沖縄の酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲







伊平屋島




 梅雨の明けた五月の初旬、サハチ(佐敷若按司)を乗せたサンルーザ(早田三郎左衛門)の船はヤマトゥ(日本)へ向けて、浮島(那覇)を出帆した。

 サハチのヤマトゥ旅への船出を祝うかのように、空は青く晴れ渡り、海は眩しく輝いていた。

 竹でできた大きな帆に南風(ふぇーぬかじ)を受けて、船は穏やかな海を気持ちよく(にし)へと走っていた。

 サンルーザの船は、この前に来た時とは違って和船ではなかった。高麗(こーれー)(朝鮮半島)から奪い取った船を真似して、去年に造ったばかりだという。後に、ジャンク船と呼ばれる中国で生まれた船だった。和船に比べて高波にも強く、横風を受けて走る事もできる。この船なら簡単に黒潮を乗り超えられる。(みん)の国(中国)に渡るのもわけない事じゃとサンルーザは自慢げに笑った。

 百年程前の元寇(げんこう)の時、先鋒となってヤマトゥに攻めて来たのは高麗の兵たちだった。(げん)の皇帝に命じられて、高麗では多数の外洋船を造らなければならなかった。その時、高麗にジャンク船が伝わり、元寇以後、高麗の外洋船はジャンク船になっていた。

 サンルーザは倭寇(わこう)として高麗を襲撃した時、荷物を満載したジャンク船を奪い取って、対馬まで曳いて来た。苦労して曳いて来たのに、その船の扱い方がわからなかった。しばらく、海に浮かべたまま放っておいたが、ある時、済州島(チェジュとう)の者が対馬にやって来て、ジャンク船の操縦方法を教えてもらう事が出来た。済州島も倭寇の拠点になっているので、対馬との交流があった。サンルーザはジャンク船の性能と操作性が気に入って、それを真似して新しい船を造ったのだった。

 サハチは船首近くに立って、まだ見ぬヤマトゥの国を思いながら海を眺めていた。

 祖父の小舟(さぶに)に乗って津堅島(ちきんじま)には行った事があるが、こんな大きな船に乗って旅をするのは初めてだった。サハチは感激しながら遠くの海を見たり、右側に見える大島(うふしま)(沖縄本島)の山々を眺めたり、後ろから付いて来るクルシ(黒瀬)たちが乗った船を見たりしていた。

「お前の親父がヤマトゥに行ったのは、もう二十年も前になるんじゃのう」とサンルーザがそばに来て言った。

「あの時はわしも若かった」

「父上は博多に行ったんですね?」とサハチは聞いた。

「うむ、博多の賑わいを見て、ぶったまげておった」

「俺も博多に連れて行って下さい」

「勿論じゃ。積み荷の取り引きに行かなけりゃならんからのう」

「博多から京都や鎌倉は遠いのですか」

「遠いのう。まだ戦が治まっておらんからな、京都まで行くのは難しい。鎌倉はさらに遠いし、鎌倉幕府が滅んでしまったので、今の鎌倉はもう都ではないんじゃよ」

「鎌倉幕府って何ですか」

「鎌倉幕府というのは源氏が作った政権で、関東の鎌倉を本拠地にしたんじゃよ。今は足利幕府が京都にある。ヤマトゥの国と言っても琉球と同じで、一つにまとまってはおらんのじゃよ。将軍宮(しょうぐんのみや)様(懐良親王(かねよししんのう))が太宰府(だざいふ)におられた時は、九州は独立した国のようじゃった。ちょうどお前が生まれた頃、幕府の大軍を率いた今川了俊(りょうしゅん)が九州に上陸したんじゃ。それから、また戦が始まったんじゃよ。幕府が北朝で、将軍宮様が南朝じゃ。将軍宮様がお亡くなりになったあと、新しい将軍宮様(良成(よしなり)親王)が跡をお継ぎになったが、以前の勢いを盛り返すのはもう不可能じゃろう。まあ、その目で実際に見てみるのが一番じゃ。ヤマトゥの戦をよく見て、戦のやり方を学ぶ事じゃ。そして、馬天浜(ばてぃんはま)と佐敷グスクは絶対に守り通してくれよ」

 サハチは力強くうなづいて、旅立つ前にクマヌが言った言葉を思い出していた。

「若按司は旅に出て、色々な経験をすると思うが、もし、迷うような事が起こったら、自分が思った通りの事をやればいい」といつになく真面目な顔をしてクマヌは言った。

「お前には琉球の神様が付いているからな。何も恐れずに、思い切って様々な事を学んで来い。楽しみに帰りを待っているぞ」

 そう言ったあと、サハチの肩をたたいて、「マチルギの事は心配するな。任せておけ」と笑った。

 最後の一言が、今のサハチにとって一番嬉しい言葉だった。せっかく、マチルギといい雰囲気になれたのに、半年以上も会えなくなって、マチルギが自分の事など忘れて、どこかにお嫁に行ってしまうのではないかと不安だった。

 マチルギは、「待っている」と言ったが、父親から縁談の話を持ち込まれたら断れないかもしれない。マチルギの事をクマヌに頼みたかったけど言う事はできなかった。クマヌの方から言ってくれたので、サハチは安心して旅に出る事ができたのだった。(ふところ)の中にあるマチルギからもらった鉢巻きにそっと触れながら、「必ず待っていてくれよ」と心の中で言っていた。

 船旅に興奮しているサハチは、船尾にある屋形の中に入って休む事もなく、ずっと海を眺めていた。

 船は大北崎(うふにしざき)(残波岬)を右に見ながら進んで、本部(もとぅぶ)半島と伊江島(いーじま)の間を通り抜けて親泊(うやどぅまい)(今泊)に着いた。

 今帰仁(なきじん)山北王(さんほくおう)(帕尼芝)と取り引きをするという。売れ残っている品々を、ここで赤木や黒木と交換するので、今晩はここに停泊するという。

 サンルーザはサイムンタルー(左衛門太郎)を連れて、近づいて来た小舟に乗って上陸した。サハチはヒューガ(三好日向)と一緒に上陸して、研ぎ師のミヌキチを訪ねてみる事にした。

 ミヌキチは息子たちと一緒に、相変わらず忙しそうに刀を研いでいた。サハチたちを見ると驚いたが歓迎してくれた。その夜はミヌキチの家に泊めてもらい、マチルギの曽祖父、先々代の今帰仁按司(千代松)の話を聞いた。

 ミヌキチの話しぶりから、先々代は尊敬すべき立派な按司だったらしい。先々代が亡くなって、若按司が跡を継いで、一月ほど経った頃の風の強い日だった。突然、大軍が攻めて来て、城下は焼かれ、何がどうなったのかわからずに逃げ惑っているうちに、羽地按司(はにじあじ)が今帰仁グスクを乗っ取ったと噂が流れて来た。

 羽地按司は先々代の娘婿で、先代の義理の弟だった。先々代が最も信頼していた武将だったのに裏切るなんて、ミヌキチには信じられなかった。噂では、若按司も二人の弟も一族は皆、殺されたという。

 ミヌキチは世を(はかな)んで刀研ぎをやめた。それから十六年後、クマヌから先代の次男(伊波按司)と三男(山田按司)が無事に生きている事を知らされ、信じられない事のように喜んだ。しかし、今になって思えば、先々代の遺児が生き延びた事を知って、グスクを強化したに違いなかった。先々代がいた頃のグスクは、あんなにも高い石垣に囲まれてはいなかったという。

 いくらグスクを強化しても、いい気になって(おご)れば、隙が生まれる。その隙を狙えば、奪い返す事も夢ではない。いつの日か、兄弟が(かたき)を討って、今帰仁に戻って来るまでは死にきれんと厳しい顔をして言っていた。

 取り引きがうまく行かなかったのか、今帰仁に三泊してから伊是名島(いぢぃなじま)に向かった。

 風がそれほど強いわけでもないのに波が高く、船は大揺れした。サハチは時々波をかぶりながらも、甲板(かんぱん)に立って荒れる海を眺めていた。半時(はんとき)(一時間)近く海は荒れていて、伊是名島に近づくにつれて穏やかになって来た。

 島の東側にある港に入って行くと、小舟が何艘も近づいて来た。サハチはサンルーザと一緒に、小舟に乗って伊是名島に上陸した。

 伊是名島にも鮫皮(さみがー)を作っている人たちがいた。ここで鮫皮作りを始めたのはサハチの祖父、サミガー大主(うふぬし)だった。しかし、ヤマトゥからの船が来なかったため、サミガー大主は島から追い出されてしまった。その後、サミガー大主の妹が伊是名島に嫁いで、鮫皮作りを再開したのだった。

 ナビー(鍋)お(ばあ)と呼ばれているサハチの大叔母は威勢のいい人だった。サハチがサミガー大主の孫だと言うと大きな目をしてうなづき、「そうか、そうか。どことなく、イハチ兄さん(サミガー大主)に似てるおるのう」と笑った。

 鮫皮の取り引きが済むとナビーお婆は船に乗り込んで来て、一緒に伊平屋島(いひゃじま)に渡った。

 伊平屋島は伊是名島の北にある細長い島で、すぐ近くだった。ここでも船が港に入ると小舟がいくつも近づいて来た。ナビーお婆のお陰で、親戚の者たちが集められ、サハチは大歓迎された。

 サミガー大主は四人兄弟の長男で、妹が二人と弟が一人いた。上の妹は我喜屋(がんじゃ)ヌルで、下の妹がナビーお婆、弟は田名大主(だなうふぬし)と呼ばれていた。我喜屋ヌルには一人娘がいて、孫が三人、田名大主には七人の子供がいて、孫は十人以上もいた。やがて、伊是名島からもナビーお婆の子供や孫たちもやって来て大賑わいとなった。

 その夜、サハチは酒を飲みながら、我喜屋ヌルから曽祖父の事や祖父の若い頃の話を聞いた。初めて聞く話ばかりで、サハチは興味深く聞いていた。

 特に驚いたのは、曽祖父の父親が島尻大里按司(しまじりうふざとぅあじ)の息子で、与座按司(ゆざあじ)だったという事だった。

 与座按司は島尻大里按司の次男で、妻は玉グスク按司の娘だった。長男の妻は浦添按司(うらしいあじ)の娘で、それぞれふさわしい嫁だと歓迎された。何事も起こらなければ、兄弟が争う事もなかったが、浦添で異変が起こった。浦添按司(英慈)が亡くなると家督争いが始まり、四男だった玉グスクの若按司が跡を継いだのだった。

 父親が亡くなって、長男は跡を継いで島尻大里按司になったが、弟の与座按司が玉グスク按司を後ろ盾に自分の地位を奪い取るのではないかと不安になった。疑心暗鬼で眠れぬ夜が続き、とうとう、与座グスクを襲撃して弟を殺してしまったのだった。一族はすべて殺され、曽祖父のヤグルーだけが数人の家臣と共に逃げ延びて、家臣の一人の故郷、伊平屋島に逃げたのだった。

 その時、ヤグルーは十九歳で、妻と息子が一人いたが助ける事はできなかった。どうして攻められたのか理由もわからず、ただ、(かたき)を討たなければならないと思いながら、伊平屋島で悶々とした日々を過ごしていた。

 生き残った仲間を集めて、再起を図ろうと家臣たちを偵察に送るが、仲間は集まらず、父親が謀反人(むほんにん)になっていて、自分も戦死した事になっている事を知って愕然とする。

 母親の実家である玉グスク按司を頼ろうと玉グスクまで行ってみたが、祖父に会う事はできなかった。与座按司の嫡男だと言っても、戦死したはずだと聞き入れてはもらえず、祖父に会えばわかると言ったら、祖父は浦添にいるという。浦添グスクに行っても門前払いをされて、祖父に会う事はできず、悲嘆に暮れて伊平屋島に戻って来た。やがて、家臣たちにも見放され、偵察に行ったまま戻って来る事はなく、伊平屋島出身の家臣だけになってしまった。

 やけくそになっていたヤグルーの唯一の慰めは、身の回りの世話をしてくれていた娘、カマドゥ(竈)だった。ヤグルーが島に来た時、九歳だったカマドゥは十六歳で我喜屋ヌルとなり、ヌルになってからもヤグルーの世話を続けた。十九歳の時にヤグルーと結ばれて、翌年、サミガー大主が生まれた。

 子供ができてからは過去の事は胸の奥にしまって、お世話になった島人(しまんちゅ)のために生きてきた。ヤグルーは死ぬ時も過去の事は語らず、子供たちに何も告げようとはしなかった。

 それから二十七年後、曽祖母が亡くなった。曽祖母は亡くなる前、子供たちを集めて、曽祖父が語らなかった真実を告げた。サハチが七歳の時の事だという。

 話を聞いていたサハチは島尻大里グスクを思い出し、無念のうちに亡くなった曽祖父の敵を討たなければならないと思っていた。

「この事をお父は知っているの?」とサハチは我喜屋ヌルに聞いた。

「さあねえ、イハチ兄さんが話したかどうか。父がこの島に逃げて来たのは七十年も前の事だからねえ、今さらそんな事を知ったからってどうなるもんでもないよ。与座按司を殺した島尻大里按司ももう死んでしまっているからね。今の島尻大里按司はそんな昔の事なんて知らないだろう」

 サハチの祖父のサミガー大主は、我喜屋ヌルの二歳年上の兄で、小さい頃はいつも兄の後をついて回っていたという。海が好きで年中、海で遊んでいた。祖父が十二歳の時、ヤマトゥから鮫皮を作る人がやって来て島に住み着いた。祖父はウミンチュ(漁師)たちと一緒にカマンタ(エイ)捕りを始めた。

 十六歳の頃にはカマンタ捕りの名人と言われる程の腕になり、十七歳の時にヤマトゥの船に乗ってヤマトゥに旅立った。我喜屋ヌルは兄の無事を毎日、祈っていた。

 祖父が無事に帰って来たのは一年半後だった。一年半振りに見た兄は一回りも大きくなって、まるで別人のようだったけど、我喜屋ヌルを見て笑ったその顔は昔のままで安心したという。

 島に帰って来たサミガー大主は、鮫皮作りの職人から鮫皮の作り方を教わって伊是名島へ行った。伊是名島の若い者たちを集めて鮫皮作りを始めたけど、ヤマトゥからの船がいつまで経っても来ないので、島を追い出されてしまった。伊平屋島に戻って来るのかと思っていたら、大島(沖縄本島)に行ってしまい、帰って来る事はなかった。どこに行ったのかわからず、我喜屋ヌルはずっと兄の無事を祈り続けた。

 サミガー大主の消息がわかったのは、一年くらい経ってからだった。伊是名に嫁いだ妹のナビーがウミンチュから聞いて、大島の南の馬天浜という所で鮫皮作りをやっているという事がわかった。

 我喜屋ヌルは弟と一緒に小舟(さぶに)に乗って馬天浜に行き、兄と再会した。そして、その年の暮れ、伊平屋島にヤマトゥから船がやって来た。兄が馬天浜で鮫皮を作っている事を知らせ、ヤマトゥ船は馬天浜に行って鮫皮の取り引きをした。兄は大量の鉄や刀を手に入れて、大グスク按司に認められ、娘を嫁にもらって、益々、栄えて行ったという。

 曽祖母が亡くなった時、サミガー大主も伊平屋島に帰って来ていた。その時、「どうして、馬天浜に行ったの?」と我喜屋ヌルが聞いたら、「浮島に行くつもりだった」と兄は言った。

「浮島に知っている人がいるから、浮島で鮫皮作りを始めようと思ったんだ。でも、今帰仁の近くで夜を明かした時、夢の中に鎧兜(よろいかぶと)を身につけたサムレー(侍)が現れて、『お前が行くべき場所は浮島ではない。この島の東側に出て、南の方にずっと向かうと馬天という浜に着く。そこがお前が行くべき場所じゃ』と言ったんだよ。そのサムレーが誰だかわからなかったけど、もしかしたら御先祖様かもしれないと思って、その言葉を信じて馬天浜に行ったんだ。そこは、わしがいつも思い描いていた場所とまったく同じ風景だった。わしは夢に出てきたサムレーに感謝して、そこに落ち着いて成功したんじゃよ」

 兄は母から父の過去を聞いて、夢の中のサムレーは与座按司だった祖父に違いないと思ったようだったと我喜屋ヌルは言った。

 曽祖父と祖父の若い頃の話を聞いて、これから始まるヤマトゥ旅の経験を決して無駄にしないで、精一杯頑張らなくてはならないとサハチは決心を新たにしていた。





伊平屋島




目次に戻る      次の章に進む



inserted by FC2 system