博多
ようやく、念願の博多にやって来た。 志佐壱岐守とサンルーザ(早田三郎左衛門)は南朝の水軍として、 海に生きる武士たちにとって、南朝だろうと北朝だろうと、どうでもいい事だった。海で自由に暮らせれば、それでよかった。自分たちの自由を阻む者が敵だった。南北朝の争いが始まって、陸では領地の奪い合いで戦が絶えなかったが、海の方に目を向ける者はいなかったので、海に出れば好き勝手な事ができた。高麗に渡っては食糧を略奪したり、労働力となる人をさらって来た。 九州に南朝の 水軍の活躍のお陰もあって、征西将軍宮は北朝方の武将を次々に倒して 南朝の天下は十年余り続いた。このまま放ってはおけないと、幕府は九州 南朝の総大将だった菊池武光が亡くなり、さらに、征西将軍宮も亡くなってしまうと、南朝の水軍は自然消滅してしまう。今川了俊にうまく丸め込まれて、北朝に寝返る者も多くなった。しかし、海に出ればそんな事は関係なく、南朝の水軍だった頃のように、船団を組んで高麗や明国へと稼ぎに出かけて行った。去年はおとなしくしていたが、一昨年は百五十隻の船団を組んで、高麗を襲撃していた。勿論、サンルーザもサイムンタルーも志佐壱岐守も、その船団に加わっている。残念ながら、その時は高麗軍にやられて、何隻もの船が沈没してしまい、負け戦になっていた。 高麗や明国を襲撃する海賊を『 『倭寇』の始まりは、文永十一年(一二七四年)と弘安四年(一二八一年)の二度にわたる『 文永十一年の十月、九百艘、三万人余りの元と高麗の混成軍は、まず対馬に上陸した。たったの八十騎しかいない守備兵は簡単に倒され、逃げる島民は手当たり次第に殺された。家々は焼き払われ、捕まって捕虜となった者も多かった。 次に壱岐島に上陸して、百騎ばかりの守備兵を倒し、島民を殺し回った。山の多い対馬では、山中に逃げて生き延びた人も多かったが、山の少ない壱岐では、ほとんどの人が見つけられて殺された。 次に上陸したのは、 博多には一万近くの守備兵が待ち構えていた。上陸した混成軍は火薬を使用した火器で攻め寄せた。火薬を知らない日本兵は驚いてひるむが、勇敢に立ち向かって行った。しかし、数には勝てず、博多は敵に占領されてしまう。ところが翌日になると、敵の船はどこにも見当たらなかった。どういう理由かわからないが敵は引き上げて行った。 七年後の弘安四年の五月、二度目の『元寇』が起こった。四千四百艘、十四万人余りの大軍だった。前回の元と高麗の混成軍に、元に滅ぼされた 混成軍は以前と同じように対馬を攻め、壱岐を攻めて博多に向かった。南宋軍は総司令官の交代があって出撃が遅れ、六月の半ば過ぎにようやく出撃した。その頃、混成軍は日本軍と戦って、かなり痛い目に遭っていた。前回と違って、博多には二十キロにも及ぶ城壁が作られ、上陸する事ができず、 六月の末に南宋軍が 七月下旬になって、壱岐島にいた混成軍が南宋軍と合流した。日本兵は小舟に乗って絶えず夜襲を繰り返していたが、余りにも多すぎる敵船を追い散らす事は不可能だった。ところが、七月三十日の夜から強風が吹き始め、翌日の 二度の『元寇』によって対馬、壱岐、松浦地方は壊滅的な打撃を受けた。ほとんどの住民が殺され、家は焼かれ、田畑は荒らされ、再起不能の状態だった。元寇の先鋒になって、無抵抗な人々を殺したのは、高麗の兵だった。生き残った者たちは復讐の鬼となり、小舟に乗って高麗まで行った。生きて行くために食糧を奪い、失われた労働力を取り戻すために高麗人をさらって来た。その頃は各浦々で出掛けて行ったので、規模も小さく十艘程度で、沿岸の村々を襲撃していた。 何度も高麗に行っているうちに、貧しい漁村を襲うよりも、税として各地から集められた穀物の倉庫がある港を襲撃した方がいいとわかってきた。役人が守っている倉庫を襲うとなると、それなりの計画も立てなければならず、兵力も増やさなければならない。同じ島の者たちが団結して大きな獲物を狙うようになり、武装した船団を組んで出掛けるようになった。 そんな頃、征西将軍宮が 征西将軍宮が菊池に入った正平三年(一三四八年)頃から高麗への襲撃は激しさを増し、『倭寇』と呼ばれて恐れられるようになる。一三五〇年に百艘、一三五一年に百三十艘、一三五五年に二百三十艘、一三六三年に二百十三艘、一三六四年に二百艘、一三七一年に三百五十艘、一三七二年に二百艘、一三七四年に三百五十艘、一三七七年に二百艘の倭寇が高麗や元を襲撃している。元の国は一三六八年に 倭寇に悩まされていた高麗は、一三七七年に火薬の製造に成功した。中国では唐の時代に火薬を発明していたが、製造法は門外不出で国外に出る事はなかった。高麗の 一三八〇年八月、五百艘の倭寇が高麗の そんな事は勿論、サハチは知らない。それでも、あちこち崩れてはいるが、海岸沿いにずっと続いている城壁を見ると、百年前に、ここで大戦が行なわれたという事が充分に感じられた。博多の港には多くの船が泊まっていた。ヤマトゥの船ばかりで、明国の船はないようだった。 サハチたちの船が港に入ると、武装したサムレーが乗った船が近づいて来た。志佐壱岐守が何かを見せると、サムレーは船の中を見渡してうなづいた。壱岐守は決められた銭を払ったようだった。手続きが終わると、その船は去って行った。博多に入るには何か証明書みたいな物が必要で、サンルーザはそれを持っていないので、博多に入れないようだった。 船から降りて、祖父も父も来たという博多に足を踏み入れ、サハチはヤマトゥにやって来たという事を実感していた。 博多の町は噂通りに賑やかだった。行き交う人々の顔も明るく、どこかで戦が行なわれているとは思えず、平和な町という感じだった。大きなお寺の前では市が開かれて大勢の人が集まっていた。サムレーの屋敷らしい所の門前には、武装したサムレーが怖い顔して立っていた。まだ物騒なのか、高い塀に囲まれた家が多く、大きな屋敷の屋根には見た事もない サハチたちは大通りに面して建つ『一文字屋』の屋敷に行き、お世話になる事になった。 志佐壱岐守は近くにある『長州屋』という商人の屋敷にいると言って帰って行った。 博多の『一文字屋』は坊津にある『一文字屋』の本店で、坊津にいる一文字屋の倅、孫次郎が主人だった。北朝の大軍が攻めて来る前、一文字屋は焼かれる事を恐れて、坊津に引っ越した。財産はすべて坊津に移したが、屋敷は処分せずに信頼できる番頭、 博多は北朝の支配下になり、南朝と取り引きしていた商人が何人か、北朝の武士に捕まって屋敷は没収された。吉五郎も捕まる前に逃げだそうと準備をしていたが、捕まる事はなく、逆に取り引きの話が舞い込んで来た。今川了俊に従って 吉五郎は引き受けた。坊津にいる一文字屋と相談して、 サイムンタルーは孫次郎と取り引きの話をまとめて、壱岐島にある琉球からの商品を一文字屋の船で運び入れる事にしたらしい。一文字屋の船はそれほど大きくないので、二回か三回は往復しなければならない。取り引きが終わるまで、博多見物でもして過ごしてくれと言われた。 サハチはヒューガを連れて、毎日、博多を散策した。梅雨時で雨の降る日が多かったが、雨が小降りになるとヒューガを誘って町へと飛び出した。 博多の町は思っていた以上に大きかった。これがヤマトゥの都かとサハチは感激していた。町中には大きなお寺があちこちにあった。お寺には髪を剃ったお坊さんだけでなく、武器を持った僧兵や、山伏たちも大勢いた。お寺の建物も大きくて圧倒された。どうやって、こんな大きな建物を建てる事ができるのかサハチには理解できなかった。 ある日、戦地に出陣して行く武将の隊列に出会った。弓を持った兵、槍を持った兵、騎馬武者と続き、騎馬武者の中に、大将らしき武将が立派な鎧に身を固めて、威厳のある顔つきで正面を見ていた。騎馬隊のあとにまた歩兵が続き、最後に兵糧などを積んだ小荷駄隊が続いた。兵たちは皆、揃いの甲冑を身に付けていて、手にした武器も皆、立派だった。琉球の兵と比べたら格段の差があった。琉球の兵は鎧も武器もバラバラで、刀を持っている者より棒を持っている者の方が多い。総勢一千人はいると思われ、この兵を琉球に連れて行けば、島添大里グスクを落とすのも夢ではないように思えた。 「どこに行くのですか」と軍勢を見送った後、サハチはヒューガに聞いた。 「多分、 「今のは幕府の兵なのですね」 「まあ、そうだが、幕府の兵というのは、あちこちから集めた寄せ集めの兵だからな。今の兵がどこの兵だか、残念ながらわしにはわからん。旗印に家紋が描いてあったがよくわからん」 「家紋て何です?」 「目印のような物じゃ。武士たちはそれぞれが家紋を持っていて、戦の時、家紋を描いた旗を掲げて戦うんじゃよ。周りの者たちに誰が活躍しているというのがわかるようにな」 「師匠も家紋を持っているのですか」 「持っているとも。わしの家紋は 「三階菱?」 「あとで絵に描いてやる。琉球には家紋などないだろうが、戦をするのにはあった方がいい。お前も家紋を持った方がいいかもしれんな」 「あとで教えて下さい」 ヒューガはうなづいた。 華やかな博多の町も、よく見ると戦の陰は残っていた。町外れには、戦で家を失った者たちが、粗末な小屋を建てて暮らしていた。具合の悪そうな人も何人かいたが、どうする事もできなかった。負け戦で浪人となって腹を空かせている情けないサムレーもいた。ぼろぼろの着物をまとっているくせに、長い太刀だけは腰に差していた。ヤマトゥでは長い太刀が 壱岐島の荷物も運び終わって、孫次郎がささやかな 「本当は遊女屋に繰り出して、綺麗所を呼んでパアッと派手にやりたいところだが、まだ危険らしい。すまんな」とサイムンタルーは謝った。 「なに、もう少しの辛抱ですよ」と孫次郎は言った。 「南朝の水軍だった 「そうなればいいのですが、対馬は倭寇の サイムンタルーは苦笑した。 「博多の町はいかがです?」と孫次郎は話題を変えて、サハチに聞いた。 「毎日、驚く事ばかりです。来てよかったと心から思っております」 「それはよかった。今夜はヤマトゥの舞を存分に楽しんで下さい」 そう言って孫次郎が手をたたくと、男装した女たちが登場して、音楽に合わせて舞を始めた。サハチはポカンとした顔で華麗に舞う美しい女たちを眺めていた。琉球でも太鼓に合わせて女たちが舞うが、こんなにも美しくはない。サハチは天女でも見ているような心地だった。 その夜更けだった。 サハチは異様な物音で目を覚ました。危険を感じて体を起こすと、ヒューガはすでに起きていて外の様子を窺っていた。 「盗賊が入ったようだ」とヒューガが小声で言った。 サハチはうなづいて、刀を手に取ると腰に差した。 様子を見に行こうと部屋から出ようとした時、武器を手にした盗賊が三人入って来た。 「刀を捨てろ」と盗賊は言ったが、その盗賊は目にも止まらない速さで、ヒューガによって斬られた。 残った二人は逆上して、ヒューガとサハチに迫ってきた。 サハチは刀を抜いた。敵の刀が右側にひらめいたのを感じて、一歩踏み込むと敵の首を斬った。鎧に身を固めた敵を倒すには首を斬るか足を斬るしかなかった。 ヒューガは何なく二人目を倒すと、「行くぞ!」とサハチに言った。 サハチはうなづいて、ヒューガのあとに従った。 それからあとは、もう無我夢中で戦い続けた。次から次へと襲って来る敵の刀をよけながら、敵の首を斬っていた。 「おい、大丈夫か」とサイムンタルーに声を掛けられて、サハチは我に返った。 いつの間にか庭に出ていて、足下に三人の盗賊が倒れていた。 血だらけの刀を持ったサイムンタルーが屋敷の方からサハチを見ていた。 「師匠は?」とサハチは聞いた。 サイムンタルーは首を振った。 月明かりを頼りに、土蔵の方に行ってみるとヒューガはいた。 サハチの顔を見ると、「おう、無事だったか」と安心したようにうなづいた。 土蔵の前に二人の盗賊が倒れていた。 ヒューガと一緒に屋敷に戻ると灯りが付いていて、怪我をした警固兵の周りに、孫次郎とサイムンタルーと二人の警固兵がいた。 灯りに照らされた屋敷の中は血だらけで、四人の盗賊が倒れていた。 「皆さん、無事でしたか」と孫次郎が言った。 「怪我人は一人だけですか」とヒューガが聞いた。 「そのようです。皆さんがいて、ほんとに助かりました」 孫次郎の妻や子供も無事だった。使用人たちも無事で、亡くなったのは夜警をしていた二人だけだった。二人とも弓矢でやられ、その後、戦ったようだが、敵の数に負けてしまったらしい。 あちこちに倒れている盗賊の数を数えたら十四人もいた。ほとんどの者が首を斬られていた。 「とんだ 「初陣ですか」と言って、サハチは血だらけの手を見た。 着物も返り血を浴びて血だらけだった。確かに、初めて人を斬ったのだから初陣かもしれなかった。 「お前に、もしもの事があったらどうしようと、わしは心配だったぞ。しかし、見事だった。薄暗い中で、よくやった。実戦を経験すると剣術は一段と上達する。ただし、 「はい」とサハチはうなづいた。 |
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