酔雲庵


インプロビゼーション

〜閉ざされた闇の中から〜

井野酔雲







33.深い闇の中から




 田島真一は妹の百恵がいる那覇市立病院に入院していた。

 初めて会うわけだが、初対面と言う感じはなく、久し振りに会ったという感じがした。私が想像していた通りの男で、色が黒く、考古学者という印象だった。日本版のインディ・ジョーンズと言ったら言い過ぎかもしれないが、懐中電灯とロープを持って、真っ暗なガマの中に入って行く彼の姿はそんなイメージだった。思っていたよりも元気そうなので安心した。

 顔色の悪かったみどりもすっかり元気になって甲斐甲斐しく真一の世話をしていた。冬子が言っていたように、本当に真一の事を尊敬していて、惚れきっているようだ。

「日向さんと竹中さん、それに藤沢静斎さんですね。みどりから話は伺っています。本当にお世話を掛けました。ありがとうございます」

「御無事で本当によかった」と私は言った。

「初めまして、竹中冬子です」と冬子は言って、「父です」と静斎を紹介した。

「よかったのう」と静斎は笑った。

 私たち三人は波照間島から那覇に戻ると病院に直行した。真一は四階の個室にいた。

 みどりが用意してくれた椅子に私たちは腰を下ろした。

「前田直樹は捕まりました」と私は言った。

「警察の人から聞きました」と真一はベッドの中で上体を起こして言った。「僕は彼が中山淳一だと信じていました。まさか、前田上等兵のお孫さんだったなんて思ってもいませんでした。坂口一等兵は大柄な男だったと聞いたものですから、背の高い彼は坂口一等兵の孫だと信じてしまいました。でも、顔つきを見れば、二枚目だったという前田上等兵の孫ですね」

「私もすっかり騙されましたよ」と私は苦笑した。「前田から聞きましたが、奴は田島さんに食料を差し入れしたようですね」

「どうして、僕をあんな所に閉じ込めたのか知りませんが、彼は水と食料とローソクを投げ入れてくれました。お陰で死なないですみました。それでも、閉じ込められて三日目頃、水も食料もなくなって、ローソクもなくなり、懐中電灯の電池も終わって、真っ暗の中にいなければならなくなりました。本当の闇というのは恐ろしいものですよ。何も見えない暗闇の中で不気味な風の音だけが聞こえて来るんです。気が狂ってしまうのではないかと思いました。戦争の時の恐ろしさとは比べものにはなりませんが、ガマの中にじっと隠れて、戦争が終わるのを願っていた人たちの気持ちがほんの少しわかったような気がします。そのまま放っておかれたら僕は死んでいたでしょう。多分、次の日だったと思いますが、彼が来て、また水と食料とローソクを投げ入れてくれました」

「その時、前田は例の手記も投げ入れたのですか」

 真一はうなづいた。「面白い事が書いてあるから、暇つぶしに読んでみろと彼は言って、手記を落としました。僕はローソクに火をつけて、むさぼり読みましたよ」

「私も見せてもらって拾い読みしましたが、川上伍長が恐れるような事が書いてあったのですか」

「ありました。僕が驚いたのは僕の祖父の兄、田島上等兵が殺されたという事でした。今まで僕が調べた所では、田島上等兵と今村一等兵は国頭突破に出掛けて行方不明になったというものでした。その時、敵にやられて戦死したものと思っていました。ところが、味方に殺されたなんて、あまりにも哀れで悲惨過ぎます。その事を川上会長に確認したかったのですが、その日は留守で会う事はできませんでした。でも、川上会長が恐れているのはその事ではありません。それ以前に起こった事です。陸軍病院が解散になった後、川上伍長は五人の部下を連れて艦砲弾が炸裂する中をさまよいます。一人が途中ではぐれてしまって、田島上等兵がガマを見つけます。そのガマがどこだったのかは未だにわかりません。そんなに大きなガマではなかったようなので、米軍によって埋められてしまったのかもしれません。川上会長はそのガマには誰もいなかったと言いましたが、実際は村人たちが隠れていたのです。手記によると十人以上いたようです。それを川上伍長の命令で全員、追い出してしまったのです。手記には詳しく書いてありませんが、年寄りや女、そして子供もいた事でしょう。それを日本軍の命令だと言って追い出したのです。多分、その人たちは皆、亡くなってしまったでしょう。会長はその事を後悔して沖縄に戻って来たのだと思います。そして、様々な平和活動に参加しています。でも、事実は事実ですからね、事実を揉み消す事はできません」

 真一は窓の外を眺めていた。何でもない風景だが、暗闇の中にいた真一にとって素晴らしい光景に見えるのだろうか。

「田島上等兵と今村一等兵を殺したのは川上伍長の命令ではなく、前田上等兵の独断だったのですか」と私は聞いた。

 真一は私を見ると、「それはわかりません」と首を振った。「坂口一等兵は前田上等兵に仲間を殺せと言われて驚きますが、川上伍長の命令だと前田に言われて、仕方なく今村一等兵を殺します。前田上等兵が田島一等兵を殺したようです」

「どのような状況だったか書いてありましたか」

「昼間は敵の攻撃が激しいので、夜になって、敵の攻撃が弱くなった頃、怪我をして動けない川上伍長を除いた四人が食糧調達に出掛けました。手記には詳しい場所まで書いてありませんが、日本軍が食糧を貯蓄していた場所がいくつかあって、そこから米を運ぶつもりだったようです。その頃になると敵の兵士が間近に迫って来ていますので、見つからないように身を屈めたり、時には這ったりしながら進んだようです。前を行く田島上等兵と今村一等兵を後ろから付いて行った前田上等兵と坂口一等兵が拳銃で撃ち殺したのです。前田上等兵は一発で田島上等兵を殺しましたが、坂口一等兵は一発ては殺せなくて、振り返った今村一等兵の顔を撃って殺したのです。その拳銃ですが、病院で亡くなった下士官のものを護身用あるいは自決用として持っていたようです」

「後ろから撃ち殺すなんて、無念だったでしょうね」

「ひど過ぎますよ。まさか、後ろから仲間に撃たれるなんて、死んでも死にきれないでしょう」

「二人を殺したのは食糧が足らなくなったからなのですか」

「それもありますが、あの二人は敵の捕虜(ほりょ)になろうとしているから殺さなくてはならないと言ったようです。その頃、米軍は充分な食糧も用意してあるから投降しなさいというビラを空から撒いていました。二人はそのビラを密かに隠し持っていると前田上等兵は坂口一等兵に言いました。坂口一等兵は川上伍長が二人を殺せと命じたと思っています。その事に疑問は持たなかったようです。自分は命令に従っただけだと自分の行動を肯定していますが、やはり、仲間を殺した事に罪の意識を感じて後悔しています。のちに自分も敵の捕虜になったから余計に罪の意識を感じたのかもしれません。とにかく、あの手記は読みづらいんですよ。思いつくままに書いたらしくて、話が時々、飛んでしまうんです。言っている事も筋が通っていない事があって、ただ、後悔している事だけは伝わってきます」

「川上伍長とみどりさんのお祖母さんの事は何か書いてありましたか」

「川上伍長はその時、怪我をしていて、みどりのお祖母さんがずっと看護していたようです。前田上等兵も顔と胸を怪我していて金城さんという女学生が看護していました。坂口一等兵も足を怪我していて宮城さんという女学生が看護していました。宮城さんは戦後、移民としてブラジルに渡りました。去年の六月、沖縄慰霊の日に日本に帰って来て、みどりのお祖母さんのお墓参りに来てくれました。その時、僕は宮城さんから当時の話を聞く事ができました。宮城さんの話から、川上伍長、田島上等兵、前田上等兵、今村一等兵、坂口一等兵の五人の兵隊と新垣さん、金城さん、宮城さんの三人の女学生が陸軍病院が解散になった後、一緒にいた事がわかったのです。それまで、僕の祖父の兄、田島上等兵の陸軍病院解散後の動向はまったくわからなかったのです。僕は夢中になって宮城さんの話を聞きました。みどりのお祖母さんがひめゆり学徒隊にいて第一外科に属していた事はみどりから聞いて知っていましたが、陸軍病院が解散した後も田島上等兵と一緒にいたと聞いて驚きました。きっと、亡くなった田島上等兵がみどりに会わせてくれたのに違いないと感謝しましたよ。みどりと知り合わなければ、宮城さんとも会えませんでしたからね」

「みどりさんのお祖母さんとその宮城さんは連絡を取り合っていたのですか」

「そのようです。宮城さんはみどりのお父さんからの手紙でみどりのお祖母さんが亡くなった事を知って、日本に帰る決心をして五十年振りに日本に帰って来たそうです。宮城さんの話によると三人の女学生は戦場をさまよったあげくに、ようやくガマを見つけて逃げ込みます。そこにいたのが同じ陸軍病院で働いていた五人の衛生兵です。三人は顔見知りの兵隊に会ってほっとします。三人の女学生は怪我をしていた川上伍長、前田上等兵、坂口一等兵の看護をしたり、食事を作ったりして働きます。次の日の夜、田島上等兵と今村一等兵は国頭の方にいるという日本軍と合流して総攻撃を掛けるためにガマから出て行きます。その頃、北の方にまだ健在な日本軍がいて、米軍を倒すために総攻撃を掛けるという噂が流れていて、米軍の陣地を突破して、そこに合流しようと出掛けて行った兵隊がかなりいたようです。その事を国頭突破と言っていました。怪我をしていなかった田島上等兵と今村一等兵も国頭突破に出掛けて行ったと女学生たちは信じていました。二人がいなくなって、三人の兵隊は三人の女学生を犯す事になります。宮城さんの場合は坂口一等兵に強姦されたようです。坂口一等兵の手記にはその事は書いてありません。宮城さんを強姦した事に罪の意識はなかったようです。宮城さんは坂口一等兵に何度も犯されるのがいやで、新垣さんと金城さんにここから出ようと相談しますが、二人はここにいた方が安全だから出たくないと言ったようです。宮城さんはその時の事がトラウマとなって、その後、結婚できなくて、ずっと独身を通したそうです。新垣さんは川上伍長の子供を産みました。みどりのお父さんです。金城さんは戦後間もなく亡くなってしまいます。衰弱が激しくて、栄養失調もあったのでしょう。宮城さんは前田に犯され続けたせいだと言っていましたが‥‥‥僕はもっと詳しい事を知りたいと川上伍長、前田上等兵、坂口一等兵、それに、もしかしたら今村一等兵も生きているかもしれないと捜しました。鹿児島まで行って前田上等兵の息子さんに会う事ができました。そして、前田上等兵の事故死を知ります。息子さんはあれは事故死じゃない。誰かに殺されたんだと言いました。どうして殺されたのか、その理由は教えてくれませんでしたが、殺されたに違いないと言っていました。息子さんは戦争中の事はあまり知りませんでした。川上伍長と坂口一等兵の事も名前を聞いた事がある程度でどこに住んでいるのか知りませんでした。結局、坂口一等兵と今村一等兵を見つける事はできませんでした。川上伍長は偶然、見つける事ができました。雑誌の記事でリュミエールホテルの会長だとわかったのです。まさか、沖縄にいたとは驚きました。しかも、僕は以前に川上会長に取材で会った事があるんです。その時、会長は忙しくて沖縄戦の話を聞く事ができませんでしたが、あの時に聞いていれば、もっと早くわかったのにと今思えば残念です。僕はすぐに会いに行って話を聞きました。川上会長は本当の事は言いませんでした。田島上等兵と今村一等兵は国頭突破に出掛けたと言いました。女学生たちを犯した事も否定しました。あれは自然の成り行きだったと言いました。男三人と女三人が一か所にずっといれば、自然にああなってしまうと言いました。僕は会長に新垣さんの孫のみどりと会わせました。みどりを見た会長は泣いていましたよ。新垣さんと瓜二つだと言っていました。会長は沖縄に来てから、ずっと新垣さんを捜していたそうです。ひめゆり同窓会の人たちにも(たず)ねましたがわからなかったそうです。みどりのお祖母さんは戦争中の事を思い出したくなくて、ひめゆり同窓会にも顔を出さなかったんです」

「そうでしたか、そんな事があったのですか」

 私はひめゆり同窓会の仲間さんの話を思い出していた。みどりのお祖母さんは亡くなるちょっと前に仲間さんに手紙を出して、仲間さんと会ったが、自分からは何も話さなかったと言っていた。みどりのお祖母さんは戦争中に川上伍長と結ばれて、その子供を産んだ事を仲間さんに話そうと思ったのかもしれない。今まで、ずっと胸の奥にしまっていた事実を明るみに出そうとしたのかもしれない。でも、やはり話す事はできなかった。

 宮城さんは戦争中の事を忘れようとして日本を出てブラジルに渡った。それでも忘れる事はできなかった。みどりのお祖母さんが亡くなったと聞いて、五十年振りに日本に帰って来た。あの事を知っているのは自分だけになってしまい、事実を告げなければならないと思って真一に話したのかもしれなかった。

「坂口一等兵の足の怪我は後になって悪化して、足を切断しなければならなくなりました。今村一等兵を殺したバチが当たったんだろうと書いていました。彼は一生、仲間を殺した事を悔いていました。その事を誰にも言う事ができなかったのが苦しかったのでしょう。死ぬ前にあの手記を書いたのは自分のためだったのだと思います。誰かに読んでもらおうと思って書いたのではなく、彼の懺悔(ざんげ)なのだと思います」

 坂口一等兵は誰にも言えない過去を手記に書いて自分を解放した。川上伍長は誰にも言えない過去を沖縄のために働く事で罪滅ぼしをしようとした。前田上等兵は誰にも言えない過去を利用して川上伍長を強請(ゆす)ってジャズのレコードを集めた。前田上等兵は田島上等兵を殺した事を後悔しなかったのだろうか。あれは川上伍長が命じた事だと自分をごまかして、ジャズの音楽の中に逃げていたのだろうか。そして、孫の前田直樹は誰にも言えない過去の過ちから逃げるために殺人を繰り返して死体を抱いた。

「前田直樹はあのガマで日高さんと大城美津子さんを殺しましたが気がつきましたか」と私は聞いた。

 窓の外を見ていた真一は「えっ」と言って私の顔を見た。

 私はもう一度、同じ質問をした。

「あれはローソクが残りわずかとなった三日目の午後六時頃でした。真っ暗の中にいるので昼も夜もわかりませんが、その時、時計を見て午後六時だったのを覚えています。人の話し声がして、中山が誰かを連れて来たのがわかりました。中山じゃなくて、前田でしたね。前田は僕がいる穴の中を照らして『元気か』と声を掛けました。そして、もう一人の男も覗いたようですが、逆光で誰だかわかりませんでした。前田は穴の中を覗いていた男を殴ったようでした。その後、何をしていたのかわかりませんが、しばらくして、前田が『前田秀雄を殺したのは川上だな』と男に聞いていました。男は『知らない』と何度も言っていましたが、前田に拷問(ごうもん)でもされているらしく、悲鳴を上げながら最後には『俺がやったんだ』と言っていました。そして、最後の悲鳴の後、静かになりました。僕は下から『中山』と呼びましたが返事はありません。出て行ったんだなと思いました。それからしばらくしてローソクは燃え尽き、懐中電灯を点けましたが、それも三時間位で消えてしまいました。次の日の午前十時頃、前田はやって来て、食糧とローソクを投げ込んでくれました。手記を落としたのもその時です。前田はすぐに出て行って、午後六時頃、またやって来ました。何かをやっているようですが、何をやっているのかはわかりませんでした。ただ、やたらとローソクを灯しているらしく、上の方はかなり明るくなっていて音楽が流れていました。ジャズのようでした。その夜はガマに泊まったようです。次の日の午前五時頃、前田は顔を出して声を掛けて来ました。『ここは住みやすいから、俺もしばらくここで暮らす事にした。ちょっと、獲物(えもの)を見つけて来る』と言って、『何か欲しい物があったら買って来てやるぞ』と言いました。僕は『何もいらないから、ここから出してくれ』と言いました。彼は、『それは無理だ。お前は知り過ぎたし、この場所はまだ利用するつもりだから出すわけにはいかない』と言いました。そして、外に出て行ったようです。夕方になったら戻って来るだろうと思っていましたが、彼は来ませんでした。そして、次の日の四時頃、警察に助けられました」

「どうして田島さんを殺さなかったのかと前田に訊ねたら、俺の祖父さんが田島の祖父さんを殺したからかもしれないと言っていましたよ」

「そうでしたか‥‥‥僕は沖縄戦の事を調べまくって、僕より詳しい人はいないだろうと自惚れていました。でも、僕が調べた事はほんの上っ面だけだったんですね。沖縄戦の真実はもっと深い闇の中に眠っているのです。その闇を掘り起こすべきなのか、僕にはわからなくなりました」

 真一は唇を噛みしめて正面の白い壁をじっと見ていた。

「私は沖縄戦の事を知らなすぎました。田島さんのお陰で、沖縄戦の悲惨さを学びました。ひめゆりの塔にいたひめゆり同窓会のお婆ちゃんは、二度と同じ過ちを犯さないようにするために、生き残った私たちは沖縄戦の悲惨さを伝え続けなければならないと言っていました。闇の中から真実を掘り起こすのは大変な事でしょうが、それは田島さんの使命なのではありませんか」

「使命ですか」と真一は私を見た。

「そうです」と私はうなづいた。「田島さんが調べなければ、味方に殺されて無念な死を遂げた田島上等兵の事は永遠に闇の中に葬られていたのです。他にも無念の死を遂げた人たちは大勢いるでしょう。それらの人たちのためにも真実を突き止める必要はあるんじゃないでしょうか」

 真一はゆっくりとうなづいた。

「失礼しました」と私は言った。ちょっとしゃべり過ぎたような気がした。「ところで、田島さんが第一外科壕に行った時、前田直樹は壕内から出て来た所だったのですか」

「はい、そうでした。泥だらけになって出て来た所でした。あの中に入る人は滅多にいませんからね、声を掛けましたよ。祖父が第一外科にいたと聞いて納得してしまいました。まさか、あの中で人を殺していたなんて、考えもしませんでした」

「当然ですよね。誰だって、あんな穴の中で人を殺すなんて考えませんよ。どうもありがとうございました。お陰で、色々な謎が解けました」

「わしの兄貴は特攻隊で沖縄の海で亡くなったんじゃが、どこに眠っているのか未だにわからんのじゃよ」と静斎が言って、淋しそうに笑った。

 真一は静斎を見つめて、静かにうなづいた。




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