酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







10.五人の兵隊と三人の女学生




 ホテルから外に出ると青空が眩しかった。昨日まで、寒い寒いと震えていたのが、まるで嘘のようだ。

 静斎は壷屋(つぼや)まで瑠璃子に送ってもらうと言う。

 私はみどりの運転する赤いマーチに乗り込んで、田島真一のアパートを目指した。ホテルから真っすぐ進むと広い国道五八号線に出た。五八号線に沿って、ゆいレールが走っている。

「沖縄は初めてですか」と信号待ちの時、みどりが聞いた。

 私は初めてですと答えた。

「ゆいレールは二〇〇三年の夏に開業しました。私はその年の十月に東京から沖縄に帰って来たんです。七年半振りでした。七年半振りと言っても、毎年一度は帰って来ていましたから、それほど驚きませんでしたが、沖縄は随分と変わりました」

 私はみどりの横で景色を眺めながらみどりの話を聞いていた。

「左に行くと恩納村(おんなそん)を通って、あたしのアトリエのある名護に行きます」

 そう言われて、みどりも画家だった事を思い出した。彼女の絵は見た事なかった。どんな絵を描くのだろうと思っていると信号が青に変わり、車はゆいレールの下をくぐって真っすぐに進んだ。

 長田二丁目にある真一のアパートには二十分程で到着した。みどりの話だと真一のアパートのある辺りは学生街で、真一は大学時代からずっと、ここに住んでいるという。

「やっぱり、真一さんの車はないわ」とみどりは悲しそうな顔をして言った。

 車から降りてアパートを見上げるとコンクリート造りの四階建てで、どの部屋にもベランダが付いているように見える。私が想像していたよりも大きなアパートだった。

「東京と比べたら家賃も随分と安いんですよ」とみどりは言った。「もっとも、労働賃金も安いですけど」

 真一の部屋は三階の三○八号室だった。みどりが肩に掛けた革のバッグから鍵を取り出してドアを開けた。

 ドアを開けるとすぐにダイニングキッチンがあった。

 私は「失礼」と言って部屋に上がった。ダイニングキッチンは四畳半位だろうか、ブルーのカーペットが敷いてある。流しの中には洗い物も溜まっていなかった。

 その奥に四畳半の和室があって、その先にベランダがある。ベランダに物干し竿があるが洗濯物は干してなかった。

 四畳半の和室にテレビとCDプレイヤーがあって、中央に四角いテーブルがあり、座布団が二つ置いてある。居間として使っているらしい。壁に淡い色遣いの風景画が飾ってあった。

「これはみどりさんが」と聞くとみどりは軽く笑ってうなづいた。沖縄の海を描いたものだろう。みどりらしい絵だった。

 四畳半の右隣に六畳の和室があった。六畳の方には机や本棚があり、隅の方にふとんが重ねて積んである。みどりが掃除をしたのか、部屋の中はきちんと片付いていた。

 みどりはベランダの戸を開けて、ぼんやり外を眺めていた。

「みどりさん」と私は声を掛けた。「日曜の朝、真一さんとこの部屋で別れましたね。その後、ここに来た時、日曜の朝と同じ状態でしたか」

 みどりは振り返って私を見るとうなづいた。「冬子と一緒に月曜に来ましたけど、日曜の朝と同じで、あの後、真一さんが帰って来ていない事がわかりました」

 私は本棚を眺めながら、うなづいた。本棚には沖縄戦関係の本やファイルがずらりと並び、机の脇にも資料らしき物が積んである。机の上にノートパソコンと何冊かの本とシーサーの灰皿が置いてあった。デスクマットの中には色々なメモが挟んであり、その中に『川上伍長、前田上等兵、田島上等兵、今村一等兵、坂口一等兵』と書かれたメモが目を引いた。

 私はそのメモを示しながら、「これは何ですか」と聞いてみた。

 みどりは机のそばまで来てメモを覗くと、「それは真一さんが捜している人たちです」と言って説明してくれた。

 この五人は皆、戦争中に沖縄陸軍病院に属していた衛生兵で、陸軍病院が解散になった後も行動を共にして、あるガマに避難していた。そこに逃げ込んで来たのがひめゆり部隊の新垣幸子(あらがきゆきこ)と宮城八重子と金城(きんじょう)芳江の三人だった。

 米軍の激しい攻撃の中、やっと逃げ込んだガマの中に顔見知りの兵隊がいたので、三人の女学生はほっとした。やがて、田島上等兵と今村一等兵は北の国頭(くにがみ)にいる日本兵と合流して総攻撃を掛けると言ってガマから出て行き、どこかで戦死してしまう。残った川上伍長、前田上等兵、坂口一等兵、新垣幸子、宮城八重子、金城芳江の六人は飢えと戦いながら、ずっとガマの中に隠れていたが、七月一日、とうとう米軍に見つかって全員が捕虜(ほりょ)になってしまう。兵隊と女学生は別々の収容所に送られ、以後、会う事はない。

 田島上等兵というのは真一の祖父の兄で、新垣幸子はみどりの祖母、川上伍長はみどりの祖父、そして、坂口上等兵の孫が中山淳一だという。

「へえ」と私は感心した。「そんな昔の事をよく調べましたねえ」

「真一さんがこの事を知ったのは去年の六月です。あたしの祖母が亡くなったのは一昨年(おととし)の六月で、去年の六月、ずっとブラジルの方にいらした宮城八重子さんが日本に帰って来て、祖母のお墓参りに来てくれました。そして、当時の事を話してくれたのです」

「あなたのお婆さんは話してくれなかったのですか」

 みどりは首を振った。「戦争の事はあまり話しませんでした。同級生が何人も亡くなっていますし、家族も亡くなっています。思い出すのが辛かったんだろうと思います。本当の祖父の事も一言も聞いていませんでした」

「そうでしたか」

「真一さんは宮城さんから話を聞いて、六人がいたというガマを捜しているんです。そのガマの近くに田島上等兵の遺骨があるかもしれないと言っています」

「でも、田島上等兵は北の方に行ったんじゃないんですか」と私は聞いた。

「あたしも詳しい事はわかりませんが、あの時、米軍の陣地を突破して北に行くのは不可能だったようです。ガマの近くで米軍に撃たれて亡くなってしまったに違いないと言っていました」

「そうですか」と言って、私は五人の兵隊の名前と、みどりから聞いた三人の女学生の名前も手帳に書き加えた。

「そんな昔の事も手掛かりになるのですか」とみどりが不思議そうに聞いた。

「何が手掛かりになるかはわかりません。真一さんを知るためにはどんな事でも知っておく必要があります。ところで、真一さんは前田上等兵と今村一等兵は捜し出したのですか」

「前田上等兵さんはすでに亡くなっていましたけど、その息子さんと会う事ができたそうです。詳しい事はわかりませんが、前田上等兵さんは事故で亡くなったそうです。でも、息子さんは誰かに殺されたに違いないって言ったそうです」

「殺された?」と私は聞き返した。

 みどりはうなづいた。「真一さんがその人たちを捜していると言ったら、犯人はその中にいるはずだと言ったそうです」

 私は真一が書いたメモを見た。「この中にいるとすれば、川上伍長か坂口一等兵のどちらかになりますね。田島上等兵と今村一等兵は戦死しているのですから」

「真一さんもそう言っていました。でも、どうして殺されるのか、その意味がわからないと言っていました」

「そうですね。今村一等兵の子孫の方も見つけたんですか」

「それはまだ見つかっていません。戦死してしまって子供はいないでしょうから、その人の兄弟を捜さなければなりません。難しいけど、坂口一等兵のお孫さんに会えたんだから、きっといつか会えるって言っていました」

 私はみどりの了解を得てパソコンを開いて電源を入れた。真一のボタンをクリックするとパスワードを入れる欄が現れた。私はみどりを見た。

「思いつく事はみな、入れてみましたけどダメでした」とみどりは言った。

 私は何も思いつかなかった。とりあえず、midoriと入れてみた。やはり、ダメだった。

「あたしの名前であるわけないじゃないですか」とみどりは笑った。

「もしかしたらと思ってね」と私は言って、どこかにパスワードが書いてないか探してみたが見つからず、諦めてシャットダウンした。

 地図はないかと探してみた。古い地形図が見つかり、ガマの位置や部隊の名前などが書き加えられてあった。みどりに見せたら、そこには新しいガマは書いてないと言った。沖縄戦関係の本をいくつか手に取って見てみたが、手掛かりになりそうなものは何も見つからなかった。

 私は時計を見た。十時を過ぎた所だった。瑠璃子は何か手掛かりをつかんだかなと思いながら、もう一度、部屋の中を見回した。

「お茶でも入れますか」とみどりが言った。

 私は首を振って、一応、トイレと風呂場も見た。何もなかった。

「さてと帰りますか」と私は言った。その時、ドアがカチャカチャしたと思ったら、ドアが開いて誰かが覗いた。

「お兄さん、帰って来たの」と訪問者は言った。「あら、みどりさん」

「百恵さん、いらっしゃい」とみどりは言った。

 みどりは百恵に私を紹介し、百恵は一緒に来た母親を紹介した。百恵は真一の妹で那覇で看護婦をしているという。

「心配して、昨日、鹿児島からやって来たんです」と百恵は母親を見ながら言った。

 真一の母親は五十歳前後の年齢で、顔つきは百恵とよく似ていた。私はこの時、初めて気づいた。まだ、真一の顔を知らなかった事を。捜す相手の顔を知らないなんて初歩的なミスだった。

 真一の母親と妹を迎えて、居間に落ち着いた。みどりはここの主婦のようにお茶を入れていた。

「あの後、何かわかりましたか」と百恵はみどりに聞いた。

 みどりは百恵を見ながら首を振った。

「ガマの中で迷子になっちゃったのかしら」と百恵は言った。

「ほんとにどこに行ったんだか‥‥‥無事でいてくれるといいけど」母親が心配そうな顔をして私を見た。

 みどりが入れてくれた紅茶を飲みながら、私は百恵に新しいガマの事を聞いたが、知らなかった。パソコンのパスワードも知らなかった。

「あたし、大城さんが怪しいと思うんだけど」と百恵はみどりを見ながら言った。

「大城さんて誰です」と私は二人の顔を見比べながら聞いた。

「お兄さんの大学の後輩なんです」と百恵が言った。「リゾートホテルの息子さんで、金持ちのお坊ちゃんなんです。スポーツカーを乗り回して、去年、事故を起こして、あたしがいる病院に入院したんです。退院する時、あたしを口説いて、あたし、振ってやったんです。兄は関係ないのに、兄があたしに大城さんの悪口を言ったに違いないって疑って、兄を恨んでいるんです。日曜日の午後、どこかで大城さんと会って、喧嘩でもして、どこかに閉じ込められているんじゃないかしら」

「大城さんていうのはそんな事をしそうな男なんですか」と私は百恵に聞いた。

 今、気づいたが、百恵は山口百恵に少し似ていた。名前だけでなく、髪型が似ているせいかもしれない。

「お金持ちのお坊ちゃんだから、自分の思い通りにならないと何をするかわからない人です」

「その大城さんは那覇に住んでいるんですか」

恩納村(おんなそん)です。一応、ホテルで働いていますけど、よく那覇に来て遊んでばかりいます」

 私は手帳を出して見た。真一の友達の所に大城秀義の名前があった。私が聞いてみると百恵はうなづいた。

「大城さんには会ったのですか」と私はみどりに聞いた。

「いいえ、会っていません。真一さんのお友達の石川さんから、大城さんの名前が出たので書いておいただけで会ってはいません。大城さんは川上伍長さんのお孫さんなんです」

「えっ」と私は驚いた。「川上伍長のお孫さんが真一さんの大学の後輩なんですか」

「真一さんも驚いていましたよ。やっと見つけた川上伍長が大城さんのお祖父さんだったなんて、名字が違うから全然、知らなかったって笑っていました」

「そうだったんですか」

「大学時代に真一さんと一緒にスキューバ・ダイビングをしていたそうです。今はホテルで観光客にダイビングを教えています」

「へえ、真一さんはスキューバ・ダイビングもするんですか」

「あたしも真一さんから教わりました」とみどりは言って微かに笑った。

 その時、ドアをノックする音が聞こえた。誰だろうと顔を見合わせ、百恵が立ち上がってドアを開けた。

 グレーのスーツを着た中年の男が立っていた。男は百恵に「田島真一さんは御在宅でしょうか」と聞いた。百恵が留守だと言うと、「失礼しました。私はこういう者です」と名刺を出して百恵に渡した。

「先日、田島さんとお会いしまして、沖縄戦の話をしていただきました。若いのに詳しいので感心いたしました。今回、当ホテルで沖縄戦関係の企画を計画しておりまして、田島さんのお力を借りたいと思っております。電話してもなぜかつながらないので、那覇に来たついでにちょっと寄ってみたわけなんです。田島さんはどちらかにお出かけなんでしょうか」

「いえ、そうではありませんが」と百恵は言って私たちの方に振り返り、「実は兄は日曜から行方がわからないのです」と言った。

「えっ」と男は驚いた。

「どこに行ったのかまったく」と百恵は首を振った。

「そうでしたか‥‥‥それで、警察には」

「捜索願は出しましたが‥‥‥」

「そうでしたか‥‥‥何と申していいか‥‥‥」

 しばらく沈黙が続き、男は、田島さんが早く見つかる事を祈っていますと言って帰って行った。

「誰ですか」とみどりが聞いた。百恵は名刺をみどりに渡した。

「川上さんのホテルの支配人だわ」とみどりは言った。

 私は名刺を見せてもらった。『リゾートホテル・リュミエール、支配人、日高誠』と書いてあった。名前と住所と電話番号を手帳に控えた。そして、百恵から真一の写真を一枚借りた。

 写真の中の真一は黄色いアロハシャツを着て、縁なしの眼鏡をかけた学者風の男だった。年中、外にいるらしく顔はよく日に焼け、髪などまったく気にしないかのようにボサボサだった。




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