酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







19.アブチラガマ




 冬子が気を利かせて買って来た弁当を食べた後、私と冬子と静斎はみどりの案内で、近くにあるアブチラガマに入ってみた。

 ガマというのがどんなものなのか体験してみる必要を感じたからだった。静斎も見てみたいというので、三人で行こうとしたら、みどりが案内すると言った。具合が悪そうだったが、もしかしたら、真一がアブチラガマに入って怪我をしているかもしれないから、確認したいという。

 アブチラガマは真一の車が発見された場所から一キロと離れていなかった。真一の写真を見せたら、受付にいた人は真一の事を知っていた。それでも、今年になってからは来ていないという。最近、この近くで見かけなかったかと聞いてみたが首を振った。

 入場料を払い、懐中電灯を借りて、ガマの入口に向かった。

 入口には手すりが付いていて、急な階段が下の方へと続いていた。

「このガマは沖縄戦の時、日本軍が入って陣地として使っていました。この入口も日本軍が掘ったそうです」とみどりは説明した。

「米軍がすぐそこの港川から上陸するかもしれないと考えて、ここに陣地を作ったのです。でも、米軍は北谷(ちゃたん)の辺りに上陸しました。ここにいた部隊は敵と戦うために首里の方に移動して、ここは陸軍病院の糸数分室になります。患者さんが増え過ぎて南風原の陸軍病院だけでは収容しきれなくなって、ここが病院壕になったのです。南風原から軍医さんや看護婦さん、衛生兵にひめゆりの女学生たち、全員で三十人位が移動になって、負傷兵の治療に当たりました」

 狭い穴の中を足元に気を付けながら下まで下りると中は真っ暗だった。懐中電灯で照らしながら先へと進んだ。中はかなり広く、所々に案内板が立っている。

「ここには兵舎がいくつも建っていたそうです。糸数の集落から空き家を解体して持って来て、ここに建てたんです」

「ほう、こんな中に(うち)まで建っていたのか」と静斎が懐中電灯であちこち照らしながら言った。

慰安所(いあんじょ)まであったと真一さんは言っていました」

「慰安所って?」と冬子が聞いた。

「慰安婦がいる所よ」とみどりは言った。

「娼婦じゃよ」と静斎が説明した。「戦時中、兵隊の欲求に応えるために軍隊のいる所には必ず慰安所が作られたんじゃ。それにしても、こんな穴の中にも慰安所があったとは驚きじゃな」

 ガマの中は石垣などもあって、日本軍によって手を加えられた跡が残っていた。順路に従って進んで行くとまた広い場所に出た。

「ここにも兵舎があって、偉い人たちがいたようです」とみどりは説明した。「病院壕になってからは重傷患者がここに運ばれたようです。このガマは広いですから、次々に患者さんが運ばれて来て、六百人余りもいたそうです。六百人を三十人で治療して回ったようです」

「そいつはすごい」と私は唸った。

 そんな事ができるはずはなかった。軍医や看護婦、女学生たちは必死に看護しただろうが、治療もされずに放置されたままの患者もいたに違いない。誰にも看取られずにひっそりと亡くなった兵士もいたに違いない。日本の勝利を信じて沖縄まで来て、重傷を負って、こんな穴の中で亡くなってしまうなんて哀れだった。

「患者さんたちのうめき声やわめき声が絶える事なく響いて、血や(うみ)の臭いや大小便の臭いが充満して、まるで地獄のようだったそうです」

 その光景を想像しただけで恐ろしくなる。ここでそのような事実があったなんて、とても信じられなかった。しかし、それは決して、忘れてはならない事実なのだ。

 そこはそれ以上進めず、最初の広場に戻ってから反対方向に進んだ。

「ここにあったという建物はどうなったんじゃ」と静斎がみどりに質問した。

「この辺りの建物は米軍の攻撃で焼かれたものと思われます。米軍は火炎放射器やガソリンを撒いて火をつけたりしたようです。この奥にも何軒か建物がありましたが、それは誰かが火をつけたらしくて、ここに隠れていた人たちが八月の末に出た後、二日間も煙が出ていたそうです」

「八月の末まで、ここに隠れていた者がおったのか」と静斎が驚いたような声で聞いた。

「はい。陸軍病院が六月の初めに出て行った後は、この辺りの住民たち二百名近くが逃げ込んで来ます。六月の六日頃からここにも米軍の攻撃が始まったようです。六月の末に沖縄の戦争は終わりましたが、ガマの中にいる人たちはそんな事は知らずに隠れ続けます。村の人が来て、戦争はもう終わったから出て来いと言っても、あいつは敵のスパイになったと言って、出ては行きませんでした。八月の末になって、ようやく、説得されて出て行ったようです」

「そうか、こんな中に三ヶ月もいたとはのう」

 岩と岩の間の狭い所を抜けて、両側に石が積んである所を通った。

「ここに積んである石は病院として使っていた頃にはありませんでした」とみどりが言った。「病院が引き揚げた後、ここに入って来た住民たちが敵の攻撃を避けるために、ここを塞いで、この奥に隠れていたようです」

 先に進むと道は下り坂になった。先頭を行くみどりが、「足元に気を付けて下さい」と言った。

 真っ暗な闇がずっと続いている。奥はかなり深いようだ。

「すごいわね」と私の前を歩いている冬子が言った。

「すごいね」と私も言った。

「真一さんはこんな中に一人で入って行って調べてるのよ。あたしにはとてもできないわ」

「浮かばれない兵士たちの幽霊が出そうだな」

「おどかさないでよ。鳥肌が立って来るわ」

 また広い所に出た。

「ここには二階建ての建物があったそうです」とみどりが言った。

 上を照らしてみると天井もかなり高かった。

「戦争中もこの中は真っ暗だったのか」と静斎が聞いた。

「最初の頃は発電機があって、所々に電灯が灯っていたようです。でも、首里の方に行った部隊が発電機を取りに来て持って行ってしまいました。その後はローソクか、空き瓶を利用して作ったアルコールランプのようなものを使っていて、顔は(すす)で真っ黒になったそうです」

 少し行った所に井戸があり、その反対側にはカマドの跡があった。その先は手すりの付いた通路が続いた。左側は岩壁が続いていて、右側はかなり広い空間が広がっている。ここにも何軒かの家が建っていたという。

 どこかに真一がいないかとみどりはあちこちを照らしていた。私たちもあちこちを照らしてみた。手すりの右側は足場が悪く、岩がゴツゴツしていて、川のように水が流れている所もあった。

 ようやく上へと行く石段が見えた。上がって行くと「住民避難場所」と書かれた所に出て、上から明かりが見えて来た。

 外に出たら、ほっとして、皆で顔を見合わせた。

 雨はいつの間にかやんでいた。

「話には聞いていたが、すごいもんじゃのう」と静斎が言った。

 まったくと言うように私たちはうなづいた。

「ここにいた患者さんたちはどうなったの?」と冬子がみどりに聞いた。

「歩ける患者さんは病院が移動になった時に、摩文仁の方に逃げて行ったけど、動けない重傷患者さんたちは放置されたらしいわ。青酸カリで殺された人もいたらしいって真一さんは言っていました」

 光の下に出て現実に戻って、真一の事を思い出したのか、みどりは急に暗い顔つきになってうなだれた。

 真一の車の発見現場に戻ると道路脇に並んでいる車の所にみんなが集まっていた。その中に与那覇警部の姿もあった。若い刑事が警部に何かを話している。

 瑠璃子が近づいて来て、「今、津嘉山刑事の話を聞いていたんですけど、どうもおかしいんです」と言った。「この辺りにガマの入口はないし、それに、近所の人は誰も田島さんを見てはいません。もし、田島さんがここで新しいガマを見つけたとしたら、見つけるまでに何回かここに来ているはずです。この辺の人から話を聞いて情報を集めたかもしれません。でも、そんな事実はなかったらしいのです」

「という事は誰かが田島さんの車をここまで運んで来たというのですか」

「その可能性もありそうです」

「そうなるとただの事故では済まされなくなる」

 それを聞いていた、みどりが顔を背けるようにしてその場から去って行った。冬子が後を追った。

「車がいつからあそこにあったのかもはっきりとはわかりません。勿論、誰が乗って来たのかもわかりません」

「もし田島さん以外の人があの車に乗って来たとして帰りはどうするのですか」

「この道をまっすぐに行けば、玉泉洞に出ます。あそこに行けばタクシーがあります」

「成程、タクシーで帰ったか」

「これから、津嘉山刑事が玉泉洞に行って聞き込みをするそうですけど、田島さんがいなくなった日は日曜日ですからね、捜す相手の顔もわからず、時間もわからずではどうにもならないって言っています」

「また、ゼロに戻っちまったか」

 瑠璃子はがっかりしたような顔でうなづいた。

「そうなると、これからどうしたらいいのです」

「私たちは糸満に戻って、ガマ捜しを続けます。それしか方法はありません」

 みどりは冬子と一緒に自分の車に戻ったようだった。静斎は遠くの景色を眺めていた。

 私は時計を見た。二時になる所だった。瑠璃子が言うように、何とかして、真一が見つけたというガマを捜し出すしか他に方法はないようだ。それとも、いなくなった日高支配人を捜すか。日高が何かを知っているような気もする。

 突然、『ハイサイおじさん』が流れ出した。与那覇警部がポケットから携帯を取り出した。

 警部の車は年季の入ったブルーバードだった。車にもたれかかって警部は電話をしている。津嘉山刑事と奈々子と美夏が警部のそばで聞き耳を立てていた。

「何だと!」と警部の大声が響いた。瑠璃子が振りかえって警部を見た。

「すぐ行く」と言って警部は電話を切った。

 皆が警部に注目していた。警部は皆の顔を見回しただけで何も言わなかった。

「何があったんです」と津嘉山刑事が聞いた。

厄介(やっかい)なものが見つかったよ」と警部は苦々(にがにが)しい顔をして言った。「女の死体が見つかった。第一外科壕跡だ」

 警部は車に乗り込んだ。津嘉山刑事も自分の車に向かった。

 私はみどりの車に乗り込むと、「第一外科壕で女の死体が見つかったそうだ」と冬子とみどりに告げた。

「えっ!」と二人は驚いて、ぽかんとした顔つきで私を見た。

「女の人なんですね」とみどりが聞いた。

「そうらしい」

 前の車が出られないので、私はバックするように運転席にいるみどりに言った。みどりはうなづいてエンジンを掛けた。

 私は窓を開けて、のんきにタバコを吸っている静斎を呼んだ。

 車は次々に出て行った。美夏は『スマート』という可愛い車に乗っていた。




目次に戻る      次の章に進む



inserted by FC2 system