酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







23.名城ビーチで弁当を




 名城(なしろ)ビーチは人影もなく静かだった。

 午前中は曇っていたが、太陽が顔を出して海は輝いていた。

 夏になれば大勢の観光客で賑わうのだろう。ビーチパラソルが並んで、浮き輪を持ったビキニ姿の娘たちは黄色い声を挙げ、サーフパンツの若者たちは目を輝かせて、ひと夏の恋を捜し回るのだろう。今は波の音だけが心地よく響いていた。

 連続無差別殺人犯は中山淳一を名乗った、あの男だとわかった。しかし、あの男が何者なのか、まったくわからなかった。冬子のお陰で顔写真は残ったが、名前も素性もわからない。勿論、今、どこにいるのかもわからない。大城美津子をさらったのが奴の仕業だとすれば、昨日の夕方までは、この沖縄本島にいた。美津子を殺して、その夜のうちに沖縄から出て行ってしまったかもしれない。空港の警備が厳重になったとしても、不審な素振りを見せなければ別の名前で飛ぶ事はできる。どこか別の場所に行って殺人を繰り返すに違いない。

「本物の中山と偽者はどこで入れ替わったのかしら」と冬子が私の隣でゴーヤー弁当を食べながら言った。

 私たちは浜辺に座り込んで、海を眺めながら弁当を食べていた。

「一月十一日に山口県の萩にいたのは本物だろうな」と私は言って、ポケットから手帳を出してページをめくった。

「最初の殺人があった一月二十五日に伊豆にいたのは偽者だな」

「そうすると十一日から二十五日の間のどこかって事ね」

「そういう事だな」

 冬子は指を折りながら数えて、「十四日だわ」と言った。

 その十四日の間のどこかで、本物の中山は犯人と出会ってしまい、もしかしたら、最初の被害者になってしまったのかもしれない。犯人は中山を殺し、中山の車に乗って中山に成りすました。奴が持っているカメラも中山の物だろう。ブランド物の服もサングラスも中山の物かもしれない。

「一月七日に横浜を出た中山は十一日に萩にいた。萩からどこに行ったのだろう」と私は冬子に聞いた。

「普通なら九州に行くでしょうね」と冬子の隣に座っている奈々子が答えた。

「うん」と私はうなづいた。「奴は日本一周の旅に出たんだから、当然、九州に行くだろうな」

「中山さんは例の手記を持って旅に出たのよ」と冬子が言った。「中山さんは坂口一等兵のお孫さんでしょ。お祖父さんが仲間を殺したって手記に書いてあるわ。それを確認しに鹿児島に行ったんじゃない?」

「それだ」と私は指を鳴らした。「鹿児島にいるのは前田上等兵の子孫だ。中山は前田に会いに行っているに違いない」

「その前田さんが何かを知ってるかもね」と冬子は右手に持ってる箸を振った。「中山さんが前田さんを訪ねた日がわかれば、犯人と出会った日がもっと狭められるわ。でも、どうして九州からわざわざ伊豆の方まで行ったのかしら」

「伊豆だけが離れ過ぎてるな」

「愛媛の事件みたいに別件なのかしら」

「その可能性もある。伊豆の事件を手本にして、島根から連続殺人を始めたのかもしれない」

 冬子は私の顔を見て、「ねえ、鹿児島に行くの?」と聞いた。

 私は海を見ながら少し考えた。鹿児島に行けば何かがわかるような気がした。真一が会った前田上等兵の息子に会えば、前田上等兵の事故死の様子ももっと詳しく聞けるかもしれない。鹿児島に行ったからといって真一の居場所はわからないが、ガマ捜しは警察に任せておけば必ず見つかるだろう。

「行ってみる価値はあると思う」と私は冬子を見て答えた。

 弁当を食べ終えると、「これから鹿児島に行って来ます」と私は右端にいる瑠璃子に声を掛けた。「こっちの事はお願いします」

「ええ、わかりました。でも、その前田っていう人がどこにいるのかわかるのですか」

「多分、田島さんのパソコンに入っていると思います。彼は以前、前田さんを訪ねていますから」

「ちょっと待って、あたしも行くわ」冬子が慌てて弁当を食べた。

「真一さんのアパートまで連れて行ってくれ」と私は冬子に言った。




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