酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート



駿河




  • 葛山氏
1482年頃、沼津郷は曽我上野介の所領となっていたが、葛山氏は代官職と称して、押妨を続けていたといわれる。
1491年、伊勢新九郎が伊豆に侵攻し、堀越御所を急襲して足利茶々丸を討った時、今川氏から新九郎のもとに赴いた援軍が葛山氏であった。そして、新九郎の次男、氏時を養子としている。
1514年、甲斐武田氏の内紛に乗じて、今川氏親は千余人の兵を侵入させているが、部将として、葛山氏のほか、朝比奈、庵原、福島の各氏がある。
1526年、武田信虎と北条氏綱が籠坂峠付近で戦った時、北条方の戦死者中に葛山氏の名が見える。
基本的に、駿東郡一帯を知行していたと考えられ、その知行所は、明らかなだけでも定輪寺、須走口、ぐみ沢、佐野郷、獅子浜、多比、口野郷、岡宮、久口、山本、小泉など、駿東から沼津市、富士宮市の一部に及んでいた。
戦国期になって、葛山氏は、氏堯、中務少輔氏広、八郎氏元と三代続く。
葛山氏の四天王として、半田氏、荻田氏、岡村氏、古池氏。
同族に、御宿氏、大森氏。
  • 由比氏
1476年2月、遠江国人横地、勝間田の一揆に対しては、由比孫四郎直任が、今川義忠に従属し、久野、奥山氏ら多くの部将と共に討伐に参加している。その直後に起こった今川家の内紛の時は、重臣方に与した。
天文(1532−55)頃には光詔、光教、永禄3年(1560)前後には美作守正信を当主としたが、桶狭間の戦に光教、正信とも討死したため、子の出羽守正純が川入城の城主となる。
  • 蒲原氏
今川一族。範国の三男、氏兼が蒲原氏を称するのが始まり。氏兼より三代氏頼の時、永享年間(1429−41)に蒲原城と蒲原庄を領有したと伝える。氏頼は結城合戦に戦功をあげ、子の氏慶は嘉吉の乱に大いに働き、兵部丞に任じられている。満氏は延徳3年十月の茶々丸の乱の鎮定に伊勢新九郎や葛山氏と共に参加している。
氏兼──頼春──氏頼──氏慶──貞氏──満氏──氏徳(−1560)──徳兼
  • 荻氏
北松野城。次郎左衛門氏誉──妙忠──小太郎──一通──慶徳──清誉──久誉
慶徳の頃には、今川家の被官となって、1521年12月26日、福島上総介に属し、武田信虎軍と甲斐一条原にて戦い討ち死にしている。その子小次郎清誉は1568年12月5日、武田信玄の駿河侵攻にあたり、今川方として松野山上内房口に出陣し、武田方の山県三郎兵衛昌景と戦い討ち死にした。
  • 興津氏
横山城。大永年間(1521−28)には、藤兵衛尉、彦九郎宗鉄の名が見える。興津氏は連歌師宗長と親交あり。天文年間(1532−55)には三郎左衛門などが、横山城にあり、勇名を馳せた。
  • 阿部七騎
俵峠の杉山小太郎、望月四郎、足久保の石谷弥兵衛、落合の狩野朝久、村岡の末高、柿島の朝倉六兵衛、中野の海野弥兵衛、上落合の大石、牛妻の某。特に、海野、朝倉の両氏は阿部七騎の棟梁株であった。
  • 瀬名氏
文明の頃、遠江今川貞世の後裔で遠江堀越城城主堀越貞延の嫡流義秀は海蔵寺の喝食であったが、父貞延戦死の後、還俗して一秀と改め、一時、堀越家を継ぐ。今川義忠が文明八年、不慮の戦死をとげ、その幼君である竜王丸の補佐役に抜擢されると、駿府に移っている。その後、氏親に戦功を賞され、瀬名郷を与えられて駿府北郊の押えとして置かれ、瀬名氏を名乗り、以来、瀬名氏は一秀を祖として、氏貞──氏俊──氏詮──正勝と続く。
  • 斎藤氏
鞠子城。氏親の頃、加賀守安元。
  • 朝比奈氏
早い時期に今川氏に従属したため、一族の多くは今川家の重職に抜擢され、各地に分布する。
文明年間、泰煕は、義忠に命じられ、掛川城を築く。1513年、泰能の代に新城が完成し移る。泰煕──泰能(−1557)──泰朝
  • 岡部氏
朝日山城。今川家の重臣。
  • 長谷川氏
小川城。次郎左衛門政宣法永。以後、伊賀守元長、次郎左衛門正長の名が見える。正長は紀伊守も名乗り、1560年以降、徳之一色城を守る。
  • 関口氏
三河長沢城。天文年間に駿河に在府し、越後守氏録は花沢城を築く。
  • 小笠原氏
馬伏塚城。信濃守長高(1488−1544)は氏親に属す。その子春義は、福島上総介正成が今川家に背き、北条方に属すと、代わって高天神城主となり、馬伏塚城主も兼ねる。その子美作守氏清(左京進、母は氏親の娘)も今川家に属し、遠江のうち四郡を領すが、1568年、徳川家康に転任。
  • 天野氏
氏親の頃、大井川西岸から天竜川東岸一帯まで、天野氏の領域となり、在地土豪も天野氏の軍事指揮下に組み入れられた。
  • 各和氏
各和城。1506年、伊勢新九郎の三河侵攻に従った遠江衆の中に見える各和氏は、おそらく、伊予守道空。
  • 新野氏
新野城。嘉吉の頃、新野左馬助の名が見え、応仁の頃、細川方の武将の中に今川氏と共に新野氏の名が見え、文明8年の家督問題に際して、今川家一族の重臣として新野氏の名が見える。
  • 久野氏
佐渡守宗隆──三郎左衛門忠宗──三郎四郎元宗(−1560)
  • 井伊氏
直村──直平──直宗──直盛──直親──直政。1514年、直盛は朝比奈泰以の猛攻に合い、今川家に服属する。
  • 庵原氏




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