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昭和20年 | 1月 | 1日 |
米誌『タイム』、日本製風船爆弾が太平洋を越えてモンタナ州に落下したと報じる。 |
(1945) | 3日 |
米艦載機、台湾・奄美・宮古・八重山・沖縄本島を攻撃する。 |
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5日 |
米艦隊、小笠原および硫黄島を砲撃する。 |
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7日 |
第32軍、士気昂揚大会を開催する。 |
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9日 |
米軍、ルソン島に上陸する。 |
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10日 |
第9師団、沖縄からの移動を終え第10方面軍の戦闘序列に編入される。 |
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第32軍司令部、安里の蚕種試験場から首里の沖縄男子師範学校付属国民学校に移転する。 |
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12日 |
島田叡大阪府内政部長、沖縄県知事に任命される(泉知事は香川県へ転出)。 |
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13日 |
東海地方に大地震(三河地震。死者1961人、全半壊17000戸)。 |
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16日 |
宮古島駐留の第28師団の新師団長として納見敏郎中将が台湾から着任する。 |
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18日 |
最高戦争指導会議、《今後採るべき戦争指導大綱》を決定する(本土決戦即応態勢の確立など) |
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20日 |
閣議、《沖縄県防衛強化実施要綱》を決定する。 |
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21日 |
米機動部隊、台湾と南西諸島を襲撃する。 |
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米艦載機56機、宮古島を空襲し船舶・陸上施設に損害を与える。 |
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22日 | 米艦載機延約900機、奄美・宮古・八重山・沖縄本島を攻撃する。 | ||
大本営、第32軍に対し第84師団の編入を電報で内報する。 |
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空襲で女師・一高女の図書館・寮・校舎の一部が破壊され、生徒4名が生き埋めになる。 |
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23日 |
大本営、海上輸送の危険と本土兵力の不足を理由に第84師団の沖縄派遣を中止する。 |
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女師・一高女、寄宿舎足りず、離島を除き、下級生は帰郷させ、通学可能の上級生は家から通わせる。 | |||
25日 |
最高戦争指導会議、《決戦非常措置要綱》を決定する(軍需生産の増強、生産防衛体制を強化) |
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首里高女は石部隊(第62師団)の野戦病院に配属される事となり、学校で軍の教育を受ける。 |
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26日 |
第32軍司令官、沖縄本島の配置変更を配下部隊に通達する。 |
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軍・公務要務者以外、京浜地区通過・着の乗車券発売を禁止。 |
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27日 |
大本営、南方軍の任務を変更する(本土決戦が第一義、南方軍の作戦は第二義となる)。 |
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県庁の各部課を城岳および与儀周辺に分散移転する。 |
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野口雨情(62)没。 |
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B29、70機、都心を爆撃。本土空襲本格化する。 |
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31日 |
沖縄県の新知事島田叡が着任する。 |
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第32軍、第2次現地防衛招集を実施する(満17歳から45歳までの男子)。 |
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2月 | 1日 |
宮古島の第28師団参謀長福地春男少将、在南支第23軍参謀長に転じ、後任に一瀬寿大佐が発令される。 |
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3日 |
《台湾及南西諸島方面作戦に関する陸海軍中央協定》が結ばれる。 |
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沖縄県下の学徒動員が強化され、通信・観測・看護婦などの特別訓練が実施される。 |
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米軍、マニラ市内に侵攻する。 |
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4日 |
米・英・ソの首脳(ルーズベルト・チャーチル・スターリン)、ヤルタで会談を開く(対独戦後処理、ソ連の対日参戦を協議)。 |
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7日 |
第32軍参謀長、沖縄県庁を訪れ、緊急に6カ月分の住民の食糧を確保すること、ならびに本島中・南部地区の住民を北部地区に疎開させることを島田知事に要請する。 |
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沖縄県、平時行政から戦時行政へ切り換える。 |
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第28師団の新参謀長一瀬寿大佐、広島から宮古島へ着任する。 |
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10日 | 県立第二中学校で緊急市町村会議が開かれ、第32軍の木村参謀が米機動部隊の沖縄来攻見通しについて公式に発表する。 | ||
沖縄県中南部住民の北部疎開計画決定。女師・一高女の生徒らの一部も家族と共に北部避難。 |
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11日 |
沖縄県、人口課を新設し県内外の人口移動業務に当たらせる。 |
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米・英・ソ、ヤルタ協定成立。ソ連、対日参戦を決定。 |
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12日 |
牛島第32軍司令官、海上挺進基地大隊の改編を命じる。 |
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宮古島の全守備部隊に迎撃戦闘準備令が下される。 |
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15日 |
米機動部隊の接近により宮古島の守備隊司令部、野原越に移動する。 |
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第32軍、《戦闘指針》を沖縄県下の軍民に示達する(《1機1艦船、1艇1船、1人10殺1戦車》が標語となる)。 | |||
沖縄県下に市町村単位の国土防衛義勇隊が編成される。 |
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那覇市役所、真和志村の安里八幡宮近くの民家に移転する。 |
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女師・一高女生徒に南風原陸軍病院での看護実施訓練始まる。 |
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16日 |
米機動部隊、艦載機延約1200機をもって関東、東海地方を攻撃する。 |
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19日 |
米軍、硫黄島に上陸する。米軍75000、日本軍23000。 |
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沖縄県下男女中等学校単位の防衛隊の結成が始まる。 |
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20日 |
B29、100機、東京を空襲。 |
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22日 |
東京に二・二五事件以来の大雪。 |
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25日 |
米機動部隊、東京および八丈島を攻撃する。 |
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26日 |
B29、130機、東京を空襲。 |
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2月 |
台湾の陸軍第9飛行師団、石垣島白保に駐留する。 |
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2月 |
島田知事、決戦施策の三大目標(国土防衛の強化・食糧自給の達成・自主輸送の確立)を発表。 |
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2月 |
沖縄本島の全学校の《御真影》を北部の稲嶺国民学校に移す。 |
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沖縄県の官公吏や教員の県外疎開続出。 |
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飯米配給の停止・減配を行う。 |
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3月 | 1日 |
沖縄県立第二中学校生徒の一部、《球7071宇土部隊》へ入隊する。 |
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大本営、《天1号》航空作戦計画を決定する(《航空作戦に関する陸海軍中央協定》)。 |
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米艦載機60機、宮古島を襲撃し、大建丸と豊坂丸が撃沈される。平良町民は市の郊外へ移動する。 |
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たばこ値上げ。朝日が70銭から90銭に、金鵄が23銭から35銭へ、光が45銭から60銭になる。 |
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2日 |
ルーマニア、対日宣戦を布告する。 |
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農商務省、不正な配給を受ける幽霊人口が約100万人いると推定する。その後不正受配の全国調査を実施する(3月20日)。 | |||
5日 |
沖縄の学童や一般老幼女子の県外疎開が打ち切られる。 |
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6日 |
《国民勤労動員令》が公布される(国民徴用令・国民勤労協力令・女子挺身勤労会・労務調整令・学校卒業者使用制限令の5勅令を廃止・統合)。 |
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沖縄県、満15〜45歳の男女、全員現地招集。 |
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沖縄県立第二高等女学校4年生55人、東風平国民学校に本部を置く24師団陸軍病院看護教育隊(山3486廉嵎隊)に入隊。看護教育始まる。 |
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7日 |
海軍作戦部長、沖縄本島北・中飛行場の確保を要請する。 |
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9日 |
米機B29、翌日にかけて東京を大空襲する(23万戸焼失。死傷者12万人、下町地区焼失)。 |
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10日 |
第32軍司令官、伊江島飛行場の破壊を命じる。 |
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明治座、浅草国際劇場、国民新劇場が空襲焼失。 |
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13〜14日、中座、文楽座、角座が空襲焼失。 |
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14日 |
沖縄攻略の米軍先陣第58機動部隊、ウルシー島を発進する。 |
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米機B29、大阪を空襲する(13万戸焼失)。 |
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15日 |
大都市の母子学童に疎開強化。 |
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17日 | 硫黄島の日本軍玉砕。戦死23000、生存者212。米軍の死傷行方不明者24857。 | ||
18日 |
閣議、《決戦教育措置要綱》を決定する(国民学校初等科以外の授業を4月から1年間停止する)。 |
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米第58機動部隊、沖縄攻略の前哨戦として九州、瀬戸内海方面の日本軍基地を攻撃する(九州沖航空戦始まる)。 | |||
白梅隊、最初で最後の外出許可。 |
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19日 |
第6航空軍、連合艦隊司令長官の指揮下に入る。 |
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20日 |
大本営、《当面の作戦計画大綱》を発令し、沖縄作戦に重点を置くことを決定する。 |
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21日 | 小磯首相、最高戦争指導会議懇談会で繆斌を通じての日華和平実行案を提議する。これに対し重光葵外相が反対する。 | ||
23日 |
米機動部隊、沖縄本島の爆撃を開始する。 |
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師範学校女子部・県立第一高女生徒、南風原の野戦病院(球18803部隊)に入隊する(ひめゆり部隊)。 | |||
午前7時、第32軍は空襲警報を発令。警報は夕刻まで続く。 |
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24日 |
午前9時、米軍の戦艦以下30隻は南部地区に艦砲射撃を開始する。 |
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沖縄県立第二高女生徒、看護隊として富盛にある第24師団第1野戦病院(山3486部隊)へ入隊する(白梅部隊)。 | |||
私立積徳高女生徒55人、看護婦として豊見城にある第24師団第2野戦病院(山3487部隊)へ入隊する(積徳部隊)。 | |||
師範・各中学校の男生徒を鉄血勤皇隊および通信隊、女生徒を補助看護婦として部隊に配属する(〜4月5日)。 | |||
25日 |
沖縄県庁、那覇から首里へ移動、真和志村繁多川に地下壕を掘り戦時行政を始める。 |
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米軍、沖縄本島および慶良間列島への艦砲射撃を開始する。艦砲射撃の合間を縫って老幼婦女子の北部疎開が相次ぎ、主要道路は混乱する。 | |||
白梅隊員2名が除隊。 |
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座間味諸島で島民の集団自決あいつぐ(〜28日、358名)。 |
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26日 | ブルース少将の率いる米第77歩兵師団、慶良間列島の阿嘉島、慶留間島、座間味島へ上陸する。座間味島の住民172人が集団自決する。 | ||
連合艦隊、第10方面軍《天1号》作戦を発動する。 |
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米合同遠征部隊第51機動部隊司令官ターナー海軍中将、南西諸島海軍軍政府首席軍政官に任命される。 | |||
ローリングス提督指揮下の英第57機動部隊が先島地区を砲撃する。 |
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米第77歩兵師団により慶良間列島に最初の軍政府(陸・海合同)が設置される。 |
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米太平洋艦隊司令長官兼南西諸島軍政長官ニミッツ元帥、《海軍軍政府布告第1号》を公布し、慶良間列島における日本政府のすべての行政権を停止する。 |
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慶良間列島に秘匿されていた日本軍の海上挺進特攻艇は壊滅状態になる。 |
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沖縄県出身の伊舎堂用久大尉の率いる特別攻撃隊誠飛行隊の10機、八重山の白保基地から慶良間列島近海沖の米艦隊に《特攻》攻撃をかける。 |
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県立第三中学校生徒363人、県立農林学校生徒173人、県立工業学校生徒94人、私立開南中学校生徒81人、第32軍に動員され、それぞれ《鉄血勤皇隊》を編成して守備軍各部隊に配置される。 |
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26日 |
一家が空腹に耐え兼ね、継母が娘を殺害し、その肉を食べる事件が群馬県で発生。 |
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27日 |
米軍、渡嘉敷島に上陸する。久場島・安室島・阿波連島が攻略される。 |
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慶留間島で約40人の住民が縄で首を締めて集団自決する。 |
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沖縄県立水産学校の職員・生徒22人、第32軍の命を受けて《鉄血勤皇隊》を編成し、第32軍通信隊に配属される。 | |||
白梅隊員7名が除隊。 |
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28日 |
県立首里高女生徒61人、従軍看護婦として第62師団野戦病院に配属される(瑞泉部隊)。 |
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県立昭和高女生徒17人、従軍看護婦として第62師団野戦病院に配属される(梯梧部隊)。 |
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沖縄師範学校男子部生徒386人(教官も含む)は第32軍の命令により《鉄血勤皇隊》を編成し、第32軍司令部の直属隊として配属される。 | |||
那覇私立商業学校生徒99人、第32軍に動員されて《鉄血勤皇隊》を編成し、第44旅団通信隊および他の部隊に配属される。 | |||
渡嘉敷島で約400人の住民が、手榴弾、鎌、鍬などで集団自決する。 |
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29日 |
米機動部隊、沖縄本島への艦砲射撃を強める(1日約1000発)。 |
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県立第一中学校生徒371人および県立工業学校生徒数人、第32軍の命令で《鉄血勤皇隊》を編成し、配下の各部隊に配属される。 | |||
沖縄師範学校女子部生徒、県立第一高女生徒、南風原陸軍病院兵舎内で卒業式を行う。 |
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30日 |
米艦隊、港川方面に対し夜半から砲撃を開始する。 |
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運天港の日本軍魚雷艇基地、米軍機200機の攻撃を受け壊滅する。 |
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牛島第32軍司令官、沖縄本島北・中飛行場の滑走路の破壊を命じる。 |
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宮古島は空襲を受け、女学校・無線受信所・測候所などに被害を受ける。 |
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31日 |
米軍、慶良間列島の占拠を公式に宣言する。 |
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米第420野戦砲兵隊2個大隊、慶伊瀬島(チービシ)に上陸し、155ミリカノン砲(ロング・トム)16門を設置して、首里・那覇を砲撃する。 |
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第32軍司令部、老幼婦女子の北部疎開停止を命じる。 |
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4月 | 1日 |
ターナー海軍中将指揮の米第51機動部隊、早朝から沖縄本島中部の嘉手納・北谷海岸に上陸し、午前中に、北・中両飛行場を占拠する。 |
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米軍、改めて《海軍軍政府布告第1号》を公布し、沖縄における日本政府のすべての権限を停止して軍政を布くことを宣言する。 |
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ニミッツ元帥、《海軍軍政府布告第7号》を公布し、管理機関を設けて、土地・財産の収用を宣言する。 | |||
ラジオの放送時間が短縮され、番組も報道を主体にして簡略化される。 |
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沖縄新報社北部支社の社員、山中で陣中新聞を発行(〜7月3日)。 |
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2日 |
米上陸部隊、第一線師団の戦闘指揮所をすべて船上から陸上に移す。 |
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米第6海兵隊観測隊、沖縄本島北(読谷)飛行場の使用を開始する。 |
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3日 |
米第32歩兵連隊は上陸後初めての日本軍の本格的な抵抗を排除し、東海岸に進出、久場崎を占領する。 |
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米第10軍司令官バックナー中将、第3海兵軍団司令官ガイガー少将に対し予定を早め北部への進撃を命令する。 | |||
バックナー中将、沖縄首席軍政官に任命される。 |
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米軍、仲泊と石川を結ぶ線で沖縄本島を南北に分断する。 |
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地元在郷軍人で編成された第503特別警備工兵隊員約800人、米軍上陸以来の戦闘でほとんどが戦死する。 | |||
県立水産高の《鉄血勤皇隊員》の一部27人、恩納岳に布陣する北部守備隊《独立混成第44旅団第4遊撃隊)に配属される。 | |||
4日 |
第32軍司令官、早朝に攻勢案の実施を決定するが夜半にこれを中止する。 |
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米軍、北谷、島袋、宜野湾、大山の線まで進出。 |
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米機B29、240機で京浜方面を空襲する。 |
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5日 |
米軍の一部、名護の世富慶に上陸する。 |
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米海軍、読谷山村比謝に軍政府樹立。布告第1号を発令。 |
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第10方面軍参謀長、攻勢案実施に関し第32軍に命令電を発する。 |
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北谷村砂辺捕虜収容所の約1500人の住民、トラックで島袋収容所に移される。 |
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八重山郡の大舛久雄支庁長、支庁官舎で空襲を受け殉職する。 |
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小磯内閣が総辞職し、海軍大将鈴木貫太郎に組閣命令が下される。 |
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ソ連、日ソ中立条約を延期しない旨、通告する。 |
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6日 | 牛島第32軍司令官、配下の各部隊長に対し4月8日を期して総力を挙げて攻勢に転じる企画を説明する。 | ||
米軍、津堅島に上陸するが、日本軍の反撃で撤退する。 |
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連合艦隊司令部、《菊水1号》作戦を発動し、特攻隊を発進させる。一方、第2艦隊司令長官伊藤整一中将指揮下の戦艦《大和》(艦長有賀幸作大佐)以下の艦隊に沖縄出動を命じる。 |
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7日 |
第32軍、予定された8日からの攻勢案を再延期する。 |
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米軍、本部半島の湧川(今帰仁)に上陸する。 |
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沖縄へ進行中の戦艦《大和》を含む日本海上救援部隊、壊滅される。 |
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鈴木貫太郎内閣が成立する。日本各府県に憲兵隊配置。 |
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8日 |
船舶工兵隊第26連隊の西岡健次少尉指揮下の約50人(半数は糸満の漁夫)の決死隊、神山島に挺身斬り込み攻撃をかけ、大半が戦死する。 |
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第32軍の長参謀長、配下部隊に対し4月12日夜を期して夜間攻撃をかけることを命じる。 |
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大本営、《決号作戦(本土決戦)準備要綱》を下令する。 |
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米軍前線、西海岸内泊・牧港・東海岸津波を結ぶ線まで進攻。 |
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9日 |
米軍、中飛行場(嘉手納)の使用を開始する。 |
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米軍、本部半島の大半を制圧する。 |
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嘉数地区攻防戦開始。 |
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10日 |
米軍、津堅島に再上陸する(日本軍守備隊は激戦の後12日に撤退)。 |
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11日 |
米第24軍団、那覇方面への侵攻を開始する。 |
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12日 | 大本営、第32軍に対し沖縄本島北・中飛行場の奪回を命じる。しかし、第32軍の総攻撃は失敗に終わる。 | ||
ルーズベルト米大統領が死亡、後任にトルーマン副大統領が就任する。 |
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13日 | 牛島第32軍司令官、夜間攻撃をーの失敗により配下部隊に対し、《戦略持久》作戦に基づく防備の強化を命じる。 | ||
宇土武彦大佐指揮の国頭支隊の主陣地八重岳、米第6海兵師団の攻撃を受ける。 |
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米第10軍の管轄下に米海軍軍政府とは別個の軍政本部が設置される(読谷山村字比謝の北方1マイル地点)。 | |||
米第6海兵師団、沖縄本島最北端の辺土岬を攻略する。 |
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14日 |
米海軍軍政府部隊、陸軍駐留部隊に配属される。 |
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15日 |
米軍、水納島に上陸する。 |
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石垣島の日本海軍警備隊、米軍捕虜3人を処刑する(後に《石垣事件》として問題化する)。北部守備軍(宇土部隊)八重岳を放棄、羽地山に後退。 |
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日本軍、米軍に対し第3次航空作戦(《菊水3号》作戦)の《特攻》攻撃を行う。 |
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吉田茂、『終戦工作』のため憲兵隊に拘引される。 |
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16日 |
米第77歩兵師団、伊江島に上陸する。約7000人の日本軍守備隊は頑強に応戦する。 |
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《菊水3号》作戦が続けられ、約500機の特攻機が出撃する。 |
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18日 |
米従軍記者アーニー・パイル、伊江島で戦死する。 |
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米軍、伊江島飛行場の使用を開始する。 |
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米軍、本部半島を全部制圧。 |
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19日 |
米軍、首里外郭陣地(守備軍主力第62師団)に対し、第一次総攻撃を開始する。西方牧港、伊祖、中央嘉数、西原、棚原各高地、東方和宇慶、ウシクンダ高地を結ぶ線にて攻防戦展開。 |
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与那原、ナパーム弾による攻撃を受けて焼滅する。 |
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20日 |
牧港・伊祖付近の日本軍陣地が突破され、首里外郭防衛陣地の一角崩れる。 |
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21日 |
第32軍、嘉数地区を撤退し、首里防衛線が危うくなる。 |
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米上陸部隊司令官ブルース少将、伊江島の占領を宣言する。伊江島の犠牲者1500名のうち自決は機雷、手榴弾、カミソリ等で各グループごと行われる(700名?)。 |
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米戦艦、南北大東島を砲撃する(地元住民1500人を含む4706人が戦死)。 |
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22日 | 日本軍島尻地区守備隊(第24師団)と知念半島守備隊(独立混成第44旅団)の北方陸正面転用決定、米軍の総攻撃に対処。 | ||
ソ連軍、ベルリンに突入。 |
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23日 |
日本軍、嘉数・西原・棚原より仲間・前田の線へ撤退。 |
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24日 |
第32軍、首里周辺の非戦闘員に南部への移動を命じる。 |
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第32軍、第一線を仲間、前田、幸地の線まで撤退。 |
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25日 |
沖縄県庁、真和志村楚辺の壕から繁多川警察部の壕へ移る。 |
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米軍、2回目の総攻撃を開始する。首里防御陣の仲間・前田・幸地から小波津・我謝の地点にかけて日米両軍の攻防戦が展開される。 | |||
米軍、沖縄本島北部のほぼ75%を占拠する。 |
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連合国の全体会議がサンフランシスコで開かれる。 |
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座間味島では草木一切隊長の許可なく切った者は厳罰に処せられる。 |
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26日 |
米太平洋区域司令官ニミッツ提督、宮古島の攻略作戦を中止する。 |
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鈴木首相、ラジオ放送を通じて、沖縄の現地軍将兵および官民に対し、《現地軍官民に告ぐ》との談話を発表する。 | |||
27日 | 緊急沖縄南部市町村長会議が、繁多川の警察部の壕内で開かれ、戦闘への住民の協力や食糧増産について話し合う。 | ||
米軍、西方前戦城間地区を占拠。 |
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沖縄県後方指導挺身隊編成。 |
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座間味島で朝鮮人軍夫10人余、食糧難のあまり逃亡を企て日本軍に銃殺される。 |
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日本軍特攻機115機、《菊水4号》作戦を行う(4月28日にかけて)。 |
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28〜30日、米海軍軍政府部隊、沖縄本島東方海上の伊計島・平安座島・浜比嘉島・宮城島などを探索する。 |
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28日 |
ムッソリーニ(61)銃殺される。 |
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首里高女の創立記念日。 |
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29日 |
天長節。 |
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30日 |
ヒットラー(56)がベルリンの地下壕内で自殺。後継総統に、デーニッツが就任(5月1日)。米軍政府、島嶼司令部の直轄下で全機能を果たすことになる。 |
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末 |
白梅隊員5名、新城分院に軍医・衛生兵・看護婦と共に派遣される。 |
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5月 | 2日 |
英軍、ラングーンを占領する。 |
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2日 |
連合国軍、ベルリンを攻略する。 |
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初 |
白梅隊員5名、上の壕(手術場)勤務となる。 |
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白梅隊員5名、東風平分院に派遣される。 |
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3日 |
《菊水5号》作戦による第5次の《特攻》攻撃を行う。 |
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4日 |
第32軍、全戦線にわたって総攻撃を開始する。西海岸から船舶工兵第26連隊主力による逆上陸部隊を大山付近の米軍の背後に送り込み、東海岸から船舶工兵第23連隊と海上挺進第27戦隊の約500人を津覇の米軍の背後に送り込むが失敗する。 |
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ローリングス中将指揮の英太平洋艦隊(第57機動部隊)、宮古島を砲撃する。 |
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5日 |
第32軍の総反攻が失敗し、午後3時、攻撃は中止される。 |
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《軍事特別措置法》が施工される。 |
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6日 |
島田県知事を長とする《沖縄県後方指導挺身隊》が編成される。 |
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7日 |
米軍占領下の石川に初の学校、城前初等学校が開校する。 |
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8日 |
大本営、第5方面軍に対し対ソ作戦準備を下令する。 |
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ドイツ軍、ベルリンで連合国への無条件降伏文書に調印する。 |
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トルーマン、日本に無条件降伏を勧告する。 |
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9日 |
日本政府、ドイツの降伏にかかわらず、日本の戦争遂行の決意は不変と表明する。 |
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首里攻防戦始まる。白梅隊員は24時間勤務状態となる。 |
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10日 |
米軍、伊江島に出撃基地を建設する。 |
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米軍前線、安謝・沢岻・幸地・小波津・我謝の線まで拡大。 |
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米軍、安謝川を渡って那覇への進撃を開始する。 |
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米機動部隊の一部、大東島を砲撃する。 |
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《菊水6号》作戦を行う。 |
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11日 |
米軍、第32軍の本拠地首里陣地の包囲隊形を整える。 |
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米第10軍、首里防衛線を撃破するため総攻撃を開始する。 |
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12日 |
米軍、鳥島を占領する。 |
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米軍、安里北側の52高地(シュガー・ローフ)に進出し、守備軍との間で激しい攻防戦を繰り広げる。 | |||
14日 |
第32軍、経塚・沢岻の陣地から後退し、首里に戦線を収縮する。 |
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米軍、那覇の安里に侵入する。 |
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最高戦争指導会議、対ソ交渉方針を決定する(終戦工作が始まる)。 |
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400機のB29、名古屋市を爆撃。焼失二万戸。名古屋城も炎上。 |
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17〜21日、日本守備軍、石嶺を死守する。運玉森を中心とする戦闘展開。 |
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18日 |
米第6海兵師団、10日間の攻防戦の末、《シュガー・ローフ》陣地を攻略する(米軍2662人の死傷者と1289人の戦闘恐怖症患者を出す)。 |
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伊江島村民、米軍により慶良間列島の渡嘉敷島と慶留間島へ強制移住させられる(渡嘉敷島へ1700人、慶留間島へ400人)。渡嘉敷島では西側の友軍陣地と東側の米軍陣地の間の字渡嘉敷に押し込まれ、夜は流れ弾あり。 |
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19日 |
米軍、天久台地区を占領。 |
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22日 |
第32軍、首里を放棄し、南部喜屋武方面へ後退することを決定する。 |
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《戦時教育令》が公布され、全学校や職場に学徒隊が結成される(10月5日に廃止)。 |
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米軍、安里河渡河、那覇市街に侵入。 |
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この日から28日まで豪雨が続き、米軍戦車などの行動にぶる。 |
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24日 | 奥山道郎大尉の指揮する義烈空挺隊員約120人、沖縄本島北・中飛行場へ強行着陸し、奇襲攻撃をかける。27日まで奮戦を続け、全員玉砕する(一時、米軍の北飛行場の使用が不能になる)壕内で発行されていた新聞『沖縄新報』が発行を停止する。 | ||
沖縄県庁、繁多川の壕から東風平村志多伯の野戦重砲隊の壕へ移る。 |
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《菊水7号》作戦を行う。 |
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B29の東京大空襲で皇居炎上。3月10日の大空襲で焼け残った東京山手一帯が罹災。 |
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25日 |
第62師団、南部へ撤退開始。 |
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米軍先鋒、与那原へ突入。 |
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島田沖縄県知事・荒井警察部長、識名の壕から南部へ後退する。 |
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大本営、沖縄作戦を見切りをつける。 |
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第6航空軍、連合艦隊司令長官の指揮下から除かれる。 |
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《菊水8号》作戦を行う。 |
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東京大空襲(市街地の大半を焼失)。歌舞伎座、他映画館多数も焼失。 |
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26日 |
南風原の野戦病院、真壁村に移動。 |
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27日 |
第32軍司令部、首里から津嘉山へ撤退。県庁、志多伯の壕を出て南下。 |
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高嶺村与座の山部隊司令部で県警察署長会議が開かれ、地元住民を弾薬や糧秣を運搬させることについて協議を行う。 | |||
海軍記念日。 |
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28日 |
戦災にあった東京の五大新聞は共同で印刷する事となり『共同新聞』の標題を加える。 |
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30日 |
第32軍司令部、津嘉山を経て摩文仁へ移動。 |
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第10方面軍、先島方面守備部隊を管轄下におく。 |
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31日 |
第24師団と独立混成第44旅団の残置部隊、首里戦線から撤退する。 |
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第32軍司令部の所在地首里、完全に米軍の手中に陥る。米軍、首里城に星条旗を翻す。 |
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6月 | 1日 |
米スティムソン委員会、日本への原爆投下を全会一致で大統領に勧告する。 |
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2日 |
宮古島で戦備令が下され、独立混成第59旅団、伊良部島から平良町へ移動する。 |
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宮古島では米空挺部隊降下の情報が流れる。 |
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石垣島で戦局の逼迫に伴い官民に非難命令が下され、非戦闘員は山野に避難する。 |
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3日 |
米第8海兵連隊の第2・第3大隊、伊平屋島に上陸する。 |
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沖縄県後方指導挺身隊、解散となる。 |
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日本特攻部隊《菊水9号》作戦を行う。 |
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新城分院と東風平分院が閉鎖され、軍医・衛生兵・看護婦と共に、白梅隊員も山第一野戦病院本部壕に引き上げる。 | |||
4日 |
第32軍主力部隊、喜屋武・摩文仁地区への撤退を完了し、新配備につく。 |
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米軍、伊平屋島の占領を宣言する。 |
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シェファード少将指揮の米第6海兵師団、小禄半島に上陸する。 |
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富盛の第24師団第一野戦病院は糸満市国吉へ後退決定。白梅隊員に解散命令下る。学徒は各自で行動して知念半島へ脱出せよと言われる。 |
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5日 |
第32軍主力、喜屋武・摩文仁地区に撤退完了。 |
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真栄平集落で逃避行中の白梅隊員11名が合流。米田軍曹と行き会い、国吉の病院壕へ誘われるが断りグループ行動を選ぶ。 | |||
6日 |
米軍、那覇飛行場を占領する。 |
||
沖縄方面根拠地隊司令官大田実海軍少将、海軍次官宛に訣別電報を打つ。 |
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第32軍参謀神直道少佐、大本営への連絡のため地元の漁夫6人を伴い国頭からくり舟で出発する。 |
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天皇臨席の最高戦争指導会議、《今後採るべき戦争指導の基本大綱》の《本土決戦方針》を採択する。 | |||
7日 |
米第1海兵師団、糸満北方の西海岸に侵攻し、第6海兵師団と協力して日本海軍部隊(沖縄方面根拠地隊)を南部の第32軍から孤立させる。 |
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旧琉球王家の尚順男爵一族の3人、摩文仁の軍司令部壕に立ち寄る。 |
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両国国技館の戦災で延期していた大相撲は明治神宮で奉納大相撲と名を変え7日間の野外興業。 |
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8日 |
台湾在駐の第10方面軍司令官、第28師団長納見敏郎中将に対し、迎撃態勢の完備を命じる。 |
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第87臨時議会が招集される。 |
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9日 |
米第8海兵連隊の第1大隊、粟国島へ上陸し、その日のうちに占領する。 |
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日本雷撃機隊が伊江島飛行場の米軍を攻撃する。 |
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第32軍司令部付森脇弘二大尉、沖縄作戦報告のため大本営へ向かう(7月14日、任務達成)。 |
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白梅隊員16名が国吉に後退した山第一野戦病院壕に合流。再び、病院勤務に就く。 |
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10日 |
真壁の波平で榴散弾を受けて白梅隊員9名が重軽傷を負う。 |
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米軍司令官バックナー中将から日本軍司令官牛島中将に対する降伏勧告(空中から書簡落とす)。 |
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この頃から友軍兵士は中部・首里・那覇からの避難民、南部の地元民を『作戦のため』と称して壕から追い出し、住民は弾雨にさらされ犠牲者急増。 | |||
11日 |
米第10軍司令官バックナー中将、渉外班の1隊に日本軍と休戦を打ち合わせる権限を与え、午後5時すべての射撃を止めて日本軍へ降伏を呼びかけるとともに、第32軍司令部に降伏勧告状を送る。 |
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米軍先鋒、糸満・与座・八重瀬岳・具志頭の線に進出。 |
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12日 |
大本営陸軍部、第6航空軍の重爆撃機4機で兵器類を第32軍のために投下させる。 |
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13日 | 大田実海軍少将指揮の沖縄方面根拠地隊、小禄地区で玉砕、大田司令官は幕僚らと司令部壕内で自決する。 | ||
ジェファード米第6海兵師団長、ガイガー海兵師団長に小禄半島日本軍守備隊の組織的抵抗が終わった旨、報告する。 | |||
《国民義勇戦闘隊》結成のため、大政翼賛会および傘下諸団体が解散される。 |
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15日 | 沖縄から脱出して本土に渡った第32軍の神直道参謀、大本営作戦室で梅津美治郎参謀総長以下作戦部員に沖縄の戦況を報告する(この頃すでに大本営は沖縄戦にかかわる《天号作戦》を打ち切り、《決号作戦》と称する本土決戦準備に移行している)。 | ||
米軍島嶼司令部により、最初の軍事委員会が設置される。 |
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16日 |
米第96歩兵師団の第一線部隊、与座岳を攻略する。 |
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17日 |
牛島第32軍司令官、初めて米上陸部隊司令官バックナー中将からの降伏勧告を受け入れ拒否する。 |
||
米第7師団の兵士が携帯用のラウドスピーカーで、喜屋武・摩文仁一帯の日本軍や地元住民に降伏を呼びかける。 | |||
18日 |
第32軍司令部、学徒隊の解散を命ずる。 |
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島田沖縄県知事、荒井警察部長を伴い摩文仁の守備軍司令部壕に入った後、消息を絶つ。 |
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仲座方面に布陣する独立混成第44旅団の主陣地が米軍に突破され、旅団は摩文仁の89高地に撤退する。 | |||
第62師団長、軍司令部命令により、参謀長以下を伴い山城から摩文仁に移る。 |
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第32軍司令官牛島中将は参謀次長および第10方面軍司令官あてに訣別電報を打つ。 |
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米第10軍司令官バックナー中将、戦闘状況を視察中、真栄里田原屋取りで戦死する。 |
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19日 |
沖縄師範学校女子部生徒・県立第一高女生徒から成る《ひめゆり部隊》の隊員35人と教師5人、看護婦10人、炊事婦4人、衛生兵1人、民間人7人が米須の壕(第三外科壕)で戦死する。 |
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組織的戦闘不可能となり、第32軍司令部最後の命令下達。 |
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第32軍司令部、《鉄血勤皇隊》を解散させる。 |
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第10方面軍司令官安藤利吉大将、第32軍および配属部隊に対し感謝状を授与する。 |
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第32軍の八原博通高級参謀以下約20人の軍司令部将兵、大本営への連絡や遊撃戦の任務を受けて司令部洞窟から出る。 | |||
米第3海兵軍団長のガイガー少将、バックナー中将の後任として、第10軍司令官に任命される。 |
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20日 |
真壁高地付近を防備する第24師団長雨宮巽中将、組織的抵抗が不可能になったことを認めるとともに《陣地を守り、最後の1兵まで戦え》と配下将兵に訓示する。 |
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米軍心理作戦部隊、沖縄南部の海上から上陸用舟艇で、日本守備軍および住民に対し再度降伏を呼びかける(約800人の将兵と4000人の住民が降伏する)。 |
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21日 |
日本航空部隊、《菊水10号》作戦を行う。 |
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米第10軍司令官、沖縄管理の責任を島嶼司令部に移す。 |
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陸軍大臣・参謀総長、牛島第32軍司令官に対し連名で《貴軍の忠誠により本土決戦の準備は完了した》旨の訣別電報を送る。 | |||
ホッジ軍団長指揮の米第24軍団、沖縄守備軍最後の拠点の81高地(真壁)と89高地(摩文仁の守備軍司令部の所在地)を占領する。 | |||
米第10軍司令官ガイガー中将、午後1時5分、米軍が沖縄を確保した、と発表する。 |
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第32軍残存兵力と学徒隊による最後の総攻撃、戦死者多数。 |
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国吉の下の壕が米軍に馬乗りされる。白梅隊員6名、兵隊11名が死亡。 |
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22日 |
摩文仁の守備軍司令部付近の防衛に当たっていた第62師団長藤岡武雄中将、参謀長以下の幕僚と自決する。歩兵第63旅団長中島徳太郎中将も沖縄戦に見切りをつけ自決する。 |
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米第10軍司令部、沖縄戦に参加した全部隊の代表者を集め、《氷山》作戦の終結を公式に宣言し国旗掲揚式を行う。 | |||
内閣に独裁権限を付与する《戦時緊急措置法》を公布する。 |
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国吉の上の壕も米軍に馬乗りされ、白梅隊員2名が死亡、4名が重軽傷。 |
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天皇、最高戦争指導会議の構成員に和平の意志を表示。 |
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《義勇兵役法》が公布される(15歳以上60歳以下の男子、17歳以上40歳以下の女子を国民義勇戦闘隊に編入する)。 | |||
23日 |
午前4時30分、牛島満司令官と長勇参謀長、摩文仁の司令部洞窟出口付近で自決する。 |
||
旧真壁村字真栄平中央部は米軍戦車が入れず、なおも交戦。 |
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25日 |
大本営、沖縄戦における日本軍の組織的作戦の終結を発表する。 |
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26日 |
米軍久米島上陸(30日まで占領)。 |
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《国民義勇戦闘隊統率令》が公示される。 |
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29日 |
久米島の日本海軍守備隊、スパイ容疑で地元住民9人を虐殺する。 |
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30日 |
米軍、南部における掃蕩戦完了。 |
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6月 |
東京、浅草の国民酒場は酒(二等酒)1合1円10銭、つまみ45銭、税金45銭で長蛇の列を作っていた。 |
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6〜7月 |
各地で日本軍による虐殺事件あいつぐ(スパイ嫌疑)。 |
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7月 | 2日 |
米第24軍団と第3水陸両用部隊配下のすべての軍政要員は島嶼司令部に移される。 |
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2日 |
米軍、琉球作戦終了を宣言。 |
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2日 |
護郷隊解散。 |
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3日 |
米海兵隊大佐ムーレー、ウィリアム・クリスト准将に代わって軍政副長官に就任する。 |
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10日 |
ソ連に和平斡旋のための特使派遣を決定。18日、ソ連は斡旋を拒否。 |
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11日 |
主食の配給1人1日2合1勺に(1割減配)。 |
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16日 |
米国、ニューメキシコで最初の原子核爆発実験に成功する。 |
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17日 |
米・英・ソ首脳、ポツダムで会議を行う。 |
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20日 |
米議会委員会のメンバー、沖縄を訪れる。 |
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24日 |
第32軍高級参謀八原博通大佐、米軍の捕虜となる。 |
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26日 |
米軍政府、地元住民に戦後初の新聞『うるま新報』を創刊させる。 |
||
連合国、対日ポツダム宣言を発表する。 |
|||
27日 |
最高戦争指導会議、ポツダム宣言の取扱方針について決定する。 |
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28日 |
鈴木首相、記者団に対しポツダム宣言を黙殺し、戦争遂行のため邁進する旨、声明する。 |
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30日 |
沖縄県立石川高等学校が開校する。 |
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佐藤駐ソ大使、ソ連に条件付和平の斡旋を依頼する。 |
|||
31日 |
米第10軍琉球区域司令官スティルウィル大将、首席軍政官に就任する。 |
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米軍島嶼司令部、陸軍兵站司令部Iとなる。 |
|||
米陸軍駐留部隊、陸軍兵站司令部Iに統合される。 |
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8月 | 1日 |
米海軍軍政府教育部に沖縄教科書編集所が設置される。 |
|
たばこの配給、1日5本から3本に削減される。 |
|||
2日 |
連合国、ドイツに関するポツダム議定書を発表する。 |
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4日 |
米軍、沖縄本島北部における掃討戦を終える。 |
||
6日 |
午前8時15分、米機B29、広島に原子爆弾を投下する(死者20数万人)。 |
||
8日 |
ソ連、日本に対し宣戦を布告し、北満州・朝鮮・樺太に侵攻を開始する。 |
||
9日 |
米機B29、長崎に原子爆弾を投下する(死者12万数千人)。 |
||
御前会議が開かれ、10日午前2時半《国体護持》を条件にポツダム宣言の受諾を決定し、政府は中立国のスウェーデンとスイスを通じて連合国へ申し入れる。 |
|||
12日 | 連合国、日本政府の降伏条件に対し回答する公電を送るが、《国体》については、直接の言及を避ける。 | ||
山口県田布施町、北村サヨ『踊る宗教(天照皇大神宮教)を開教。 |
|||
13日 | 米西部太平洋陸軍部隊司令官、陸軍兵站司令部Iの司令官に対し、米将兵と地元女性との結婚を許可する権限を委任する。 | ||
14日 |
御前会議、無条件降伏を決定し、中立国を通じて連合国へ申し入れる。 |
||
仁科芳雄ら、広島投下の爆弾を調査し『原子爆弾』と発表。 |
|||
15日 |
天皇、戦争『終結の詔書』をラジオから放送する(第二次世界大戦終わる)。 |
||
戦没者・軍人155万人余、市民30万人(事実は推定300万人)。 |
|||
文化財の戦災による被害、名古屋城、徳川家康廟など293、史跡名勝・天然記念物44、重要美術品134件など(21年文部省発表)。 | |||
沖縄各地区代表約120人が石川に集まり、沖縄諮詢会設立について協議する。 |
|||
鈴木内閣が総辞職する。 |
|||
阿南惟幾陸相、自決する。 |
|||
陸軍の一部将校、戦争終結阻止の反乱を起こすが鎮圧する。 |
|||
17日 |
東久邇宮稔彦内閣が成立する。 |
||
インドネシア共和国、独立を宣言する。 |
|||
18日 |
久米島の日本海軍守備隊、スパイ容疑で地元の仲村渠明勇親子3人を虐殺する。 |
||
内務省、地方長官に占領軍向けの性的慰安施設設置を指令。27日より各地に設立。 |
|||
20日 |
久米島の日本海軍守備隊、スパイ容疑で地元在住の朝鮮人、谷川昇一家7人を虐殺する。 |
||
河辺虎四郎中将ら日本側全権委員、マニラで連合国司令部から降伏文書・一般命令第1号を受領し、翌日帰国する(途中、沖縄に立ち寄る)。 | |||
沖縄各地区代表124人による連記投票で諮詢委員15人を選出する。 |
|||
22日 |
天気予報のラジオ放送再開。 |
||
列車事故続発(肥薩線、八高線)。 |
|||
25日 |
宮古島守備隊、戦闘行為の停止を命じられる。 |
||
26日 |
《終戦連絡中央事務局管制》が公布され、岡崎勝男が長官に任命される。 |
||
28日 |
閣議、《言論出版集会結社等臨時取締法》を廃止する。 |
||
東久邇宮首相、初の記者会見で国体護持・全国民総懴悔を強調する。 |
|||
連合軍の先遣部隊、厚木飛行場に到着する。 |
|||
連合国総司令部(GHQ)、横浜に設置される。 |
|||
29日 |
沖縄本島南部の国吉・真栄里付近の守備に当たっていた第24師団歩兵第32連隊(連隊長北郷格郎大佐)の将兵約300人、米軍の武装解除に応じ投降する。 |
||
米国務・陸軍・海軍の3省調整委員会、《降伏後における米国の初期の対日方針》の概要をマッカーサー連合軍最高司令官に通報する。 | |||
30日 |
宮古島日本軍守備隊、島内各学校の《御真影》を野原岳の洞窟司令部で焼く。 |
||
連合軍総司令官マッカーサー元帥、厚木到着。 |
|||
8月 |
米軍戦の責任は、海軍から陸軍へ移る(初旬)。 |
||
米軍政府、東恩納に沖縄博物館を設置する。 |
|||
9月 | 1日 |
宮古島の現地徴集将兵、招集解除になる。 |
|
国民学校、授業再開。 |
|||
東京劇場、戦後初興行(猿之助一座で『黒塚』他)、大阪歌舞伎座、京都南座も開場。 |
|||
2日 |
政府、米艦ミズーリ号上で降伏文書に調印する(全権重光葵外相と梅津美治郎大将)。 |
||
GHQ指令第一号(陸海軍解体など)。 |
|||
4日 | 沖縄本島南部の第24師団歩兵第32連隊第2大隊(大隊長志村常雄大尉)の残存将兵、伊東孝一大尉の勧告で、米軍に収容される。 | ||
5日 |
文部省、学徒動員局を廃止し、科学教育局、体育局を設置する。 |
||
6日 | トルーマン米大統領、《降伏後における米国の初期の対日方針》を承認し、マッカーサーにその実施を指令する。 | ||
7日 |
先島群島司令官納見敏郎中将・奄美群島司令官加藤唯男海軍少将および高田利貞陸軍少将、嘉手納の米琉球兵団(第10軍の後身)司令部で南西諸島の全日本軍を代表し、米軍司令官スティルウェル大将との間で無条件降伏文書に調印し、沖縄戦は公式に終結する。 |
||
9日 |
NHK、軽音楽・歌謡曲を戦後初放送。 |
||
11日 |
GHQ、東条ら戦犯逮捕を指令(東条自殺未遂)。 |
||
15日 |
『日米会話手帳』発行(400万部の大ベストセラーとなる。 |
||
GHQ、東京日比谷の第一生命相互ビルを本部とする。 |
|||
17日 |
枕崎台風(死者、行方不明者2400人)。 |
||
26日 |
復員第1号船高砂丸で1700人がメケヨン島から別府に帰国。 |
||
27日 |
天皇、GHQ本部にマッカーサー元帥を訪問する。 |
||
9月 |
各地に闇市、青空市場氾濫。 |
||
10月 | 4日 |
GHQ、治安維持法廃止・政治犯釈放・天王制批判自由などの覚書を交付。 |
|
10日 |
政治犯約3000人を釈放。 |
||
11日 |
GHQ、憲法民主化を示唆し、五大改革(男女同権、労働組合結成奨励、教育民主化など)。 |
||
映画『そよ風』主題歌『りんごの歌(並木路子)』大流行。 |
|||
20日 |
共産党機関紙『赤旗』再刊。 |
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11月 | 2日 |
日本社会党結成(書記長片山哲)。 |
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6日 |
柔道・剣道などの授業禁止。 |
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9日 |
日本自由党結成(総裁鳩山一郎)。 |
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12月 | 9日 |
GHQ、農地改革を指令。 |
|
NHK、『真相はこうだ』放送開始。 |
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31日 |
修身・地理・歴史科の授業停止。 |
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・メチルアルコールで死者続出。 |
|||
・食糧危機が深刻化。 |
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・流行歌『同期の桜』『ラバウル小唄』『勝利の日まで』『りんごの歌』『お山の杉の子』 |
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・GHQ、戦争記録映画を接収。 |
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・外国映画『無防備都市(伊)』 |