今帰仁グスク
ヤンバル(山原)と呼ばれる北部に入り、山の中の細い 名護の海岸は白い砂浜がずっと続いていて、綺麗で、のどかな所だった。山の中を通り抜けて来たサハチたちにとって、急に視界が開けて、そこは広々とした土地に思えた。 「ここから 「あそこに 山を登って行くと山の上に小さな集落があって、その先に名護グスクがあった。石垣はなく、堀と土塁で囲まれていた。 クマヌが言う通り、城下は賑わっているとはいえず、静かな サハチは、「えっ?」と言ってクマヌを見た。 「そんな事はありませんよ」と言ったものの、頭の中ではずっとマチルギの事を思っていた。 「ほんとにおかしいぞ」とサイムンタルー(左衛門太郎)も言った。 「さては、マチルギに 「そんな‥‥‥」とサハチはクマヌを見た。 否定しようと思ったが、クマヌの言う通り、そうかもしれないと思った。サハチは今まで、本気になって女の子を好きになった事はなかった。惚れるというのはこういう事なのか‥‥‥すぐにでも飛んで行ってマチルギに会いたかった。 「帰りにまた 「ただし、マチルギはお前に勝つために毎日、必死になって稽古をしているぞ。お前も稽古をしないと負けてしまうぞ」 サハチはうなづくと外に飛び出して刀を振り始めた。小屋の中から笑い声が聞こえて来たが気にならなかった。今度会う時、マチルギに負けるわけにはいかなかった。 次の日は海岸から離れて、一応、道と呼べる所を通って 「あれは 「明の国は商人たちの渡海を禁じている。それを犯してやって来た商人たちが、今帰仁按司と密かに取り引きをしているんじゃよ」 「そんな事をして大丈夫なんですか」とサハチは聞いた。 「見つかれば殺されてしまうかもしれんが、奴らは古くから琉球と交易をしている。明国の皇帝が勝手に決めた法など屁とも思わんのじゃろう。命懸けでやって来るんじゃよ。まあ、 「それじゃあ、今帰仁按司はずっと密かに明国と交易をしていたのですか」 「そういう事じゃな。 「王様の衣装?」とサイムンタルーが怪訝な顔をした。 「今帰仁按司というのは何歳なのですか」 「わしは見た事がないので詳しくは知らんが、噂では六十位じゃという。 「王様の着物は赤いのですか」 「明国に使者を送った翌年の正月、その赤い着物を着て儀式に登場したそうじゃ」 「ヤマトゥ(日本)の船が見当たらんようですが」とサハチが海を見ながら言った。 「ヤマトゥの船は今帰仁グスクの側にある 運天泊から 城下は確かに賑わっていた。浮島(那覇)ほどではないが、 今帰仁グスクは高い石垣に囲まれていて、かなり大きいようだった。このグスクの中にマチルギの 「戦に負けていなければ、今頃、マチルギはあのグスクの中で、お姫様として育てられていたわけだな」とサイムンタルーがグスクを見ながら言った。 「そう言う事だな」とヒューガ(三好日向)がうなづいた。 「敵討ちのために剣術の修行などしなかっただろう。綺麗な着物を着て静かに暮らしていたはずだ」 二人の話を聞きながら、サハチはまたマチルギの事を思っていた。マチルギが綺麗な着物を着ている姿を想像して、すぐにでも会いたいと思っていた。 「ここは何となく風俗も違って、別の国に来たようだのう」とヒューガが言っていた。 「わしも始めて来た時にそれを感じたんじゃよ」とクマヌがうなづいた。 「なぜかわからんが、ここに来て懐かしさを感じたんじゃ。それで古老たちから色々と話を聞いてみたら、ここには 「という事は、今帰仁按司は平家の落武者の血を引いているのか」 「壇ノ浦の合戦が二百年前の事じゃからのう。地元の娘たちの血も混じって、かなり薄くなってはいるが、平家の血を引いているといえるじゃろう」 「それで、今帰仁按司は赤い着物を欲しがったんだな」とサイムンタルーが納得したように言った。 「成程」とクマヌは笑った。 「そこまでは気づかなかったわ。平家の血が赤い着物を求めたのかもしれんのう」 サハチには何の話をしているのか、まったくわからなかった。 「平家とか源氏とか、それは一体何ですか」とサハチはクマヌに聞いた。 「ヤマトゥの武将たちじゃ。ヤマトゥの二大勢力といっていいじゃろう。平家と源氏は政権を争って戦をしていたんじゃ。二百年前まで平家が実権を握っていたが、平家は壇ノ浦という所で源氏に負けて、落武者となって各地に逃げ散ったんじゃよ。戦をする時、平家は赤旗を掲げて、源氏は白旗を掲げて戦ったんじゃ。それで赤は平家、白は源氏の色となったわけじゃ。ついでに言うと、初代の 今帰仁の城下には、ヤマトゥンチュが住んでいる一画があって、熊野権現を祀る神社があり、その鳥居前には立派な ミヌキチ(簔吉)という研ぎ師は小柄な老人だった。今帰仁に住んで、すでに三十年は経つという。遠い所までよく来てくれたとミヌキチはサハチたちを歓迎してくれた。 仕事場の様子を眺めながら、「景気よさそうじゃのう」とクマヌがミヌキチに言った。 仕事場には何本もの刀が置いてあり、ミヌキチの子供らしい若者が二人、刀を研いでいた。 「まあな」とミヌキチは笑いながらうなづいた。 「お蔭さまで、去年、いや、年が明けたから 「ようやく、おぬしの腕が認められたというわけか」 「しばらく、世を拗ねて隠れておったからのう。そなたのお蔭で、刀研ぎに戻る事ができた。改めてお礼を言う」 「わしが初めておぬしと会った時、刀など研げんと言って包丁ばかり研いでおったのう」 「今思えば、あの時はあれでよかったと思っておる。二十年近く、庶民と共に暮らして来た。人の温かみというのを改めて知った。今まで刀研ぎには技術だけがあればいいと思っていたが、心というものも刀研ぎに必要だという事がよくわかったんじゃ。言葉ではうまく言えんが、技術だけでは名刀は研げんとな。名刀で思い出したが、世の主の名刀は先々代が大事にしていた名刀じゃった。わしが先々代に呼ばれてここに来た時、最初に研いだ刀じゃった。三十年振りに見て当時の事が思い出されたわ」 「かなりの名刀なのか」 「銘はないが その夜、去年稼げたのはクマヌのお蔭だと言って、ミヌキチはサハチたちを連れて遊女屋に繰り出した。 倭寇というのは、遠い国から危険を冒してやって来るヤマトゥの商人の事だとサハチは思っていたが、そんな単純なものではなかった。商品の取り引きをするので、商人と言うのも決して間違いではないが、財宝を積んだ船を襲う海賊でもあるし、高麗や明国の海岸沿いの村々を襲撃して、食糧や人までも奪い取る無法者でもあった。 サハチは驚いてサイムンタルーに、「本当なのですか」と聞くと、サイムンタルーは否定しなかった。 「百年前、 「 サイムンタルーの故郷、対馬がどこにあるのかサハチにはわからないが、そんな悲惨な事が百年前に起こっていたなんて、まったく知らなかった。島の人が半数も殺されたら復讐をするのは当然と言えた。 「その後、倭寇は 「船団を組んで海岸の村々を襲撃して食糧を奪い取り、その食糧は南朝の 「南朝というのは何ですか」とサハチは聞いた。 「ヤマトゥには天皇と呼ばれる一番偉い人がいるんじゃが、それが二つに分かれて争い始めたんじゃよ。北朝と南朝に分かれ、ヤマトゥの国中が二つに分かれて戦に明け暮れている。もう、五十年も争いを続けているんじゃ」 「どこに行っても戦をしておったわ」とヒューガが苦々しい顔をして言った。 「さて、難しい話はこれまでじゃ。綺麗どころが揃っている。楽しく飲もうじゃないか」 サハチは 夜が更けて 次の日は雨降りで旅は中止になった。ミヌキチは二人の倅と一緒に仕事場で忙しそうに働いているが、サハチたちはやる事もなく、ミヌキチの家でゴロゴロしていた。 「ミヌキチの奥さんだが、伊波の若按司の嫁さんに似てるような気がするんだが、気のせいかね」とヒューガがクマヌに聞いた。 クマヌは笑って、「若按司の嫁さんはミヌキチの娘じゃよ」と言った。 「やはりそうだったか。しかし、若按司の嫁さんが刀研ぎの娘とは納得できんが」 クマヌはまた笑った。 「確かにのう。普通の刀研ぎの娘なら若按司の嫁にはなれん。ところが、ミヌキチの奥さんは先々代の今帰仁按司の娘なんじゃよ」 「ほう。ミヌキチは按司の娘を嫁にもらったのか」 「ミヌキチの研ぎ師の腕に惚れて、娘を嫁にやったらしいのう。腕のいい研ぎ師をヤマトゥから連れて来てくれと頼んだのは、先々代の按司だったんじゃ。戦が起こる前は立派な屋敷も賜わって、按司の婿殿にふさわしい豪勢な暮らしをしていたらしい。戦でその屋敷も焼かれ、按司も入れ替わってしまい、ミヌキチは刀を研ぐ事をやめて、包丁研ぎとして、つつましく暮らしていたんじゃ。わしが初めて会った時のミヌキチは、村のはずれで粗末な小屋で暮らしていた。目の 「ミヌキチは伊波按司のために、敵の様子を探っているのか」とサイムンタルーが聞いた。 「そうじゃよ。敵に勝つには、まず敵を知らなければならんからのう。伊波にいたんでは敵の様子はまったくわからん。敵の弱みを見つけて、そこに付け込まなければ戦には勝てんからな」 サハチはクマヌの話を聞きながら、大グスクに側室に入った 「クマヌ殿、ちょっと聞きたいんだが」と横になって雨を眺めていたサイムンタルーが体を起こして言った。 「琉球に来る前、奄美の島々は今帰仁按司の支配下にあると聞いたんですが、察度が明国との取り引きで使っている 「その通りじゃ」とクマヌは答えた。 「琉球で硫黄が採れるのはあそこしかない。鳥島はもともと今帰仁按司の支配下にあって、そこの硫黄は 「今帰仁按司は黙っていたのですか」 「今帰仁にも硫黄を求める商人が来たじゃろうから、今帰仁按司も鳥島を奪い返そうとしたじゃろう。しかし、倭寇だった察度の方が海上の戦はうまかったんじゃろう。奪い返す事はできなかった。それでも邪魔をして来る今帰仁按司を黙らせるために、今帰仁按司にも明国との交易をさせるようにしたんじゃよ」 「成程のう」とヒューガが言ってうなづいた。 「しかし、そんな事をどうやって調べたのです。そこらにいる年寄りがそんな事を知っているとは思えんが」 クマヌは笑って、「 「 クマヌはうなづいた。 「いっさい贅沢などしないお人じゃが、酒が好きでのう、酒だけは明国の強い酒を飲んでおった。向こうの寒い冬を乗り越えるために飲んでいたら、癖になってやめられんそうじゃ。一緒に酒を飲みながら色々と話してくれたんじゃよ」 「明国はどうして、硫黄を欲しがるのですか」とサハチは聞いた。 硫黄とは何なのか、サハチは知らなかった。しかし、その事を聞くのは何となく恥ずかしかったので、そう聞いてみた。 「硫黄は火薬の原料になる」とサイムンタルーが言った。 「火薬と言ってもサハチにはわかるまい」とクマヌが笑った。 「火薬というのは黒い砂のような物でな、火を付けると大きな音を立てて爆発するんじゃ。百年前に元の蒙古軍が対馬や そんな凄い武器があるなんて知らなかった。そんな武器が手に入れば、島添大里グスクを攻め落とすのも夢ではないような気がした。 「サンルーザ殿もその焙烙玉を持っているのですか」とサハチはサイムンタルーに聞いた。 サイムンタルーはうなづいた。 「明国の水軍から奪い取ったやつがある。でも、貴重な物だから最後の最後に使う」 「使った事はあるのですか」 「何回か使った。何回か危ない目に遭っているからな、その時はそいつを使って、うまく逃げる事ができたよ」 サハチはサイムンタルーを見ながら、倭寇として活躍して、何度も危険な目に遭っていたのかと改めて見直していた。 外では相変わらず、雨がシトシトと降っていた。 |
名護グスク
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