ウニタキ
佐敷グスクの拡張工事が始まっていた。 サハチが嫁を迎えると今の屋敷では狭いので、新たに東側に 佐敷グスクを建てた時、サハチの兄弟は五人だったのが、今では八人になり、もうすぐ、九人になりそうだった。サハチたち夫婦が暮らせる部屋はどこにもなかった。 村人たちが総出で ヤマトゥ(日本)から帰って、若按司としての毎日がまた始まった。以前のようにヒューガ(三好日向)を師として武術の稽古に励み、そして、 午前中は山の中でヒューガの指示のもと、マチルギと一緒に武術の稽古に励んだ。サハチもマチルギも剣術だけでなく、棒術や弓術の稽古にも励んだ。午後になるとサハチは禅僧のソウゲン(宗玄)から読み書きを習うが、そこにマチルギとサムも加わった。二人とも父の マチルギは弓矢の稽古に夢中になった。サハチも久し振りに弓を引きながら、博多で見たヤマトゥ兵の行軍を思い出した。先頭にいたのは弓隊だった。佐敷にも弓専門の兵を育てなければ駄目だと思った。サハチは稽古が終わると、すぐにその事を父に告げた。 「うむ」と父はうなづいた。 「弓専門の兵か。確かに必要じゃな。今まで弓矢は主力の武器ではなかった。弓が得意な奴が接近戦の始まる前に矢を射るが、それほど期待しているわけではない。飛び道具である弓矢はもっと有効に使うべきじゃな。城下に的場を作り、ヤマトゥから弓矢を仕入れて、弓の精鋭部隊を作ろう」 「お願いします」とサハチは頭を下げると父の部屋から出た。 三月になって、サハチはマチルギと一緒に伊波に向かった。伊波按司にマチルギをお嫁に下さいと告げるためだった。クマヌも付いて来てくれた。 「ヤマトゥに行って来たそうじゃのう」と伊波按司は機嫌よさそうな顔でサハチを迎えた。 反対されるかもしれないと心配していたサハチは、伊波按司の顔を見て少し気が楽になった。 「はい。無事に帰って参りました」とサハチは答えた。 伊波按司はサハチの顔を見てうなづき、「何やら、一回り大きくなったようじゃのう」と言った。 「はい。色々と経験して参りました」 「わしもヤマトゥに行くはずだったんじゃよ」と伊波按司は笑った。 「ヤマトゥンチュ(日本人)から博多の賑わいを聞いて、行ってみたいと思っておった。戦が起きなければ行っていたんじゃが‥‥‥」 伊波按司はしばらく昔の事を思い出しているようだったが、改めてサハチを見ると、「佐敷按司の事はクマヌから何度も聞いていた」と言った。 「しかし、わしは南部の按司には興味はなかった。マチルギがサハチと出会って、腕を上げていったのは事実だが、まさか、佐敷に嫁に行くとは思ってもいなかった。親として、わしも心配になって、家臣の者を送って佐敷の様子を調べさせたんじゃ。 サハチとマチルギは、一緒になる事を許してくれた伊波按司にお礼を言った。 その後、伊波按司は祝いの 次の日、サハチはマチルギを残して帰ろうとしたが、マチルギは教え子が待っていると言って一緒に帰る事になった。 「一度言い出したら聞かん」と伊波按司は笑ってマチルギを見送った。 四月の半ば、 サハチに気づくと、「お前は不思議な男だな」と言った。 「何か用か」とサハチは聞いた。 それには答えず、「あそこに建つのはお前たちの屋敷か」と聞いた。 「そうだが、それがどうかしたのか」 「勝連でも同じ事をやっていると思ってな」 「勝連グスクも増築しているのか」 「俺たちの屋敷をグスク内に作るそうだ」 「俺たち?」 「ああ」とウニタキはサハチを見ると苦笑した。 「親父が亡くなって、俺の縁談が急速に決まったんだ。今まで俺の事など誰も気に掛けなかったのに、おかしなものさ。俺の嫁は 「中山王の孫娘を嫁にもらうのか」 サハチは驚いた顔をしてウニタキを見つめた。 「俺の意思とは関係なく、話はどんどん進んでいるんだ。中山王としては親父が亡くなったので、同盟を強化するために孫娘を勝連に送り込むのだろう。だが、上の兄貴二人はすでに嫁をもらっている。それで俺が迎える事になった。俺の母親は側室だ。 「そうだったのか」 マチルギのために決闘をしに来たのかと思っていたサハチはホッと安心した。 ウニタキは鮫皮作りをしている所を見せてほしいと言った。勝連に来るヤマトゥンチュも鮫皮を欲しがるので、勝連でも鮫皮を作りたいと思っているらしい。 サハチはうなづいて、ウニタキと一緒に馬に乗って馬天浜に向かい、祖父に頼んで作業場を見せてもらった。作業場は物凄い臭いが漂っているが、ウニタキは気にもせず、祖父の説明を真剣に聞いていた。勝連の者をここに入れて、修行させても構わんぞと祖父はウニタキに言っていた。 作業場を離れて浜辺に行くと、海の向こうに勝連半島が見えた。 「こっちから勝連を見るのは初めてだ」とウニタキは言った。 「子供の頃から勝連を見ながら、いつか、行ってみたいと思っていた」とサハチは言った。 「俺もそうさ。向こうからこっちを見ながら、いつか、行ってみたいと思っていた」とウニタキは言った。 顔を見合わせて二人は笑った。 「ヤマトゥに行って来たんだってな」とウニタキは聞いた。 サハチはうなづいて、「高麗にも行った」と言った。 「なに、高麗に行ったのか」とウニタキは驚いた。 「八日間だけだけどな。 「子供の頃、母と話をするのは高麗の言葉だった。でも、母が亡くなってからは使っていないから、ほとんど忘れてしまった」 「ヤマトゥ言葉は話せるのか」 「勝連は古くからヤマトゥと交易をしている。子供の頃から教えられた。俺の師匠はヤマトゥの山伏だしな」 「佐敷にもヤマトゥの山伏はいる。俺もその人から色々な事を教わった」 「そうか。お前もヤマトゥ言葉がしゃべれるんだな。ところで、鎌倉には行ったのか」 サハチは首を振った 「ヤマトゥの国は思っていたよりずっと大きくて、都と呼べる所は博多に行っただけなんだ。ヤマトゥも戦をやっていて、鎌倉は遠すぎて行けないらしい。それに鎌倉の幕府が滅んでしまって、鎌倉はもう都ではないらしい」 「そうなのか。京の都も遠いのか」 「遠い。博多から船で行けるんだけど、途中の海に海賊が多くいて、下手をすると殺されてしまうらしい」 「『 ちょっと違うと思ったが、『倭寇』の説明をすると長くなるので、サハチはうなづいた。 「俺も行ってみたいな」とウニタキはしみじみと言った。 「師匠の山伏に頼んで一緒に行けばいい」 「親父も亡くなったし、行けるかもしれないな」 「勝連に来るヤマトゥンチュは 「松浦党と 「薩摩の船も来るのか」 「昔は京や鎌倉からも来たらしい。ヤマトゥの戦が長引いているせいか、今は松浦党と薩摩くらいだ。みんな、 「今まで、どうしてやらなかったんだ? 勝連からここに来てカマンタを捕っているウミンチュ(漁師)も何人もいる」 「親父が興味を示さなかったんだろう。浦添の真似をしたら、うまくないと思ったのかもしれない」 「浦添の鮫皮は 「鮫皮作りを始めたのはあの爺さんだったのか」とウニタキは驚いていた。 「知っているのか」とサハチは聞いた。 「ああ。 「ああ、確かに凄い人だ」 話し込んでいるうちに、いつの間にか夕方になっていた。離れに顔を出すと、海に出ていた船乗りたちも戻っていて、賑やかに酒盛りをやっていた。明日、ここを離れて浮島の方に行くらしい。サイムンタルー(左衛門太郎)とクルシ(黒瀬)は サハチとウニタキも酒盛りに参加した。適当に引き上げるつもりだったが、ウニタキはこの場が気に入ったのか、夜遅くまでみんなと騒いで、結局、その夜はそこに泊まる事となった。 翌朝、サイムンタルーの船を見送ったあと、ウニタキは勝連に来ないかと言った。お礼にグスクの中を見学させてくれるという。サハチは興味を持った。高い石垣に囲まれている勝連グスクの中がどうなっているのか、この目で見てみたかった。 サハチは祖父に勝連に行く事を告げて、ウニタキと一緒に馬にまたがった。 ウニタキが言った通り、勝連グスクは拡張工事をしていた。 以前、木が生い茂っていた大御門の正面が平にならされて新しい 大御門を入るとそこは少し広くなっていて、正面に広い道があり、両側には屋敷が建ち並んでいた。 「重臣たちの屋敷だ」とウニタキは説明した。 重臣たちの屋敷を抜けると、大通りは丘の上にある曲輪へと向かっている。上にある曲輪は高い石垣で囲まれていて、サハチは石垣を見上げながら、攻め落とすのは容易な事ではないと思った。 「この上が三の曲輪だ」とウニタキは言った。 「俺が住んでいる屋敷も三の曲輪にある。もうすぐ下に移るようだが」 石段を登って三の曲輪に入った。ここにも御門番がいたが、ウニタキの顔を見て愛想笑いをしただけで何も言わなかった。 三の曲輪には五つの屋敷が建っていた。サムレーたちの控えの屋敷と、グスクに仕えている侍女たちの屋敷と、若按司の屋敷と、側室の屋敷が二つだという。側室の屋敷の一つがウニタキの屋敷で、もう一つは父親のお気に入りの側室が住んでいたが、子供に恵まれなかったので城下に移され、今は空き家になっている。若按司の屋敷も若按司が按司になって上の曲輪に移り、今の若按司はまだ幼く、按司と一緒に暮らしているので、そこも空き家になっていた。 サムレーたちの屋敷から山伏が出て来て、ウニタキを見ると、「若様、どちらにいらしていたのです」と聞きながら近づいて来た。 「イブキ、すまなかった」とウニタキは言った。 イブキ(伊吹)という山伏はサハチを見て、「どなたじゃ」と聞いた。 「佐敷の若按司だ」とウニタキは言った。 「佐敷というとあそこか」と指さした。 イブキが指さす先を見ると海が見渡せ、その先に佐敷が見えた。いい眺めだった。ここから毎日のように佐敷の方を見ていれば、いつか、向こう側に行ってみたいと思うウニタキの気持ちはよくわかった。 「 「そうでしたか。佐敷にはクマヌ殿という山伏がいるはずだが、御存じですかな」とイブキはサハチに聞いた。 「はい。クマヌを知っているのですか」 「琉球にいる山伏はそれほど多くはない。大抵の山伏は知っています。最近は会っていないが、お元気ですか」 「はい、元気です」 「イブキ、今、兄貴はいるのか」とウニタキは聞いた。 「いや、港に出掛けた。そろそろ、ヤマトゥの船が帰るので、取り引きの事で出掛けたようだ」 「そうか」 「佐敷の若按司を上に連れて行くのか」 「まずいか」 「佐敷按司は敵ではないのか」 「もうすぐ、伊波按司の娘を嫁にもらう。敵ではあるまい」 「伊波按司の娘というと‥‥‥」 「そうだ。マチルギをこいつに取られたんだ」 「ほう、そうだったのか」とイブキは笑うと屋敷の方に戻って行った。 サハチとウニタキは上へと進んだ。 二の曲輪は三の曲輪のすぐ上にあって、そこには大きな屋敷が建っていた。儀式用の建物で、お客の接待や軍議にも使われるという。 「すると、お前の婚礼もここでやるのか」 「多分な。中山王の重臣たちが来るとなると大げさな婚礼になりそうだ」 「大変だな」とサハチは言って、一の曲輪を見上げた。一の曲輪は二の曲輪の屋敷の屋根よりも高かった。 「この上に按司の屋敷がある」とウニタキは上を見上げて言った。 一の曲輪に登る石段は大きな屋敷の裏の方にあった。一の曲輪の 一の曲輪には三つの屋敷が建っていた。手前の二つは按司の屋敷、奥の一つは見張りの屋敷でサムレーが交代で詰めている。御門の上にも見張り台があって、そこでもサムレーが見張りをしているという。 一の曲輪からの眺めは最高だった。四方すべてが見渡せた。佐敷グスクからは四方は見えない。島添大里グスクなら見えるかもしれない。早く、島添大里グスクを奪い取りたいとサハチは思った。 三の曲輪に戻ってウニタキの屋敷に寄った。母が亡くなってから、ウニタキはここで一人で暮らしているという。身の回りの世話は侍女がやってくれるらしい。両親と大勢の兄弟たちに囲まれて暮らしている自分と比べ、こんな立派なグスクに住んでいても寂しい暮らしだとサハチは思っていた。 「嫁さんになる人に会った事はあるのか」とサハチはウニタキに聞いた。 「正月に浦添に挨拶に行った時に会った」 「どうだった?」 「世間知らずなお姫様だよ」 「断れなかったのか」 「断れば、ここから追い出される。それでもいいんだが、婚約が決まってから家臣たちの態度がガラッと変わってな、今まで俺なんか無視していた奴らまで、わざわざお祝いを言って来るんだ。それもいいかと思ったんだ。親父が亡くなるのが早すぎた。俺も勝連のために、兄貴を助けなくてはならないと思い直したんだよ」 サハチはウニタキの顔を見ながら、「 ウニタキはニヤニヤした。 「多分、 「そうか。よかったな」 勝連グスクから出て、港まで行った。 ヤマトゥから来た船が三隻、泊まっていた。 港でウニタキと別れて、サハチは佐敷へと向かった。 別れる時、「また遊びに行くぞ」とウニタキは言った。 「いつでも来いよ」とサハチは手を振った。 |
勝連グスク