酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







13.ひめゆりの塔




 川上伍長はリゾートホテル・リュミエールの会長だった。自宅は恩納村(おんなそん)にあるホテルの近くにあるとみどりは言った。

 みどりが電話をして、祖母の事で聞きたい事があるので会いたいと言うと承諾してくれた。今、那覇にいると言ったら、四時にホテルの方に来てくれと言った。ここからそのホテルまでは一時間位で行けるという。

 川上伍長に会う約束はできたが、四人で押し掛けるのはうまくないと瑠璃子は言った。確かに、相手が警戒して本当の事を言ってくれないかもしれなかった。みどりの友達として瑠璃子が付いて行く事にして、私は諦めて冬子と一緒に、ひめゆりの塔に行く事にした。

 冬子は「また行くの」と不満気だったが、私の顔を見て、仕方ないという風に両手を広げた。

 みどりと瑠璃子は瑠璃子の白いカルディナで恩納村に行き、私と冬子はみどりの赤いマーチで糸満に向かった。

 私が運転しようかと言うと、「何度も行って、もう道を覚えちゃったから、あたしが運転する」と冬子は運転席に乗り込んだ。

 私は助手席に座ると、「今度が何度目だ」と聞いた。

 冬子は指を折りながら「四回目、今日は二度目ね」と言った。

「四回も行けば道に迷う事はないな」と私は笑った。

「あたしも川上伍長さんに会いたかったのに」

「それは俺も同じさ。今回は島袋さんに花を持たせるさ。俺より先に調査を始めているからね」

「ねえ、ルリさんて素敵だと思わない」と冬子は運転席の位置を調節しながら聞いた。

「素敵だね」と私は言った。「もう少し明るい色の服を着て、もう少しセンスのいい眼鏡を掛けたら、もっと素敵になるだろう」

「でも、そうしたら目立ち過ぎるわ。今だって目立つもの」

 冬子はエンジンを掛けて、後ろを見ながらマーチを出した。

「君と一緒に聞き込みをしていれば、もっと目立ちそうだな」

 冬子はフフフと笑って、「ひめゆり資料館でルリさんは学校の先生だと思われていたのよ。探偵だって言うとみんな目を丸くして驚いていたわ」

「君はどう見られていたんだ?」

「あたしは何だろう。ただの観光客かしら。でも、ルリさんが探偵だって言った後は、あたしはその助手よ」

「それじゃあ、俺は君の助手という事にしておいてくれ」

 冬子は楽しそうに笑った。

 マーチは交差点で信号待ちをして右に曲がった。この辺りは新しい街なので道路も新しく、碁盤の目のように規則正しいようだった。

「ルリさんの探偵事務所って女の人ばかりなのよ」と冬子が言った。「マリさんていう人がチーフで、次がルリさん、そして、アイさん、ミカさん、ナナさんの五人でやってるの」

「へえ、女ばかりの探偵社か。まるで、『チャーリーズ・エンジェル』だな」

「そうなのよ。ルリさん、『チャーリーズ・エンジェル』に刺激されて探偵社を始めたって言ってたわ」

「テレビじゃなくて、映画の方だな」と私は聞いた。

「そう。キャメロン・ディアスよ。ルリさんはね、小さい頃から沖縄空手をやってるんですって。勿論、黒帯よ」そう言って冬子は私を見て、「怪我しないでよ」と言った。

「成程」と私はうなづいた。「それで、いつもズボンをはいているんだな。いつでも蹴りが入れられるように。そう言えば、君は昔、合気道をやっていなかったか」

「やってたわよ。紀子さんに影響されて、みどりと一緒に習ったのよ。精神集中と間合いっていうのが、絵を描くにもとても役に立ったわ。パリに行くまで習ってたけど、また習おうかしら」

「強くなったのか」

「相手が一人や二人だったら勝てるわね」

「そいつは頼もしい。もしもの時は頼むよ。俺は逃げるからな」

 冬子は笑いながら、「久し振りね」と言った。「あなたと二人きりで車に乗るの」

「そうだな」と私は答えた。「ビーチハウスに君を迎えに行った時以来だな」

「あの時のジープにまだ乗ってるの?」

「いや、動かなくなっちまってね。乗り換えたよ」

「今度も四駆なの」

「四駆には違いないが、目立たないセダンさ」

「そう。紀子さんからもらった赤いボルボもシルバー色のボルボに代わっていたわ。今度のボルボは四駆なのよ」

「この前、静斎さんが俺の事務所に乗って来たよ。なかなかカッコいい車だね」

 マーチは国道五八号線に入って南下していた。

「今、どんな絵を描いているんだ?」と私は聞いた。

「やっぱり人物画が多いわ。みどりは風景ばかり描いてるけど、あたしはダメ。どうしても人間の方が興味あるの。どんなと言ってもうまく説明できないけど、あたし、パリに行ってから、浮世絵に興味を持ったのよ。日本にいた時は全然興味なかったんだけど、印象派の画家やロートレック、ゴッホ、ゴーギャン、みんな浮世絵の影響を受けているの。あたし、向こうで北斎の勉強をしたのよ」

「パリで北斎か」と私は笑った。

「だって、日本にいたら、多分、気づかなかったと思うわ。向こうにも浮世絵の本はいっぱい出版されていて、とてもためになったわ」

「浮世絵っていうのは日本では評価されなかったんだよ。使い捨てのポスターみたいな物だからな。海外で評価されてから、日本人が改めて見直したんだ。だから、有名な浮世絵はみんな日本から出て行って海外の美術館にあるんだ」

「そうなのよ」と冬子は私を見た。「あなたが昔、画家だった事をすっかり忘れてたわ」

「結局、今は浮世絵を描いているのか」

「なに言ってるのよ。浮世絵じゃないわ。ピカソとマティスとモディリアーニとルオーとパスキンとモローとヴァン・ドンゲンとローランサンかしら」

「それらをごちゃ混ぜにしたような絵か」

「ごちゃ混ぜにしてから消化吸収するのよ」

「そしたら、きっと素晴らしい(くそ)が出るだろう」

「もう、相変わらず下品なのね」

「ムッシュやセニョールではないな」

 冬子は声を出して笑っていた。私も笑った。

「それにね、あたし、向こうでジャズを聴きながら絵を描いていたのよ」

「ほう、紀子さんの影響か」

「紀子さんの曲はみんな素敵でよく聴いたけど、他のジャズはよくわからなかったの。パリに行ったら何となくジャズが合うのよ。それで次々に聴いているうちにだんだんとわかって来てね、すっかり(とりこ)になりました」

「へえ、最初に何を聴いたんだ?」と私は聞いた。

「マイルス・デイヴィスの『クッキン』」

「ほう。名盤だな。見る目があるよ」

「ジャケットのデザインで決めたのよ」

「トランペットの絵だな」

「そう。それから、マイルスをしばらく聴き続けて、次にコルトレーンを聴き続けて、その後はソニー・ロリンズよ。沖縄にはロリンズが合いそうね」

「久し振りに『サキソフォン・コロッサス』が聴きたいね」と私が言うと、「持ってるわよ」と冬子が言った。

 次の信号待ちの時、冬子はハンドバッグからCDケースを出して、中から一枚を選んで車のプレイヤーに入れた。懐かしい音楽が流れて来た。しばらく、黙ってソニー・ロリンズのテナー・サックスを聴いていた。

「ねえ、いい(ひと)できたの?」と冬子が突然、聞いた。

「なかなか、いい縁がなくてね」と私は言った。「好きになる女はみんな人妻さ」

 冬子は笑っていた。

「君はどうなんだ。パリで彼氏はできたのか」

「なかなか、いい人には巡り会えなかったわ」

「髪の毛はいつ切ったんだ?」

「帰って来るちょっと前よ」

「彼氏と別れて切ったのか」

 冬子は私を見て、微かに笑っただけで答えなかった。

 四十分程でひめゆりの塔に着いた。駐車場には観光バスが何台も止まっている。ひめゆりの塔は観光客が一度は訪れなければならない観光名所なのだ。

 ひめゆりの塔は柵に囲まれた中にあって、思っていたよりも小さな石碑だった。石碑の向こうにある穴が陸軍病院の第三外科壕だと冬子が教えてくれた。冬子が手を合わせて黙祷したので、私も真似をした。

 ひめゆり平和祈念資料館はひめゆりの塔の隣にあった。

「仲間さんがいてくれるといいんだけど」と冬子が資料館に入る時に言った。「みどりのお祖母ちゃんと同級生なの」

「へえ、同級生がここにいるのか」

「そう。ひめゆり同窓会の人たちが、ここに来る観光客や学生さんたちに色々と説明をしてあげてるの」

「もういい年だろう」

「七十七歳ですって」

「七十七と言えば喜寿だな。七十七になっても仕事をしてるのか」

「ボランティアじゃないの。戦争の悲惨さを戦争を知らない人たちに伝えるのが、生き残った人の使命だって言ってるわ」

 私は観光客と一緒に第一展示室から見て回った。

「あたしは仲間さんを捜して、最後にある平和の広場にいるから、ゆっくり見て行って」そう言うと冬子は先へと進んで行った。

 第一展示室には戦前の女学生たちの生活が展示されていた。戦争が始まる前の女学生の様子がよくわかる。

 沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校は真和志(まわし)村安里の同じ敷地内にあって、戦争が始まると一緒に陸軍病院に動員されていた。

 師範学校というのは学校の先生を養成する学校で、今で言えば大学の教育学部に相当して、本科と予科があった。本科は二年制で中学校卒業か高等女学校卒業で入学でき、予科は三年制で国民学校の高等科を卒業すると入学できたらしい。みどりの祖母は予科の三年生だったと聞いている。

 当時、学校の先生は女性にとって憧れの職業だった。先生になるために県内の各地から集まり、寮に入って勉学に励んでいた。学芸会や音楽会、記念式典、寮での生活の写真が展示してあり、生徒たちが皆、夢を持って学生生活を送っていた様子がわかる。生徒たちが読んだ本や観た映画の事や制服や髪型の事まで書いてあった。

 私はひめゆり学徒隊の事しか知らなかったが、他にも県立第二高等女学校は白梅学徒隊、県立第三高等女学校はなごらん学徒隊、県立首里高等女学校は瑞泉(ずいせん)学徒隊、昭和高等女学校は梯梧(でいご)学徒隊、積徳(せきとく)高等女学校は積徳学徒隊と呼ばれ、戦争に動員されて多くの犠牲者を出していた。

 第二展示室には戦争に突入して、南風原(はえばる)陸軍病院の補助看護婦として働く様子が展示されていた。みどりの祖母や田島上等兵、川上伍長の気持ちを知るために、私は注意深く展示品を見て回った。

 みどりと一緒に行った南風原の黄金森という丘には四十近くもの横穴が掘られ、粗末な二段ベッドが置かれて病棟になっていたという。生徒たちはその穴の中で重傷兵の排泄物の処理や切断した手足の処理、亡くなった兵隊の埋葬までしていた。水汲みや食事の運搬の時は、絶え間なく砲弾の落ちる中に飛び出して行かなければならなかった。南風原の陸軍病院で教師が二名、生徒が九名亡くなっていた。

 陸軍病院は当初、本部、外科、内科、伝染病科に分かれていたが、戦争が激しくなると重傷患者が次々に運ばれて来て、外科が第一外科、内科が第二外科、伝染病科が第三外科になり、それでも間に合わなくなって、一日橋分室、識名(しきな)分室、糸数(いとかず)分室というのもできたようだ。

 真っ暗でジメジメしている壕内は死臭や血や(うみ)糞尿(ふんにょう)の匂いが充満していて、絶えず患者のうめき声が聞こえる。重傷患者の傷口からは蛆虫(うじむし)がわき、脳症患者は小便を飲んだり、裸で暴れ回ったり、破傷風(はしょうふう)の患者は全身痙攣(けいれん)を起こして亡くなって行く。壕内の様子は言葉も絶する程の悲惨さで、生徒たちは休む間もなく働き続けて、立ったまま眠ったという。

 病院壕の内部も再現されていて、壕から発掘された医療器具なども展示されていた。

 それらは私が思っていた以上にすごい状況だった。こんな状況の中で、重傷患者たちを看護していたなんて、私だけでなく、平和な時代に生きている者たちにはとても信じられないだろう。

 五月の下旬になって、米軍が首里にある司令部に近づいて来ると、司令部と共に陸軍病院も南部に撤退する事になる。雨が降り続ける中、生徒たちは南へと移動する。動ける患者は皆、壕から追い出され、杖をついたり、足のない者は這って移動した。動けない患者は青酸カリの入ったミルクを飲まされたという。南部に移った陸軍病院は避難していた住民たちを追い出し、避難壕を確保して分散した。

 六月十八日の夜、米軍がすぐそばまで迫って来て、陸軍病院は解散となる。生徒たちは病院壕を出て砲弾が炸裂(さくれつ)する中を当てもなく彷徨(ほうこう)する。

 六月十九日の早朝、第三外科壕は米軍の攻撃を受けて、中にいた八十名余りが死亡し、その中にひめゆり学徒が四十六名いた。

 順を追って見て行くうちに、私はすごい衝撃を受けていた。ひめゆり学徒隊は二百二十二名の生徒と教師十八名が動員されて、その内の百三十六名が命を落としている。あまりにもひど過ぎる。あまりにも悲惨過ぎた。鎮魂の間に展示してある女学生たちの遺影は、一人一人が何かを私に訴えているように感じられた。

 第三外科壕を再現したジオラマを見ていると冬子が来た。

「どうでしたか」と冬子は聞いた。

「すごいな」としか私には言えなかった。

「すご過ぎるわ」

 私はうなづいてから、「仲間さんはいた?」と聞いた。

「ええ、いました。向こうで待ってます。正午(おひる)頃、マリさんとアイさんが来たみたい」

「マリさんとアイさんて、瑠璃子さんの仲間のか」と私は聞いた。

「そう。詳しい事はわからないけど、女子大生を捜しているみたい」

「へえ、結構、忙しいんだな。瑠璃子さんの探偵社は」

「実績があるんじゃないの」

 私はもう一度、遺影を見てから冬子に従った。

 七十七歳の仲間さんは、元気そうなお婆さんだった。

 私は自己紹介して、田島さんを捜している事を告げると、さっそく本題に入った。

「あなたと同級生だった新垣幸子(ゆきこ)さんの事を聞きたいのですが」と私が聞くと、仲間さんは驚いたようだった。

「幸子さんですか。幸子さんは一昨年(おととし)に亡くなってしまいましたが、幸子さんが田島さんの行方不明と関係あるのですか」

「関係ないかもしれませんが、ちょっと気になるものですから。話していただけませんか」

「そうですか」と仲間さんは言って、目を細めた。

「幸子さんは女学生の頃、どんな娘さんだったのですか」

「幸子さんは真面目で可愛い人でしたよ。オルガンを弾くのが上手で、いつも歌を歌っていました。お孫さんのみどりさんによく似ています。幸子さんはとうとう、ここへは来ませんでした。亡くなるちょっと前にお手紙をいただいて、ずっと名護で暮らしていた事を知りました。私はすぐに会いに行きましたよ。幸子さんはとても喜んでくれました。幸子さんは同級生で誰が亡くなって、誰が生きているのか全然知りませんでした。私は知っている限り、話してやりました。黙って聞いていましたが、自分では何も言いませんでした。戦争の事は思い出したくないと言っていました。この間、みどりさんを見て、私はあの頃の幸子さんが来たと錯覚しましたよ。本当によく似ています」

「金城芳江さんはどうでした?」と私は手帳を見ながら聞いた。

「芳江さんはスポーツ万能の明るい人でした。背が高くて美人で、それはもう男子学生たちに騒がれていました。戦争を生き延びたのに、衰弱が激しくて亡くなってしまいました。第四展示室に遺影が飾ってあります。ご覧になって下さい」

「もう一人、宮城八重子さんはどうでした?」

「八重子さんは色白でおっとりとしていましたが、しっかりした人でした。戦後にお父さんと一緒にブラジルに渡って、去年の六月に沖縄に帰って来て、ここに顔を出しました。本当に久し振りの再会でした。八重子さんの話から、幸子さん、芳江さん、八重子さんの三人がずっと一緒にいた事がわかりました。来年もまた来ると言ってブラジルに帰って行きました」

「川上伍長さんは覚えていらっしゃいますか」そう聞くと仲間さんは目を丸くした。

「覚えているどころか、川上さんには色々とお世話になっています。この資料館を設立する時にも多大な支援を受けています。戦争中も優しい伍長さんでした」

「川上伍長さんは厳しい人でしたか」と私は聞いた。

「いいえ、そんなに厳しい人ではありません。あまり怒ったりはしなかったと思います。沖縄が返還された年に、川上さんは鹿児島から沖縄に移って来て、ホテルの経営を始めて成功しました。沖縄のために働きたいと言って、様々な平和活動に参加しています」

「そうですか。立派なお方のようですね」

「はい。御立派なお人です」

「前田上等兵さんは覚えていらっしゃいますか」と私は聞いた。

「前田さんは二枚目で頭がよくて、女学生や看護婦さんたちに人気がありました。私も密かに憧れていたんですよ」そう言って仲間さんは手を口に当てて笑った。

「上原謙のような人でしたか」

「ええ、そうです。若いお方が上原謙なんてよく御存じですわね。去年の夏だったか、田島さんから、前田さんが事故で亡くなったと聞きました。みんな、本当に驚きましたよ」

「田島上等兵さんはどうでした?」

「田島さんのお祖父さんのお兄さんですね。真面目で優しい人でした。田島さんも結構、女学生に人気がありましたよ。本人はそんな事は知らずに戦死してしまいましたが」

「今村一等兵さんはどうですか」

「今村さんは真面目で静かな人でした。私たちが何かを頼んでも決していやな顔をしないでやってくれました。困った事があると何でも今村さんに頼んで、頼りになる人でした。八重子さんの話から田島さんと今村さんが国頭(くにがみ)突破に出かけて行って戦死した事を知りました」

「坂口一等兵さんは?」

「坂口さんは大きな人でした。ちょっとのろまで動きが遅くて、よく怒られていました。前田さんがよく庇ってやっていましたので、後半は前田さんの子分みたいな感じでした」

 仲間さんは目を細めて遠くを見ていた。

 私はお礼を言った。




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