酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







24.とぼけた顔のシーサー




 スヴニールホテルに寄って、みどりから真一のアパートの部屋の鍵を借りて、汚れているつなぎを着替えた。静斎はいなかった。みどりに聞くとお昼を食べた後、散歩に出かけたらしい。

 鹿児島は沖縄より寒いので、一応、コートも持って行く事にした。冬子も一緒に鹿児島に行くつもりなのか、茶色い革ジャンを着ていた。私は何も言わなかったが、冬子を連れて行くつもりはなかった。

「パリで買った革ジャンか」と私は聞いた。

「そうよ。冬はずっとこれを着てたの。あたしのお気に入りよ」

 冬子はモデルのように一回りして見せた。

 私は笑いながら、「似合うよ」と言った。「背中に北斎の『タコと海女』の絵を描けば、もっとよく似合う」

「えっ、北斎の『タコと海女』」と言って冬子は少し考えてから、「まあ、いやらしいわね」と私を打つ真似をした。

「知っていたのか」

「春画でしょ。パリで見たわ」

「あれだって、立派な芸術だよ」

「まあね。でも、あの絵をしょって歩く勇気はないわ」

 真一のアパートに着いたのは一時半を過ぎていた。妹の百恵が来ているかもしれないと思ったが、百恵の車はなかった。

 鍵を開けようしたら鍵が動かなかった。おかしいと思って、ノブを回すと鍵は掛かっていなかった。

「誰かいるかもしれない」と私は小声で冬子に言って、警戒しながらドアを開けた。

 部屋の中はめちゃめちゃに荒らされていた。

 台所には食器や食料が散らばり、その奥の和室には服が散らかっているのが見えた。

「なに、これ」と冬子が目を丸くして言った。

 私は部屋の中を見回して、冬子に動くなと言った。耳を澄ましたが、人のいる気配はなかった。ポケットから手袋を出してはめると私は部屋に上がった。

 テレビのある部屋は服が散らかり、座布団まで破られてあった。机がある部屋は本棚の本がすべて出されて部屋の中に山になっていた。ベランダと風呂場と便所も見たが誰もいなかった。

 私は冬子に大丈夫だとうなづいた。

 冬子は私の真似をして手袋をはめていた。防寒用の革の手袋だった。

「随分と用意がいいな」と私は言った。

「ポケットに入ったままになってたの。それより、一体、誰がこんな事をしたのよ」と目を吊り上げながら部屋に入って来た。

 私が知っているはずはなかった。真一の机がある部屋に戻って、パソコンを捜したが見つからなかった。

「くそっ」と私は地団太を踏んだ。「誰かがパソコンを持って行っちまった」

「ひどいわ。本当に誰の仕業なの」

 冬子はみどりが描いた風景画を壁に戻していた。

「日高か」と私は言った。

「日高さんは行方不明よ」

「行方不明になる前にやったのかな。それとも例の犯人か」

「まさか」と冬子は大きな目をして私を見つめた。「誰だか知らないけど、ここで何を捜していたの」

「例の手記がここにあると思ったのかな」

「目的が手記だとすれば川上会長の仕業なの」

「手記を捜しているのは会長だけど、他にも誰かいるのかもしれない」

「とにかく、百恵さんに知らせた方がいいんじゃない」

「そうだな。電話番号を知ってるか」

 冬子は首を振った。「みどりに聞けばわかるわ。でも、みどりにこの有様を言ったら、もっと、具合が悪くなっちゃうわ」

「しかし、知らせないわけにはいかないだろう」

「そうね」と冬子はうなづいて、みどりに電話した。

 私はもう一度、本が散乱している部屋に行って、パソコンを捜した。本の下敷きになっているのかもしれないと思ったが、やはりなかった。

 みどりが作ったというシーサーの灰皿が転がっていたので拾った。よく見ると、とぼけた顔をしたシーサーだった。表と裏に顔があって、表は真一、裏はみどりの顔かもしれない。私はそれを机の上に置いた。

 冬子がやって来て、「みどり、泣いてたわ」と悲しそうな顔をした。「百恵さんの電話番号は聞いたけど、みどり、かわいそう。どうして、こんな目に会わなきゃならないの」

 百恵に電話すると百恵はすぐに出た。仕事中ではなく、今日は夜勤だから、今は部屋にいると言う。私は真一の部屋の状況を話した。驚いている百恵に、警察に知らせなければならないので、何がなくなっているか確認してほしいと頼んだ。

 パソコンが盗まれた事を言うと、パソコンはこっちにありますと言った。比嘉と一緒にパスワードを解明して、中を調べた時、新しいガマの事は見つからなかったが、何か他に手掛かりがあるかもしれないと持って行ったのだという。

 私はほっとした。わからないかもしれないと思いながらも、前田上等兵の住所がパソコンの中になかったか聞いてみた。

「ありました」と百恵は言った。「沖縄戦関係の資料の中に前田上等兵というファイルがあって、その中に鹿児島の住所が書いてありました」

 私はその住所を書いたメモを持って、こちらに来てくれるように頼んだ。百恵はすぐに行くと言ってくれた。

 百恵は二十分程でやって来た。部屋の中を見ると茫然として、「誰がこんな事を」と絶句した。

 前田上等兵の住所は鹿児島県の指宿(いぶすき)市だった。

 私たちは一旦、外に出て警察が来るのを待った。

「兄は無事なんでしょうか」と百恵は聞いた。

 私には何と答えたらいいかわからなかった。

「母は寝込んでしまいました。私ももう限界です」

 私には百恵を慰める言葉を見つける事はできなかった。




目次に戻る      次の章に進む



inserted by FC2 system