酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







29.雨の朝マックで奇跡に祝杯を




 鹿児島市のマクドナルドでエッグマックマフィンをかじりながら私と冬子はパソコンを見ていた。

 鹿児島市に着いたのは五時頃だった。街中をぐるぐる廻ったが開いている店はなかった。仕方なく城山公園に行って時間を潰し、オープンと同時にマクドナルドに飛び込んだ。考えてみれば、昨日、鹿児島行きの機内でサンドイッチを食べただけなので、腹がグーグー鳴っていた。

 私は知らなかったが、マクドナルドはインターネットができると冬子は言った。那覇行きの飛行機の時刻を調べなければならないので丁度よかった。

 城山公園にいた時、静斎から電話があった。冬子は昨夜は忙しくて一睡もしていないと言った。そして、犯人の名前がわかった事を知らせた。テレビで朝のニュースを見ればわかると言うと、お前らのお手柄なのかと驚いていたという。冬子は得意そうに勿論よと言った。私も電話に出て、冬子が言った事と同じ事を繰り返した。何もなかったんじゃなと一応、安心したようだった。

 那覇行きの飛行機を調べると一番早いのは十時二十分で、次が十五時四十分だった。農協に行って前田直樹の事を聞き回れば、十五時四十分の便になりそうだ。

「聞き込みをして何か新しい事実でも出て来ればいいけどな」と私は言った。

「彼女がいるんじゃないの」と冬子はポテトを食べながら言った。「絶対に女が出て来るはずよ。その女が何かを知ってるに違いないわ」

 私はホットドックをかじりながら、「確かにな」とうなづいた。「彼女なら奴の恐ろしい面も知ってるかもしれない」

「何かが起きると殺人鬼に変身するのかしら?」

「奴は二重人格なのか」

「そうかもしれないわよ。普段のあの人はどう見ても殺人をするような人には見えないもの」

「ジキルとハイドか」

「そう、それよ。ジュリア・ロバーツが出ていた映画を見たわ」

「へえ。そんな映画は知らないが、奴は二重人格か‥‥‥」

 私はコーヒーを飲みながら考えてみた。以前、二重人格の事を調べた事があった。難しい事が色々と書いてあってよく覚えていないが、別の人格になった時の記憶がまったくないという例とあるいう。顔つきも変わり、しゃべり方も変わり、性格もすっかり変わってしまう。直樹も明るいスポーツマンタイプと残酷な殺人鬼の二重人格を持った男なのだろうか。突然、私は重要な事を思い出した。

「ちょっと、ヤフー・スポーツを調べてくれ」と私は言った。

「ああ、野球ね」と冬子はうなづいて、キーボードを叩いた。

 驚いた事にメキシコがアメリカに2対1で勝っていた。日本、アメリカ、メキシコの三チームが一勝二敗で並び、失点が一番少なかった日本が準決勝に進出する事に決まっていた。

「奇跡が起こった」と私は思わず言った。「もう終わりだと思っていたのに何という事だ。こんな事が実際に起きるんだな。まったく、信じられん」

 準決勝の相手はまた韓国で、試合は明日の正午からだった。韓国には二度も負けている。今度こそは絶対に勝たなければならなかった。

「祝杯をあげたい気分だよ」と私はコーヒーの紙コップを宙にささげて乾杯した。

「ほんと、奇跡だわ」と冬子も驚いていた。

 トイレに行って戻ると冬子は写真を見ていた。何の写真だろうと覗くと子供の写真だった。

「どこの子だ?」と私は聞いた。「まさか、君の隠し子じゃないだろうな」

「何を言ってるんですか。前田直樹と優子ですよ」

「えっ?」と言って、私はもう一度、見た。よく見ると仏壇の中にあった写真に写っていたあの二人だった。

「どうしたんだ? その写真」

「あのハードディスクに入っていたの。伊東美咲や仲間由紀恵の名前と並んで、優子っていうのがあったのよ。開けてみたら五枚の写真が入っていたの。何となく気になってコピーしておいたのよ」

 冬子はそう言って、五枚の写真をスライドショーにして見せた。どれも皆、直樹と優子が二人で写っている写真だった。私が仏壇で見た写真もあった。

「こんな写真を大事に持ってるなんて、直樹さんて相当、妹想いだったのね」

「そうだな」と言いながら、私は写真をじっと見ていた。母親が沖縄美人なので、娘の優子は目が大きくて可愛い顔をしている。こんな可愛い娘が亡くなってしまうなんて、両親はひどいショックだった事だろう。

「これ、どこで撮った写真かしら」と冬子は言った。

「あの近所じゃないのか」と私は言った。「池田湖が写っているのがあっただろう」

「これね」と冬子はその写真の所で止めた。

「何かの記念碑かしら」といいながら顔をパソコンに近づけた。「ねえ、よく読めないけど、日本最南端って書いてない」

「ええっ?」と私もよく見てみた。確かに冬子が言うように、二人の子供の後ろにある記念碑に『日本最南端』と書いてあった。

「日本最南端てどこ?」と冬子が聞いた。

「そりゃあ、沖縄だろう」

 冬子は『日本最南端』で検索した。波照間島が出て来て、ウィキペディアの『波照間島』を見ると日本最南端の碑の写真が載っていた。それは直樹と優子が写っている写真のものとまったく同じだった。

「波照間島に行ったのよ」と冬子が言った。

「そうらしいな。もしかしたら、母親の故郷は波照間島かもしれないぞ。『波照間島 マラリア』で検索してくれるか」

 冬子はうなづいた。

 沖縄戦の時に起こった悲劇が出ていた。一九四五年の四月、波照間島の住民は日本軍によって西表島(いりおもてじま)に強制疎開を命じられた。疎開先の西表島でマラリアに罹って、村民の三分の一近くが亡くなっていた。直樹の母親の祖父母と兄弟はこの時に亡くなったのに違いなかった。

「波照間島に行ったのよ」と冬子はもう一度、言った。

 私はパソコンの画面を見ながらうなづいた。

「犯人は今、波照間島にいるのよ」と冬子が言った。

 私は冬子を見た。冬子は私を見つめていた。

「彼は妹との唯一の思い出の地、波照間島に行ったのに違いないわ」

「波照間島か」と私は呟いた。冬子の言う通りかもしれないと思った。沖縄に行ったのなら、波照間島に行かないという事は考えられない。今、いるかどうかはわからないが、奴が波照間島に行っている可能性は高かった。

 冬子はさっそく波照間島へ行くためのアクセスを調べた。

 私はコーヒーをお代わりして、よく考えてみた。

 五歳で亡くなった妹。直樹は亡くなった妹を抱きながら泣いていた。一体、どの位の時間、泣いていたのだろう。その時の事が心の傷として残ったのだろうか。それとも、妹を殺したのはお前だと両親に強く責められて、それが心の傷になったのだろうか。

 妹との思い出の地、波照間島。直樹は石垣島に行くと言っていた。石垣島ではなく、波照間島に行くつもりだったのかもしれない。直樹がいなかったとしても、行ってみれば何かがわかるような気がした。

「四時半には向こうに着くわ」と冬子が言った。「十時二十分発の那覇行きに乗って、十二時二十分の石垣島行きに乗れば、最終便なんだけど三時半の波照間行きの高速船に乗れるわよ」

 冬子がどうするという顔つきで私を見た。

「よし、行こう」と私は決心した。

 冬子は嬉しそうにうなづいた。「ホテルも決めなくっちゃね。今夜はゆっくり眠るわよ」

 冬子は張り切ってキーボードを叩き始めた。

「波照間島か。まさか、日本の最南端まで行くとは思わなかったよ」

「波照間島って南十字星が見えるんだってみどりが言ってたわ。みどりも行った事なくて、行ってみたいって言ってたわ」

「みどりさん、大丈夫かな」と私は具合の悪いみどりの顔を思い出しながら言った。

 真一を捜すのが私の仕事なのに、いつしかずれてしまい、犯人を追いかけている。真一がいなくなって、まもなく一週間が経ってしまう。こんな事をしていていいのかとも思うが、真一のためにも波照間島には行かなければならないんだと自分に言い聞かせた。

「ダメだわ」と冬子が言った。

「何がダメなんだ」

「波照間にはホテルがないのよ。小さな民宿だけで、ネットで予約はできないわ」

「向こうに行ってから決めればいいんじゃないのか」

 冬子は首を振った。「波照間島はキャンプや野宿は禁止されているから、予約して行った方がいいんですって。今の時期は満室って事はないと思うけど、今日は土曜日でしょ。予約しておいた方がいいわ」

「それじゃあ、スイートルームを頼むよ」

「民宿しかないんだってば」

「何でもいいよ。横になって眠れればね」

「名前からして『星空荘』がいいかしら」

 冬子が携帯を取り出して、予約しようとしたら『アイドルを探せ』が鳴り響いた。

「またお父さんだわ」と冬子は言って電話に出た。

 静斎ではなく、みどりからだった。冬子はみどりの具合を聞いて、こちらの状況を話した。波照間島に行く事も話していた。

「お父さんも波照間島に行くって言ってるけど、どうする?」と冬子は私に聞いた。

「行きたければ那覇で落ち合えばいいんじゃないのか。一晩中、電話攻撃されたら、今晩も眠れなくなるからね」

 冬子は笑って、うなづいた。




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