酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







12.ある一等兵の手記




 みどりに勧められて食べたソーキそばはうまかった。そばと言っても、そば粉を使った一般的なそばではなく、うどんだった。ソーキというのは骨の付いた豚のあばら肉で、これが柔らかくて軟骨がうまく、スープもダシが効いていて本当にうまかった。みどりが食べた沖縄そばにはラフティーと呼ばれる皮つきの豚肉が乗っていた。明日は沖縄そばを食べてみよう。

 ホテル・ナハパレスは『おもろまち』という面白い地名にあった。以前は米軍の住宅があった地域で、返還されて新しい町名になったという。『おもろ』というのは沖縄の古い歌の事で、『おもろさうし』という古い歌を集めた古書もあるらしい。

 ナハパレスに着いたのは一時十分前だった。それは豪華なホテルだった。百恵に振られた大城秀義のように、中山淳一というカメラマンも金持ちのお坊ちゃんに違いない。

 広いロビーを見回すと冬子と瑠璃子の姿が見つかった。中山淳一の姿はまだない。

 冬子と瑠璃子は向かい合って座り、冬子はパソコンを、瑠璃子は手帳を見ている。私たちに気づくと冬子は笑って、瑠璃子は頭を下げた。

「何かわかりましたか」と私は瑠璃子に聞きながら、冬子の隣に腰を下ろした。

「残念ながら」と言って瑠璃子は疲れたような顔をして首を振った。「誰かが知っていると思ったんですけど、知っている人はいませんでした。皆、心配して、あそこじゃないかって言うんですけど、はっきりと聞いた人はいません。田島さんがそのガマを見つけたのが木曜日で、その後、ひめゆり資料館には行っていないようです。田島さんのお友達にも電話で聞きましたが、木曜以後は会っていないし、電話でも聞いていないそうです」

「そうでしたか」

「そちらはどうです。何か手掛かりは見つかりましたか」

 私は首を振った。「何も進展なしです。田島さんのアパートで、田島さんのお母さんと妹さんに会いましたが、何も知りません。百恵さんが休みを取ったというので、パソコンのパスワードの事を頼んで来ました。パソコンが見られれば、ガマの位置はわかるはずです」

「頼みの綱はパソコンだけですか」と言って、瑠璃子は腕時計を見た。

 私はロビーを見回した。そろそろ、中山淳一が現れる頃だった。

「ええっ」とパソコンを見ていた冬子が突然、声を上げた。

「ねえ、大変よ」と冬子は皆の顔を見回して、「犯人が捕まったのよ」と言った。

「えっ」と皆が驚いて、冬子のパソコンを覗いた。

 ヤフー・ニュースの画面で、愛媛県宇和島市の山中で発見された男性を殺した犯人が捕まったと書いてある。犯人は大阪のホスト二人の共犯だった。被害者も同じホストクラブに勤めるホストで、二月二十二日、三人は道後温泉に行き、翌日、宇和島市の山中で二人が被害者を殺し、遺体を放置して大阪に帰った。犯人を突き止める決め手となったのは公表してないが、被害者の腕のタトゥーだった。そのタトゥーから彫った場所が大阪だとわかり、身元も判明したらしい。

「やはり、別件だったのね」と瑠璃子が言った。記事には書いてないが、瑠璃子が言う通り連続無差別殺人とは別件の模倣犯(もほうはん)だった可能性が高かった。

「ルリさんもこの事件を調べていたのですか」と冬子が聞いた。

「一応ね」と瑠璃子は軽く笑った。「人捜しの依頼があった時、最悪の場合、この事件の被害者になった可能性もありますから、情報だけは集めておかないと」

 他のニュースも見てみようと冬子は検索を始めた。

「模倣犯が出て来たという事は他の被害者も別件という事もあり得ますね」と私は言った。「犯人が沖縄に来ていないとは言い切れませんが」

「失礼します」と誰かが言った。

 振り返るとサングラスを掛けてカメラマンベストを着た若い男が立っていた。髪の毛は短く、背が高くて体格もいいスポーツマンタイプで、顔つきはなかなかの二枚目だった。黒いサングラスはマトリックスのキアヌ・リーブスを思わせた。

「あのう、島袋さんは」と若い男が言うと、瑠璃子が立ち上がって「中山さんですね」と聞いた。

「はい。中山淳一です」

「わざわざ、ありがとうございます。島袋瑠璃子です」

 私は淳一に席を譲り、隣からイスを引っ張って来て座った。

 紹介が済んだ後、瑠璃子が状況を説明した。淳一は静かに聞いていた。年齢は二十七、八で、カメラマンと言っても、まだ駆け出しに違いない。金持ちのお坊ちゃんの趣味に過ぎないのだろう。

「田島さんに出会ったのは三月十一日の三時頃だったと思います」と淳一は低い声で言った。「僕はその日、ひめゆりの塔を見て、資料館で近くに陸軍病院の第一外科壕がある事と知って行ってみました。祖父が第一外科に勤務していたと聞いていましたから興味があったのです。そこで写真を撮っていたら、田島さんが下から出て来ました。誰もいないと思っていましたから、びっくりしましたよ。田島さんの方から挨拶して来たので、僕は『中に入れるのですか』と聞きました。田島さんは『入れるけど、長靴じゃないと無理だな』と言いました。僕も下に下りて中を覗いてみました。長靴以前に懐中電灯がなければ無理だと思って、上に戻りました。僕の祖父が第一外科にいたと話すと田島さんは興味深そうな顔をして聞いてくれました。祖父の名を聞くので、坂口勇三ですと言うと田島さんは驚いたような顔をして、聞き返しました。田島さんはずっと、僕の祖父を捜していて、鹿児島にも行ったと言いました。そして、田島さんの話を聞きました。田島さんの祖父のお兄さんと僕の祖父が同じ第一外科にいて、陸軍病院が解散になった後も一緒に行動していたと聞いて、本当に驚きました。田島さんの話を聞いて、僕も亡くなった祖父が話してくれた事を思い出しました。田島上等兵の話も聞いていましたので、田島さんに話しました。田島さんは真剣な顔をして聞いていました。話が弾んで、夕方になってしまい、田島さんはこれから用があるから明日もう一度会えないかと言いました。僕ももう少し祖父の事を知りたかったので、翌日に会う約束をして別れたのです」

「そして、次の日、つまり十二日の日曜日の午前九時半に田島さんはここに来られたのですね」と瑠璃子が聞いた。

 淳一はうなづいた。「田島さんと会って、陸軍病院の事を詳しく聞きました」

 淳一はみどりを見て、「上原さんのお祖母さんの事も聞きました」と言った。「ひめゆり部隊にいて第一外科に勤務していて、米軍に捕まるまで祖父と一緒だったそうですね」

「はい、そうです」とみどりは答えた。

「田島さんの話から僕も思い出しました。ひめゆり部隊の女学生三人が祖父たちのいた自然壕に逃げ込んで来て、米軍に捕まるまでずっと一緒に隠れていたと祖父から聞いていました。川上伍長、前田上等兵、今村一等兵の事も思い出して、田島さんに話しました。それに、上原婦長の話もしました。第一外科の婦長さんで、美人で立派な婦長さんだったと祖父はよく言っていました」

「上原婦長さんの話は私もよく聞いています」と瑠璃子が言った。「私と同じ糸満の生まれなんです。本当に尊敬すべき素晴らしい人だったようです。あら、ごめんなさい。話を続けて下さい」

「僕の祖父は亡くなる前に手記を残しました。どうしても書き残しておきたい事があったのでしょう。封をして、戦後六十年経ったら開封して読んでくれと言って僕に預けました。戦後六十年と言えば、二〇〇五年です。祖父が亡くなったのが二〇〇〇年でしたから五年後になります。僕は祖父の言った事を守って、そのまましまっておきました。しかし、その事をすっかり忘れてしまって、ついこの間、僕は引っ越しをしたんですけど、その時、その手記が出て来ました。もう二〇〇六年ですから、読んでもいいはずです。僕は開封しようと思いましたが、沖縄に行って、それを読もうと思いました。祖父から沖縄戦の事が書いてあると聞いていましたので、現場に行って読んだ方が祖父の気持ちがわかるだろうと思ったのです。僕は沖縄に行った事がなかったものですから。引っ越しも落ち着いたので、その手記を持って沖縄にやって来ました。まだ初めの部分しか読んでいませんが、それを田島さんに見せました。素人が昔の事を思い出しながら書いた文ですから、順序立ってなくて、突然、話が飛んだりして読みづらい文章ですが、祖父がずっと、戦争の事を引きずって生きて来たという事がよく感じられます。田島さんは、『これはすごいお宝だ』と興奮しながら、パラパラめくって読んでいました。そして、あるページに釘付けになって、『そんな馬鹿な』と言いました」

 淳一はそこで言葉を切って、皆の顔を見回した。誰も何も言わなかった。淳一は話を続けた。

「そこに書いてあったのは、M上等兵と祖父がT上等兵とI一等兵を殺したと書いてありました」

「ええっ」と冬子が叫んだ。私ももう少しで叫びそうだった。

「僕には信じられませんでした。でも、そう書いてあったのです。少ない食糧を確保するため、K伍長に命じられたと書いてありました。祖父は仲間を殺したくはなかったけど、生きるためには仕方がないと思って殺してしまったようです。その事をずっと悔んでいたようです。誰にも言わず、胸の奥にしまって、一人で苦しんでいたんだと思います」

「生きるために仲間を殺したのか」と私は呟いた。

「沖縄線では日本兵が沖縄の人を殺したという証言はいくつもあります」とみどりが言った。「極限状態ではあり得ない事ではないと思います」

「T上等兵って田島上等兵でしょ」と冬子が言った。「その事を知った真一さんはショックだったでしょうね」

「ええ」と淳一はうなづいた。「すごいショックだったようです。米軍にやられて戦死したと思っていたのが、仲間に殺されたんですからね。その後も色々と話しましたが、うわの空という感じでした」

 いくら極限状態とはいえ、仲間を殺すなんて事ができるのだろうか、私にはわからなかった。

「そして、お昼を一緒に食べて、別れる時に田島さんは新しいガマを調べると言ったのですね」と瑠璃子が聞いた。

「そうです。そう言いました。でも、そのガマがどこにあるのかは聞いていません」

「その手記ですが、今も持っているのですか」と私は聞いた。

 淳一はうなづいて、持っていた黒いビニール袋から一冊の大学ノートを出してテーブルに置いた。

 どこにでもある大学ノートで表紙には『ある一等兵の手記』とだけ書いてある。淳一はしおりがはさんである所を開いて皆に見せた。

 淳一が言った通りの事が癖のある字で書いてあり、申し訳ない事をしてしまった。どんなに謝っても許されない事だろうと悔んでいた。

「ちょっといいですか」と私は淳一に聞いた。

 淳一はうなづいた。

 私は手記を手に取って最初のページから目を通した。昭和十九年の六月に沖縄に渡った所から書き始めていた。

「土曜日ですけど、田島さんがどうして第一外科壕に行ったのかご存知ありませんか」と瑠璃子が聞いた。

「さあ、聞きませんでしたが」と淳一は答えた

「その日、淳一さんは昼過ぎまで会社で仕事をしていて、近くの食堂でお昼を食べて、同僚の比嘉さんと別れています。二時頃だったそうです。多分、そこから第一外科壕に行ったのだと思います。会社のある与儀から第一外科壕まで、だいたい四十分位掛かります。その日、ひめゆり資料館には行っていませんから、直接、そこに行ったようです。一体、何の用があったのでしょうか」

 ペラペラとページをめくっていた私は顔を上げて淳一を見た。淳一は首を傾げていた。

「僕にはわかりません。写真を撮っていたら、下の方から出て来て声を掛けて来ました」

「真一さんは」とみどりが言った。「暇さえあれば、第一外科壕や陸軍病院跡に行っていました。ひめゆりの塔と違って、第一外科壕には一般的な観光客は訪れません。沖縄戦の事を調べている人か、身内の誰かが第一外科に関係あった人です。どちらにしても、何かの縁があって来たのだから、話を聞けば必ず、何かを得られると言っていました」

「そうでしたか」と瑠璃子は言って、手帳に何かを書き込んだ。「もしかしたら、新しいガマというのは第一外科壕の近くにあるのかもしれないと思いましたが違いましたか。確かにあそこはひっそりとしていて、観光客はいませんでした。何かの理由がなければ訪れないでしょうね」

「真一さんは日曜日に新しいガマを一日掛けて調査すると言っていました。中山さんと偶然に会ってしまって、予定は狂ってしまいましたが、中山さんに出会えた事を本当に喜んでいました」

 私は最後までざっと目を通すと手記をテーブルに置いた。瑠璃子が手を伸ばすかと思ったが、興味がないようだった。

「中山さん」と私は声を掛けた。「戦後になってからですが、お祖父さんは川上伍長と前田上等兵に会っていませんでしたか」

 みどりを見ていた淳一は私の方に顔を向けて、少し考えてから話し始めた。

「前田上等兵とは鹿児島にいた頃、何度か会っていたようです。詳しい事は知りませんが、何でも事業に失敗してから人が変わってしまったと言っていました。陸軍病院にいた頃の前田上等兵は上原謙のような二枚目で看護婦たちにもてたと羨ましそうに言っていました。川上伍長も鹿児島にいた頃は会っていたようですけど、鹿児島を出てからは連絡もしてなかったみたいです。時々、思い出して、今頃、何をしているんだろうと言っていました。田島さんから沖縄にいると聞いて驚きましたよ。リゾートホテルの会長さんらしいですね」

 私はうなづき、「田島上等兵の事は何と言っていました」と聞いた。

「田島上等兵は面倒見のいい優しい男だったと言っていたような気がします。でも、田島上等兵の話をした後はいつも黙り込んでしまいました。戦死した戦友を思い出して黙るのだろうと思っていましたが、まさか、殺していたなんて‥‥‥とても、信じられません」

 淳一は俯いた。たとえ戦時中の極限状態だったとしても祖父が仲間を殺したというのが事実だとしたら、真一以上に淳一の方がショックだったのに違いない。あまり問い詰めるのは可哀想だが、まだ聞きたい事はあった。

「前田上等兵は事故で亡くなったそうですが、いつ頃の事かわかりますか」と私は淳一に聞いた。

 淳一は顔を上げると首を振った。「わかりません。祖父は僕が生まれる八年位前に鹿児島から横浜に移っています。山が売れたので思い切って故郷の鹿児島を離れたと言っていました。その後の事でしたら祖父も知らなかったんじゃないでしょうか」

「三十五年位前ですか」と聞くと淳一はうなづいた。

「これですが」と私は手記を示し、「コピーさせてもらえないでしょうか」と淳一に聞いた。

「田島さんにも言われましたが、僕が最後まで読むまで待っていただけないでしょうか。祖父がその手記を僕に預けたのは僕に何かを伝えたかったからだと思います。それを読んで祖父の気持ちを受け止めたいと思っています。祖父が他人にも読んでもらいたいと望んでいるようでしたらコピーします」

「わかりました」と私はうなづいて、瑠璃子を見た。

 瑠璃子は淳一を見ていたが、私の視線に気づくと、私の方を見て首を微かに振った。冬子はパソコンの画面をじっと見ている。みどりはテーブルに置かれた手記をぼんやり見ていた。

「そろそろ、よろしいでしょうか」と淳一は言った。

「ええ」と瑠璃子は私を見ながらうなづいた。「わざわざ、ありがとうございました」

「田島さんが見つかったら連絡下さい。僕ももう一度会いたいですから」

 淳一の携帯電話の番号を聞き、私と瑠璃子は名刺を渡して淳一と別れた。

 淳一は手記を入れたビニール袋を持って、エレベーターの方へ向かった。すでにチェックインしているようだった。

「昔の事は色々とわかったけど、田島さんの行方は‥‥‥」と瑠璃子が首を振った。

「これからどうするんですか」と冬子が言った。

「田島さんは日曜日にここで中山さんと会って、祖父の兄が仲間に殺された事を聞いた。中山さんも言っていたが、かなりのショックだったという。そんなショック状態で新しいガマに行っただろうか」と私は誰にという事もなく言った。

「もしかしたら」とみどりが言った。「唯一、生きている川上伍長さんに会いに行ったのかしら」

 私はうなづいた。「田島さんは手記に書いてあった事が事実なのかを確認したくなって、川上伍長に会いに行ったと考えるのが妥当だと思いますが、どうでしょう」

「確かに、そうですね」と瑠璃子が右手に持ったペンで空中に何かを書きながら言った。

「川上さんの連絡先はご存知ですか」と私はみどりに聞いた。

 みどりはうなづいた。

「すぐに連絡しましょう」と瑠璃子は目を輝かせた。

 私は瑠璃子を抑えて、「その前に聞きたい事があるんですが、行方不明になった娘さんがいましたよね。その事は調べましたか」

 瑠璃子は笑った。「あれは関係ありませんでした。フロントに聞いたら、その一行は今朝、チェックアウトして帰って行ったそうです。駆け落ちだったようです。その娘が沖縄で彼氏と待ち合わせして、沖縄から成田に飛び、成田から海外に飛んだようです」

「へえ、駆け落ちでしたか」

「娘さんが彼氏と一緒に空港に向かったタクシーを見つけ出したようです。あんなチンピラたちが娘さんの行方を捜し出したのに、私たちはちっとも進展しない。川上伍長さんが何かを知っている事を祈るしかありませんね」

 私はもっともだというようにうなづいた。




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