壱岐島
取り引きも無事に済んで、夜明けと共に 甑島から五島列島までは、かなりの距離があって、途中に島などなく海しか見えなかった。九州から大分離れてしまったとサハチは思っていたが、九州は東の方にあると言って、ヒューガ(三好日向)は荷物の中から絵地図を出して見せてくれた。以前、 その絵地図は、サンルーザの故郷の対馬を中心に描いたもので、九州と 「琉球から西の方にずっと行くと明の国があるんですね?」とサハチはヒューガに聞いた。 「そのようだな」とヒューガはうなづいた。 「サンルーザ殿から聞いたんだが、琉球から明国までは、うまく風に乗れば早くて十日で行けるという。途中、島など何もない。暴風に襲われて、方向がわからなくなってしまえば遭難してしまう。途中に黒潮が流れているから、それをうまく超えられないと、ヤマトゥ(日本)まで流されてしまうらしい」 「海しか見えない所を十日間ですか‥‥‥遠いですね」 サハチは 「サンルーザ殿もサイムンタルー(左衛門太郎)も明国に行っている」とヒューガは言った。 「えっ?」とサハチは驚いて顔を上げた。 「 サハチは絵地図を見ながらヒューガが言った航路を目で追った。済州島は高麗の国の南側にあって、対馬と明国の間にあった。その島の名は聞いた事があった。父がヤマトゥに行った時、済州島で海に潜って、アワビという貝を捕っていたと言っていた。 「済州島というのはヤマトゥなんですか」 「いや、ヤマトゥではない。一応、高麗の国の領土になっているようだが、島の者たちは反発していて、高麗の思うようにはいかんらしい。済州島も倭寇の拠点になっていて、島の者たちも一緒になって高麗を襲撃しているようだな」 「そうですか。師匠はアワビという貝を食べた事がありますか」 「アワビ?」とヒューガは 「食べた事はあるが、アワビがどうかしたのか」 「父は済州島でアワビを捕って食べたそうです。ヤクゲー(ヤコウガイ)に似てるけど、ヤクゲーよりもずっとうまいと言っていました」 「佐敷按司殿が済州島でアワビ捕りか」 そう言ってヒューガは笑った。 「想像もできんが、やはり、佐敷按司殿もウミンチュ(海人)なんだな。わしもアワビは食べた事はあるが、干しアワビだ。捕り立てのアワビはさぞうまいだろう」 「食べてみたいですね」と言って笑うと、サハチはまた絵地図に目を落とした。 日暮れ前には五島列島の最南端の福江島に着いた。船は福江島の西側にある島との間を通って小さな港へと入って行った。 福江島にはサンルーザの弟、 倉庫と言っても、見た目はこの島にある民家と同じで、貴重な物は床下に隠しているようだった。日本刀など武器類に その倉庫を管理しているのが備前守で、この島に来て十年以上が経つという。琉球にも一度、来た事があって、サハチは備前守を覚えていた。 福江島には二日間滞在した。 ウミンチュにアワビの事を聞くと、この島でも捕れるという。サハチはウミンチュたちと一緒に海に潜ってアワビを捕り、ヒューガと一緒に生で食べてみた。確かにヤクゲーに似ていたが、コリコリしていて、ずっとうまかった。ヒューガは泳げないと言って海には入らなかったけど、アワビはうまい、うまいと満足そうに食べていた。 備前守と別れて、船は五島列島を北上し、いくつもの島を右に見ながら最北端の 壱岐島は今まで見てきた島と違って、山が少ない平らな島という印象だった。壱岐島にはサンルーザの娘婿でサイムンタルーの義兄、 藤五郎は高麗人だった。十二歳の時に高麗の国から対馬に連れ去られて来て、サンルーザの船で雑用をして働いた。頭が良く、 壱岐島は博多と対馬の中程にあって、博多で取り引きする商品を保管する倉庫があった。五島の福江島と同じように、見た目は普通の民家が倉庫になっていた。その倉庫にサンルーザの指示で、船乗りたちが船に積んである荷物を次々に運び入れていた。 サハチは不思議に思って、「博多で取り引きをするのではないのですか」とサンルーザに聞いた。 「どうも、難しいらしい」とサンルーザは首を振った。 「博多は北朝の今川 「それでは博多には行けないのですね」とサハチは残念そうな顔をした。 「わしは行けんが、左衛門太郎と一緒に行けばいい。もっと小さな船でな。ここまで来れば、博多はすぐそこじゃ」 この島では馬の飼育もやっていて、数十頭の馬が放牧されていた。サハチはヒューガと一緒に馬を借りて、島の中を散策した。 この島も二十年前までは サハチとヒューガは川に沿って上流の方に行ってみた。神社という神様の家があちこちにあって、サハチにとっては珍しく、面白かった。琉球にも神様はいっぱいいるが、ヤマトゥにも神様はいっぱいいるらしい。琉球の神様には家などないが、ヤマトゥは寒いので、神様も家の中にいるのだろうかと思った。神社は皆、琉球と同じように森の中にあるのだが、森の 景色を眺めながら馬に揺られていたサハチは、ふと思い出した事があった。 「師匠、琉球の 「そういえば、壱岐島の倭寇として暴れていたとクマヌ殿が言っていたな。ここが倭寇の拠点だったのか。いや、今も拠点に違いない」 「海に行こう」とサハチは言って馬の首を回し、来た道を引き返した。 海辺に出て、木陰で休んでいる老人を見つけると馬から降りて、「ジャナとタチを知っていますか」とサハチは聞いてみた。 老人はサハチたちを見ながら、「藤五郎殿の所のお客人じゃな」と言った。海の方に目を移して、「懐かしいのう」と独り言のようにつぶやいた。 「知っているのですね」とサハチは期待を込めて老人を見た。 老人はサハチを見るとニヤニヤと笑った。 「随分、昔の事じゃよ。久し振りにその名を聞いたわ。ジャナさんにタチさん‥‥‥遙か昔の事だったような気がするのう。あの頃、わしも一緒に暴れておったんじゃ。あの頃は実に面白かった。毎日が生き生きしておった」 サハチとヒューガは顔を見合わせて、うなづき合うと、老人の隣りに腰を下ろした。中山王を知っている人が、こんなにもすぐに見つかるなんて本当に運がいいと、さっき見た神社の神様に感謝した。 「爺さんはジャナと同じ船に乗っていたのか」とヒューガが聞いた。 「ジャナさんがお 老人は昔を思い出しているのか急に言葉を止めた。 「ある日、高麗に向かう途中、 「なに、銭を盗んで帰ったのか」 「ジャナさんが帰りたいと言っても、お頭は許してくれなかったんじゃ。タチさんがうまい作戦を考えて、お頭の留守を狙って、船にたんまりと銭を積んで、その船と一緒に盗んだのさ。勿論、わしも手伝った。みんな、ジャナさんとタチさんの味方さ。後でお頭はカンカンになって怒っていたけど、みんな、知らんぷりしておったわ」 察度が大量の銭を盗んで琉球に帰ったなんて驚きだった。その銭を使って兵を集めたのだろう。 「そのお頭は今も活躍しているのですか」とサハチは聞いた。 老人は首を振った。 「南朝の水軍にやられて全滅したんじゃよ。もう二十年も前の事じゃ。あの頃、水軍はみんな南朝方として活躍していたんじゃが、お頭の本拠地が博多にあったもんじゃから、南朝方にはなれなかったんじゃ、わしはその前に足を怪我して船に乗れなくなっちまった。お陰でわしは助かったんじゃが、仲間はみんな死んじまった」 老人は右足をさすりながら、静かな表情で海を見ていた。亡くなった仲間たちを思い出しているようだった。 「むっつりバサラのタチとはどういう意味なのか知っているか」とヒューガが聞いた。 老人は楽しそうに笑った。 「タチさんはいい男じゃった。お頭(ジャナ)と違って、あまりしゃべらなかった。頭のいいお人で、敵を攻める時の作戦はタチさんがいつも立てていた。 老人はサハチを見ると、「もしかして、琉球からお越しか」と聞いた。 サハチはうなづいた。 「お頭が琉球の王様になったと聞いておるが、本当かね?」 サハチはもう一度うなづいた。 「琉球の中山王になりました。琉球も戦続きで、まだ統一されていません。琉球の王様は三人いますが、中山王は一番勢力を持った王様です」 「そうか、お頭がのう。お頭が帰る時、島の者が何人かついて行ったんじゃが、みんな、偉くなっておるんじゃろうのう。わしも一緒に行けばよかったのう」 老人は目を細めて、水平線を見つめていた。 サハチは中山王と宇座按司が若かった頃の事を想像していた。中山王は会ったことがないので、どんな顔をしていたのかわからないが、宇座按司が首に襟巻きを巻いて、この島を颯爽と歩いている姿は想像できた。娘たちがキャーキャー騒ぐのもわかるような気がした。 藤五郎の屋敷に帰って、サンルーザに察度の事を聞くと、察度を琉球から連れて来たのは、博多にある 「しかしな」とサンルーザは言った。 「奴らが始めた『 サンルーザの船にも『八幡大菩薩』の旗が風になびいていたのをサハチは思い出していた。その時、ヒューガに意味を聞いたら、戦の神様なんだが、もしかしたら、航海の無事も守ってくれるのかもしれんなと言っていた。 |
福江島
壱岐島