酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







16.行方不明の女子大生




 スヴニールホテルに帰るとカメラマンの比嘉安治が首を長くして待っていた。真一のパソコンが開けられたという。しかし、新しいガマの事はどこにも書いてなかったらしい。

 比嘉は仕事が終わった後、真一のアパートに行った。誰もいないかもしれないと思ったが、明かりがついているので、真一が帰って来たのかとノックをした。そしたら、妹の百恵と母親がいた。百恵はずっとパスワードと格闘していて、どうしてもダメだと気落ちしていた。比嘉も挑戦してみたが、やっぱりダメで、何かいい方法はないものかとゲストでログインして検索してみたら、パスワード解析ソフトがある事を知った。試しに使ってみたら何とか開ける事ができたという。

「それで真一さんのパスワードは何だったのですか」と私は聞いた。

「それなんですよ。まったく考えもしないものでした」そう言って、比嘉はポケットからメモ用の紙きれを出して『ushijima1887731』と書いた。

「ウシジマとはどこかの島ですか」

「いえ、人の名前です。沖縄戦の時の司令官、牛島中将(ちゅうじょう)の事です。田島さんと同じ鹿児島出身なんですよ。彼は牛島中将の事も色々と調べていました」

「その次の数字は?」

「調べてみたら、牛島中将の誕生日でした。一八八七年の七月三十一日です」

「そうでしたか。それじゃあわかるはずがありませんね。御苦労さまでした」

 私は一応、真一のパスワードを手帳に写した。

「せっかくログインできても無駄でした。まだ新しいガマの事は書いてありません。調査を終えてから書き込むつもりだったのでしょう」

「これで手掛かりはなくなってしまいましたね」

「はい」と比嘉は残念そうに首を振った。

 冬子が来て私の隣に座ると、「みどりたちはまだ帰ってないわ」と言った。「お父さんもね」

 それから十分ほど比嘉から真一の事を聞いていると、みどりと瑠璃子が帰って来た。瑠璃子は相変わらず姿勢を正して颯爽(さっそう)としているが、みどりはもう疲れきっているようだった。

 私は冬子を見た。冬子はうなづいて、みどりのそばまで行って、そのまま部屋に連れて行った。

 瑠璃子は私たちの所に来ると、「失礼します」と言って、私の正面に腰を下ろした。

「食べ過ぎたわ」と瑠璃子は笑った。

 初めて瑠璃子の笑顔を見たような気がした。その笑顔を見て、仕事以外で会ってみたいものだとふと思った。

 瑠璃子は比嘉から電話で聞いていて、パソコンの事はすでに知っていた。比嘉に「御苦労さまでした」と言っただけで、それ以上は聞かず、川上伍長との会見の様子を話してくれた。

 川上伍長はすでに八十六歳になるお爺さんで、思っていたよりも小柄の人だったという。立派なリゾートホテルの創業者で会長でありながら、偉ぶった所もなく気さくな人だった。耳が少し遠いが健康そうで、足取りもしっかりしている。真一がいなくなった日曜日は名護に住んでいるひ孫の誕生祝いに行っていた。真一が行方不明だと聞いて目を丸くして驚いていたという。

 比嘉も川上会長には一度会った事があって、人のいい爺さんだと言った。ただ、比嘉の出版社の社長が言うには三十年位前の川上会長はやくざ者とのつながりも噂されて恐ろしい男だったらしい。

 中山淳一が持っていた手記の事を言うと、川上会長は坂口一等兵も亡くなったのかと聞いて来た。坂口一等兵は川上会長が沖縄に来る以前に、鹿児島から出て行ってしまい、どこに行ったのか知らなかったという。

 手記に書いてあった殺人の事を聞くと、川上会長はしばらく黙っていたが、当時の事を話してくれた。

 昭和二十年六月十八日の夜、陸軍病院は解散になった。すでに米軍はすぐそばまで迫って来ていた。川上伍長は同郷の五人の部下と一緒に第一外科壕を出て、敵の砲弾が炸裂する中をさまよった。うまい具合に田島上等兵がガマを見つけて、その中に逃げ込んだが、一人がはぐれてしまい見つける事はできなかった。

 そのガマは入口は狭いが中は広く、奥の方まで行くと水も流れていた。誰かがいた形跡はあったが、その時は誰もいなかった。五人は入口をわからないように擬装して安心して休んだ。夢中で逃げていたのでわからなかったが、艦砲の破片にやられて川上と坂口は足を怪我し、前田は胸を怪我していた。

 次の日、逃げ込んで来たのが、同じ第一外科にいた女学生三人だった。食糧は乏しかったが追い出すわけにはいかなかった。追い出せば確実に死んでしまう。怪我人もいたし、彼女たちに看護を頼む事にした。そしてその日の夜、動けない川上を置いて四人は食糧を調達するために出て行って、田島と今村は戻って来なかった。前田に聞くと二人は国頭(くにがみ)突破に出掛けたという。

 当時、沖縄の北方には健在な日本軍の部隊がいて、敵の後方から総攻撃を掛けるという噂がどこからともなく聞こえて来て、そこに合流しようと国頭突破という事がよく言われていた。怪我をしていない二人は出て行ったのだろうと川上は思った。

 二人が殺されたと聞いたのは、米軍に捕まって捕虜(ほりょ)になってからだった。前田は食糧が足らなくなったから二人に犠牲になってもらったと言った。まったく知らなかったとは言え、上官として責任を取らなくてはならない。ハワイの収容所から日本に帰って来て、川上は田島と今村の身内を捜し出して、二人の墓参りをしたが、真実を告げる事はできなかった。

 沖縄が返還された後、川上は二人が亡くなった沖縄に戻り、沖縄の復興のために身を尽くそうと決心してホテル経営を始めた。二度とあんな悲惨な戦争を起こさないために、様々な平和活動にも参加している。二人を殺した罪滅ぼしにはならないが、自分なりに一所懸命に生きて来たつもりだと川上は言ったという。

「川上会長は田島さんとは会っていません」と瑠璃子は言った。「会長は田島さんの事をかなり気に入っているようです。若いのにあれだけ真剣に沖縄戦の事を調べているなんて大したもんだ。ああいう若者がいれば、わしらも安心して死ねると言っていました。もし、田島さんから会いたいと言ってくれば喜んで会ったでしょう。その日、会長が名護にいたのは事実です」

 瑠璃子が何かわかったかと聞いたので、私は首を振った。

「ひめゆりの塔で沖縄戦の悲惨さを思い知っただけです。それと、中山さんは無事でした。川上さんのホテルの支配人が中山さんに会いに来て、手記を読ませてくれと言ったそうですが、断わったそうです」

「支配人というと大城支配人ですか」と瑠璃子は聞いた。

「いえ、日高誠という男ですが」と言うと瑠璃子はうなづいて、見ていた手帳に書き加えた。

「事務所から連絡があって、東京の女子大生が行方不明になって捜索を依頼されたそうです」と瑠璃子は何でもない事のように言った。

「えっ」と私は驚いた。「詳しく教えて下さい」

「名前は島田早紀子、二十二歳、大学を卒業したので正確には女子大生ではありません。三月十日から四泊五日の一人旅で、泊まっているホテルは四泊とも那覇のハーバービュー・ホテルです。十一日にバスターミナルから糸満に行き、そこからタクシーでひめゆりの塔に行った事までは確認できましたが、それ以降どこに行ったのかわからないそうです」

「十一日と言えば、田島さんが中山さんと会った日ですね」

 瑠璃子はうなづいた。「ふたりが島田早紀子に会った可能性はあります。十三日に母親が心配して沖縄に来て、十四日に警察に捜索願を出して、今日の午前九時半にうちの事務所に依頼に来ました」

「そうですか。例の被害者の可能性大だな」

「警察も本腰で捜しているようです」

「いよいよ、沖縄に現れたのか」と比嘉がテーブルを叩いた。「恐ろしい事だ」

「そう言えば、正午(ひる)頃、ひめゆりの塔にマリさんとアイさんが聞き込みに来たらしいけど、その件だったのですね」

 瑠璃子はうなづいて時計を見た。私も見ると十時を過ぎていた。

「私はそろそろ失礼します。明日も九時にまいります」

 瑠璃子は手帳をハンドバッグにしまうと、頭を下げて帰って行った。

 瑠璃子と入れ違いのように静斎がふらふらした足取りで帰って来た。私に気づくと手を振って、「悪いのう。待っていてくれたんか」と笑った。




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