酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート



連歌




  • 賦物(ふしもの)

上賦‥‥‥何路(山、川、旅)、何木、何人(歌、老、旅、客、山)、何船(釣、関、川)
下賦‥‥‥山何(川、桜、鳥)、朝何(夕、顔)、夕何(雲雀、焼)、花何(車、見)
五ケ賦‥‥‥何路、何木、何人、何船、山何。

賦物は、本来は重要な意義を持っていたが、形式的な物となり、その作品の標題のような物になって行き、発句にだけ、通用した。
  • 一座を張行するには、師匠格にあたる宗匠と執筆(しゅうひつ)(書役)と連衆(会衆)の三つの要素が必要。
  • 発句(ほっく)は客人格の尊貴または宿老、名匠(宗匠)が詠み、脇句は張行主(亭主格)が詠み、第3句は相伴の人あるいは師匠の次席に当たる者が詠む。執筆は一巡または再返の後、または一巻の最後に2、3句程度の句をとどめる。
  • 百韻一巻を巻くには朝天から日暮れまでの十時間前後の時間を掛けるべき事。
  • 会席には、正面床の間に菅公天神の画像か『南無天満大自在天神』という神号、名号の掛軸を掛け、花を立て、その前に文台と円座を設けて執筆の座とする。その右上手に宗匠の座を設け、宗匠と執筆とは必ず並べて設けなくてはならない。連衆の席次は、本尊に向かって左手に尊貴以下発句作者など、しかるべき人が順座し、右手もそれに順じて主催側の者が着座する。
  • 発句には、季語を入れ、その場の状況を詠み、切字を入れ、一句として独立した形と内容を揃えていなければならない。
  • 脇句は、発句と同じ季で詠み、発句と相応じて、大きく離れない事が必要とされる。
  • 第三句は、特に、変化、展開が要求される。
  • 第四句から、第九十九句までは、平句と称し、最後の句は挙句(あげく)と呼ぶ。
  • 前句のさらに前の句を打越(うちこし)というが、打越から離れて付ける事を常に要件とされ、前句を挟んで、打越の句と付句が、同趣同想の句となる事は『観音開き』と称されて、特に嫌われた。
  • 初折(しょおり) 表8句、裏14句。  二折(にのおり) 表14句、裏14句。
    三折(さんのおり) 表14句、裏14句。 名残折(なごりのおり) 表14句、裏8句。
  • 初折は、しとやかに品よく、二折からは、変化があり、三折、名残折では、特に、興趣のあるようにして、最後はめでたくおさめる。


二条良基
(1320−1388)

摂政、関白。五摂家の一つ関白二条道平の子。8歳で元服、侍従に任じられ、10歳で権中納言になる。16歳で父と死別し、20歳で母と死別する。21歳で、足利尊氏、 義詮らの援護の元、内大臣、27歳で関白左大臣となる。頓阿(とんあ)に歌を学び、救済(きゅうぜい)に連歌を学ぶ。



15世紀前半に活躍した連歌師たち
  • 武家
勘解由小路道孝(斯波左兵衛督義重)、岩栖院道灌(細川右京大夫満元)、赤松禅門(赤松播磨守満祐)、今川了俊、波多野肥後守通郷(元喜)、朝山小次郎師綱(梵燈)、平井備前守(道助)、蜷川周防守入道信永、蜷川新右衛門入道親当(智蘊。−1448)、成阿法師(北野社連歌奉行職を務める)、真下加賀守(慶阿)
  • 僧侶
賢聖坊承祐(禅僧)、相阿(四条道場)、顕証院忍誓(天台)
  • 同朋衆
琳阿、頭阿、慶阿、畠阿、重阿、万阿、玄阿、祖阿(北野社奉行職)、春阿

宗砌(そうぜい)
(1382?-1455)
但馬の守護山名の家臣、高山民部少輔時重。1448年6月、北野社連歌会所奉行職となる。連歌を梵燈に学び、和歌を正徹に学ぶ。
心敬(しんけい)
(1406−1475)
紀伊国田井庄に生まれ、初め、心恵と名乗り、連海法師とも号す。3歳に都に上り、比叡山横川に入る。和歌古典は招月庵正徹(−1459)に学ぶ。後、清水寺の南、音羽山麓の十住心院の住職になる。1463年5月『ささめごと』を著す。1668年6月『ひとり言』を著す。弟子に猪苗代兼載。1471年、連歌会席の作法書『私用抄』を太田道真に送る。1471年秋、甥の季楊のいる相模大山寺に隠栖する。『老のくり言』


◎永享5年(1433)『北野社法楽一日万句』
北野社の境内に20座を設け、各1座五百韻づつを一日のうちに、賦詠する。
  • 武家方
将軍室町殿(義教)《連衆に祖阿、波多野元尚、蜷川信永、玄阿、杉原浄信ら》
山名常煕、管領細川持之、赤松貞村《浄喜ら》、石橋信乗、京極持清、京極道統、裏松義賢、細川常秀、赤松性具、赤松満政《宗砌、二階堂政行、蜷川親当ら》
  • 公家方
九条教満、二条持基、一条兼良、三条実雅《能阿》
  • 寺院
聖護院満意、三宝院満済《万阿、春阿》、大乗院経覚
  • 北野社社家の代表として公文所乗慶と連歌宗匠賢聖坊承祐《忍誓》


  • 文明2年(1470)正月6日、北畠教具、堀川具茂以下一門、宗祇、宗怡(そうい)、章棟、伝阿らと連歌会 を開く。教具は、宗砌に師事する。


宗祇
(1421-1502)
1470年春、宗祇、心敬と共に、太田道真の江戸川越城にて『河越千句』を詠む。
1471年春、宗祇独吟『三島千句』
1472年10月26日、美濃国において、宗祇、専順、紹永らと共に、百韻。
1476年1月11日、宗祇、初めて幕府の連歌会始めの人数に加えられ、独吟百韻。
1488年4月5日、北野の連歌会所奉行職を継いだ折、会所開きに18人による百韻。
1489年、宗祇、宗伊の連著による『会席廿五禁』を作る。
1493年春、摂津中島に行く。
1495年1月3日、宗祇、聴雪、兼載、宗長らと『新撰莵玖波集祈念連歌』
1499年1月4日、宗祇の旅行安全を願い種玉庵において、弟子の宗長、玄清、宗碩らと百韻。


宗長
(1448-1532)
1502年、宗長、宗碩、宗祇の初七日の両吟百韻。
1504年10月25日、宗長、伊豆三島神社に『出陣千句』を奉納。
1509年、宗長、『東路のつと』著す。
1513年頃、宗長朝比奈弥三郎泰煕(1512.12没)の不例宿願のための独吟。
1514年5月13日、宗長、今川氏親42歳の厄のため、『浅間千句』
1516年正月、湯山(有馬)に向かう途中、芥川の新城により、能勢頼則の連歌会に出る。肖柏、玄清、宗碩も参加。
帰路にも寄り、千句の発句を読む。
1517年、宗長、『宇津山記』を著す。
1518年8月、京東山(円山)安養寺にて、能勢頼則の三回忌に当たって『東山千句』を興行。
肖柏、宗碩、寺町、波々伯部、河原林対馬守など上洛して参加。
1523年4月4日、宗碩の新宅造営祝賀のため、宗長ら13人の百韻。
1523年冬、湯山下向の帰途、城山能勢源五郎の千句に挑む。
1525年11月25日、宗長、今川氏輝に古今聞書五帖口伝、切紙八枚を伝授。
1526年2月、宗長、今川氏輝に古今集三冊一合を伝授。
1527年4日、宗長、今川氏輝に古今集伝授。
1527年、『宗長手記』を著す。
1528年2月12日、宗長独吟、名号百韻。
1531年9月13日、『宗長日記』を著す。
・一男一女あり。


肖柏
(1443-1527)
1487年、この年以降、池田を拠点とす。池田兵庫助正盛の庇護を受ける。
1496年7月中旬、肖柏、『古今集古聞』を著す。
1502年2月25日、菅公御神退六百年祭を記念して、摂津中島郷(大阪)天満宮にて、千句連歌を興行。
1503年1〜3月、肖柏、源頼則に古今伝授。
1505年8月15日、肖柏、平雅連のために『六家抄』
1506年8〜9月、肖柏、真存、河内屋宗訊(友弘)に古今伝授。
1506年冬、肖柏、真存に古今集延五秘抄等を伝授。
1511年7月14日、肖柏独吟。
1511年9月25日、摂津中島天満宮にて千句を興行。
1512年、牡丹花と号す。
1515年11月2日、堺にて連歌会。
1516年正月、芥川城の連歌会に参加。
1518年8月、円山の連歌会に参加。堺に移住。
1521年5月7日、堺衆らと『山何百韻』
1523年1月9日、堺衆らと『何路百韻』
1524年4月、三条西実隆、高野詣での帰途、堺に立ち寄り、肖柏と会い、歌を詠む。
1524年5月1日光明院にて、聴雪(実隆)、肖柏、宗碩、光鎮、周桂、重吟、禅喜(執筆)らで七吟。光鎮、重吟(主要な門人)、禅喜は肖柏の弟子。
1527年4月4日、85歳にて死す。

  • 摂津の連歌武人
池田若狭守正種、池田新左衛門尉、池田帯刀左衛門、池田彦次郎、池田民部丞綱正、池田兵庫助正盛、池田寿正(綱正の父)、波々伯部(ははかべ)盛郷、止々呂美の塩川豊前守秀満、能勢因幡守頼則(芥川城主、−1516.8)
  • 堺の連歌師
伊豫屋宗珀(肖柏の弟子)、河内屋宗訊(肖柏の弟子)、宗栄、宗全(菅原長治)らが中心。宗祐も肖柏の弟子。
  • 大広寺
    (曹洞宗総持寺末)
1468年、池田筑後守充正の本願によって建立。荘厳を極め、特に文明年中、望海亭を営み、1480年6月、横川景三作の『望海亭記』に詳しく描写されている。
肖柏の夢庵も、同じ山内の泉福寺の後園にあったと伝えられる。肖柏は、この草庵に住んで、正盛、正能、長正、正郷、正棟ら池田氏の諸将及び能勢頼豊(頼則)らの武将とまじわり、摂津神呪寺、栄根寺、久安寺、豊島住吉社、古曽部天満宮などの寺社へ出向いて歌会、連歌会に臨んでいた。
  • 夢庵
四隣に長松花樹めぐりて、前庭に大なる巌あり。臥竜のごとく、猛虎に似たり。海辺の石あひまじる。その中に紅梅軒に近きあり。あしやの里より、はるばる移し来りて年を重ぬ。
横斜3、4丈におよべり。かたはらに井あり。釣るべ縄の長き事数尋。桐葉おほいて、署を避くるにたよりあり。四時の花万木にたえず。これを弄びて晨夕老を忘る。よって書院を弄花軒と号す。


正広(しょうこう)
(1412-1493)
歌人。文明11年頃より、堺金光寺の草庵に住み、各地の歌会に出る。


  • 和歌を敷島の道と言い、連歌を筑波の道と言う。
  • 和歌の三社神を人麻呂、住吉、玉津嶋。連歌の神は北野社の天満大自在天神。




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