酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







20.モンスター




 第一外科壕跡はまだ、それ程の人だかりになっていなかった。三台のパトカーと与那覇警部と津嘉山刑事の車、それに瑠璃子たちの車が並んでいるだけで、鑑識課とかの警察車両も報道関係の車もまだ来ていなかった。那覇から来るとなると一時間近く掛かる。これから、すごい賑わいになる事だろう。

 私たちは車から降りると現場に向かった。現場規制のテープはすでに張られてあった。近所の人らしい野次馬が八人、何が起こったんだという顔つきで、様子を見守っている。第一外科壕の入口近くで与那覇警部と津嘉山刑事がつなぎ姿の女性二人と話をしていた。瑠璃子と奈々子と美夏の三人もそばで話を聞いていた。

 私たちも中に入ろうとしたら、巡査にダメだと止められた。

「マリさんとアイさんよ」と冬子が言った。「きっと、あの二人が発見したのよ」

「どうも、そうらしいな」と私は言った。

 二人とも泥だらけの長靴を履いて、上下のつなぎもあちこちに泥が付いていた。紫色のつなぎを着ている背の高いロングヘアーの美人が麻里子で、ピンク色のつなぎを着てシアトル・マリナーズの帽子をかぶっているのが愛のようだった。愛は気分でも悪いのか真っ青な顔をしていて、ハンカチで口を押さえていた。

「マリさんたちが捜していた東京の女子大生だったのかしら?」と冬子は言った。

「そうだと思うが、わからんな」と私は言ってから、みどりを見て、「みどりさん、あの中に入った事、ありますか」と聞いた。

 みどりはうなづいた。「真一さんと一緒に入りました。中は泥だらけで、ぬかるみがずっと続いています」

「奥は深いのですか」

「ええ、結構、奥の方まで続いています。百メートル位はあるんじゃないでしょうか。足場が悪くて途中まで行って引き返して来たので、どこまで続いているのかわかりませんが」

「そうですか、そんなにも深いのですか」

「あんな中で殺されるなんて可哀想な事じゃ」と静斎が言った。「親御さんはもう気が狂わんばかりの心境じゃろう」

 十五分後、静かだった情景は一変した。那覇から次々に車がやって来て、狭い道路は車で埋まった。

 鑑識課の警官が長靴に懐中電灯を持って、ぞろぞろとガマの中に入って行った。与那覇警部と津嘉山刑事も長靴に履き換えて入って行った。報道関係者が写真を撮ったり、警官を捕まえて話を聞いたり、テレビのレポーターも来てビデオカメラも回っていた。

 野次馬たちもどっと押し寄せて来た。地元の人たちは勿論の事、ひめゆりの塔からやって来た観光客もかなりいた。

 それは当然の事といえた。今、毎日のように世間を騒がしている連続無差別殺人事件の被害者かもしれないのだ。沖縄で最初の被害者かもしれないのだった。しかし、こんな所で発見されるとは驚きだった。昨日の夕方、私と冬子が来た時には、すでに殺されていたのだろうか。

 発見者の玉城麻里子と安里愛は那覇から来た刑事に連れられて警察車両の中に入って行った。これから調書を取るのだろう。

 瑠璃子たちがテープの外に出て来たので、私たちは野次馬たちから離れ、車の所に行って話を聞く事にした。

 まいったというような顔でみんなの顔を見回してから、瑠璃子は首を振って、「見つかったのは島田早紀子さんでした」と言った。「連続無差別殺人犯の仕業かどうか確認できませんでしたが、多分、間違いないでしょう」

 瑠璃子は順を追って、麻里子から聞いた事を話してくれた。

 島田早紀子の母親が『白百合探偵社』に来たのは十五日、昨日の午前九時半だった。担当したのは麻里子と愛で、二人は母親から詳しい話を聞いた。すでに警察には捜索願を出したが、じっとしていられなくて、ホテルの人に相談したら、『白百合探偵社』を紹介されたという。

 二人は母親と一緒に早紀子が泊まっていたハーバービュー・ホテルに向かった。早紀子は四泊五日の一人旅で、宿泊は四泊ともハーバービュー・ホテルになっていた。早紀子の祖父は沖縄戦で重傷を負って陸軍病院に入院していた事があった。その時、ひめゆり隊の女学生にお世話になったらしい。祖父はいつかお礼を言いたいと言いながらも、沖縄に来る事なく亡くなってしまった。早紀子は祖父の話から沖縄戦に興味を持ち、もし、祖父を知っているひめゆり隊の人がいたら祖父の代わりにお礼を言いたいと南部戦跡を訪ねる旅に出て来たらしい。

 早紀子は十日の十一時頃、那覇に着いて、タクシーでハーバービュー・ホテルに行って荷物を預け、その日は首里城に行き、その後、那覇の国際通りを観光したと思われる。ホテルの部屋で首里城のパンフレットと入場券、那覇市内の書店で購入した沖縄戦関係の本が三冊、見つかっている。

 ホテルに戻って来たのは五時頃で、夕食はホテル内の和食レストランで食べ、以後、外出はしていない。

 次の日の十一日、早紀子は朝食を食べた後、九時頃、ひめゆりの塔に行くと言って、フロント係にバスターミナルの場所を聞いている。そして、その夜、帰って来る事はなかった。

 那覇から糸満までのバスは一時間に四、五本出ていて、早紀子は九時三十分の糸満行きに乗ったと思われる。糸満からタクシーに乗り、ひめゆりの塔に着いたのは十一時前後。

 麻里子と愛はひめゆりの塔に行って聞き込みを始め、十一日の正午前後に早紀子が目撃されている事を確認する。ひめゆり同窓会の人が熱心に話を聞いていた早紀子を覚えていたし、早紀子の祖父の事をおぼろげながら覚えている人がいて、その人と一緒に昼食を食べている。一時頃、ひめゆり同窓会の人と別れるが、その時、平和祈念公園に行くと言っていたという。

 ひめゆりの塔から平和祈念公園までは車で十分と掛からない距離だった。ひめゆりの塔の周辺で客待ちをしているタクシーの運転手に聞いてみたが早紀子を覚えている人はいなかった。

 麻里子と愛は平和祈念公園に行って聞き込みをしたが、早紀子を覚えている人は見つからない。その後、玉泉洞があるおきなわワールドに行って聞き込みをしたが手掛かりはなく、アブチラガマにも行ってみたが早紀子を見た者はいなかった。日が暮れてきたので、その日の調査は終了して事務所に戻った。

 今日の午前十時、麻里子と愛は再び、ひめゆりの塔に行って聞き込みを再開した。土産(みやげ)物屋の人が早紀子が正午(ひる)過ぎに第一外科壕の方に行くのを目撃していた事をつかみ、第一外科壕に行った。壕の周辺を一回りしたが何の手掛かりも得られず、第一外科壕の先に魂魄(こんぱく)の塔があるので、一応、行ってみた。その辺りは人があまりいないので聞き込みもできず、第一外科壕に戻って来た。中に入るかどうか迷ったが、いない事を確認するだけでもいいから入ってみようと決めて、懐中電灯や長靴、服が汚れないように上下のつなぎも用意して、午後一時頃、中に入った。暗闇の中、泥と格闘しながら奥へと進んで行き、早紀子の死体を発見した。

 早紀子の死体は入口からおよそ五十メートル奥に入った所の岩の上に全裸で寝かされてあった。死体は悪臭を放ち、腹は膨れて、目は飛び出していた。腐敗がひどく、まるで、鬼のようだったという。女だという事がわかるだけで、早紀子かどうかはわからなかった。愛は悲鳴を挙げ、気分が悪くなって吐いてしまったが、麻里子はさらに奥まで行って、早紀子の衣服や所持品を捜し出した。ハンドバッグの中に保険証が入っていて、早紀子だと確認できた。犯人が残したと思われる物は何もなく、下はぬかるみ状態なので足跡も残っていなかったという。

「以上です」と言って瑠璃子は皆の顔を見回した。

「死体は腐っていましたか」と私は言った。

「可哀想な事じゃ」と静斎が言った。

「犯人はまだこの辺りにいるのかしら」と冬子が言った。

「犯人が愉快犯だったら、ああやって騒いでいるのをどこかで見て喜んでいるかもしれないけど、この犯人は愉快犯ではないわ」と瑠璃子は言った。「この犯人は殺人を楽しんでいます。殺す事に快感を感じているのかもしれない」

「この近くにはいないにしろ、沖縄にいる事は確かだろう」と私は言った。

「いよいよ、化け物が沖縄に来たのか」と静斎が渋い顔をして言った。

「まさしく、化け物、モンスターですね」と美夏が言った。

 モンスターと聞いて、私はフランケンシュタインを思い浮かべた。犯人はフランケンシュタインのような化け物なのだろうか。

「ヨハンね」と冬子が呟いた。

 私には何の事かわからなかったが、美夏にはわかったらしく、二人で、あれ読んだのと盛り上がっていた。

「ここで島田早紀子さんの遺体が発見されたという事は、田島さんがそれに関わってしまった可能性が高くなってきました」と瑠璃子が言った。

 私もそう考えていた所だった。

「島田さんがここに来たのは十一日の一時過ぎ、多分、ここで犯人と出会い、犯人に誘われて一緒に壕内に入って、壕内で殺されたものと思われます。犯人が出て来た時、田島さんがそこにいたのかもしれません。多分、犯人は泥だらけの格好で出て来たはずです。田島さんは不審に思って声を掛けたのでしょう。犯人は何とかごまかして、その場を去ります。犯人が何をしていたのか気になって、田島さんが壕の中を覗いていた時、中山さんが来て、そこで話し込みます」

「それを犯人はどこかに隠れて見ていた」と私は瑠璃子の話を語り継いだ。

 瑠璃子はうなづいた。

 私はみどりを捜した。みどりは離れた所で静斎と何かを話していた。私は話を続けた。

「そして、犯人はずっと田島さんの後をつけて行った。一人になったら捕まえようと考えたが、その機会はなかった。中山さんと別れて那覇に帰ってからはずっと、田島さんはみどりさんと一緒だった。そして、次の日、田島さんはナハパレスに行って中山さんと会う。中山さんと別れて、一人になった所を狙われたのかもしれない」

「私もそう思います」と瑠璃子は言った。

「もし、そうだとしたら、田島さんの命も危ないわ」と冬子が唇を噛んだ。

「考えたくはないが犯人と遭遇していれば‥‥‥」と言って、私は首を振った。それ以上は言えなかった。




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