沖縄の酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲


長編推理小説「インプロビゼーション」「蒼ざめた微笑」の続編です。あの事件から8年後の2006年の3月、私立探偵日向勝俊のもとにパリに留学しているはずの竹中冬子から電話があります。沖縄にいる友人の恋人が行方不明になったので捜してくれと頼まれ、沖縄に飛ぶ日向。連日、世間を騒がせている無差別連続殺人事件の犯人の仕業なのか? 地元の女性探偵と共に戦跡を巡りながら調査を進めて行くうちに、日向は沖縄戦の悲惨さを思い知る事になります。最新作をお楽しみ下さい。



ギュスターヴ・モロー「ヘロデ王の前で踊るサロメ」





目次


01.なごり雪

その年の三月は野球の話題で持ち切りだった。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の第一回大会が行なわれたのだ。王監督率いる日本チームがどこまでやるのか、イチローがどんな活躍をするのか、誰もが期待の目をしてテレビ中継にかじりついていた。

02.無差別連続殺人事件

雪は夜のうちにやんで、今日はいい天気になりそうだった。それでも寒い朝だった。三月も半ばになるというのに、冬に逆戻りしてしまったようだ。いつものように『ティファニー』に行って、モーニングセットを注文した。

03.初めての沖縄、楽しみじゃ

事務所があるビルの中は冷え冷えとしていた。鍵を掛けていない事務所のドアを開けると、ちょっとした待合室がある。くたびれた長椅子が二つ横に並び、古い雑誌と汚れた灰皿が乗ったテーブルがあるだけの殺風景な細長い部屋だ。

04.津軽海峡冬景色

静斎が予約してくれた沖縄行きのビジネス・クラスに乗って、ビールを軽く飲みながら快適な空の旅を楽しんだ。私は機内に持ち込める小さなボストンバッグ一つだが、静斎は大きなスーツケースを持って来ていた。まるで、沖縄に一ヶ月も滞在するような勢いだ。

05.悲しみよこんにちは

静斎の荷物が出て来るのを待って、手荷物受取所から到着ロビーに出た時には六時近くになっていた。冬子が待っているはずなのにどこにも見当たらない。まだ来ていないのかときょろきょろしていると、「メンソーレー」と誰かが声を掛けて来た。 

06.なんた浜で作戦会議

最上階にあるバーのカウンターで一人、バーテンと話をしながら泡盛を飲んでいた静斎を誘ってホテルを出た。近くにうまい沖縄料理を食べさせる居酒屋があるので、そこに行くという。『なんた浜』という名の居酒屋は観光客らしいお客で賑わっていた。

07.泡盛と塩せんべい

ホテルの部屋は八階だった。冬子たちの部屋は五階だという。エレベーターで別れて、私は静斎と部屋に向かった。静斎は帰る途中にあったコンビニで買った泡盛をぶら下げている。私としてももう少し飲みたい気分だった。

08.沖縄戦とガマ

静斎が風呂に入っている間、私は冬子が調べた事が書いてあるファイルを見ていた。まず、冬子たちが真一を捜し回った場所が書いてあった。 どこにあるのか知らないが、戦跡を巡ったらしい。

09.長崎の美人女子大生

私が目を覚ました時、静斎はいなかった。時計を見ると六時半を過ぎていた。窓の外はもう明るくなっている。私はベッドから出ると熱いシャワーを浴びた。シャワーから出ると静斎はテレビを見ながら缶コーヒーを飲んでいた。

10.五人の兵隊と三人の女学生

ホテルから外に出ると青空が眩しかった。昨日まで、寒い寒いと震えていたのが、まるで嘘のようだ。静斎は壷屋まで瑠璃子に送ってもらうと言う。私はみどりの運転する赤いマーチに乗り込み、田島真一のアパートを目指した。

11.悲風の丘

「あの丘が黄金森です」とみどりが正面に見えて来たこんもりとした丘を示しながら言った。真一の母親と妹と別れて、真一のアパートを出たのは十一時頃だった。観光地図を眺めながら、どこに行こうか悩んでいたら、陸軍病院跡に行こうとみどりは言った。

12.ある一等兵の手記

みどりに勧められて食べたソーキそばはうまかった。ソーキというのは骨の付いた豚のあばら肉で、これが柔らかくて軟骨がうまく、スープもダシが効いていて本当にうまかった。みどりが食べた沖縄そばにはラフティーと呼ばれる皮つきの豚肉が乗っていた。明日は沖縄そばを食べてみよう。

13.ひめゆりの塔

川上伍長はリゾートホテル・リュミエールの会長だった。自宅は恩納村にあるホテルの近くにあるとみどりは言った。みどりが電話をして、祖母の事で聞きたい事があるので会いたいと言うと承諾してくれた。今、那覇にいると言ったら、四時にホテルの方に来てくれと言った。ここからそのホテルまでは一時間位で行けるという。

14.劇的な出会い

第一外科壕はひめゆりの塔から大して離れていなかった。国道から細い道に入ってすぐの所にあり、こんもりと木が茂っているだけで、知らなければ通り過ぎてしまうだろう。賑わっていたひめゆりの塔とは対照的に誰もいなかった。

15.リュミエールホテルの支配人

道路が混んでいて、ナハパレスに着いたのは六時四十分だった。途中、何回か中山淳一に電話してみたが通じなかった。フロントに確認すると淳一は外出中で、ルームキーを預かっているとの事だった。

16.行方不明の女子大生

スヴニールホテルに帰るとカメラマンの比嘉安治が首を長くして待っていた。真一のパソコンが開けられたという。しかし、新しいガマの事はどこにも書いてなかったらしい。

17.ハイサイおじさん

気温は暖かいが、今日は曇っていた。今にも雨でも降りそうな雲行きだ。私は冬子と一緒に川上会長のリゾートホテル・リュミエールに向かっていた。車内には冬子のお気に入りだというリー・モーガンの『キャンディ』が流れていた。

18.テーゲー

とうとう雨が降って来た。私と冬子は来た時と同じ道を那覇へと向かっていた。BGMはジャズではなく、ネーネーズだった。

19.アブチラガマ

冬子が気を利かせて買って来た弁当を食べた後、私と冬子と静斎はみどりの案内で、近くにあるアブチラガマに入ってみた。ガマというのがどんなものなのか体験してみる必要を感じたからだった。

20.モンスター

第一外科壕跡はまだ、それ程の人だかりになっていなかった。三台のパトカーと与那覇警部と津嘉山刑事の車、それに瑠璃子たちの車が並んでいるだけで、鑑識課とかの警察車両も報道関係の車もまだ来ていなかった。那覇から来るとなると一時間近く掛かる。これから、すごい賑わいになる事だろう。

21.南国フルーツ入り杏仁豆腐

今日の正午、日本対韓国の試合が行なわれ、日本は2対1で敗れてしまった。日本は一勝二敗となって、自力ではもう準決勝に出る事は不可能になった。明日、アメリカ対メキシコの試合がある。もし、メキシコが勝てば日本、アメリカ、メキシコの三チームが一勝二敗で並び、失点の少ないチームが準決勝進出という事になるが、奇跡でも起きない限りアメリカがメキシコに負ける事はないだろう。日本のWBCはこれで終わってしまった。まったく、なんてこった。

22.犯行に使われた車

轟の壕はひめゆりの塔から北西に三キロ程行った所に大きな口を開けていた。全長が一キロ以上もあり、地下水が流れていて、沖縄戦の時には千人近くもの人たちが隠れていたという。当時、県知事として島民のために活躍した島田知事も一時、避難していたらしい。

23.名城ビーチで弁当を

名城ビーチは人影もなく静かだった。夏になれば大勢の観光客で賑わうのだろう。ビーチパラソルが並んで、浮き輪を持ったビキニ姿の娘たちは黄色い声を挙げ、サーフパンツの若者たちは目を輝かせてひと夏の恋を捜し回るのだろう。今は波の音だけが心地よく響いていた。

24.とぼけた顔のシーサー

スヴニールホテルに寄って、みどりから真一のアパートの部屋の鍵を借りて、汚れているつなぎを着替えた。静斎はいなかった。みどりに聞くとお昼を食べた後、散歩に出かけたらしい。鹿児島は沖縄より寒いので、一応、コートも持って行く事にした。冬子も一緒に鹿児島に行くつもりなのか、茶色い革ジャンを着ていた。私は何も言わなかったが、冬子を連れて行くつもりはなかった。

25.モローのサロメ

私は五時発の鹿児島行きの飛行機に乗っていた。鹿児島行きは一日に三便しかなく、五時の便に間に合わなければ、明日の十時まで待たなくてはならなかった。

26.アイドルを探せ

飛行機から降りた途端に冬子の携帯が鳴った。着メロはシルヴィ・バルタンの『アイドルを探せ』だった。シルヴィ・バルタンは相変わらず、パリでは人気があるようだ。思った通り、静斎からの電話だった。冬子はこっぴどく怒られ、私は「何もしません」と八百万(やおろず)の神様に誓わなければならなかった。

27.マイルス気取り

与那覇警部は那覇に移った連続無差別殺人事件特別捜査本部に連絡して家宅捜索の許可を得ると、さらに、鹿児島県警に連絡して鑑識科を呼んだ。警部が捜査手続きをしている間、私と冬子は家の周りを一回りしてみた。玄関は勿論の事、勝手口も縁側に面した雨戸もすべて鍵が閉まっていた。

28.バードランドの子守歌

野次馬たちからの聞き込みは思っていた以上の成果が得られた。まず、直樹の妹、優子が亡くなったのは直樹が七歳、優子が五歳の時の夏休みだった。池田湖で遊んでいて優子が溺れたらしい。近所の人が見つけた時、二人とも裸で、直樹は泣きながら、ぐったりした優子を抱いていた。あの時は村中が大騒ぎになって、母親は狂ったように泣き叫んでいたという。

29.雨の朝マックで奇跡に祝杯を

鹿児島市のマクドナルドでエッグマックマフィンをかじりながら私と冬子はパソコンを見ていた。鹿児島市に着いたのは五時頃だった。街中をぐるぐる廻ったが開いている店はなかった。仕方なく城山公園に行って時間を潰し、オープンと同時にマクドナルドに飛び込んだ。考えてみれば、昨日、鹿児島行きの機内でサンドイッチを食べただけなので、腹がグーグー鳴っていた。

30.指名手配

静斎は那覇空港の石垣行きの搭乗口でちゃんと待っていた。私たちが近づくと渋い顔をして私たちをじっと見つめ、「本当に何もなかったんじゃな」と念を押した。「そんなのあるわけないじゃない」と冬子はちょっと無愛想に言った。「何もありませんよ」と私は穏やかに言った。「うむ」と静斎は渋い顔のままうなづいてから、私たちを見比べて安心したように笑った。

31.インプロビゼーション

波照間島に着くと予約した民宿の車が待っていた。二人の女子大生と一人旅の若者と一緒に私たちはその車に乗って民宿に直行した。和室の部屋に落ち着くと私は瑠璃子に電話をした。瑠璃子は出なかった。

32.南十字星

警察に電話をするとパトカーがやって来た。この島にもパトカーがあったのかと驚いた。島の巡査は私たちの話を聞くと目を丸くして驚いた。テレビで見た犯人が目の前にいる事が信じられないようだった。

33.深い闇の中から

田島真一は妹の百恵がいる那覇市立病院に入院していた。初めて会うわけだが、初対面と言う感じはなく、久し振りに会ったという感じがした。私が想像していた通りの男で、色が黒く、考古学者という印象だった。日本版のインディ・ジョーンズと言ったら言い過ぎかもしれないが、懐中電灯とロープを持って、真っ暗なガマの中に入って行く彼の姿はそんなイメージだった。

34.メモリーズ・オブ・ユー

私と冬子は恩納村のリュミエールホテルに向かっていた。車の中にはクリフォード・ブラウンのトランペットが流れていた。私にはそのトランペットの調べがやけに悲しく、葬送曲のように聞こえた。

35.トロピカル・カクテル

ホテルに帰ると静斎は出掛けたらしく、フロントに鍵が預けてあった。部屋に入ったら机の上に『バーで飲んでいる』と書き置きがあった。荷物を置いて、すぐにバーに行こうとしたが、私はWBCの事を思い出した。冬子に電話して、冬子の部屋に行き、冬子のパソコンで調べると日本は6対0で韓国に勝っていた。

36.君の瞳に乾杯

今頃、静斎は与論島に向かう船の中だろう。石垣島から波照間島に行った時の船旅が気にいったとみえて、五時間近くの船旅を楽しむという。冬子はみどりと一緒に真一の部屋を片付けているのだろう。私は我が家のこたつに入って、WBCの決勝戦を沖縄から買って来た泡盛を飲みながら観戦していた。

   
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