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昭和18年 | 1月 | 1日 |
中野正剛の『戦時宰相論』で朝日新聞を発禁処分。 |
(1943) | 7日 |
たばこ値上げ(ひかり18銭→30銭、金鵄10銭→15銭)。 |
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9日 | 汪兆銘政権との間に戦争完遂についての《日華共同宣言》が行われ、祖界還付・治外法権撤廃等に関する《日華協定》が締結される。 | ||
13日 |
ジャズなどの米英音楽の演奏、レコードを禁止。一覧表(1000曲)配布。 |
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14日 |
ルーズベルトとチャーチル、モロッコで第3次米英戦争指導会議を行う(カサブランカ会議)。 |
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16日 |
電力消費規制強化(軍需要が70%を占める)。 |
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21日 | 中等学校令公布。中学校、高等女学校、実業学校の修業年限1年短縮、4年制。教科書の国定化。4月1日施行。 | ||
21日 |
大学予科・高等学校修業短縮、2年制。実業学校を専門学校に統一。 |
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21日 |
師範教育令の改正で師範学校が国立専門学校に昇格。男子部と女子部に分け、校長は野田貞雄、西岡一義は女子部長兼一高女校長となり、制服は国民服、校章は桜に全国統一され全寮制となった。 |
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22日 |
ニューギニアのブナ方面の日本軍が玉砕する。 |
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31日 |
東部戦線の独軍、ソ連に降伏。 |
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1月 |
宮古島で海軍飛行場の建設が始まる。 |
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石垣島で平喜名・大浜両海軍飛行場の建設が始まる。 |
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1月 |
谷崎潤一郎『細雪』発表。5月に発表中止命令が出る。 |
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2月 | 1日 | 日本軍、ガダルカナル島からの撤退を開始する(2月7日に1万1000人余の撤退を完了、地上戦闘の戦死者と餓死者は合計約2万5000人)。米軍の反攻強まる。 | |
1日 |
雑誌の英語名禁止(エコノミスト→経済毎日、オール読物→文芸読物他)。 |
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2日 |
スターリングラードの攻防戦でドイツ軍が全面降伏。 |
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3日 |
劇場・映画館、月2回節電休館開始(東京)。 |
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23日 |
陸軍省、《撃ちてし止まむ》の決戦標語をポスター5万枚配布する。 |
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3月 | 2日 |
《兵役法》が改定公布される(朝鮮に徴兵制を8月1日施行)。 |
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5日 |
大本営、昭和18年度の作戦計画を決定する。 |
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8日 |
師範教育令。 |
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18日 |
《戦時行政特別法》が公布され、総理大臣の権限強化・地方行政の中央集権化が始まる。 |
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19日 |
洋画家、藤島武二(77)没。 |
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20日 |
《戦時刑事特別法》が改定施行され、政府の基本政策に対する疑問や批判などが処罰の対象となる。 |
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27日 |
樺骰窓竝s設立(三井・第一銀行合併)。 |
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3月 |
沖縄本島の読谷と伊江島飛行場建設のため労務者の徴用が開始される。 |
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沖縄県の昭和18年度貯蓄目標額が2500万円と内示される(前年度は2000万円)。 |
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4月 | 1日 |
女子青年学校の通学服をモンペに統一する。 |
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18日 |
山本五十六連合艦隊指令長官、バラレ基地を訪問の途中、ミッチェル少佐指揮の米機P38、18機によってソロモン群島上空で撃墜され戦死する(後任に古賀峯一が任命される)。 |
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20日 |
東条内閣が改造され、外相に重光葵、内相に安藤紀三郎が就任する。 |
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28日 |
東京6大学野球連盟解散。 |
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4月 |
沖縄県当局、労務供出要綱を決定し、積極的な労務供出をめざす。 |
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5月 | 1日 |
全国で木炭・薪が配給制となる。 |
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9日 |
北海道幌別を米潜水艦が砲撃。 |
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12日 |
ワシントンでチャーチルとルーズベルトが会談する(トライデント会議)。 |
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12日 |
キンケイド少将指揮の米第51機動部隊に援護された第7師団約1万1000人がアッツ島に上陸。 |
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12日 |
北アフリカ戦線、独軍降伏。13日伊軍降伏。アフリカ戦闘終結。 |
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18日 |
日本美術報国会創立(大政翼賛会文化部、情報局、文部省指導、会長横山大観) |
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21日 |
《戦時食糧自給対策》が決定される。 |
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22日 |
《勤労報国隊整備要綱》が発表される。 |
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29日 |
山崎保代大佐指揮のアッツ島守備隊2576人が玉砕する(29人が捕虜となる)。 |
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31日 |
教育総監・航空総監が大本営陸軍部の所属になる。 |
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御前会議、《大東亜政略指導大綱》を正式採択する。マレー・蘭印の日本領編入、ビルマ・フィリピンの独立を決定。 | |||
5月 |
登呂遺跡発見(7月6日確認)。 |
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5月 |
エレベーターの回収開始。 |
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6月 | 1日 |
東京・昭和通り、各ゴルフ場など農園化。 |
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4日 |
戦時衣生活簡素化実施要綱決定。 |
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5日 |
ソロモン群島の航空戦が激化する。 |
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10日 |
米英、独に昼夜、混合爆撃開始。 |
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10日 |
国民徴用令関係違反者776人検挙(警視庁)。 |
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16日 |
工場就業時間制限令廃止・公布(女子・年少者の鉱山坑内作業許可)。 |
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20日 |
創価教育学会、弾圧(幹部検挙)。 |
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25日 | 政府、《学徒戦時動員体制確立要綱》を決定する(本土防衛のため軍事訓練と勤労動員を徹底させる)。軍事教練と勤労動員を強化。 | ||
30日 |
経済市況の放送禁止。 |
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7月 | 1日 |
《地方行政協議会令》が公布される。東京都制実施。 |
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1日 |
早川知事解任され、泉守紀、第26代沖縄県知事となる。 |
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6日 |
『みたみわれ』発表、国民音楽会(日比谷)。 |
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11日 | 東条首相、南方よりの帰途、戦時状況の視察のため沖縄に立ち寄る。那覇近郊の全学校生徒が歓迎する。 | ||
21日 | 《国民徴用令》が改定公布される(徴用の国家性が強調され、徴用人口、労働時間などが増加される)。 | ||
25日 |
ブーゲンビル島の上空で航空戦が展開される。 |
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25日 |
ムッソリーニ失脚、逮捕される。 |
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29日 |
日本軍、キスカ島から撤退する。 |
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30日 |
《全国女子学徒動員》が決定される。 |
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7月 |
伊江島飛行場建設のため、田村飛行場大隊、伊江島に移駐。 |
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8月 | 1日 |
日本占領下のビルマでバー・モー政府が独立を宣言し、米英に対し宣戦を布告する。 |
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日本・ビルマ、同盟条約に調印する。 |
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10日 |
長袖の和服、ダブルの背広など非必需品の製造禁止。 |
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14日 |
チャーチルとルーズベルトがカナダのケベックで会談する(クワンドラント会議)。 |
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17日 |
独軍、シチリア島撤退。 |
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22日 |
島崎藤村(72)没。 |
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8月 |
沖縄県民修練所が設置される(那覇市のほか8カ所)。 |
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宮古島で特設警備第209・第210中隊が編成される。 |
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9月 | 3日 |
イタリア、シチリア島で連合国と秘密休戦協定に調印する。 |
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4日 |
上野動物園で空襲に備え猛獣を薬殺。 |
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5日 |
徳川夢声の『宮本武蔵』放送開始。 |
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8日 |
連合国、バドリア政府との休戦協定を公表する。イタリアが無条件降伏する。 |
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9日 |
日本政府、イタリアの無条件降伏に関し声明を出す。 |
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10日 |
鳥取県に大地震、死者1083人、全壊7485戸。 |
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12日 |
独軍、ムッソリーニ前イタリア首相を救出する。 |
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15日 |
ムッソリーニ、独軍占領下の北イタリアにファシスト共和制政府を樹立し首班となる。 |
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日独共同声明で同盟を再確認する。 |
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21日 |
陸軍省、《兵役法施行規則》を改定公布する(昭和5年以前検査の第2国民兵も招集される)。 |
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22日 |
理工系以外の学生の徴兵猶予停止。 |
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22日 |
販売店員など17職種に男子の就業禁止。25歳未満の未婚女子を挺身隊として勤労動員する事を決定。 |
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23日 |
閣議、昭和20年度から台湾に徴兵制を布くことを決定する。 |
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28日 |
閣議、官庁の地方疎開方針決定。 |
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30日 |
大本営が絶対国防圏を設定し、以後は南西諸島および台湾の防備が強化される。 |
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御前会議、《今後執るべき戦争指導大綱》および《右に基づく当面の緊急措置に関する件》を決定する(絶対防衛線をマリアナ・カロリン・西ニューギニアの線に後退させる)。 |
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10月 | 2日 |
《在学徴集延期臨時特例法》が公布され、学生・生徒の徴兵猶予が全面停止される。 |
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5日 |
関釜連絡船を米潜水艦が撃沈(死者554人)。 |
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12日 |
閣議、《教育に関する戦時非常措置方策》を決定する(理工科系統および教員養成諸学校学生のほかは徴兵猶予を停止し、義務教育8年制を無期延期する)。 |
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14日 |
フィリピン共和国、独立を宣言する(大統領ラウレル)。 |
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日比両国、同盟条約に調印する。 |
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15日 |
閣議、重要都市の疎開方針決定。 |
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21日 |
チャンドラ・ボース、シンガポールで自由インド臨時政府を樹立する。 |
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21日 |
第一回学徒出陣。明治神宮外苑で壮行会を盛大に挙行。 |
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徴兵延期停止による出陣学徒壮行大会挙行。東京周辺77校・数万人が雨中、分列行進。 |
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21日 |
中野正剛(58)、倒閣運動容疑で憲兵隊に拘引される(26日割腹自殺)。 |
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22日 |
大本営、第2方面軍と第2軍の満州から太平洋戦線への転用を命令する。 |
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30日 |
政府、汪兆銘政権との間に《日華同盟条約》を締結する。 |
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11月 | 1日 |
《兵役法》が改定公布される(国民の兵役義務を45歳まで延長する)。 |
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1日 |
政府、商工省・企画院を廃し、《軍需省》を創設する。東条首相が初代軍需大臣を兼任する。国民精神文化研究所と国民鍛練所が統合され《教学鍛練所》が設置される。 |
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4日 |
県立女子工芸学校、県立首里高等女学校となる。 |
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5日 | 東京で大東亜会議が開催される(日本、フィリピン、タイ、満州、ビルマ、中華民国汪兆銘政権の6カ国代表が参加)。 | ||
6日 |
《大東亜共同宣言》が発表される。 |
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18日 |
徳田秋声(73)没。 |
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22日 |
ルーズベルト・チャーチル・蒋介石が会談する(第一回カイロ会談)。 |
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25日 | ギルバード諸島のマキンとタラワ両島の日本軍守備隊5400人が玉砕する(マキン島で798人、タラワ島で4690人と捕虜146人)。 | ||
28日 |
ルーズベルト・チャーチル・スターリンがテヘランで会談する(ソ連の対日参戦など協議)。 |
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30日 |
日本全国女子学徒動員を決定。女子中等学校生徒に看護教育始まる。 |
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11月 |
沖縄県下各地で、食糧増産完遂宣誓大会が開かれる。 |
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12月 | 1日 |
米英中『カイロ宣言』を発表。 |
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8日 |
東条首相、世界向け放送でカイロ宣言とテヘラン宣言に反論する。 |
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10日 |
学童縁故疎開促進発表。 |
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21日 |
閣議、《都市疎開実施要綱》を決定する。 |
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24日 |
《徴兵適齢臨時特例》が公布され、徴兵適齢が1年引き下げられる(満19歳に引き下げ)。 |
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12月 |
観音寺部隊、佐世保海軍航空部隊から八重山の平喜名飛行場に駐留する。 |
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沖縄で東部軍司令部女子通信部隊第1950部隊が発足する(女子軍属)。 |
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この年の9月頃までに、琉球8社のうち、普天間宮・末吉宮・沖宮・識名宮・天久宮・八幡宮の修復工事竣工する。 | |||
この年の半ばから、師範学校・中学校・青年学校の生徒、現地の各部隊に協力し、陣地構築・食糧増産等に動員される。 | |||
・地方銀行の合併盛ん。 |
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・野球用語他一切英語禁止。 |
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・タバコ2回値上げで『ひかり』18銭が45銭に。 |
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・食糧増産のため、ゴルフ場などでも耕作。 |
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・野草の食用を奨励(決戦料理)。 |
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・女性のバス運転手登場。 |
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・流行歌『加藤隼戦闘隊』『お使いは自転車にのって』『勘太郎月夜(小畑実・藤原亮子)』 |
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・日本映画『姿三四郎』『花咲く港』 |
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昭和19年 | 1月 | 1日 |
沖縄県農業会が発足し、農業面の統制が強化される。 |
8日 |
閣議、《緊急学徒勤労動員方策要綱》を決定する(学徒勤労動員は年間4カ月を継続して行う) |
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13日 |
女師・一高女、心身鍛練のため17里行軍を実施。 |
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14日 |
ソ連軍、レニングラード戦線で大攻勢を開始する。20日、独軍から解放。 |
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18日 |
閣議、《緊急国民勤労動員方策要綱》を決定する。 |
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24日 |
スイカ、メロンなど不急作物の作付け禁止。 |
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26日 |
東京・名古屋に防空法による疎開命令(指定区域の建物の強制取り壊し)。各都市も続く。 |
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27日 |
リベリア、日本に宣戦を布告する。 |
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29日 |
『中央公論』『改造』などの編集者検挙(横浜事件) |
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1月 |
八重山諸島の石垣島で郷土防衛のため第227特設警備隊(三木隊)。第226隊(又吉隊)が招集、編成される。 |
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1月 |
大本営、絶対国防圏を強化するため南西諸島および台湾の防備態勢を一段と強化することを決め、陸軍部第2(作戦)課長服部卓四郎大佐が神直道少佐に南西諸島の防衛について研究を命じる。 |
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1月 |
女教員総蹶起運動展開される。 |
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女師・一高女で毎週2時間、校長の『国体の本義』『臣民の道』の講和が行われるようになる。 |
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2月 | 1日 |
米軍、マーシャル群島に上陸。 |
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4日 |
文部省、大学・高等専門学校の《軍事教育強化方針》を発表する(学徒に航空訓練・機甲訓練・軍事学・兵器学・軍事医学を教習させる)。 |
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米機動部隊、千島列島のパラムシロ島を砲撃する。 |
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6日 |
マーシャル群島のクエゼリンとルオット両島の日本軍守備隊約6800人が玉砕する。 |
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9日 | 文部省、《中等学校教育内容の戦時措置》を決定する(芸能科目を廃止して工作を課すほか高等女学校の実業科目を正課とする)。 | ||
10日 |
俳優座結成(青山杉作、千田是也他)。 |
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16日 |
大本営陸軍部、《北東及び中部太平洋方面統帥組織及び兵備に関する件》を上奉する(第31軍の新設など北東方面と中部太平洋方面の兵備増強をはかる)。 |
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16日 |
《国民学校令等戦時特例》が公布され、就学義務が満12歳まで引き下げられる。 |
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17日 |
ミッチャー少将指揮下の米第58機動部隊、日本連合艦隊の太平洋における最大の基地トラック島を攻撃し無力化させる(日本軍は艦船43隻と航空機270機を失う)。 |
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青年学校教員養成所が廃止され、青年師範学校が設立される。 |
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文部省は軍人・官吏等を無試験で国民学校や中等学校の教員とし、徴兵による教員の不足を補う。 |
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19日 | 大本営の陸海軍両統帥部、作戦指導の合同研究を行い、日本本土・南西諸島および台湾方面の防衛の緊急強化を決定する。 | ||
東条内閣が改造され、蔵相に石渡荘太郎、農商相に内田信也が就任する。 |
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21日 |
参謀総長の杉山元大将と軍令部総長の永野修身大将が辞任し、統帥と国務の統一をはかるとして総理兼陸相の東条英機大将が参謀総長、海相の嶋田繁太郎が軍令部総長を兼任する。 |
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23日 |
『毎日新聞』の「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ」の記事に東条首相が激怒し、新聞差し押さえ、執筆記者の懲罰招集をめぐり陸・海軍当局が衝突する。 |
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25日 |
政府、《決戦非常措置要綱》を決定する(高級料亭追放、劇場閉鎖など)。 |
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文部省、食糧増産に500万人の学徒動員を決定する。 |
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米潜水艦、沖大東島を砲撃する。 |
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2月 |
沖縄県県庁職員家族の本土引き揚げが始まる。 |
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昭和19年度国民貯蓄目標は360億円に決定され、沖縄県の目標割当は3500万円と発表される。 |
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3月 | 3日 |
国民学校学童給食、食糧増産への空地利用、疎開促進の3要綱発表。 |
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4日 |
宝塚歌劇団休演、ファン整理対策に警官抜刀。 |
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6日 |
全国の新聞の夕刊が廃止される。 |
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7日 |
閣議、学徒勤労動員の通年実施を決定する。 |
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8日 |
日本軍、インパール作戦開始。 |
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9日 | 陸大教官八原博通大佐が南西諸島守備軍として新設予定の第32軍の参謀要員に任じられ、創設準備作業を始める。 | ||
15日 |
大本営陸軍部は南西諸島および台湾方面の防衛強化のため杉田一次大佐を班長とする現地偵察班を派遣する(同行者は椙山一郎中佐(通信)、神直道少佐(航空)、三岡健次郎少佐(船舶)、斎藤春義少佐(編成)などのほか、第32軍参謀長予定の北川潔水少将と作戦参謀予定の八原博通大佐)。 |
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20日 |
沖縄家政女学校を積徳女学校と改称する。 |
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22日 |
大本営直轄の第32軍(沖縄守備軍)が新設される(防衛範囲は北緯30度10分以南、東経122度30分以東)。 |
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女師・一高女の校舎の3分の1が兵舎となる。 |
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大本営、第32軍および台湾軍の作戦準備の準拠として《10号作戦準備要綱》の参謀総長指示を発する。 | |||
24日 |
大本営、第85兵站警備隊を第32軍に編入し大東島の防衛強化を指示する(人員は将官2人、将校准仕官46人、下士官96人、兵163人、高等文官1人、判任文官16人、工員16人の計340人)。 |
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27日 |
第32軍司令部、福岡市立第一高等女学校で編成を完了する。 |
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29日 |
第32軍司令官渡辺正夫中将、参謀長北川潔水少将らと沖縄に赴任する。 |
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29日 |
中学生の勤労動員大綱決定。 |
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31日 | 連合艦隊指令長官古賀峯一大将はパラオからフィリピンのダバオに飛行中行方不明となる(4月5日、殉職発表)。 | ||
31日 |
松竹少女歌劇団解散、松竹芸能部女子挺身隊結成。 |
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4月 | 1日 |
沖縄県警察官・県庁職員から陸海軍の司政官に転出する者が多くなる。 |
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女学生は制服の胸に住所、氏名、血液型を書いた名札をつけ、もんぺと防空頭巾が義務づけられ、救急カバンを常時携帯となる。『四大節』だけはスカート着用と決まる。 |
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1日 |
国鉄の一等車・寝台車等を撤廃。100キロ以上の旅行は警察の許可制に。 |
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4日 |
閣議、国内警備警察を強化するため、13道府県に《非常警備隊設置》を決定する。 |
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8日 |
ソ連に独ソ和平斡旋を申し入れ(12日、ソ連拒否)。 |
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9日 |
第32軍司令部の残余兵員150人、那覇に到着する。 |
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10日 |
佐世保鎮守府指令長官の要請で第4海上護衛隊と沖縄方面根拠地隊が編成される(沖縄方面根拠地隊司令官は第4海上護衛隊司令官新葉亭造海軍少将月兼務)。 |
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12日 |
渡辺第32軍司令官、第19航空地区司令官青柳時香中佐に沖縄本島と伊江島の航空基地設定を、また第205飛行場大隊長には宮古島の航空基地設定を命じる。 |
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警視庁、《決戦非常措置令》に基づき興行刷新要綱を発令する(少女歌劇、ショーなど不許可になる)。 | |||
18日 |
沖大東島、米潜水艦の砲撃を受ける。 |
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23日 |
渡辺第32軍司令官、軍司令部付松原大尉に石垣島に航空基地の設定を命じる。 |
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24日 | 第85兵站警備隊、大東島に上陸する(途中、米潜水艦の攻撃を受け、隊長横田熊次郎中佐の乗船が沈没し、隊長以下18人が戦死)。 | ||
28日 |
中里介山(60)没。 |
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4月 |
海軍軍令部、頽勢挽回の決定兵器として9種類の特攻兵器の使用を海軍艦船本部等に提案する(それにより人間魚雷《回天》と合板製滑走艇《震洋》が実現)。 |
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4月 |
雑炊食堂開設。 |
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5月 | 1日 |
海軍大将豊田副武、連合艦隊指令長官に就任する。 |
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2日 | 陸海軍両統帥部の御前研究が行われる。陸海軍両統帥部、南西諸島・台湾・伊豆諸島方面作戦に関する陸海軍中央協定を指示する。 | ||
3日 |
独立混成第44旅団(沖縄本島)・第45旅団(宮古・八重山)などが第32軍に編入される。 |
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第32軍陸軍病院を編成する。 |
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沖縄本島で南・東・中飛行場のほか伊江島飛行場・宮古西飛行場の建設が始まる(各飛行場の労務者は連日2000〜3000人に及び老若男女の別なく小学生に至るまで徴用)。 |
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5日 |
国民酒場開設。 |
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8日 |
宮古島へ第205飛行場大隊が駐留し、陸軍飛行場の建設が始まる。 |
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10日 |
第32軍、大本営直轄を離れ、皇土防衛軍(西部軍)に編入される(10号作戦準備)。 |
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16日 |
西部軍司令官下村定中将、第32軍司令部をはじめ沖縄本島・伊江島・宮古島などを巡視する。 |
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18〜24日 米機動部隊、ウェーキ島・南鳥島・千島を攻撃する。 |
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20日 |
宮古・八重山の先島守備隊長に独立混成第45旅団長宮崎武之少将が任じられる。 |
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渡辺第32軍司令官、独立混成21連隊長に徳之島の基地設定と防衛を命じ、宮崎少将に宮古島および石垣島の基地設定を命じる。 |
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24日 |
防衛総司令官東久邇宮稔大将、沖縄本島第32軍司令部を視察する。 |
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5月 |
宮古島で陸軍の中・西飛行場の建設が始まる。 |
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5月 |
中学生・女学生ら陣地構築に駆り出され授業停止する。 |
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6月 | 4日 |
英米軍、ローマに入城。 |
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6日 |
連合軍、ノルマンジーに上陸する。 |
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10日 |
第8飛行師団、台湾軍の指揮下に編入される。 |
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10日 |
大日本言論報国会総決起大会開催、ヒトラーへの激励電報を打つ。 |
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11日 | 米機動部隊、マリアナ諸島に来襲し、日本軍のマリアナ地区基地航空部隊は甚大な被害を受ける。 | ||
15日 |
連合艦隊指令長官、《あ》号作戦を発動する。南西諸島全域に警戒警備報が発令される。 |
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独立混成第21連隊主力、徳之島に駐留する。 |
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渡辺第32軍司令官、第4海上護衛隊司令官及び沖縄方面根拠地隊司令官と《南西諸島作戦に関する現地協定》を結ぶ。 | |||
15日 |
米軍、サイパン島に上陸。 |
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16日 |
中国基地の米機B29、初めて九州に来襲する。 |
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19日 | 日本海軍、マリアナ沖海戦で空母と航空機の大半を失い、米機動部隊が西太平洋の制海空権を握る。 | ||
22日 |
宮崎独立混成第45旅団長、宮古島に着任、旅団の駐留が始まる。 |
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23日 |
北海道で昭和新山出現。 |
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24日 |
第25飛行団長福沢丈夫中佐、沖縄本島北(読谷)飛行場に着任する。 |
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25日 | 第32軍司令部、防衛軍総司令部に対し沖縄本島への軍備力結集の必要性を強調・要請するがが失敗する。 | ||
26日 |
第32軍、第9師団等を配下に編入する。 |
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27日 |
米軍、グアム島へ艦砲射撃を行う。 |
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29日 |
独立混成第44・第45旅団などの兵員を乗せた富山丸月沖縄へ向かう途中、徳之島東方海上で米潜水艦に撃沈され、約4600人の将兵中の3700〜4000人が行方不明となる。 |
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30日 |
第32軍、第28師団を配下に編入し宮古島へ配置を決める。 |
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30日 |
閣議、国民学校初等科児童の集団疎開を決定する。 |
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6月 |
八重山の各町村で非戦闘員(老若男女)の台湾疎開を開始する。 |
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第128野戦飛行場設定隊(山田隊)、陸軍白保飛行場設営のため八重山に駐留する。 |
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小禄飛行場建設工事に、女師・一高女、動員される。 |
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7月 | 1日 |
大本営陸軍部、第32軍の作戦援助のため参謀本部付長勇少将を沖縄に派遣する。 |
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2日 |
日本全国で国民総蹶起運動が展開される。 |
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3日 |
石垣島の台湾疎開船2隻、尖閣列島付近で米機による爆撃を受け沈没、多数の死傷者を出す。 |
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4日 |
大本営、インパール作戦中止を発令する(日本側の戦死者3万人、戦傷病者4万5000人)。 |
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5日 |
大本営から派遣の長勇少将と大本営参謀木村正治中佐一行が宮古島を視察する。 |
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6日 |
第9師団(師団長原守中将)司令部の兵員100人、空路沖縄に到着する。 |
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7日 |
富山丸で遭難した独立混成第44旅団および第32軍兵器勤務隊の生存者約500人、那覇に到着する(うち宇土武彦大佐以下約400人が沖縄本島、その他は宮古島に配置される)。 |
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サイパン島の日本軍、玉砕する(守備隊戦死約3万人、捕虜1000人、住民の死者約1万人)。日本の絶対国防圏崩れる。 | |||
7日 | 緊急閣議、南西諸島の老幼婦女子・学童の県外への集団疎開を決定する。沖縄県でも疎開者の募集が始まる。 | ||
軍中枢部は、この日から米軍の南西諸島への侵攻の公算大なりと予想する。 |
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8日 | 沖縄派遣中の長勇少将が第32軍参謀長に任じられる。第32軍参謀長北川少将は台湾軍参謀副長に任じられる。 | ||
米機B29が九州西北部に来襲する。 |
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10日 |
情報局、中央公論社・改造社に対し自発的廃業を指示する(両社とも月末に解散)。 |
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11日 |
第32軍、西部防衛軍の管下から台湾軍(司令官安藤利吉大将)に編入される。 |
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内地各軍に対し戦時警備令が下達される。 |
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11日 |
閣議、国民学校高等科・中学校低学年生徒の動員、深夜業の強化を決定する。 |
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12日 |
帝国在郷軍人会沖縄支部、管内に防衛隊を編成する。 |
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14日 |
東条参謀総長が辞任し、後任に梅津美治郎大将が任じられる(7月18日)。 |
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15日 |
政府、樺太を除き全都道府県に総動員警備を施行する。 |
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17日 |
第24師団、第32軍に編入される。 |
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18日 |
東条英機内閣、総辞職する。 |
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《学童疎開促進要綱》が発表される。 |
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19日 |
歩兵第36連隊主力、南大東島に駐留する。 |
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20日 |
独立混成第64旅団、第32軍に編入される。 |
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櫛淵第28師団長、宮古島に着任する。 |
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20日 |
独陸軍のヒトラー暗殺計画失敗。 |
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21日 |
米海兵隊(5万4000人)、グアム島に上陸する。 |
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夏休みに『戦場になるから宮古・八重山の生徒は帰らないでもよい』と言われ荷物をまとめて帰省。 | |||
22日 |
第8飛行師団、作戦上、連合艦隊司令長官の指揮下に入る。 |
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小磯国昭陸軍大将を首班とする内閣が成立する。 |
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24日 |
大本営、フィリピン・台湾・南西諸島・本土・北方の各地域にわたる《捷号作戦》準備を下令する。 |
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第62師団・独立混成第59・第60・第64旅団、第32軍に編入される。 |
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シュミット少将指揮の米海兵隊4万2000人、テニアン島に上陸する。 |
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25日 |
歩兵第30連隊主力、宮古島に到着する。 |
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この頃、老幼婦女子の本土および台湾への疎開が増える。 |
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7月 |
この頃から女師・一高女生徒の疎開願いが続発する。 |
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7月 |
台湾・九州へ疎開始まる(〜1945年3月までに約6万人が本土へ、2万2000人が台湾へ疎開)。 |
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8月 | 1日 |
砂糖の家庭用配給停止。 |
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2日 |
第32軍、第24師団到着に伴う配備変更を下令する。 |
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3日 |
第69飛行場大隊(浅沼隊)、石垣島の白保に配備される。 |
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テニアンの日本軍守備隊玉砕(角田覚治中将(海軍)・緒方敬志大佐(陸軍)指揮下約8000人の将兵が戦死)。 | |||
4日 |
閣議、一億国民総武装を決定し、竹槍訓練などが始まる。 |
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米華連合軍、ビルマのミートキナを占領する(日本軍守備隊約1000人が戦死)。 |
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4日 |
学童集団疎開第一陣、上野駅出発。9月24日までに20万3000人の疎開完了。 |
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5日 |
第24師団、沖縄本島に到着する。 |
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大本営政府連絡会議、《最高戦争指導会議》と改称される。 |
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10日 |
第32軍新司令官として牛島満中将が着任する(渡辺正夫前司令官は病気で離任)。 |
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グアム島の日本軍守備隊1万8000人、玉砕する。 |
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11日 |
米機B29、南朝鮮・九州・山陰を襲撃する。 |
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12日 |
米機B29、父島に来襲する。 |
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15日 |
閣議、国内防衛態勢を強化するため《総動員警備要綱》を決定する。 |
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18日 |
第32軍、第62師団到着に伴う配置変更を下令する。 |
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19日 |
第62師団兵員、沖縄に到着する。 |
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最高戦争指導会議で《世界情勢判断》および《今後採るべき戦争指導大綱》を決定する。 |
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22日 |
沖縄から本土への学童疎開船対馬丸、悪石島付近で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没する(学童・一般人1661人のうち、生存者はわずか177人、そのうち学童は59人で766人が犠牲)。 |
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22日 |
連合軍、パリ入城、ドゴール凱旋。 |
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23日 |
《学童勤労令》《女子挺身勤労令》が公布される(8月31日実施)。 |
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大学・高専、理科系2年以上の学徒1000人を科学研究員として勤労動員から除外。 |
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23日 |
宮古島の独立混成第45旅団、石垣島に移り、八重山農学校に旅団司令部を開設する。 |
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25日 |
神風特別攻撃隊の体当たり攻撃が始まる。 |
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28日 |
全国神職寇敵撃滅祈願訓令。 |
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31日 |
米軍機、小笠原・硫黄島に来襲する。 |
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米機動部隊、台湾に来襲する。 |
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8月 |
宮古島住民の島外疎開が始まる。 |
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独立混成第59旅団主力、伊良部島に布陣する。 |
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9月 | 1日 |
台湾に徴兵制が施行される。 |
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4日 |
第32軍の長参謀長一行、宮古島の飛行場工事を視察する。 |
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5日 |
人間魚雷『回天』の基地誕生。 |
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6日 |
米機動部隊、パラオ島とヤップ島に来襲する。 |
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9日 |
米機動部隊、ダバオを襲撃する。 |
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9日 |
フランス臨時政府樹立(首班ドゴール)。 |
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15日 |
第32軍、航空作戦準備強化のため地上作戦準備を1カ月休止し、飛行場建設に専念する。 |
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米軍、パラオ群島のペリリュー島とニューギニア西方モロタイ島に上陸する。 |
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15日 |
ダイヤモンド買い上げ開始(軍需省)。 |
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17日 |
第32軍司令官牛島中将、宮古島守備部隊を視察する。 |
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21日 |
米機動部隊、ルソン島クラーク飛行場を空襲する。 |
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22日 |
台湾軍、《第10方面軍》と改称される。 |
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27日 |
東京商大を東京産業大学、神戸商大を神戸経済大学と改称。 |
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28日 |
最高戦争指導会議、ソ連の中立維持・利用をはかる《対ソ施策に関する件》を決定する。 |
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28日 |
美術展覧会取扱要綱発表、公募展禁止、展覧会中止多数。 |
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29日 |
米軍、B29で初めて沖縄の空中写真を撮影する。 |
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30日 |
政府、《新国民運動実施要綱》を決定する。 |
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神仏基30万の宗教家によって《大日本戦時宗教報国会》が結成される。 |
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9月 |
独立混成第59・第60旅団の主力、宮古島の配置につく。 |
||
9月 |
必勝食糧態勢の確立のため、県庁に『食糧配給課』を設置。 |
||
女師・一高女、隔日もしくは週2日は陣地構築に駆り出されるようになり、授業は週3日ほどになる。 | |||
学校当局、帰省した全離島の生徒に『即時帰校』命令の電報を打つ。 |
|||
師範男子部本科を繰り上げ卒業させ、陣地構築に専念させる。 |
|||
女師・一高女、垣花ガジャンビラと天久の高射砲陣地構築作業に動員される。 |
|||
10月 | 3日 | 米統合参謀本部、太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督に対し琉球に1個またはそれ以上の拠点を占領せよと命じる。 | |
米機B24、沖大東島を銃撃する。 |
|||
5日 |
宮古島の中・西飛行場が完成する。 |
||
ニミッツ提督、配下部隊に対し、台湾攻略作戦を変更し、太平洋方面部隊は1月20日に硫黄島、3月1日に琉球しょとうに数個所の拠点を確保すべき企画を明らかにする。 |
|||
8日 |
既教育兵、与那原・読谷山・伊江島に召集される。 |
||
9日 |
八重山飛行場工事のため徴用された沖縄本島住民、帰途に遭難し500人の犠牲者を出す。 |
||
10日 |
米機動部隊の艦載機延約1400機が南西諸島を空襲、那覇市は90%が灰燼に帰す(罹災戸数1万 2000余戸、死傷者785人、損害は艦船15隻、500万発分の弾薬、県民1カ月分に相当する約4万4000袋の食糧米)。 |
||
10日 |
泉知事、南部に住む婦女子の即時北部避難を示達。 |
||
10〜15日、南部の老幼婦女子、北部へ疎開。 |
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泉沖縄県知事、県庁を普天間に移す。 |
|||
11日 |
第2航空艦隊の主力、九州方面から南西諸島の航空基地に移り始める。 |
||
女師・一高女、一時休校となる。 |
|||
12日 |
台湾沖航空戦が展開され、大本営は戦果がないにもかかわらず大戦果をあげたと発表する。 |
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13日 |
那覇の通信事業、民家を利用して活動を再開する。 |
||
14日 |
B29など100機、台湾に来襲する。 |
||
15日 |
第26航空隊司令官有馬正文少将指揮の攻撃隊、台湾沖でハルゼー大将指揮下の艦隊を攻撃する。 |
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15日 |
金の強制買い上げ実施。 |
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16日 |
侍従武官坪島文雄中将、宮古島を視察する。 |
||
陸軍省、《陸軍特別志願兵令》を改定公布し、17歳未満の者にも志願を許可する。 |
|||
17日 |
第32軍、兵棋演習を実施する。 |
||
18日 |
大本営、《捷1号》作戦の発動を命じ、フィリピン方面に陸海軍の主力を投入して決戦を挑む。 |
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18日 |
陸軍省、《兵役法施行規則》を改定公布し、17歳以上を兵役に編入する。 |
||
20日 |
戦況の悪化に伴い、東京の日比谷で《一億憤激米英撃摧国民大会》が開催される。 |
||
米軍、フィリピン中部のレイテ島に上陸する。 |
|||
21日 |
沖縄県庁に特別援護室が設置される。 |
||
《10.10空襲》罹災者を優先する沖縄県内外移住事務が開始される。 |
|||
米統合参謀本部、沖縄攻略作戦計画《アイスバーグ作戦》を決定。 |
|||
22日 |
宮古島の輜重兵第28連隊長横山伊一郎大佐、輜重兵学校長に転出する。 |
||
23日 |
第8飛行師団、連合艦隊司令長官の指揮下から除かれる。 |
||
24日 | レイテ沖海戦が行われる(日本艦隊の突入作戦は失敗、連合艦隊の主力を失う)。戦艦『武蔵』沈没。 | ||
25日 |
レイテ沖で海軍神風特別攻撃隊(敷島隊)、初めて米艦を攻撃する。 |
||
中国基地から飛来した米機B29約100機、北九州を空襲する。 |
|||
25日 |
少額紙幣発行(5銭、10銭)。 |
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29日 |
21歳〜45歳の男子を防衛隊として召集する。 |
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10月 |
牛島第32軍司令官、八重山島民の飛行場建設工事への協力に対し感謝状を贈る。 |
||
10月 |
この頃、護郷隊編成される。 |
||
女師は識名高射砲陣地構築作業と県連隊区司令部の事務要員に、一高女は上間高射砲陣地構築作業に、それぞれ動員される。 | |||
11月 | 1日 |
マリアナ基地のB29、東京を初偵察する。 |
|
1日 |
たばこが隣組配給となる(男子は1日6本づつ)。 |
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2日 |
新聞、2ページに削減(週14ページ)。 |
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4日 |
第32軍高級参謀八原博通大佐、沖縄守備軍から1兵団を抽出して比島方面に転用する件に関する台北会議に参加し、反対意見を具申する。 |
||
6日 |
米艦載機、ルソン島全域に来襲する。 |
||
7日 |
閣議、《老幼者や妊婦等の疎開実施要綱》を決定する。 |
||
米大統領選でルーズベルトがデューイを破って4選される。 |
|||
10日 |
厚生省、婦女子の徴用を実施、女子挺身隊の期間を1年延長する。 |
||
女師・一高女、生徒を集め、授業を再開。 |
|||
12日 |
女師は識名高射砲陣地構築作業に、一高女は上間高射砲陣地構築作業に、それぞれ動員再開される。 |
||
13日 | 大本営、沖縄から第9師団あるいは第24師団のいずれかを抽出する事を決定し、その選定は第32軍に委ねる旨を電報で指示する。 | ||
13日 |
日本野球報国会、プロ野球休止声明を出す。 |
||
14日 |
閣議、《労務調整令》《国民勤労報国協力令》を決定する(11月18日より施行)。 |
||
15日 |
太宰治『津軽』発表。 |
||
17日 |
第32軍、第9師団を台湾へ転出させることを決定し大本営に報告する。 |
||
24日 |
マリアナ基地のB29約70機、東京を初空襲する。 |
||
26日 |
第32軍、第9師団抽出にあたり《新作戦計画》に基づく軍命令を下達する。 |
||
27日 |
《戦勝食糧増産推進沖縄本部》が設置される。 |
||
11月 |
石垣島で郷土防衛隊第506特設警備工兵隊(高良隊)が招集編成される。 |
||
11月 |
この頃、沖縄県内の郵便業務、バス・自転車・トラック等により辛うじて営まれる。 |
||
空襲後、生徒の疎開願い相次ぐ。学校当局、これを阻止。 |
|||
12月 | 1日 |
閣議、中等学校の新規卒業予定者の勤労動員の継続を決定する。 |
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6日 |
日本空挺部隊、レイテ飛行場に強行攻撃をかける。 |
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7日 |
東海地方に大地震、津波(死者998人、全壊26130戸)。 |
||
7日 |
生フィルム欠乏で40%の映画館、配給休止の宣告。 |
||
8日 |
全国に《一億憤激米英撃摧期成大会》が結成され、一億憤激米英撃摧祈願祭が行われる。 |
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10日 |
ドゴール将軍、モスクワでドイツを対象にした《仏ソ同盟条約》(期間20年)に調印する。 |
||
11日 |
神里付近で軽便列車で輸送中の第24師団の弾薬爆発。 |
||
15日 |
大本営、第10方面軍に対し第12・第82師団の派遣を内報する。 |
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17日 |
B29、名古屋に来襲する。 |
||
19日 |
大本営、レイテ島での地上決戦方針を放棄する。 |
||
21日 |
『爆音による敵機の聴き分け方』放送。 |
||
26日 |
第9航空軍が創設される。 |
||
30日 |
第9師団、台湾に移駐する。 |
||
31日 |
アンガウル島、ペリリュー島の日本軍が玉砕する。 |
||
第10方面軍司令官安藤利吉大将、台湾総督を兼ねる。 |
|||
12月 |
石垣島海軍警備隊司令井上乙彦大佐が着任する。 |
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12月 |
米国宣伝放送(中波、サイパン島発)受信。 |
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第32軍と県学務課による、中等学校生徒戦場動員計画、成る。 |
|||
この年、中学生には通信訓練、女学生には看護教育を施す。 |
|||
・軍事費、国家財政の85%強に達する。 |
|||
・食糧増産のため学童も動員して空地を徹底的に利用。 |
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・戦況悪化で流言が激増。 |
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・金属不足により、5銭・10銭が紙幣に。 |
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・硫黄マッチ登場。 |
|||
・陸軍報道局編『必勝国民読本』、松村秀逸『宿敵米英を撃て』 |
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・流行歌『若鷲の歌(若い血潮の予科練の七つボタンは桜にイカリ)』『同期の桜』『ラバウル小唄』『ラバウル海軍航空隊』 | |||
・日本映画『日常の戦ひ』『狼火は上海に揚る』他戦記、増産映画が盛ん。 |
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