酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







05.悲しみよこんにちは




 静斎の荷物が出て来るのを待って、手荷物受取所から到着ロビーに出た時には六時近くになっていた。

 冬子が待っているはずなのにどこにも見当たらない。まだ来ていないのかときょろきょろしていると、「メンソーレー」と誰かが声を掛けて来た。

 振り返ると魅力的な女性が笑っていた。

 私は一瞬、見とれてしまった。静斎が言っていた以上に、冬子は美しい女性になっていた。あの頃、長かった髪はショートヘアーになり、小さな整った顔立ちによく似合っている。まるで、『ローマの休日』の中のオードリー・ヘップバーンといった感じだ。いや、『悲しみよこんにちは』のセシル・カットか‥‥‥どちらも古過ぎて、冬子が知っているはずはないか。

 色あせたジーンズの上下に白いTシャツ、白いベルトに白いスニーカーを履いている。以前よりも背が高くなったと感じるのは気のせいだろうか。

 私が何か言う前に静斎が、「わしも一緒に来たぞ」と言って楽しそうに笑った。

「もうびっくりしたわよ。来るなら来るって、ちゃんと連絡してよ」

「悪かったな。お前を驚かそうとこいつが言ったんでな、わしもそうするかと思い、電話しなかったんじゃ」

「もう、日向さんもぐるだったなんて」

 私は笑いながら、「久し振りだね」と言った。

「お久し振りです」と冬子も笑った。

「見違えたよ。声を掛けられなければわからなかったかもしれない」

「そんなに変わったかしら。みどりにも言われたわ。自分では全然変わったとは思えないんだけど」

「いい女になったよ」

「あら、ありがとう。惚れ直してくれる?」

「いいとも」

「二人して何を言ってるんじゃ。早く、ホテルに行こう。わしは腹が減った。早く、うまい泡盛が飲みたいわ」

「あっ、そうだ。ホテルの予約を変更しなくちゃ」

 冬子がホテルに電話して予約変更している間に私と静斎はトイレに駆け込み、喫煙所を捜して一服した。ようやく生き帰った心地になって駐車場に向かった。

 外はすでに暗くなっていた。やはり、沖縄は暖かい。東京よりひと月は早いようだ。勿論、コートなんて必要なかった。冬子が乗って来たみどりの車、赤いマーチに乗り込んでホテルへと向かった。

 那覇の街中は思っていた以上に車が多く、なかなか進まなかった。今思えば、私は冬子が運転する車に乗るのは初めてだった。大学生の頃は免許を持っていなかったし、その後、会った時も冬子が車を運転しているのは見た事がない。それでも慣れているらしく、下手な運転ではなかった。

「いつ免許を取ったんだ」と私は後ろの席から声を掛けた。

「あれはねえ、日向さんにお願いして、みどりと一緒にビーチハウスに行った後よ。あの時、みどりと一緒に富士山の近くの合宿免許に行って取ったのよ」

「そうだったのか。それであの後、俺を呼ぶ事はなくなったんだな」

「紀子さんがアメリカに行った後、あの赤いボルボをもらったのよ」

「ほう、ボルボを乗り回していたのか。いい身分だねえ」

「一度、ぶつけたけどな」と静斎が言った。

「あれは紀子さんがまだいた頃で、バックしそこねて、ぶつけちゃったの。怒られると思ってたんだけど、あら、そうって言っただけで全然怒られなかったんで助かったわ」

「紀子はあまり道具にはこだわらんからな。多少つぶれていようと動けば気にはせんじゃろう」

「そういう所が素敵なのよ」

「紀子さんからは連絡、来るんですか」と私は静斎に聞いた。

「あいつも気まぐれだからな。忘れた頃に電話をくれる。まあ、平野君とうまくやってるようじゃ」

「ニューヨークには行ったんですか」

「冬子がパリに行く前に、冬子と一緒に行ってきた。冬子の最初の海外旅行じゃ。あの時、紀子に何か言われたんじゃろう。帰ってきたら、急にパリに行くって言い出した。連れて行かなければよかったと後悔したよ、あの時は」

「今は?」と冬子が聞いた。

「お前の絵を見てみなけりゃ、そいつはわからん」

「あたしが送った荷物、まだ見てないの」

「お前の宛名になってるじゃないか。人の荷物なんて開けんよ」

「開けたってよかったのに」

「これからじっくりと見させてもらう」

 私も冬子の絵が見たかった。向こうで本物の名画を間近に見たら、誰でも影響を受けてしまう。あれこれ考えて、せっかくの自分の絵を台無しにしてしまう例はいくらでもあった。

 静斎は五十歳の頃、一年余り、フランスやイタリア、スペインなどを旅して回ったと聞いている。冬子の兄の隆二は二十四歳の時に日本を出て四年余りを海外で過ごし、今、素晴らしい絵を描いている。姉の紀子は二年近くをアメリカで過ごして、音楽の世界で成功している。冬子もきっと素晴らしい絵を描くようになったに違いない。

 ホテルは空港から二十分位の所にあった。

「みどりの友達が勤めているのでサービスしてもらったの」と冬子は言った。

 『スヴニールホテル』という高級そうな大きなホテルで快適に過ごせそうだった。

 冬子が手を振る方を見ると、広いロビーの隅の方にみどりの姿が見えた。一緒に革ジャンを来た男と旅行会社の添乗員といった感じの女性がいる。

「みどりの所に行ってやって下さい」と冬子がみどりの方を見ながら言った。「あたし、お父さんをお部屋まで連れて行くわ。日向さんの荷物も持って行きます」

「ああ、ありがとう」私は冬子にバッグとコートを渡した。

「一緒にいるのは彼氏の同僚のカメラマンともう一人の女性は日向さんと同業です」

「俺と同業?」

「ええ、女性の私立探偵です」

「何だ、探偵を雇っていたのか」と静斎が言った。「お前の出る幕はないようじゃのう」私の顔を見て笑う。

「みどりの彼氏が以前、取材した探偵社なんですって。みどりがあまりにも心配するんで、今日、お願いしたの」

 私は冬子にうなづいて、みどりのもとへと向かった。

「お久し振りです」とみどりは頭を下げた。「わざわざ来ていただいて申し訳ありません」

「いいえ、仕事ですから」と私は言った。

 彼氏の事を心配してやつれているせいか、久し振りに見るみどりは随分と大人びて見えた。美大生の頃と同じように長い髪をポニーテールにして、美大生の頃、黒かった髪は茶色く染めていた。

 みどりに紹介されて、革ジャンのカメラマンは比嘉(ひが)安治、女性探偵は島袋(しまぶくろ)瑠璃子(るりこ)という名前だと知った。私たちは名刺を交換して挨拶を交わした。

 私は比嘉安治の隣に腰を下ろした。正面に島袋瑠璃子が座り、隣にみどりが座っている。女性探偵は紺のパンツスーツを着て、地味な眼鏡(めがね)を掛けていた。探偵として目立たない格好をしているのはわかるが、目鼻立ちが派手で、自分では知らずに目立ってしまいそうだった。

 瑠璃子は手帳をペラペラめくり、顔を上げて私を見ると、「目的は田島真一さんを捜し出す事ですから、お互いに協力して調査を進めたいと思います」と言った。

「異存はありません」と私は答えた。みどりの彼氏の名前が田島真一という事を私は初めて知った。

 瑠璃子はうなづいて、「それでは今までの状況を説明します」と事務的に言い、みどりの顔を見て、みどりがうなづくと話を続けた。

 私は内ポケットから手帳とボールペンを出して、「田島真一」と書いてから、瑠璃子の話に耳を傾けた。

「デイゴ社の記者、田島真一さんの行方がわからなくなったのは三月十二日、日曜日の昼過ぎからです。今日が十四日ですから、二日以上が経ちます。順を追って、十一日、土曜日の田島さんの行動からお話しします」

 田島真一は十一日の昼過ぎ、糸満(いとまん)市伊原の陸軍病院第一外科(ごう)跡地で自称フリーカメラマンの中山淳一と出会った。話をしているうちに中山の祖父と真一の祖父の兄が沖縄戦の時に陸軍病院に所属していた事を知る。祖父から聞いた話をして話が弾み、いつしか夕方になってしまい、明日の午前中にもう一度会う約束をして別れた。

 真一はそこから那覇に戻り、みどりと会うために若狭公園に行く。名護から来たみどりと会って一緒に食事をし、その夜、みどりは那覇市長田二丁目の真一のアパートに泊まる。

 次の日、問題の十二日の日曜日、みどりと別れ、午前九時にアパートを出た真一はホテル・ナハパレスに行き、中山淳一と再会。ホテルのロビーで祖父の事を話し合い、ホテルのレストランでランチを共にして、午後一時頃、二人は別れ、以後、真一の消息は不明。

「以上はみどりさんの話をまとめたもので、田島真一さんと中山淳一さんが十二日の日曜日にナハパレスのロビーで会い、レストランで昼食を取った事は裏を取っています」

 瑠璃子が私の顔を見たので私はうなづいた。

「中山淳一さんですが、次の日、つまり、昨日ですがナハパレスをチェックアウトしてしまい、どこに行ったのかはわかりません」

 私は瑠璃子の顔を見た。瑠璃子は手帳を見ていたが顔を上げ、眼鏡を指で押し上げた。

「でも、見つけたんですね」と私は聞いた。

 瑠璃子は軽く笑って、うなづいた。

「今、名護の近くのブセナパレスというホテルにいます。ブセナパレスとナハパレスは経営が同じで、どちらも高級ホテルです。恩納村(おんなそん)の方に行くならブセナパレスだろうと真っ先に電話しましたが見つかりませんでした。その後、沖縄中のホテルに電話を掛けて捜しました。どこにもいなくて、もう沖縄から出てしまったのかと諦めかけましたが、午後四時頃、もう一度、ブセナパレスに電話したら予約があった事がわかり、午後五時に中山淳一さんと連絡が取れました。昨日は伊江島(いえじま)に泊まっていたそうです。中山さんから田島さんの事を聞いて、別れる時に、田島さんは最近見つけたガマの調査に行くと言ったという事を突き止めました」

「ガマというのは」と私は聞いた。

「鍾乳洞の事です。沖縄南部の地下には鍾乳洞がいくつもあって、沖縄戦では米軍の攻撃を避けるために利用されました。ひめゆり部隊の女学生たちが犠牲になった有名なひめゆりの塔もガマの一つです」

「ほう、そうだったのですか」

 ひめゆりの塔の事は聞いた事もあるし、昔、映画も見たような気がするが、詳しい事は何も知らなかった。

「そのガマですが、どこにあるのか、中山さんもわからないそうです。みどりさんも田島さんからその話は聞いていたそうですが、どこにあるのかまでは知らないそうです」

 みどりを見るとみどりは心配そうな顔をして首を振った。みどりの視線を追って振り返ると、いつの間にか、私の後ろの席に冬子がいた。

「静斎さんは?」と私は聞いた。

「バーに行きました。ちょっと泡盛を一杯飲んで来るかって」

「うらやましいこった」

「日向さん、何かご質問は」と瑠璃子が聞いた。

「そうですね」と私は瑠璃子が言った事をメモした手帳を見ながら、「田島さんの車は見つかったのですか」と聞いた。

 瑠璃子は首を振った。「ナハパレスへ車で行き、そこからガマへも車で行きましたが、車はまだ発見されていません」

「車の車種は」

「スズキのジムニー、ナンバーは39-87です」

「傷だらけの白いジムニーです」とみどりが言った。「年中、山の中ばかり行って、あちこち傷だらけです」

 私はメモすると、「田島さんがガマに行く前に立ち寄りそうな所は調べましたか」と聞いた。

「私はまだ調べていませんが、みどりさんと冬子さん、それに比嘉さんが昨日、立ち寄りそうな所は皆、当たったそうです。何も手掛かりは得られなかったようです」

「そうですか」

「忘れていました。警察には今日の夕方、捜索願を出しました。警察でも宮崎県で起きた無差別連続殺人事件の犯人が沖縄に来たのではないかと、かなり緊張しているようで、真剣に話を聞いてくれました。田島さんの車は警察が見つけてくれるだろうと思います。それから、この件とは関係ないかもしれませんが、私がナハパレスのロビーであちこちのホテルに電話をしていた時、近くの席にいた人たち、一見してやくざ風の人たちでしたが、行方不明になった娘さんを捜しているようでした」

「娘さんが行方不明?」と私は聞き返した。

「はい。フロントに聞いてみますと、その一行は十二日にチェックインして、ずっと娘さんを捜しているとの事でした」

「名前は調べましたか」

「フロントでは教えてくれませんでしたが、娘さんの名前はわかりました。吉沢はるか、二十五歳です。写真も見せてもらいました。なかなかの美人です」

 私は吉沢はるかの名をメモした。無差別連続殺人の犠牲者かもしれなかった。

「以上です」と瑠璃子は私に言って、みどりの方を見ると「もう暗くなってしまいましたし、今日はここまでという事でよろしいでしょうか」と聞いた。

 みどりはうなづいた。「ありがとうございました」

「それでは明日、九時にこちらに参りますが、それでよろしいですね」

 みどりはもう一度うなづいて、「お願いします」と小声で言った。

 瑠璃子は手帳をハンドバッグにしまい、私たちに頭を下げると颯爽(さっそう)とした足取りで帰って行った。立ち上がると思っていた以上に背が高く、すらっとしていて、地味な格好をしていてもひときわ目を引く魅力的な女性だった。

 私が瑠璃子を見送っていると冬子が私の足を蹴飛ばして、「まったく、相変わらずね」と鼻を鳴らした。前にもこんな光景があったような気がした。

「僕もそろそろ失礼します」と比嘉安治も頭を下げ、みどりに励ましの言葉を掛けて帰って行った。

「さて、これからどうするんだ」と私は冬子に聞いた。

「食事をしながら作戦会議よ」と冬子はぶすっとした顔で言った。




目次に戻る      次の章に進む



inserted by FC2 system