佐敷グスク
ヤマトゥ(日本)から来た弓矢の名人、ヤシルー(八代)を師として、サハチは弓矢の稽古に励んでいた。 十二歳のサハチは大人用の弓はまだ引けないが、祖父のサミガー 父は祖父の期待に反して、弓矢の稽古をあまり真剣にしなかったらしい。父が弓矢の稽古を始めた頃、ヤマトゥから剣術の名人がやって来て、父は剣術に夢中になってしまった。夢中になったとはいえ、その頃の父は大して強くはなかった。父が強くなったのは母と出会ってからじゃよと祖父は笑った。母を妻に迎えるために必死になって修行に励んだようだった。 「 「お爺にもいたの? いい女子が」とサハチは聞いてみた。 祖父が女子に夢中になっている姿なんて想像もできなかった。 「勿論、いたとも。お前のお 「えっ?」とサハチは驚いた。 「お爺がヤマトゥの船から鉄をいっぱい手に入れたご褒美として、 「まあ、そうには違いないが、わしがお婆をお嫁に下さいって頼んで、お許ししていただいたんじゃよ。わしが 「馬天浜のお爺と美里のお爺が恋敵だったの?」 「そうじゃよ」 「美里のお婆は武将の娘だったって聞いたよ」 「美里のお婆の父親は 「お爺はお婆に一目惚れしたんだ」とサハチは祖父を見て笑った。 「お父もお母に一目惚れしたんじゃろう。お前にもいつか、そんな日が来るさ」 サハチが自ら弓矢の稽古をしたいと言い出したので、祖父は嬉しそうに蔵にしまってあったその弓を出してくれた。子供用とはいえ、それは立派な弓だった。 サハチが持って来た弓を見たヤシルーは、細い目を丸くして驚いた。 「ヤマトゥでもそんな弓を持てるのは、かなり勢力を持った武将の倅だろう。その弓に負けないように修行を積まねばならんぞ」と厳しい顔をして言った。 サハチは立派な弓に負けないように、毎日、弓矢の稽古に励んでいた。ただ立って的を射るだけでなく、揺れる 佐敷按司になった父は母の実家、 新しい屋敷は前の屋敷よりずっと広く、二つの屋敷に分かれていた。手前の屋敷には軍議をするための大広間があり、奥の屋敷には生活するための部屋がいくつもあって、二つの屋敷は渡り廊下でつながっていた。 サハチの弟や妹は嬉しそうにキャーキャー言いながら屋敷の中を走り回っていた。サハチとマシューはそんな弟たちを笑いながら見ていた。 マシューはもうすぐ、叔母の 以前の屋敷には、カマンタ(エイ)捕りの名人のキラマの娘を嫁にもらった父の弟、サジルー(佐次郎)が入って サジルーはサミガー大主の三男で、サハチの父と同じように美里之子の弟子だった。島添大里グスクが八重瀬按司に奪われてからは、いつか必ず、八重瀬按司を倒さなければならないと厳しい武術修行に明け暮れている。サミガー大主の次男のウミンター(思武太)は、陸にいるより海にいる方が好きで、父親の跡を継いで、鮫皮作りの親方になる事が決まっていた。 佐敷グスクの築城と同時に、父は祖父と相談しながら家臣たちを集めていた。按司になったからには有能な家臣が何人も必要だった。グスクを守るには強い武将が必要だし、領内の様々な問題を解決するには知識のある者も必要だった。まず、大グスク按司に頼んで、大グスク按司に仕えている サミガー大主の屋敷に滞在していたヤマトゥのサムレーのビング(備後)と、サハチの弓の師匠であるヤシルーも家臣になってくれた。さらに、各地を歩き回って地理や情勢に詳しい山伏のクマヌと、サハチに読み書きを教えているヤマトゥの禅僧のソウゲン(宗玄)も家臣になってくれたのは嬉しい事だった。 佐敷按司となって張り切っていた父は、やらなければならない事が次から次へと現れて、毎日、大忙しだった。家臣たちの住む家を建てなければならないし、家事も母だけでは間に合わず、女たちも雇わなければならなくなり、その女たちの住む家も建てなくてはならなかった。グスクを築くには莫大な費用が掛かったが、すべて、サミガー大主が引き受けてくれた。この日のために溜め込んでおいたのだと、長年の交易で稼いだ財産を惜しみなく使い、武器や そんな慌ただしい日々から三年が経って、父も佐敷按司としての風格も備わってきた。サハチは以前のように名前で呼ばれる事が少なくなり、『 島添大里按司は島尻大里按司の次男に生まれた。二十歳の頃、 島添大里按司は先代の島添大里按司や島尻大里按司、大グスク按司とは違って、親の跡を継いで按司になったのではなく、実力をもって按司の座を手に入れてきた武将だった。南部の東半分を我が物にしようとの野心を持ち、目的達成のためには手段を選ばす、非情と思える事でも平気な顔でやってきた。無能な者はたとえ重臣の倅でも退け、才能ある者は誰でも家臣に加えて勢力を広げて来た。次に狙っているのは大グスクだが、今はまだ時期が早い。ようやく手に入れた島添大里の領内を平定しなければならなかった。 「大グスクを攻めるのは地盤を固めてからじゃ」と血気にはやって攻めるだけの武将ではなく、冷静さも持ち合わせた恐るべき武将だった。三男三女の子供がいて、長女のウシ(牛)は 島添大里按司は時間稼ぎのため、大グスク按司を味方に引き入れようと使者を送って誘いをかけるが、大グスク按司はきっぱりと断り、何度も島添大里グスクを攻めていた。島添大里按司が領内を平定する前に奪い返さなければならないと攻撃するが、守りは固く、攻め落とす事はできなかった。その大グスク按司も三か月前に急に倒れてしまい、そのまま、あっけなく亡くなってしまった。 大グスク按司は父の伯父だった。サハチも父に連れられて大グスクに行った時、何度か会っている。正月にも会ったが、その時は元気で、サハチが弓矢の稽古に励んでいる事を聞くと、目を細めて喜んでくれた。それなのに、突然、亡くなってしまうなんて信じられなかった。 サハチは初めて葬儀に参列した。島添大里按司が攻めて来るかもしれないと厳重な警固の中、葬儀は行なわれた。島添大里按司が攻めて来る事はなく、葬儀は無事に終わった。 亡くなった大グスク按司の長男が大グスク按司を継いで二か月ほど経った頃、島添大里按司は自分の娘、ウミカナを嫁に迎えないかと言って来た。すでに、大グスク按司には妻も子もいた。それを知りながら、娘を嫁に迎えろとは馬鹿にするなと大グスク按司は使者を追い返した。すると次の日、側室でもいいから迎えないかと言う。追い返そうと思ったが、重臣の 七月の暑い日、島添大里按司の娘、ウミカナのお サハチも弟たちと一緒に華やかな行列を見ていた。人々が喜ぶように、本当に戦が起きないのだろうか心配だった。 夕方、サハチは大広間のある屋敷の縁側に座って、海を見ながら父の帰りを待っていた。 屋敷の前に サハチたちが住む屋敷と大広間のある屋敷が建っている所は一の 中御門から広い庭までは石段が続いていて、途中に二の曲輪と呼ばれる所がある。そこには重臣たちが詰めている屋敷と、グスクに仕えている 大グスクから帰って来た父に八重瀬按司の娘の輿入れの事を聞くと、「お互いに駆け引きをしているんだよ」と父は言って、サハチの隣りに腰を下ろした。 「八重瀬按司は今、明国と交易するために何かと忙しい。大グスク按司に攻められると困るんだよ。大グスク按司は島添大里按司が領内をまとめる前に、何度も島添大里グスクを攻めている。幸い、激しい戦にはならずに、お互いに手を引いているが、こう何度も攻められていたんでは交易の準備がはかどらない。そこで、娘を敵に送って、交易が済むまで戦はやめようと考えたんだ。大グスク按司としても、敵がグスクを強化してしまった今となっては、攻め落とすのは難しい。娘を人質に取って様子を見ようと思っているのだろう」 「あの娘は人質なのですか」とサハチは聞いた。 「そうだ。もし、八重瀬按司が攻めて来たら殺されてしまうだろう。可哀想な事だな」 「あの娘はその事を知っているのですか」 「島添大里按司が娘にどう説明したのかはわからんが、父親のためだと思って大グスクに行ったのだろう。あの娘の姉は 「父親のためにまったく知らない所に嫁いでいるんですか」 サハチは嫁いで行った叔母たちの事を思い出していた。マナビー(真鍋)叔母さんは大グスクのサムレーに見初められて、マナビー叔母さんもそのサムレーの事が好きになってお嫁に行った。マチルー(真鶴)叔母さんはカマンタ捕りのウミンチュと仲良くなってお嫁に行った。マウシ(真牛)叔母さんは鮫皮作りの職人と仲良くなってお嫁に行った。みんな、お互いに好き合って一緒になっていた。父や祖父だって、一目惚れした相手と一緒になっている。 お輿入れの時、何となく寂しそうな顔をしていたウミカナの顔を思い出しながら、会った事もない人の所にお嫁に行くなんて可哀想だとサハチは思っていた。 「可哀想だが、按司の娘に生まれたからには、それは宿命とも言えるな」と父は言った。 「この佐敷グスクを守るために、お前の妹たちもどこかの按司のもとに嫁がせなくてはならなくなるかもしれん」 「えっ?」とサハチは顔を上げて父を見た。 父は夕暮れの海の方を見ていた。 「ここを守り抜くために、娘たちに犠牲になってもらいたくはないが、按司になったからには、それもやむを得えん事なんだ」 遠くを見ていた父はサハチに視線を戻すと、じっとサハチを見つめて、「お前は佐敷按司の跡継ぎだ。その事をしっかりと肝に銘じてくれ」と言った。 サハチは父を見つめながらうなづいた。みんなから『若按司』と呼ばれて、偉くなった気分で喜んでいたが、按司になるというのは大変な事なんだとサハチは改めて感じていた。 「しばらくの間は戦も起こらんだろうが、いつか必ず、島添大里と大グスクの サハチは力強くうなづいた。
去年の秋、北部の 中山王、山南王、山北王の使者を乗せた明国の船には、琉球の馬が一千頭近くも乗っていた。察度の義弟、 新たに中山王の使者になったのは、浮島の 運悪く、使者としてのアランポーの最初の航海は、激しい暴風に見舞われて、 この時、琉球が王国として明国と交易している事を知った宮古島の |
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