運玉森
ヒューガの話を聞いたサハチは予想外な展開に驚いた。山賊になって、久高島の修行者たちの食糧を調達するなんて危険すぎると思った。それに、ずっとそばにいたヒューガがいなくなるのは寂しくもあった。それでも、ヒューガが十年の計に参加してくれるのは嬉しかった。サハチはお礼を言って、よろしくお願いしますと頼んだ。 武術の指導を受けていたマサンルーは、あまりにも急な事で腰を抜かすほどに驚き、「せめて、あと一年はいて下さい」と頼んだが、ヒューガの考えは変わらなかった。 「ヤマトゥの そう言って、ヒューガは屋敷内の荷物を黙々と片付けていた。そこに噂を聞いた 「あなた、ヤマトゥに帰るんですって。あたしには一言も相談しないで、そんな勝手な事ができると思っているの」 馬天ヌルは凄い剣幕でヒューガに文句を言った。そんな叔母を見たのは初めてだったマサンルーは呆然と立ち尽くし、馬天ヌルに命じられるままに屋敷から追い出された。マサンルーがいなくなったのを確認すると、ヒューガを見て舌を出して笑った。 「一度、夫婦喧嘩っていうのをやってみたかったの」 「何だ、芝居だったのか。わしは殺されるかと思った」 馬天ヌルはヒューガの顔をじっと見つめて、「サハチのためね?」と言った。 「知っているのか」とヒューガは聞いた。 馬天ヌルは首を振った。 「サハチも兄さんも、あたしには何も話してくれないのよ。でも、わかっているわ。兄さんがサハチのために何かをしようとしていて、そこにあなたも加わるんでしょ」 ヒューガはうなづいた。 「琉球にはいるが、しばらくは、ここに来られなくなる。わしはヤマトゥの戦から抜けたあと、自分から何かをしようとは思わなくなった。成り行き任せに生きてきたんじゃ。ここに来たのも成り行きじゃった。今回、久し振りに自分からやろうと思ったんじゃよ。久し振りにウキウキした気分じゃ。そなたに会えなくなるのは辛いが、仕事を終えたら戻って来るよ」 「気をつけてね」と馬天ヌルはヒューガを見つめながら言った。 その日から馬天ヌルは娘のササと一緒にヒューガの屋敷で暮らして、長くなりそうな別れを惜しんだ。 いつもより早く、五月の初めに梅雨が明けると、ヒューガは旅支度をして浮島(那覇)に向かった。ヒューガの旅立ちを見送るため、サハチとクマヌが浮島まで付いて行った。 浮島は賑やかだった。 去年の十月に出掛けた ヒューガがサイムンタルー(左衛門太郎)の船に乗ったのを見届けると、渡し舟で 安里から東に向かい、 「急な事で驚いたのう」とクマヌが馬に揺られながら言った。 「師匠が山賊になるなんて思ってもいませんでしたよ」 「うむ。武術の師匠でいれば危険はないのに、あえて危険な仕事を選ぶとはのう。しかし、髭を伸ばしたあの顔は、山賊そのものじゃったな」 「ええ。あの鋭い目で睨まれたら、大抵の者はひるみますよ」 「 「師匠の事だから心配ないと思うけど、命懸けの仕事ですからね。無事であってほしいと願うしかありませんね」 「そうじゃな」 島尻大里の城下の大通りに面して小さな店ができていた。店はまだ開いたばかりなのに、建物は古くてみすぼらしかった。何でも売っているという店で、『よろずや』という看板が掲げてあった。 「うまい具合に、丁度いい空き家が見つかったんじゃよ」と店の前で馬を下りながらクマヌが言った。 「場所はいいけど、ぼろ屋ですね」 サハチは下手くそな字で書いてある看板を見上げた。 「いかがわしい物を売るには丁度いい」とクマヌは笑った。 「それにな、このぼろ屋の裏に蔵があるんじゃよ。それが決め手じゃ」 「成程、師匠が奪い取った食糧を隠しておけるのですね」 「 店に入ると薄暗い土間の中に、がらくたと言ってもいいような欠けた クマヌが土間の奥にある部屋を覗いて、声を掛けると主人らしい男が出て来た。その男はカマンタ(エイ)捕りの名人のキラマだった。去年、カマンタ捕りを引退して作業場の方に移ったと聞いていたが、こんな所にいるなんて驚きだった。 「クマヌさんに、 「どうじゃ? うまくやれそうか」とクマヌが聞いた。 「はい。商売なんて初めてじゃが、長年、 「危険はないと思うが、ここは敵地じゃからな。充分に注意してくれ。近いうちに商品が届くと思うが、よろしく頼むぞ」 サハチもお願いしますと頼んで、裏にある蔵を見た。表の店に比べて裏にある高倉は立派で、充分な食糧が隠して置けそうだった。 「こいつはいい」とサハチはクマヌとうなづき合った。 キラマと別れ、島尻大里の城下を出てから、「どうして、キラマがあそこにいるのです?」とサハチはクマヌに聞いた。 「成り行きじゃ」とクマヌは言った。 「適任者を探している時、キラマに会ってな、息が続かなくなってカマンタ捕りを引退したんだが、作業場であれこれ指図するのは、どうも自分には向いていないとぼやいていたんじゃ。それで、キラマと一緒に久高島に行って、親父さんと相談して決めたんじゃよ」 「そうだったのですか。キラマなら適任かもしれませんね」 キラマは二十歳の頃、 「話は変わるが、山南王の具合があまり良くないようじゃな」とクマヌが言った。 「正月の行事には顔を出したそうだが、噂ではかなりやつれて、重い病を 「親父も去年、旅をした時に、そんな噂を聞いたと言っていました」 「山南王が亡くなると、何か一波乱起きそうな気がするな」 「跡を継ぐ若按司の評判はあまりよくないようですね」 「そうなんじゃよ」とクマヌはうなづいた。 「去年の冬に来たヤマトゥの船には、 「その娘というのは 「噂ではかなりの美人らしい。その美人を若按司は側室に迎えたようじゃな」 「若按司の正妻は誰なんですか」 「中グスク按司の娘じゃ。若按司の母親は中山王の娘で、その妹が中グスクに嫁いで生まれたのが、若按司の正妻じゃ。 「確かに、一波乱起きますね」 佐敷に帰ると、マチルギが稽古に出掛ける所だった。 「お師匠、行っちゃったのね」とマチルギが遠くを見つめながら言った。 「ああ。いなくなるなんて思っていなかったから、ちょっと寂しいな」 「あたしたちの最初の出会いの時から、お師匠はいたものね」 「そうだったな」とサハチは昔を思い出して笑った。 「お前と初めて会った時、俺は男の子だと思ったよ。でも、お前が 「そうだったの?」とマチルギはサハチを見つめた。 「あたしもあなたに一目惚れしたのかもしれないわね。あの時のあたしは、誰かを好きになるなんて考えてもいなかったから気づかなかったけど、ウニタキからお嫁になってくれって言われて、初めて、あなたの事が好きなんだって気づいたのよ」 「お互いに一目惚れだったのか。そんな俺たちの事を師匠はずっと見ていてくれてたんだ」 「そうね。寂しくなるわね」 マチルギは手を振って、娘たちの待つ
サイムンタルーの船に乗ったヒューガは、日の暮れる頃、密かに船から下りていた。ハリマの宿屋に行くと、客が大勢いて賑やかだった。忙しそうなハリマを捕まえて、「山賊がいそうな所を知らないか」とヒューガは聞いた。 「山賊? 山賊に何かを奪われたのか」とハリマは 「まあ、そんなところだ」 「山賊という程でもないが、 「佐敷でそんな噂は聞いた事もないが」とヒューガは首を傾げた。 運玉森というのはクマヌから聞いた事があった。 「けち臭い仕事なんで、噂にもならんのじゃろう」とハリマは笑った。 「大きな仕事といえば去年、 ヒューガはハリマの宿屋に一晩、お世話になって、次の日、運玉森に向かった。 昨日の朝、ヤマトゥに行くと言って佐敷を出て、今日は佐敷の近くの与那原にいた。島添大里グスクとも近い。こんな所では、自分の顔を知っている者とばったり出会いそうな危険があった。 馬を木陰に隠して、ヒューガは山の中に入って行った。 蝉が鳴いて、鳥が鳴いているだけで、人がいる気配はなかった。島添大里グスクの落城から十三年、大グスクの落城からも八年が経っている。今頃、残党が隠れているはずはないと思いながらも山の奥に入って行くと、目の前に信じられない光景が現れた。 ヤマトゥの寺院のような大きな屋敷が、山の頂上付近に建っていた。かなり古そうだが、まだ朽ち果ててはいない。屋敷の前には、かつて庭園があったようだが、荒れ果てて草茫々だった。ヒューガが屋敷に近づこうとした時、人の気配を感じた。右側にある大きな岩陰から何者かが弓矢で狙っていた。 ヒューガは気がつかない振りをして、屋敷へと足を踏み出した。 「誰だ!」と岩陰に隠れている者が言った。 ヒューガは立ち止まって岩陰の方を見た。 男が岩陰から顔を出し、弓を構えてヒューガを見ていた。 「あの建物は何じゃ?」とヒューガは聞いた。 「あれを知らんという事は土地の者ではないな」 「ああ。この辺りに来たのは初めてじゃ」 「それなら近づかん方がいい。あれは『マジムン(化け物)屋敷』と呼ばれている」 「キジムナー(木の精)でも住んでいるのか」 「そんな生やさしい物ではない。殺された 「ほう。あの屋敷で殺された女がいるのか」 「昔の話だ。さっさと帰れ」 「話を聞いたら、中を見たくなってきた」 「これが見えないのか」と男は岩陰から出て来て弓の弦を引いた。 痩せこけた若い男だった。 「お前はマジムンの 若い男は弓矢を放ったが、ヒューガは軽くよけて、そのまま進んだ。 若い男は刀を抜いてヒューガに掛かって行った。 ヒューガは刀を奪い取って投げ捨てると、若い男の腕を逆手に取った。 若い男は、「痛え、痛え」とわめきながらも、「お前は何者だ?」と聞いた。 「あそこの 屋敷の中央に開き戸があった。ヒューガは若い男にその戸を開けさせて中に入った。 「お前は誰じゃ?」と誰かか言った。 ヒューガは若い男を突き放した。 「シルー、何事じゃ?」と別の男が言った。 屋敷の中は中央が土間になっていて、両側に一段高くなった部屋があった。かつてはいくつもの部屋に分かれていたのだろうが、部屋を仕切っている戸はなく、所々に柱があるだけで広々としていた。 右側の部屋に四人、左側の部屋に二人の男がいた。 「 「何じゃと?」と土間に出て来た男が言った。 あばた 「お前が頭か」 「何者じゃと聞いておるんじゃ?」とあばた面は刀を抜いた。 「名乗ってもお前にはわかるまい」 「この野郎!」とあばた面はヒューガに斬りつけたが、簡単にかわされて蹴飛ばされた。 他の男たちも刀を抜いて出て来たが、「やめろ!」と誰かが言って、皆が声のする方を振り向いた。 「お前らが勝てる相手ではない」とその男は言って、土間に下りて来た。 見たところ三十半ばくらいの多少はできそうな男だった。 「わしが頭じゃ。何か用か」 「お前か」と言ってヒューガは男を見つめ、「今日からわしが頭になる」と言った。 「何じゃと!」と刀を抜いたままの男たちが再び、ヒューガに向かって刀を構えた。 「お前らは下がれ」と頭が言った。 頭はヒューガの前に出ると、「わしに勝ったら、頭の座を譲ろう」と言った。 ヒューガは笑ってうなづいた。 「さすが、話がわかるのう」 頭は刀を抜いて構えた。 ヒューガは刀も抜かずに頭を見ていた。 頭は何度も構えを変えて、ヒューガに立ち向かおうとしたが諦めて、「わしには勝てん」と言って刀を納めた。 「お頭」とやけに背の高い男が言った。 「お頭はこのお方じゃ」と頭は言った。 「そんな。どこの馬の骨ともわからねえ奴をお頭にはできません」とごつい顔した男が言った。 「わしよりずっと強い。皆、刀を納めろ」 男たちはヒューガを睨みながらも、頭の言う通りに刀を納めた。 ヒューガは男たちを一人づつ眺め回してから、「わしの名はミユシ(三好)という」と言った。 「見た通りのヤマトゥンチュ(日本人)じゃ。 「わしらは山賊ではない」と頭は言った。 「食い詰め浪人には違いないが山賊ではない」 「そうか。島添大里の残党か」 「大グスクの残党もいる」と最初に出会った若い男が言った。 「よし、話を聞こう」とヒューガは部屋に上がり込んだ。 男たちも部屋に上がって、ヒューガの前に並んで座った。 お頭と呼ばれた男はシマブク(島袋)といい、ごつい顔をしたのがサチョー(左京)、やけに背の高いのがウムン(右門)、あばた面がグルータ(五郎太)といい、その四人が島添大里の残党だった。小柄で猿のような顔をしたタムン(多聞)、琉球には珍しくやけに白い顔をしたウーマ(右馬)、そして、見張りをしていたシルー(四郎)の三人が大グスクの残党だった。 十三年前、島添大里グスクが その五年後、大グスクが落城して、大グスクの残党がこの山に籠もって反撃をしたが、やはり、島添大里按司の兵に攻められて半数余りは殺され、残りの者たちは逃げ散った。 それから何年か経って、行き場のない者たちがここに舞い戻って来て、今は七人となって、島添大里按司を倒す事を夢見ながら細々と暮らしているという。 「今はたったの七人だけか」とヒューガは聞いた。 「身内のある者は身内を頼り、腕のある者は他家に仕官している。どこにも行く当てのない奴らが、ここにいるという事じゃ」とシマブクが自嘲を込めて言った。 「この屋敷なんだが、どうして二度の襲撃に耐えて、残っておるんじゃ?」 「それが不思議なんで、マジムン屋敷と呼ばれているんですよ」とシルーが言った。 「この屋敷は先々代のその前の島添大里按司が、側室のために建てた屋敷なんです」とサチョーが言った。 「今から四十年余り前、島添大里は浦添按司を滅ぼした中山王に攻められました。その時、中山王はこの山を攻めて、ここにいた側室と子供を殺し、ここを本陣として島添大里グスクを攻めたのです。島添大里グスクは落ちませんでしたが、按司は殺され、中山王は引き上げました。その時、この屋敷に火を掛けたのですが、突然、大雨が降って来て、火は消え、屋敷は無事に残りました。その後、この屋敷はマジムン屋敷と呼ばれ、誰も近づかなくなります。そして、三十年が経って、島添大里グスクが八重瀬按司に滅ぼされ、残党たちがこの屋敷に集まります。八重瀬按司の兵がここを攻め、この屋敷に火を掛けますが、また大雨となって火は消え、無事に残ります。五年後も同じ事が起こって、未だにこうして残っているのです」 ヒューガは屋根裏の太い |
運玉森