伊平屋島
梅雨の明けた五月の初旬、サハチを乗せたサンルーザ(早田三郎左衛門)の船はヤマトゥ(日本)へ向けて、浮島(那覇)を出帆した。 サハチのヤマトゥ旅への船出を祝うかのように、空は青く晴れ渡り、海は眩しく輝いていた。 竹でできた大きな帆に サンルーザの船は、この前に来た時とは違って和船ではなかった。 百年程前の サンルーザは サハチは船首近くに立って、まだ見ぬヤマトゥの国を思いながら海を眺めていた。 祖父の 「お前の親父がヤマトゥに行ったのは、もう二十年も前になるんじゃのう」とサンルーザがそばに来て言った。 「あの時はわしも若かった」 「父上は博多に行ったんですね?」とサハチは聞いた。 「うむ、博多の賑わいを見て、ぶったまげておった」 「俺も博多に連れて行って下さい」 「勿論じゃ。積み荷の取り引きに行かなけりゃならんからのう」 「博多から京や鎌倉は遠いのですか」 「遠いのう。まだ戦が治まっておらんからな、京まで行くのは難しい。鎌倉はさらに遠いし、鎌倉幕府が滅んでしまったので、今の鎌倉はもう都ではないんじゃよ」 「鎌倉幕府って何ですか」 「鎌倉幕府というのは源氏が作った政権で、関東の鎌倉を本拠地にしたんじゃよ。今は足利幕府が京にある。ヤマトゥの国と言っても琉球と同じで、一つにまとまってはおらんのじゃよ。 サハチは力強くうなづいて、旅立つ前にクマヌが言った言葉を思い出していた。 「若按司は旅に出て、色々な経験をすると思うが、もし、迷うような事が起こったら、自分が思った通りの事をやればいい」といつになく真面目な顔をしてクマヌは言った。 「お前には琉球の神様が付いているからな。何も恐れずに、思い切って様々な事を学んで来い。楽しみに帰りを待っているぞ」 そう言ったあと、サハチの肩をたたいて、「マチルギの事は心配するな。任せておけ」と笑った。 最後の一言が、今のサハチにとって一番嬉しい言葉だった。せっかく、マチルギといい雰囲気になれたのに、半年以上も会えなくなって、マチルギが自分の事など忘れて、どこかにお嫁に行ってしまうのではないかと不安だった。 マチルギは、「待っている」と言ったが、父親から縁談の話を持ち込まれたら断れないかもしれない。マチルギの事をクマヌに頼みたかったけど言う事はできなかった。クマヌの方から言ってくれたので、サハチは安心して旅に出る事ができたのだった。 船旅に興奮しているサハチは、船尾にある屋形の中に入って休む事もなく、ずっと海を眺めていた。 船は サンルーザはサイムンタルー(左衛門太郎)を連れて、近づいて来た小舟に乗って上陸した。サハチはヒューガ(三好日向)と一緒に上陸して、研ぎ師のミヌキチを訪ねてみる事にした。 ミヌキチは息子たちと一緒に、相変わらず忙しそうに刀を研いでいた。サハチたちを見ると驚いたが歓迎してくれた。その夜はミヌキチの家に泊めてもらい、マチルギの曽祖父、先々代の今帰仁按司の話を聞いた。 ミヌキチの話しぶりから、先々代は尊敬すべき立派な按司だったらしい。先々代が亡くなって、若按司が跡を継いで、一月ほど経った頃の風の強い日だった。突然、大軍が攻めて来て、城下は焼かれ、何がどうなったのかわからずに逃げ惑っているうちに、 羽地按司は先々代の娘婿で、先代の義理の弟だった。先々代が最も信頼していた武将だったのに裏切るなんて、ミヌキチには信じられなかった。噂では、若按司も二人の弟も一族は皆、殺されたという。 ミヌキチは世を いくらグスクを強化しても、いい気になって 取り引きがうまく行かなかったのか、今帰仁に三泊してから 風がそれほど強いわけでもないのに波が高く、船は大揺れした。サハチは時々波をかぶりながらも、 島の東側にある港に入って行くと、小舟が何艘も近づいて来た。サハチはサンルーザと一緒に、小舟に乗って伊是名島に上陸した。 伊是名島にも ナビー(鍋)お 鮫皮の取り引きが済むとナビーお婆は船に乗り込んで来て、一緒に 伊平屋島は伊是名島の北にある細長い島で、すぐ近くだった。ここでも船が港に入ると小舟がいくつも近づいて来た。ナビーお婆のお陰で、親戚の者たちが集められ、サハチは大歓迎された。 サミガー大主は四人兄弟の長男で、妹が二人と弟が一人いた。上の妹は その夜、サハチは酒を飲みながら、我喜屋ヌルから曽祖父の事や祖父の若い頃の話を聞いた。初めて聞く話ばかりで、サハチは興味深く聞いていた。 特に驚いたのは、曽祖父の父親が 与座按司は島尻大里按司の次男で、妻は玉グスク按司の娘だった。長男の妻は 父親が亡くなって、長男は跡を継いで島尻大里按司になったが、弟の与座按司が玉グスク按司を後ろ盾に自分の地位を奪い取るのではないかと不安になった。疑心暗鬼で眠れぬ夜が続き、とうとう、与座グスクを襲撃して弟を殺してしまったのだった。一族はすべて殺され、曽祖父だけが数人の家臣と共に逃げ延びて、家臣の一人の故郷、伊平屋島に逃げたのだった。 その時、曽祖父は十九歳で、妻と息子が一人いたが助ける事はできなかった。どうして攻められたのか理由もわからず、ただ、 生き残った仲間を集めて、再起を図ろうと家臣たちを偵察に送るが、仲間は集まらず、父親が 母親の実家である玉グスク按司を頼ろうと玉グスクまで行ってみたが、祖父に会う事はできなかった。与座按司の嫡男だと言っても、戦死したはずだと聞き入れてはもらえず、祖父に会えばわかると言ったら、祖父は浦添にいるという。浦添グスクに行っても門前払いをされて、祖父に会う事はできず、悲嘆に暮れて伊平屋島に戻って来た。やがて、家臣たちにも見放され、偵察に行ったまま戻って来る事はなく、伊平屋島出身の家臣だけになってしまった。 やけくそになっていた曽祖父の唯一の慰めは、身の回りの世話をしてくれていた娘、カマドゥ(竈)だった。曽祖父が島に来た時、九歳だったカマドゥは十六歳で我喜屋ヌルとなり、ヌルになってからも曽祖父の世話を続けた。十九歳の時に曽祖父と結ばれて、翌年、サミガー大主が生まれた。 子供ができてからは過去の事は胸の奥にしまって、お世話になった それから二十七年後、曽祖母が亡くなった。曽祖母は亡くなる前、子供たちを集めて、曽祖父が語らなかった真実を告げた。サハチが七歳の時の事だという。 話を聞いていたサハチは島尻大里グスクを思い出し、無念のうちに亡くなった曽祖父の敵を討たなければならないと思っていた。 「この事をお父は知っているの?」とサハチは我喜屋ヌルに聞いた。 「さあねえ、イハチ兄さんが話したかどうか。父がこの島に逃げて来たのは七十年も前の事だからねえ、今さらそんな事を知ったからってどうなるもんでもないよ。与座按司を殺した島尻大里按司ももう死んでしまっているからね。今の島尻大里按司はそんな昔の事なんて知らないだろう」 サハチの祖父のサミガー大主は、我喜屋ヌルの二歳年上の兄で、小さい頃はいつも兄の後をついて回っていたという。海が好きで年中、海で遊んでいた。祖父が十二歳の時、ヤマトゥから鮫皮を作る人がやって来て島に住み着いた。祖父はウミンチュ(漁師)たちと一緒にカマンタ(エイ)捕りを始めた。 十六歳の頃にはカマンタ捕りの名人と言われる程の腕になり、十七歳の時にヤマトゥの船に乗ってヤマトゥに旅立った。我喜屋ヌルは兄の無事を毎日、祈っていた。 祖父が無事に帰って来たのは一年半後だった。一年半振りに見た兄は一回りも大きくなって、まるで別人のようだったけど、我喜屋ヌルを見て笑ったその顔は昔のままで安心したという。 島に帰って来たサミガー大主は、鮫皮作りの職人から鮫皮の作り方を教わって伊是名島へ行った。伊是名島の若い者たちを集めて鮫皮作りを始めたけど、ヤマトゥからの船がいつまで経っても来ないので、島を追い出されてしまった。伊平屋島に戻って来るのかと思っていたら、大島(沖縄本島)に行ってしまい、帰って来る事はなかった。どこに行ったのかわからず、我喜屋ヌルはずっと兄の無事を祈り続けた。 サミガー大主の消息がわかったのは、一年くらい経ってからだった。伊是名に嫁いだ妹のナビーがウミンチュから聞いて、大島の南の馬天浜という所で鮫皮作りをやっているという事がわかった。 我喜屋ヌルは弟と一緒に 曽祖母が亡くなった時、サミガー大主も伊平屋島に帰って来ていた。その時、「どうして、馬天浜に行ったの?」と我喜屋ヌルが聞いたら、「浮島に行くつもりだった」と兄は言った。 「浮島に知っている人がいるから、浮島で鮫皮作りを始めようと思ったんだ。でも、今帰仁の近くで夜を明かした時、夢の中に 兄は母から父の過去を聞いて、夢の中のサムレーは与座按司だった祖父に違いないと思ったようだったと我喜屋ヌルは言った。 曽祖父や祖父の若い頃の話を聞いて、これから始まるヤマトゥ旅の経験を決して無駄にしないで、精一杯頑張らなくてはならないとサハチは決心を新たにしていた。 |
伊平屋島