〜閉ざされた闇の中から〜
17.ハイサイおじさん
気温は暖かいが、今日は曇っていた。今にも雨でも降りそうな雲行きだ。 私は冬子と一緒に川上会長のリゾートホテル・リュミエールに向かっていた。車内には冬子のお気に入りだというリー・モーガンの『キャンディ』が流れていた。 リュミエールの意味を冬子に聞いたら『光』という意味のフランス語だという。川上伍長は暗闇のガマから外に出た時の感動が忘れられず、『光』という名をホテルに付けたのだろうか。それとも、映画が好きで、映画を発明した『リュミエール兄弟』に由来しているのだろうか。そう言えば『風と共に去りぬ』は戦前の作品だった。あんな映画を作ったアメリカを相手に戦っていたのだから無謀と言える。もっとも、それなりの理由はあったのだろうが。 私たちが泊まっているホテルの『スヴニール』の意味を聞くと、これもフランス語で『思い出』という意味らしい。『ルネッサンス』という名のホテルもあるし、リゾートホテル・ブームの頃、沖縄ではフランス語が流行っていたようだ。 「いい思い出を作らなくちゃね」と冬子は私をちらっと見て言った。 「いい思い出になってくれればいいが」と私は景色を眺めながら言った。 田島真一の行方は相変わらずわからず、最悪の場合も考えられる。そうなれば、沖縄にはいやな思い出しか残らない。 みどりは具合が悪くなって、今日は静斎と一緒にホテルで休んでいた。瑠璃子は仲間の奈々子と美夏を連れて、真一が見つけたガマを捜している。真一の写真を見せながら聞き込みをすれば、絶対に誰かが真一を見ているはずだと出掛けて行った。 冬子が運転するマーチは那覇の街から沖縄自動車道に乗り、 「夏の沖縄に来た事はあるのか」と私は冬子に聞いた。 「学生の頃、夏休みにみどりの帰郷に付いて行った事があるわ。もう五、六年も前よ」 「そうか。仕事じゃなくて、休みの時に来たかったよ」 「仕事が終わったら、少し休んでのんびりすればいいじゃない」 「真一さんが無事だったらそうするよ」 「そうね」と言って冬子は黙った。 この辺りの海岸沿いには大きなリゾートホテルがいくつも建っていて、まだ建設中のホテルだかマンションだかもあった。沖縄は随分と変わったとみどりは言った。静斎も言っていた。まだまだ沖縄は変わって行くようだ。 一時間程でリュミエールホテルに着いた。思っていた通り、大きなリゾートホテルだった。 ホテルの玄関はチェックアウトのお客さんで混んでいた。フロントにも大勢の客がいる。シーズン・オフのこの時期は団体のお客さんが多いようだ。年配客の団体や大学生らしいグループも多い。 フロントに置いてあったパンフレットをもらい、フロントが落ち着くまで、私たちは館内を見て歩いた。二階のレストランが並んでいる廊下に、古い日本映画のポスターがいくつも飾ってあった。石原裕次郎や小林旭が活躍していた六〇年代の日活映画のポスターだった。やはり、会長は映画好きだったようだと納得した。プールサイドから外に出られたので海辺まで行ってみた。 冬子は波打ち際まで走って行って、両手を伸ばして、「気持ちいい」と言って笑った。確かにいい気持ちだった。潮風が心地よかった。綺麗な海を見ていると心が洗われるようだった。 「みどりと一緒に沖縄に来た時、石垣島まで行ったのよ。石垣島の海はもっと綺麗だったわ」 「へえ、そうなのか。石垣島と言えば中山さんが行くって言ってたな。もう、向こうに着いただろうか」 「那覇から石垣まで、飛行機なら一時間よ。朝早く飛べばもう着いてるはずよ」 「そうか。俺もあんな気ままな旅がしてみたいよ」 「一人旅じゃ、寂しいけどね」冬子はしゃがんで貝殻を拾っていた。「中山さんて彼女いないのかしら」 「彼女はいるだろう。今回は祖父さんの手記を読むために来たから一人で来たんじゃないのか」 「そうよね。石垣島の近くには竹富島や 「与那国島って、ドクター・コトーの島じゃないのか」と私は聞いたが、冬子は知らなかった。『ドクター・コトー』が放映された頃、冬子は日本にいなかったのだ。 「それじゃあ、テレビを見ても知らない人ばかりだろう」と私は聞いた。私も若い頃、日本を出て、三年振りに日本に帰って来た時、テレビを見ても知らない人ばかりだったのを思い出した。昭和天皇が 「そうね。まだ、あまりテレビを見てないけど、知らない人が多いわね」 フロントに戻るとお客の姿はまばらになっていた。私は名前を告げて大城秀義を呼んでもらった。海を眺めながらロビーで待っていると十分程して、秀義は現れた。ホテルの制服らしいアロハシャツを来た秀義は背はあまり高くないが、髪を茶色に染めた色黒のスポーツマンタイプだった。 私は名刺を渡して、田島真一を捜している事を告げた。秀義は名刺を見てから、冬子を見た。冬子は頭を軽く下げると、「助手の竹中です」と言った。 「祖父から聞きました」と秀義は言って、私の正面に腰を下ろした。「一体、何があったのです。日曜日にいなくなったと聞きましたが」 「何があって、どこに行ってしまったのか、まったくわかりません。毎日、捜し回っていますが、何の手掛かりも見つからないのです。そこで、田島さんの知り合いの方を訪ね回っているわけです。大城さんは日曜日に田島さんと会いましたか」 秀義は冬子を見てから私を見て首を振った。「日曜日に那覇に行った事は確かですけど、田島先輩とは会っていません」 「最近、会ったのはいつですか」 「あれは一月だったかな。先輩がここに来たんですよ。祖父に用があるとか言って。何でも祖父から沖縄戦の話を聞きたいとか言ってましたが、その時から後に会ってはいませんよ」 「そうですか。田島さんの妹さんには会いましたか」と私が聞くと、秀義は驚いたような顔をしてから、不機嫌そうな顔つきになって、「会っていません」と強い口調で言った。 「僕に聞いても無駄ですよ。先輩の事なんて何も知りません。よそを当たって下さい。こっちも今、大変なんです。支配人がどこかに行ってしまって、これから那覇まで捜しに行かなけりゃならないんです」 「ちょっと待って下さい」と私は去ろうとした秀義を引きとめた。「支配人というのは日高さんですか」 「えっ、支配人を知ってるんですか」 「昨日、会いました」 秀義はまた腰を下ろすと、「どこで会ったんですか」と聞いた。 私は真一のアパートで日高と会った事と、五時頃、ホテル・ナハパレスで日高が中山淳一と会っていた事を教えた。日高の事を直接話したいので、会長に会わせてくれと頼むと少し考えてから、秀義はうなづいた。 秀義の案内で私たちはフロントの裏にある事務所を通って会長室へ向かった。 会長室は想像していたよりも狭い部屋で、書物に埋まっているという感じだった。机に座って何かをしていた川上会長は秀義から話を聞くと、私たちを招き入れてソファーに案内した。壁にはいくつかの表彰状とセザンヌ風の風景画と古い建物を写した白黒写真が飾ってあった。秀義は会長に何かを言われて出て行った。 「田島さんを捜しているそうですな」と言って会長は私たちの向かいに座った。とても八十六歳には見えなかった。八十六と言えば静斎よりも十歳も年上だ。静斎も若いが、川上会長はそれ以上に若かった。 「昨日も女性の探偵さんが見えましたが、残念ながら私は何も知りません」 「お話は島袋さんから伺いました。今日はお孫さんの秀義さんに会いに来て、秀義さんから日高さんの行方がわからないと聞いたものですから、お役に立てればとお伺いしたわけです」 「日高も子供ではないから、そのうち連絡して来るとは思うが、家族の者が騒ぎ出してな、今、秀義を那覇に向かわせたんじゃ」 私は会長に昨日の日高の行動を教え、「日高さんが中山さんを訪ねたのは、会長の命令だったのですね」と聞いた。 会長はじろっと鋭い視線で私を見たが、すぐに和らげて、うなづいた。 「本音を言えば、あれを公表されたら困るんでな。何とか手に入れられないものかと考えたんじゃよ。日高が中山さんに会ったのは確からしいが、その後、何の連絡もくれんのじゃ。どうなったのか気になっていたんじゃがのう。日高は何時頃まで中山さんと一緒にいたのかおわかりかな」 「中山さんの話ではホテルのロビーで話をしただけで、その後、中山さんは首里城に行ったようです。詳しい時間はわかりませんが、三十分位だったのではないでしょうか。どこからか電話があったらしくて、慌てて帰って行ったと言っていました」 「そうか」と言って会長はテーブルの上に置きっ放しになっていた郵便物を片隅に片付けた。 「日高さんは那覇に泊まる予定ではなかったのですね」と私は聞いた。 「帰って来るはずじゃった。もし、泊まったとしても十時までには戻って来るはずじゃ。今日は役員会議があったんじゃよ」 「そうですか」と私は言ってから間を置いて、「話は変わりますが、前田上等兵に 会長は溜息をついてソファーに持たれると、「そんな事まで知っておるのか」と観念したように言った。 「何度か強請られた。大した額ではなかったが、わしが沖縄にいる事を知ってから、ちょくちょく、ここにやって来た」 「田島上等兵と今村一等兵の事で強請られたのですね」 「そうじゃ。自分でやったくせに、わしに命じられたと言ってな」 「前田上等兵は事故死していますが、その事件に会長は関係ないのですね」 会長は座り直すと、テーブルの上で両手を組んだ。 「あの時、わしも疑われたが、運よくアリバイがあったので助かった。何だったかは忘れたが、何かの集まりに出ていたんじゃろう。前田も戦争で自慢の顔に傷を付けられてしまってから人が変わってしまったようじゃ」 「顔に怪我をしたのですか」と私は聞いた。 「右頬から胸にかけて 「会長さんも足を怪我したと聞きましたが治ったのですか」 「未だに傷跡は残っておるが、幸いに全快したよ。米軍に捕まって治療してもらったおかげかもしれん。足の中からいくつも艦砲の破片が出て来た。坂口も足を怪我したんじゃが、ハワイに向かう船の中で急に悪化してしまってな、切断しなくてはならなくなってしまったんじゃ」 「えっ、坂口一等兵は片足だったのですか」 「そうじゃ。 「日高さんの事に話を戻しますが、日高さんは那覇で泊まる場合、決まったホテルとかあるのですか」 「ホテルではないが、泊まる所はあるようじゃな。今、秀義に行かせたよ」 「女ですか」と私は聞いた。 会長はうなづいた。「まったく、困ったもんじゃ。電話をして来たというのはその女じゃろう。最近、忙しくて那覇に行けなかったからな、早く来てくれと言われて飛んで行ったんじゃろう。つまらん女に引っ掛かって‥‥‥奴はわしの甥なんじゃよ」 「失礼しますよ」と誰かが入って来た。ホテルの人間には見えない小柄な中年男だった。 「おや、お客さんでしたか」とその男は私たちに軽く頭を下げた。その顔つきや目つきは刑事に違いなかった。 「直美がさっそく連絡したようじゃな」と川上会長は言って苦笑した。 「支配人の奥さんから捜索願が出されました。それで、事情を聴きに参ったという次第です」 「丁度いい。ここにいる二人から昨日の日高の様子を聞いておったところじゃ」 私は名刺を出して自己紹介をした。 「ほう、東京の探偵がはるばる沖縄まで」とじろっと私を見た。 「依頼されれば、どこにでも行きます」と私は答えた。 「なかなかすご腕のようですな。私は県警の与那覇です」そう言って与那覇警部は会長の隣に腰を下ろした。 私はもう一度、日高の昨日の行動を説明した。 「その中山という男は何者なんです」と与那覇警部は聞いた。 「カメラマンらしいです」 「ほう、それで、まだ那覇にいるんですか」 「多分、石垣島だと思います。三日位、向こうにいると昨日は言っていました。確認していないのでチェックアウトしたかどうかはわかりません。気が変わってまだ滞在しているかもしれません」 「ナハパレスか。贅沢なホテルに泊まっているな」と言って、与那覇警部は舌を鳴らした。「調べてみるか」 警部が会長から日高が那覇で寄りそうな場所を聞いている時、『ハイサイおじさん』のメロディが流れた。警部は慌ててポケットを探ると、「失礼」と言って電話に出た。 「なに」と言ってから、警部はうなづきながら話を聞いていた。 「わかった。すぐ行く」と言って電話を切り、「娘がやったんだ」と携帯を示して苦笑した。そして、真顔に戻って私と冬子を見ると、「田島真一さんの車が見つかった」と言った。 |
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