ヤマトゥ旅
ヤマトゥ(日本)の国は思っていたよりも、ずっと遠かった。 ヤマトゥの国は琉球の 永良部島には上陸せず、島の北側に出て、沖に停泊したまま夜を明かした。サハチとヒューガ(三好日向)は休むために、船尾にある サハチもその夜は、星を眺めながら甲板で横になった。 隣りで横になっているクニジという船乗りから聞いた話では、永良部島には、 夜が明けるとすぐに出帆して、また海しか見えない航海が続いた。そして、夕方に 次の日は一日中、雨と風が強く、海は荒れていて航海は中止になった。揺れる船の中にずっといるのは苦痛だった。船乗りたちは 「琉球に行く時も、こんなだったのですか」とヒューガに聞くと、ヒューガは笑って、「もっとひどかったよ」と言った。 「行く時は冬だったので、海はもっと荒れていた。冷たい波を何度もかぶって、こんな事なら船に乗らなければよかったと後悔したよ。 「そうたったのですか。それじゃあ、本当はヤマトゥに行きたくはなかったのですね?」 「ああ。だがな、お前の親父さんから一緒にヤマトゥまで行ってくれんかと頼まれた時、船旅の辛さより、会いたい人の事を思い出してな、ヤマトゥに行こうと決めたんじゃよ」 「会いたい人って、もしかしたら奥さんですか」とサハチは聞いた。 ヒューガから奥さんの話は聞いた事なかったが、年齢からすれば、子供が何人かいても不思議ではなかった。 「家族はもう誰もおらんのだよ」とヒューガは何でもない事のように言った。 「琉球に渡る前、わしは 「そうですか」と言いながら、サハチはマチルギの事を思っていた。まだ旅に出たばかりなのに、会いたくてしょうがなかった。 長い夜が明けて、翌日は嘘のようにいい天気になった。丁度いい 大島の手前にはいくつも島があって、その中の細長い島の砂浜の近くに船を止めて、小舟に乗って浜に上陸した。サハチもヒューガと一緒に上陸した。ずっと船に揺られていたので、浜辺に立ってもフラフラしていて その夜は浜辺で食事をして、浜辺で眠った。前夜、よく眠れなかったので、その夜はぐっすりと眠れた。次の日は風がまったく吹かなかったので、水の補給をしてから、後はのんびりと過ごした。サハチは船乗りたちと一緒に海に潜って魚を捕ったり、剣術の稽古に励んだ。 翌日、船に戻って、大島を右側に見ながら進み、大島の北端近くにある湾の中に船を泊めて、船上で夜を明かした。 夜明けと共に大島を発つと、また何もない海上に出た。風はそれほど強くないのに波が高く、船は大揺れしながら進んで行った。いつまで経っても島影は見えず、海の果てまで来てしまったかのような錯覚を覚え、ヤマトゥの国は遠いと実感していた。 日暮れ近くになって、ようやく島影が見えてきた。トカラ列島の最南端の宝島だという。港もあって、港に入ると小舟がいくつも近づいて来た。それらの船に乗って上陸すると島の長老が歓迎してくれた。 この島は琉球とヤマトゥの中間地点で、長老にはいつもお世話になっているという。サンルーザ(早田三郎左衛門)は琉球で仕入れた 次の日はトカラ列島の島々を右に見ながら中之島まで行ったが、途中でクルシたちが乗っている船が黒潮の影響で東に流されてしまった。 日が暮れてもクルシたちの船は来なかった。サンルーザは平気な顔して、大丈夫だと言うが、遭難してしまったのではないかとサハチは心配だった。 翌日の昼前、クルシたちの船は無事に中之島に到着して、ホッと一安心した。その日は隣り島の口之島まで行った。いよいよ、明日は黒潮の本流を乗り越えなければならなかった。 黒潮は海の中を黒い川のように流れているとウミンチュ(漁師)たちから聞いていた。サハチはそれを見るのを楽しみにしていたが、空が曇っていたせいか、はっきりと黒潮を見る事ができなかった。それでも、船の揺れが激しくなり、船のあちこちで木のきしむ音がして、黒潮の流れに逆らって進んでいる事がわかった。黒潮の幅がどれほどあるのかわからないが、船の揺れはずっと続いて、船が壊れてしまうのではないかと恐ろしかった。怖がっている姿をみんなに見られたくなくて、サハチは屋形の中に入った。 ヒューガは船旅に慣れたのか平然と横になっていた。 夕方近くになって、やっと船の揺れも治まり、甲板に出てみると前方に島が見えた。 次の日は悪天候で、一日、口の永良部島の湾内で待機した。 翌日に着いた所はようやくヤマトゥの国だった。 坊津にはサンルーザの知り合いの商人がいた。船の留守を守る者たちを残して、他の者は皆、その商人の屋敷にお世話になった。祖父のサミガー大主の屋敷のように、船乗りたちが滞在する離れがあって、船旅の疲れを癒やす事ができた。 商人の名は『一文字屋』といい、以前は博多にいたが、十五年前に坊津に移って来た。サンルーザとの付き合いは先代の頃からで、サハチの祖父のサミガー大主も、父の佐敷按司も、博多にいた頃の一文字屋のお世話になっていた。サミガー大主が作った鮫皮はすべて一文字屋に渡され、大量のヤマトゥの刀と交換された。 ヤマトゥの刀はどこに持って行っても喜ばれた。琉球は勿論の事、明国も 一文字屋が生まれた 鍛えられた刀身は研ぎ師によって研がれ、ハバキという刀身と 先代の一文字屋は柄巻師の家に生まれ、次男だったので分家して、若い者を三人使って仕事に励んでいた。ところが、柄に巻く 鮫皮はエイの皮で、エイは日本では捕る事ができず、ずっと海外から仕入れていた。南北朝の争いは各地に広がり、九州でも争いが始まって、海外交易の窓口だった博多も全焼してしまう。博多に住んでいた 途中、何度も危険な目に遭いながらも博多に来てみると、そこは予想以上に悲惨な状況だった。辺り一面、焼け野原と化し、商人たちは皆、逃げてしまっていなかった。いるのは乞食や浮浪者、負け戦で盗賊となったならず者たちだった。一文字屋は途方に暮れた。どうしようか考えながら、焼け跡をさまよっていると、焼け残った屋敷から賑やかな声が聞こえて来た。何事かと立ち止まっていたら、ならず者たちに捕まってしまい、荷物を奪われてしまった。日本刀を作っている者として、刀の扱い方は多少心得ていたが相手が多すぎた。 一文字屋は屋敷の中に連れて行かれた。屋敷の中には見るからに盗賊のような男たちと異国の格好をした女たちが酒を飲んでいた。首領らしい男に何者だと聞かれ、一文字屋は死を覚悟して、鮫皮を買いに来た事を告げた。首領は鮫皮の事を知らなかった。盗賊が鮫皮を手に入れる事はあり得ないが、もしかしたら、海賊ともつながりがあって、手に入れる事ができるかもしれない。淡い期待を 「手に入れたら高く売れるのか」と首領は聞いた。 「高く売れます」と一文字屋は答えた。 「今の世は戦乱続きで、刀はいくらあっても足りません。鮫皮を欲しがっている柄巻師は大勢います。欲しい者が大勢いるのに鮫皮が手に入らない。今、鮫皮が手に入れば、かなりの高価で取り引きされるでしょう」 首領は興味を示したようだったが、一文字屋は縛られて、物置のような小屋の中に閉じ込められた。夜になって、一文字屋は小屋から出され、先ほどの部屋に連れて行かれた。首領らしき男が一人だけいた。 「鮫皮はどこで手に入るんだ?」と首領は聞いた。 「南方です。 「南蛮は遠すぎる」 「琉球でも捕れるそうです。以前、琉球で捕れたという鮫皮を使った事があります」 「琉球か‥‥‥よし、考えてみよう」と首領は言って、縄をほどいてくれた。 「高麗を荒らし回るのも飽きて来たところじゃ。何か新しい事を始めようと思っていたんじゃ。おぬしのその話に乗ろうじゃないか」 その男がサンルーザの父親、 一文字屋は次郎左衛門と相談を重ねて計画を練り、腕のいい 「ここも随分と変わった」と一文字屋は海の方を眺めながら言った。 サハチはヒューガと一緒に一文字屋の屋敷の一室で、お茶という渋い飲み物を御馳走になっていた。一文字屋の屋敷は高台にあって、そこからの眺めは素晴らしかった。 「博多に幕府の大軍が攻めて来ると聞いて、 坊津には五日間、滞在した。サンルーザとサイムンタルー(左衛門太郎)は取り引きの事で忙しそうだったが、サハチとヒューガは暇だった。琉球では梅雨はもう明けているのに、こちらの梅雨はまだ明けていなかった。雨降りの日が多く、雨が降っている時はヒューガからヤマトゥ言葉の読み書きを習って、雨が上がると剣術の稽古に励み、時には近くを散策して歩いた。 一乗院は坊津港を見下ろす小高い丘の上にあって、庭にツツジの花が綺麗に咲いていた。クマヌと同じ格好をした山伏が大勢、出入りしていて、彼らは サハチは周りを見回した。どこを見ても山だった。坊津は海以外の三方を山に囲まれた狭い土地で、まるで琉球のヤンバルのようだった。ただ、茂っている樹木は全然、違った。 「クマヌもこの辺りの山の中で修行を積んだのですか」とサハチはヒューガに聞いた。 ヒューガは笑って、「クマヌ殿は名前の通り、熊野の山伏だよ」と言った。 「熊野というのは山伏の本場で、山伏ならば一度は熊野の山で修行しなければならないと言われる程、山伏の間では権威のある山なんだ」 ヒューガは棒きれを拾うと土の上に絵を描いた。 「これが九州だ」と言ってゆがんだ丸を描いて、その下の方を示して、「ここが坊津だ」と教えてくれた。 博多は九州の上の方にあった。さらに絵を描いて、四国や本州も教えてくれた。本州は細長くて九州よりもずっと大きく、その中程に京の都があった。京の都の下辺りに熊野という山があるという。 「熊野まで、ここからどれくらいで行けるのですか」とサハチは聞いた。 「そうだな。歩いて一月近くは掛かるだろう。船で行けば七日か八日といったところかな」 「随分と遠いのですね」 「琉球と違って、ヤマトゥの国はそう簡単には端から端までは歩けん」 「師匠が生まれたのはどこですか」 「わしは四国の ヒューガは棒きれで場所を示した。 「そこも遠いですね」とサハチは言った。 「遠いのう」と言ってヒューガは立ち上がると海の方を見た。 サハチも立ち上がって海の方を見た。サハチの故郷、琉球もずっと遠くの方だった。 |
坊津