酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







02.無差別連続殺人事件




 雪は夜のうちにやんで、今日はいい天気になりそうだった。それでも寒い朝だった。三月も半ばになるというのに、冬に逆戻りしてしまったようだ。

 いつものように『ティファニー』に行って、モーニングセットを注文した。いつものように映画音楽を聴きながら、いつものようにタバコに火をつけ、いつものように新聞を読む。出張でどこかに行かない限り、あるいは二日酔いで寝坊しない限り、私の一日はここから始まる。

 「ティファニーで朝食を」と昔はしゃれて言っていたが、今ではそんなのは通じなくなってしまった。考えてみればオードリー・ヘップバーン主演のその映画が公開されたのは一九六一年で、今から四十五年も前の事だ。勿論、私も生まれてはいないが、ヘップバーンの映画はほとんど見ている。今の若い娘に「ティファニーで朝食を」なんて言ってみても、「宝石店で朝食なんて食べられないわよ」と言われるのが落ちだ。時は私の知らないうちにどんどん流れ、私は置いてき堀を食らってしまう。置いてき堀なんて言葉も死語かもしれない。

 新聞の一面に世間を騒がしている『連続無差別殺人事件』の記事が載っていた。私はむさぼるようにその記事を読んだ。

 宮崎県串間市の山中で昨日の昼過ぎ、死後五日前後と思われる女性の全裸死体が発見された。衣服や所持品は見つからず身元は不明。長い髪は茶色く染められ、年齢は二十歳前後。発見現場は林道から少し離れた谷底で、上から覗いてもわからない位置にあり、発見者の飼い犬によって見つけられた。

 知らない間にコーヒーがテーブルに置いてあった。カウンターの方を見るとママのミス・ホリーが忙しそうに働いている。『ゴッドファーザー』の愛のテーマが静かに流れていた。

 私は熱いコーヒーをすすりながら、また新聞に目を落とした。

 一月二十八日に伊豆山中で東京の女子大生が全裸死体で見つかったのを皮切りに、二月三日に島根県の山中で岡山のOL、二月九日に山口県の山中で大阪の男子大学生、二月十七日に鳥取県の山中で地元の女子高生、二月二十一日に徳島県の山中で姫路のOL、二月二十四日に愛媛県の山中で身元不明の男性と、皆、全裸の死体で発見されている。

 殺人の手口はどれも同じで、首を絞められて殺され、女性の場合は暴行され、男の場合は死体にいたずらをされている。被害者に共通点は見つからず、行き当たりばったりの犯行のように思えた。

 最初の伊豆の事件では被害者の女子大生は三日後に発見され、心配して捜し回っていた家族によって身元が確認された。

 二件目の島根県の事件では被害者のOLは翌日の朝に発見された。犯人はすぐに発見される事を望んでいたようで、死体は林道から見える位置に両足を投げ出して木に寄りかかるように置かれてあった。新聞やテレビは猟奇(りょうき)殺人と騒いだ。しばらく身元はわからなかったが、五日後に両親が岡山から出て来て確認された。

 二つの事件は被害者が首を絞められて殺されたのと、暴行を受けた形跡があるという共通点は見られたが、この時点で同一人物の仕業と思う者はいなかった。

 三件目の山口県の事件では被害者の男子大学生は翌日の朝、発見される。首を絞められて殺されたのと全裸で発見されたのは前の二件と同じだが、暴行された形跡はなく、女性ではないという点で同一犯人の仕業とは断定できなかった。この大学生は鹿児島出身で、鹿児島にいる恋人に会うため、大阪からヒッチハイクをして鹿児島に向かう途中、事件に遭ってしまった。

 四件目の鳥取県の事件は今までの旅行者と違って地元の女子高生が殺され、三日目に発見されている。女子高生がいなくなったと村中で大騒ぎになって捜し回ったが見つからず、女子高生の住む村から二十キロ程離れた山中で発見された。手口は前の三件と同じで、この事件の後、同一犯人の仕業ではないのかと世間でも騒ぎ、『連続無差別殺人事件』と称されるようになる。

 五件目の徳島県の事件では被害者のOLは二日目に発見され、捜しに来た恋人によって確認されている。背が高く、一見モデルのような美人だったという。四国八十八か所霊所巡りに興味を持って、休みの度に霊所を訪れていたらしい。

 六件目の愛媛の事件は異様で、被害者の男は髪と眉を剃られ、右手で自分の股間を握り、口の中に草を突っ込まれ、木にもたれた格好で翌日の朝、発見されている。犯人のやり方に憎しみが感じられる点が他の事件とは違うが、同一犯人の仕業だと見られている。

 そして、今回の宮崎県の事件で七件目の連続無差別殺人事件となる。

 最初の現場の伊豆と二件目の島根は離れ過ぎているので別件かもしれないが、二件目の島根から七件目の宮崎県までの犯行は犯人が移動しながら殺人を繰り返しているように考えられた。警察も総出で中国、四国地方を捜索しているが、未だに手掛かりさえもつかめないらしい。

 犯人は一体、どんな男なのだろう。

 一九七一年に大久保事件というのがあった。犯人の大久保清は画家に扮してスポーツカーを乗り回し、女を誘って暴行し、抵抗した女は殺害した。殺されたのは十六歳から二十一歳までの女性八人だった。大久保清はこの事件の前にも婦女暴行で二度も刑務所に入っている。まったく懲りない男だった。果たして今回の事件も大久保のような男の仕業なのだろうか。

 私が記事を読みながら犯人像を推測していると、

「いやねえ、まだ捕まらないのね」とミス・ホリーがトーストとサラダを持って声を掛けて来た。

「ありがとう。今度は九州に行ったらしいな」と私は言った。

「犯人は車で移動してるんでしょ。どうして捕まらないのかしら」

 私は新聞をたたんで脇に置き、トーストとサラダを受け取った。

「無差別殺人だからだろう。殺人の動機があれば被害者を洗えば犯人を捜す事ができる。しかし、無差別殺人だと犯人を割り出す手掛かりがない。唯一の手掛かりが目撃者の証言だけど、人気のない山中では目撃者も少ないんじゃないのか」

「いやあねえ」と言ってホリーは私の向かいに腰を下ろした。

 私は周りを見回した。いつの間に帰ったのか、お客は随分と減っていた。ホリーは膝を揉んでいたが、私の視線に気づくと笑って、「最近、膝が痛くなるのよ」と言った。

「やっぱり、年なのかしら」

「四十膝ってやつだろう」

「えっ、四十肩なら聞いた事あるけど、四十膝なんてあるの」

「さあね」と私は首を振って、トーストにバターを塗った。

「四十か。あたしももうすぐ四十になるんだわ。いやあねえ」

「ママは若いよ。十歳は若く見える」

「ありがとう」と言ってホリーは背筋を伸ばした。形のいい胸が誇らしげに突き出した。

 ホリーというのは勿論、本名ではない。『ティファニーで朝食を』の中でオードリー・ヘップバーンが演じている役の名だ。私が彼女の事をそう呼び始めたのはいつだったか忘れたが、いつの間にか、ホリーというのが彼女の通り名になってしまい、この店の常連たちは皆、ホリーと呼んでいる。本人もホリーという名を気に入っているようだ。ただ、スリムなオードリー・ヘップバーンをイメージすると彼女は当てはまらない。むしろマリリン・モンローあるいはパメラ・アンダーソンといった方がイメージとしては合う。足がすらっと長くてバストが大きくウエストがくびれた魅力的な身体つきをしている。

「そう言えば、一月の末頃だっけ」とホリーがたたんだ新聞を眺めながら言った。

「あんたが草津温泉まで捜しに行って見つからなかった東京のOLも同じ犯人に殺されたんじゃないの。今頃、雪の中で震えているわよ」

「うん、その可能性がないとは言えないな」

 トーストをかじりながら私はホリーを見た。お世辞ではなく、いつまでも若々しい。趣味のスキューバ・ダイビングのおかげなのだろう。私がここに通い始めてホリーと出会ってから十年近くになるが、浮いた話と言うのを聞いた事がない。誰も彼女を誘わないのだろうか不思議に思えた。私は何度か口説いて、その度に振られているのだが。

「未だに見つかってないから、多分、雪の中で震えているんだろう。伊豆の殺人と関連しているのかもしれない」

「そうね、同じ頃だものね。きっと、同じ犯人の仕業よ。ねえ、もしかしたら殺されたけど、まだ見つかってない死体がいっぱいあるのかもしれないわよ。愛媛県で男の死体が見つかったのが二月の末でしょ。そして、今度の宮崎県が三月十三日。ちょっと間があき過ぎてると思わない。きっと、その間に福岡や長崎、熊本あたりで誰かを殺してるに違いないわ」

「おいおい、そんなに簡単に人なんて殺せないだろう」

「いいえ、犯人にとって人殺しなんて、トーストを食べるのと同じくらいに何でもない事なんだわ。バターを塗るように首を絞めて殺しちゃうのよ。恐ろしいわねえ」

「慣れてしまうと殺人もそんなに簡単にできるのかね。俺にはわからんよ」

「犯人を捕まえるには犯人の心理をよく研究しなくちゃダメよ」

「俺は犯人を捕まえる気なんてないよ。そんな権限は持ってないし、犯人を捕まえてくれって依頼するお客もいないだろう」

「それはそうだけど、これだけ世間が騒いでるんだから、あんただって色々と推理してるんでしょ。暇はたっぷりとありそうだし」

 ホリーは白い歯を見せて笑っている。

「最近はそれ程、暇でもないんだ」と私は言ってやった。

「これから依頼人と会って、一仕事終えたら、今度は沖縄に飛ばなきゃならないんだ」

「へえ、そうなの」とホリーは笑いながら私の目を覗きこむ。

「本当さ」

「沖縄か‥‥‥あたしも行きたいわ」

「一緒に行くか」と私は聞いた。

 ホリーは楽しそうに笑った。

「それもいいけど、あんたは仕事でしょ。一人でホテルに留守番なんてつまらないわ。それに、海はまだ冷たそうだし」

「それじゃあ、夏になったら一緒に行こう」

「そうね。石垣島に行って潜りましょ。石垣の海はとっても綺麗で、海の中は本当に素敵なのよ。綺麗なお魚を見たら疲れなんていっぺんに吹っ飛んじゃうわ」

 ホリーは壁に飾ってある熱帯魚の写真を見ていた。以前は懐かしい映画の写真が飾ってあったが、だんだんとホリーが撮った魚の写真が増えて行って、今では水族館のように、すべてが魚の写真になってしまっていた。

 ホリーは急に私の顔を見ると、「ねえ、もしかしたら、沖縄で犯人と会えるかもしれないわよ」と真面目な顔をして言った。

「まさか」と私は笑った。

「車で沖縄までは行かないだろう」

「鹿児島からフェリーが出てるんじゃないの。宮崎まで行った事は確かなんだから、次は沖縄よ。犯人に捕まって、みっともない死に方はしないでね」

 ホリーは両手をだらんと垂らして舌を出し、みっともない死体の真似をするとカウンターの中に戻って行った。入口の方を見るとレジの所に帰るお客が待っていた。

 コーヒーのお代わりをして、スポーツ欄のWBCの記事を読み、タバコを一服して、『第三の男』のテーマソングに送られながら店を出た。

 寒さに震えながら、暖かい沖縄にいる冬子の事を思い出した。もしかしたら、行方不明になった親友の彼氏は連続殺人犯に捕まってしまったのだろうかと思ったが、「まさか」と首を振って弱い日差しの中を駐車場へと向かった。




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