〜閉ざされた闇の中から〜
28.バードランドの子守歌
野次馬たちからの聞き込みは思っていた以上の成果が得られた。 まず、直樹の妹、優子が亡くなったのは直樹が七歳、優子が五歳の時の夏休みだった。池田湖で遊んでいて優子が溺れたらしい。近所の人が見つけた時、二人とも裸で、直樹は泣きながら、ぐったりした優子を抱いていた。あの時は村中が大騒ぎになって、母親は狂ったように泣き叫んでいたという。それから四年後に、直樹の祖父、前田上等兵が池田湖に浮いているのが見つかった。事故か殺人事件かで騒ぎになったが、結局は崖から足を滑らせて落ちてしまったのだろうという事になった。 前田上等兵を知っている人もいて、風俗関係の店をやっていた頃は羽振りがよかったが、それが潰れてからは何もかもうまく行かなくて、亡くなった時にはあちこちに借金があったらしい。直樹の両親が共稼ぎをして父親の借金を返したという。 直樹の両親の事故は、 直樹は高校卒業するまで、あの家に住んでいて、鹿児島大学に入学してからは鹿児島市に移った。大学を卒業すると鹿児島市の農協に勤めたので、お盆と正月位しか帰って来なかった。高校の頃は池田湖でよくトランペットを吹いていたという。両親が亡くなってから農協を辞めて戻って来て、ジャズ喫茶をやるんだと店舗を捜していたが、一月の半ばに急にいなくなった。いなくなる前、友達が訪ねて来ていたのを見たという人がいた。 「彼の母親が沖縄美人だったなんて驚きね」と私が聞き出した事を聞いて冬子が言った。 「うん、俺も意外だったよ。でも、戦争中は沖縄から 「マラリア?」 「うん。蚊に刺されてなる病気だよ。インド辺りに多いらしいけど、昔は沖縄でも流行ったようだ」 「沖縄戦の時、 「直樹の母親は五十歳位だろう。その祖父母なら沖縄戦を経験しているな。国頭の方でマラリアに罹ったのかもしれない。今も親戚の者が沖縄にいれば、奴が訪ねた可能性もある。その辺の事は警察が調べるだろう」 「大体の事はわかったけど、まだ、彼が殺人犯になったという理由は見つからないわ」 「そうだな。あれだけ人を殺しているんだから何か理由があるはずだよな」 「彼、イケメンだからもてたと思うんだけど、どうして、あんなひどい事をするのかしら」 「それが謎だな」と私は 「あたしだってそうよ。最近、パリにもオタクって多いのよ。パリのオタクと日本のオタクは違うけど、中には変わった人もいるわ」 「今の時代は理由もなく人を殺すって事もあり得るけど、奴の心理はわからんな」 「ねえ、妹の死が何か関係あるんじゃないの?」 「池田湖で溺れた妹か。奴が七歳の時の事だろう。そんな昔の事が関係あるのかな。七歳といえば小学校一年だろう。その頃の事なんて覚えているか」 「覚えているわ」と冬子は反論した。「あたしのお母さん、その頃に亡くなったのよ。あたし、独りぼっちになっちゃって、お母さんにしがみ付いて泣き続けたわ。彼も妹を抱きながら泣き続けたのよ。きっと、死というものがちゃんと理解できなくて、頭はパニック状態になったんだと思うわ。彼はずっと、妹の死を引きずりながら生きて来たのよ。自分が殺してしまったんじゃないかって後悔の念を持ちながら」 私は冬子を見た。普段は見せない冬子の顔があった。彼女なりに苦労しているんだなと思うと余計にいとおしく思われて来た。 冬子はパソコンを開けるとバド・パウエルのピアノを流した。 「少し、休むか」と言って私は座席を倒した。 「ちょっと、トイレ」と言って冬子は車から出て行った。前田家のトイレを使わせてもらえるだろうかと心配したが、冬子は家の裏の方へ行って、しばらくすると出て来て車に戻って来た。 「野糞か」と私は聞いた。 「見てたの?」と冬子は睨んだ。 「見てみたかったよ」 「すけべ」と言いいながら私の肩をたたくと、「おしっこをしながら、モロッコの砂漠を思い出したわ」と言った。 「モロッコに行ったのか」 「うん。友達と一緒にね。面白かったわ。絵になる人がいっぱいいたわ」 「そうか」 私は少し眠った。 車が動く音で目が覚めた。隣を見ると冬子は眠っていた。膝の上にあったパソコンは後ろの座席に置いてあった。ピアノはもう聞こえない。窓が曇っていて何も見えないので私は外に出た。 いつの間にか雨が降っていた。警察の車が引き揚げる所だった。時計を見ると三時を過ぎていた。二時間近く眠ったらしい。 与那覇警部が玄関から出て来た。私がいるのを見て驚いた顔をして近づいて来た。 「まだいたんですか」と警部は言った。 「引き上げたかったんですが、出られなかったんですよ」と私は言った。 警部は笑って、「そいつはすまなかったな」と謝った。 「奴の部屋からかなりの指紋が出て来た。パソコンに入れて照合したら、犯行に使われた車から採取された指紋と一致した。これで前田直樹の犯行と断定できた。明日の朝には奴の写真がテレビで流れるだろう。どこにいるのかわからんが、もう袋のねずみだよ。奴が捕まれば、田島さんの行方も、日高さんの行方も、川上会長のお孫さんの行方も解決するだろう」 私はうなづいた。 与那覇警部は車に乗ると去って行った。 野次馬もすでにいなかった。 地元の巡査が乗って来たパトカーと私たちの車以外はなくなり、車の跡が残っている乾いた土を雨が濡らしていた。前田の家の玄関は立入禁止のテープが張られてあった。 私は運転席に戻るとエンジンを掛けてワイパーを動かした。 冬子が目を覚まして、「どこ行くの?」と聞いた。 「前田直樹を捜しに行くのさ」と私は言った。
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