酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







07.泡盛と塩せんべい




 ホテルの部屋は八階だった。冬子たちの部屋は五階だという。エレベーターで別れて、私は静斎と部屋に向かった。

 静斎は帰る途中にあったコンビニで買った泡盛をぶら下げている。私としてももう少し飲みたい気分だった。

 自動販売機コーナーにあった製氷機から氷を調達して、飲む用意をしていると冬子がやって来た。

「やっぱり、さっそく始めてるのね」と冬子は氷の入ったグラスを見ながら笑った。

「お前もやるか」と静斎が冬子に聞いた。

「寝酒にちょっとね」

「みどりさんはどうしてる」と私は聞いた。

「疲れたみたい。昨夜(ゆうべ)はよく眠れなかったんじゃないかしら」

 冬子は持って来たモバイル・パソコンを机の上に置くと、「おつまみ」と言って袋の中からせんべいを出した。

「沖縄名物の塩せんべいよ」

 冬子は袋の中からコードを出してパソコンとコンセントをつないでいた。

「何をするつもりなんだ」と私は冬子のグラスを用意しながら、パソコンを示した。

「真一さんの事を知るには沖縄戦の事を知っていた方がいいと思ってね。ネットで調べれば、ガマの事も陸軍病院の事もわかるわ。それに、あたしたちが調べた事も入ってるから後で読んでね」

「俺を寝かせない気か」

「早く見つけてほしいのよ。あんな辛そうなみどりを見てられないもの」

 私たちは丸テーブルを囲んで、とりあえず、再会を祝して乾杯した。

 私は改めて冬子の顔を見た。初めて会った時から何となく顔つきが変わったように感じていたが、化粧のせいだと気づいた。女子大生の頃の冬子は化粧していても、真似事に過ぎなかったが、今の冬子は完璧な化粧法を身に付け、淡い香水も使って女性らしさを演出している。耳たぶにも小さなピアスが光っていた。

「例の犯人は沖縄に来ているのかのう」と静斎が塩せんべいの袋を開けながら言った。

「宮崎県の事件が三月八日に起きてるの」と冬子が言った。「鹿児島と沖縄を結ぶフェリーは毎日出ているわけじゃなくて、一日おきに出ているの。夕方の六時に出港して次の日の夜七時に那覇に着くのよ」

「なに、二十五時間も掛かるのか」と私は驚いて冬子に聞き直した。

 冬子はうなづいた。「あたしも驚いたんだけど、奄美大島や徳之島、与論島に寄って、本島の本部(もとぶ)にも寄るのよ」

「与論島にも寄るのか」と静斎がせんべいをかじりながら聞いた。

 冬子はうなづいた。「犯人が八日の何時頃に犯行を行なったのかはわからないけど、一番早い船はその日の夕方の六時よ。それに乗ったとして、九日の夜七時には那覇に着いているわね。次の船だと十日の六時に出て、十一日の七時に着くわ。それでも充分に十二日の午後に真一さんと出会う事はできるわ。その次の十二日の船だと、真一さんの行方不明とは関係ない事になります」

「ほう、そんな事まで調べたのか」と私は感心した。

「あたしも探偵になれるかしら」と冬子は笑いながら聞いた。

 私が答えようとしたら、「何を言っておる」と静斎がとがめた。

 冬子は私を見て舌を出した。

「那覇から与論島に行くにはどれ位掛かるんだ」と静斎が冬子に聞いた。

「ちょっと待って」と冬子は机の方に行くとのパソコンを開いてスイッチを入れた。

「パリで使っていたパソコンか」と私は聞いた。

 冬子はうなづいて、XPが起動するのを待った。

「フランス語はペラペラなのか」

「何とか会話ができる程度よ」

「それでも大したもんだ」

「フランス人の彼氏はできたのか」と静斎が聞いた。

「何人かはね」と冬子は私をちらっと見て笑った。

「お前ならフランス人にも、もてそうじゃな」と静斎が言ったが、冬子は聞かない振りをして、パソコンのキーボードを打ち始めた。

 私は泡盛を一口飲んで、塩せんべいに手を伸ばした。

「以外にうまいぞ」と静斎が言った。「素朴な味というやつかのう。懐かしい味じゃ」

 私はせんべいをかじりながら、「そうですね」と答えた。

「こいつもうまいじゃろう」と静斎は泡盛の三合瓶(さんごうびん)を持ってラベルを私に見せた。

「『ずいせん』て読むんですか」と私は聞いた。

 静斎はうなづいて、「これは首里(しゅり)の泡盛じゃ」と言った。「沖縄には宮古島や石垣島も含めて、五十近くの酒蔵(さかぐら)がある。飲み比べてみるとわかるが、味が微妙に違う。それを味わうのも沖縄の旅の醍醐味(だいごみ)の一つじゃ」

「泡盛が五十種類もあるんですか」と私は驚いて聞いた。

 静斎は首を振った。「酒蔵が五十じゃ。それぞれの酒蔵で何種類かの泡盛を出しているから、二百種類位はあるんじゃないのか。それに、クースっていうのもあるしな」

「何ですか、クースって」

「古酒と書いて沖縄方言でクースと言うんじゃ。三年以上経った泡盛をクースと言って、十年物、二十年物と古くなるほど泡盛はうまくなるんじゃよ」

「へえ、そうなんですか。ウィスキーみたいですね」と私は感心しながら静斎の話を聞いていた。

 私も酒が好きで色々な酒を飲んでいるが、泡盛はあまり飲んだ事がなかった。焼酎の一種に過ぎないだろうと思っていたが、なかなか奥深いものがあるらしい。

「沖縄戦で酒蔵もみんなやられてしまって、六十年以上経つ泡盛はなくなってしまった。それでも奇跡的にやられなかった泡盛があって、百何十年物というのが、首里にあるらしい」

「へえ、百年物ですか。相当、高いんでしょうね」

「そいつは売り物じゃないらしい。三十年物の四合瓶で三万円位じゃないか」

「三万ですか。コニャックなみですね」

「好みにもよるが、わしは泡盛の三十年の方がうまいと思う」

「五時間位よ」と冬子が言った。「朝の七時に那覇を出て、与論島に十一時五十分に着くわ。帰りは与論島を午後二時十分に出港して那覇に夜の七時に着くの」

「五時間か」と静斎はうなり、私の顔を見て「ちょっと長いな」と言った。

「でも、綺麗な海を見ながらの船旅なんて素敵よ」と冬子が言った。

「飛行機もあるんじゃないですか」と私は静斎に言った。

「ちょっと待って、今、調べるから」と冬子がまたキーを叩き始めた。

「与論島に行くつもりなんですね」

 静斎はうなづいた。

 私は三つのグラスに氷を足して泡盛を加えた。

「最後に会ったのは五年位前じゃったろうか。与論島に落ち着いたと手紙をもらったのが、その翌年の冬じゃったかのう。俊斎さんから沖縄の話は聞いた事ないから、鹿児島から船に乗って沖縄に向かう途中で与論島に寄って、そこが気に入ってしまったんかのう。与論島にはうまい黒糖焼酎があると手紙に書いてあった。海でも眺めながら一緒に飲みたいと思っての」

 私は荒木俊斎が描いた掛け軸を思い出していた。一人の老人が遠くに霞む山を眺めている水墨画だった。筆遣いは鋭いが、老人の表情が飄々(ひょうひょう)としていて温かみのある絵だった。

「与論島まで四十分よ」と冬子が言った。「与論島から鹿児島までは一時間二十分。那覇から船で行って、飛行機で鹿児島まで行って、東京に帰ればいいんじゃないの」

「うむ、それがいいかもしれんの」と静斎は満足そうにうなづいた。

 冬子は再びキーを叩き、「あたしたちが調べた事をまとめたファイルと沖縄戦関係のホームページを開いておくから後で見てね」と私に言った。

「わかった」と私は言ってから、急にWBCの事を思い出した。日本時間の今日の正午からアメリカ対韓国の試合があったのだ。

「冬子さん。今日のWBCの結果を知らないか」

「えっ」と冬子は振り返った。

「野球だよ」と私は言った。

「ああ、イチローが出てるあれね。今日は試合がないんじゃないの」

「日本はないけど、アメリカと韓国の試合があったんだ。ヤフー・スポーツを見てくれないか」

「わかったわ」

 結果は3対7で韓国が勝っていた。それにしても韓国は強い。これで二回戦の成績は韓国の2勝0敗、アメリカが1勝1敗、日本とメキシコが0勝1敗になる。明日は日本とメキシコの試合がある。明日、もし、日本がメキシコに負けてしまえば、それでもう終わってしまう。何が何でも、明日は勝たなければならなかった。

 冬子が丸テーブルに戻って来て、「ちゃんと見てね」とパソコンを指差した。

 私はうなづいた。

「ああ、疲れた」と言って冬子は泡盛を飲んで、「おいしい」と笑った。

「パリのワインはどうだった」と私は聞いた。

「おいしいわよ。でも、種類が多すぎて、何がおいしいのか、あたしにはよくわからないわ。一度、すごくおいしいワインを御馳走になったけど、何ていう名前だったか思い出せないの」

「きっとクースだったんだな」と私は言って笑った。

「そう、クースだったの」と冬子も笑い、「あたし、みどりからウチナーグチ(沖縄方言)を色々と教わったのよ」

「『ナンクルナイサ』って知ってるか」と静斎が冬子に聞いた。

「『何とかなるさ』でしょ。沖縄の人の事を『ウチナーンチュ』、沖縄以外の日本人は『ヤマトゥンチュ』、こんにちわは『チューウガナビラ』、いらっしゃいませは『メンソーレー』、ありがとうございますは『ニフェーデービル』って言うのよ」

「まるで、外国の言葉だな」と私は首を振った。

「実際にお年寄りが話しているのを聞いても、何が何だかちっともわからないのよ」

「戦争中は方言禁止令が出て、方言は使えなかったらしい。方言をしゃべってスパイ扱いされて殺された者もいるようじゃ」と静斎は言ってから、「すまんのう」と謝った。「どうも、いかん。沖縄に来るとどうしても戦争の話になってしまう」

 冬子が時計を見た。私も見るともう十時半を過ぎていた。

「あたし、そろそろ帰るわ。みどりが心配だし」

 冬子は残っているグラスの中の泡盛を飲み干すと「アスタ・マニャーナ(また明日)」と言った。

 私は「チャオ」と軽く手を振った。

 冬子も「チャオ」と言って帰って行った。

「冬子さんはスペインにも行ったんですか」と静斎に聞いた。

「パリに二年、マドリッドに一年半とか言っておったな」

「スペイン語もできるんですね。三年半で随分と成長したようですね」

「ダメだぞ」と静斎は睨んだ。

「わかってますよ」と私は泡盛を飲み干して、冬子が置いて行ったパソコンの前に座った。




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