吉野の樽丸師が入り、白山南麓のスギが材料とされた。 | |
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府中(武生)で、1314年頃より製作される。京都粟田口の刀工国家の三男の千代鶴国安が、府中に住み、刀剣製作のかたわら農具用の片刃鎌を作ったのが始まり。・5月6日、白山比口羊神社の白山祭。 | |
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本坊、宝前院。大先達、花蔵院、智憲院、正穏院。奥の院、荒沢の3寺。その下に大寺7寺(能林院他)。その下に18寺。明治維新の頃。 | |
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荒沢、川代、シメカテ、大網、ヒジオリ、本道寺、大井沢、岩根沢。 | |