馬天ヌル
跡を継いで中山王となった フニムイは察度の生前から中山王 佐敷按司を含む南部の 察度の遺体は船に乗せられ、太陽が昇る東の海まで運ばれて水葬された。若い頃、共に戦った者たちの眠る海に葬ってくれと遺言を残したという。 サハチ(佐敷按司)は察度の勢力の大きさを改めて思い知った。跡を継いだ武寧が南部東方を攻め、琉球を統一しようとたくらむのではないかと心配した。今、攻められたら、父と祖父の苦労が水の泡となってしまう。サハチはウニタキに武寧の様子を探らせた。 その後、幸いにも何事も起こらなかった。 ウニタキの調べによると、中山王になった武寧は、従わない南部東方を攻めると主張したようだが、義父の山南王が、その事の無駄を説いて断念させたらしい。 サハチはホッと胸を撫で下ろした。山南王が明国に行って、考えを変えた事が幸いしていた。もし、明国に行かなかったら、今頃は攻められていたに違いなかった。 年末に帰って来た祖父(サミガー大主)とマガーチは、キラマ(慶良間)の島に行って来たと言った。四月の半ば頃、祖父たちは知念の辺りにいて、五人の娘を舟に乗せて 「いい所じゃった」と祖父は『 「キラマには何度か、行った事があるが、あの島に行ったのは初めてじゃ。若い者たちはみんな生き生きとして、修行に励んでおった」 「俺も行ってみたいですよ」とサハチが言うと、祖父は怖い顔をして、「お前は駄目じゃ」と言って笑った。 「娘たちは何と言って集めたのです?」 「娘と言っても子供じゃよ」と祖父は少し伸びた坊主頭を撫でながら言った。 「キラマの島で、クバ笠やクバ扇を作る働き手を探している。七年間は帰れないが、その後はしかるべき報酬を得て帰る事ができると言って、七、八歳から十五歳くらいまでの娘を集めたんじゃ。貧しい家では口減らしになると言って、娘を差し出したよ」 キラマで作ったクバ笠とクバ扇は、 「成程ね。結構、集まりそうですか」 「ヒューガのお陰で集めやすくなっている。幼い女の子だから自分で行けと言うわけにもいかず、知念辺りで四、五人集まったら舟に乗せていたんじゃが、ヒューガと相談して、日にちと場所を決めたんじゃ。わしらは決められた日に、決められた場所に、若者と娘を集めればいい。あとはヒューガが船に乗せて、島まで連れて行ってくれるんじゃよ」 「ヒューガ殿が大活躍ですね」 「わしもな、あんな船が欲しかった。自分の船を持ってヤマトゥ(日本)に行くのが夢だったんじゃ」 「サンルーザ(早田三郎左衛門)殿に頼めば手に入ったんじゃないですか」 「頼もうと思ったんじゃが、お前の親父が按司になったからな。夢は諦めて、倅を立派な按司にしようと思ったんじゃよ」 「そうだったのですか」 「それにな、 「お爺はもう一度、ヤマトゥに行きたいのですか」 祖父は目を細めて笑った。 「お前じゃないが、いい仲になった娘がおってのう。もう一度、会ってみたいんじゃ」 「えっ、そんな事、サンルーザ殿から聞いていませんよ」 「サンルーザ殿も知るまい。当時、まだ十歳くらいじゃったからのう」 「お爺にそんな人がいたのですか」とサハチは祖父を見ながら笑った。 「わしと同い年じゃったから、生きていればもう六十六じゃ」 「生きていればいいですね」 祖父は遠い昔の事を思い出しているようだった。 父が帰って来たのは、暮れが押し迫った頃だった。何か事故でもあったのではないかと、みんなが心配していた時、真っ黒な顔をして帰って来た。新しい村造りは順調に行っているようだった。 「『 「ウニタキから聞きましたよ」 「そうか‥‥‥ヒューガの配下にサチョー(左京)という奴がいてな、そいつが遊女屋の親父をやっている。なかなか面倒見のいい奴で、 「浮島の遊女屋からさらって行ったのですか」 「よくは知らんが、あくどい事をしている奴らを懲らしめてやったと言っておった」 「若い者が多いから大盛況でしょう」 「それが思ったほどでもなかったのう。田舎者が多いから遊女屋なんか知らんのじゃ。気に入った娘がいたら夜這いに行くと言った感じじゃな。遊女たちもうるさい客はいないし、みんなと仲よく畑仕事などをやっている」 「そうでしたか。台風は大丈夫でしたか」 「あれには参ったぞ。ほとんどの小屋が吹き飛ばされてしまった。それでも人手があるからな。すぐに立ち直ったよ」 「ヒューガ殿の船は?」 「わしらの島の近くにザマン(座間味)という島があるんじゃが、そこにいい避難場所があるんじゃよ。そこに避難して無事じゃった。そういえば、その船に、お前がサンルーザ殿からいただいた旗を真似して『八幡大菩薩』と『三つ巴』の旗を掲げた。その旗は島にも掲げてある」 「そうですか。その旗を掲げていれば、 「うむ。久高島はもう完全に引き上げた。マニウシにもキラマの島に移ってもらって、修行者たちを鍛えてもらっている」 「『サスカサ』の神様もフボーヌムイ(フボー御嶽)から出て、その島に移ったそうですね」 「おう、そうじゃ。島の守り神になってもらっておる。あのお方はまさしく神様じゃな。言葉では言えんが、あのお方がいるだけで、皆、安心しているし、島の者たちも一つにまとまっていると言える。やはり、ヌルの力というものは凄いもんじゃのう。あのお方が来てくれなかったら、こんなにもうまくは行かなかったじゃろう」 「一度、行ってみたいですね」 「そいつは無理じゃ」と父は祖父と同じような顔をした。 「あの島は倭寇の島じゃ。佐敷がつながっている事がわかれば、ここが危険となる」 「ええ、わかっています。じっと我慢しますよ」 年が明けて、恒例の儀式が済むと、父も、祖父とマガーチも張り切って旅立って行った。 「今年はヤンバル(琉球北部)巡りだ。初めて行くので楽しみじゃ」と祖父は嬉しそうだった。 父たちが旅立った日、娘たちの剣術稽古が始まった。今年も佐敷ヌルと侍女たち、ヤグルーの妻のウミチルの姿はあったが、馬天ヌルの姿が見当たらなかった。不思議に思って、妹の佐敷ヌルに聞いたら、馬天ヌルは旅に出るという。サハチは驚いて、馬天ヌルに会いに向かった。 祖父の屋敷の前で馬天ヌルと行き会った。 「あら、これから行こうと思っていたのよ」と馬天ヌルは言って笑った。 「旅に出るので、挨拶に行こうと思っていたの」 「旅って、一体、どこに行くんです?」 「こんな所で立ち話もあれだから、戻りましょ」 祖父の家の庭を通って、隣りにある馬天ヌルの屋敷に向かった。 祖父の屋敷には馬天ヌルの妹で、サハチの叔母のマウシ(真牛)の家族が祖母と一緒に暮らしていた。マウシの家は去年の台風で潰れてしまい、祖父の家に避難していたが、祖母に頼まれて、そのまま、そこで暮らしていた。せっかく隠居屋敷を建てたのに、祖父は旅に出ていていない。一人でいるのは寂しいから、マウシたちにいてほしいと頼んだのだった。 マウシの夫は 馬天ヌルはサハチを屋敷に上げると、木箱に入ったガーラダマ( 「旅に出なさいって、これが言うのよ」 「これは親父が持って来たガーラダマですね」 馬天ヌルはうなづいた。 「兄さんの話だと、これは代々、浦添のヌルに伝わって来た物らしいの。いつからだかわからないけど、これは相当に古い物だわ。それが代々伝わって、察度に滅ぼされた 「西威の姉さんは、どうして具合が悪くなったのでしょう。代々、浦添のヌルはそれを身に付けていたんでしょう」 「前に、フカマヌルさんから聞いた事があるの。西威のお 「血ですか」とサハチは首を傾げた。 ガーラダマに血の違いなんかわかるのだろうかと不思議だった。 「これを持っていないとなると、今の浦添ヌルは本物ではないという事ですよね。叔母さんが本物の浦添ヌルって事になりますよ」 「それを確かめるために、旅に出るのよ」 「今の浦添ヌルは、亡くなった中山王の娘ですか」 「そうらしいわね。今の中山王の姉さんだと思うわ」 「浦添に行って、浦添ヌルに会うのですか」 馬天ヌルは首を振った。 「偽物に会っても仕方ないわ。あたしは各地のウタキ(御嶽)を巡って、神様の声を聞こうと思っているの。すべて、神様のお導き通りに動くから、どんな旅になるかはわからないわ」 「最初にどこに行くのですか」 「知念のセーファウタキ(斎場御嶽)よ。『サスカサ』の神様から言われていたの。セーファウタキに行きなさいって。でも、行くべき時が来るまで待っていなさい。すぐに行っても駄目よ。行くべき時が決まっているのと言われたの。そう言われても、あたしにはいつなのかわからなかったわ。そのうち、ササが生まれて、あたしは動けなくなってしまった。これも神様の思し召しだと思って、あたしは焦らずに待っていたの。そして、新年の儀式の時、不思議な事が起こったの。夜明け前に、佐敷ヌルと一緒に馬天浜で 「四度目か」とサハチは言った。 「えっ?」と馬天ヌルはサハチの顔を見た。 「マシュー(佐敷ヌル)も見たのですか」 「マシューは見ていないわ。マシューは毎朝一番にお祈りするから、その時はあたし一人だったの。ねえ、四度目って何よ」 「あの石が光った回数ですよ」 「三度目じゃないの?」 「マチルギが見たんです」 「ええっ? お師匠が‥‥‥」 「俺がまだヤマトゥ旅から帰って来る前、お袋に呼ばれて、一の曲輪に登った時、光ったと言っていました」 「そうだったの。お師匠はやはり、何かを持っているのね」 「マチルギが何を持っているのですか」 「あたしにはまだよくわからないけど、お師匠はあなたにとって、必要な人だという事は間違いないわ」 マチルギは妻なんだから必要な人に違いないが、馬天ヌルが言っているのは、それ以外の意味を含んでいるようだった。 「『ツキシルの石』が光ったから旅に出るのですか」とサハチは聞いた。 「儀式が終わったあと、帰って来て、久し振りに、それを首に掛けてみたの。そしたら、旅に出なさいって言ったのよ」 「これが言ったのですか」とサハチはガーラダマを見て、そして、馬天ヌルを見た。 信じられなかったが、馬天ヌルの顔は真剣そのものだった。その真剣な顔が、なぜかおかしかった。 「叔母さん、いくつになりました?」とサハチは聞いた。 「何よ、改まって。とうとう、四十になっちゃったわよ」 「えっ、四十ですか。とても四十には見えない。どう見ても三十ですね」 「ありがとう。マウシなんか、あたしの事をマジムン(化け物)だって言うのよ」 「二人が一緒にいたら、マウシ叔母さんの方が年上に見えるからでしょう。それで、いつ、出掛けるのですか」 「明日よ」 「まさか、一人で行くんじゃないでしょうね」 「二人を連れて行くわ。二人とも、かなりの腕前だから大丈夫。心配いらないわよ」 「二人って誰です?」 「ユミーとクルー」 「ああ、あの二人ですか」とサハチはマチルギの弟子の二人を思い浮かべた。 二人とも三、四年、修行を続けていて、二人の強さはマチルギからも聞いていた。二人とも背が高くて大柄で、他の娘たちより頭一つ高いので目立っていた。二人とも二十歳前後で、嫁に行くのは諦めているらしい。 「その二人、前から目を付けていてね。旅に出る時は一緒に行ってねって頼んでおいたの。刀を持って旅するわけにはいかないから、棒術と石つぶてのお稽古もさせていたのよ」 「あの二人が一緒なら大丈夫だと思うけど、やはり、女だけだと心配ですよ」 馬天ヌルは笑って、「これが守ってくれるわ」と言ってガーラダマを示した。 翌日、娘のササを妹のマウシに預けて、馬天ヌルはユミーとクルーを連れて旅立って行った。ユミーとクルーの二人もヌルの格好で、クバ笠をかぶって杖をつき、荷物を背負っていた。馬天ヌルも女としては背が高い方で、それ以上高い二人を連れて歩く姿は目立つし、何か目に見えない迫力があった。 例のガーラダマを首から下げて、自信に溢れた馬天ヌルは何か、とんでもない事をするような予感がした。 サハチはウニタキに馬天ヌルを守るように頼んだ。 正月の下旬、サイムンタルー(左衛門太郎)がやって来た。 三年前の約束通り、大量の米と武器を持って来てくれた。米と武器は馬天浜に下ろさずに、そのままキラマの島に持って行くようにお願いした。今は風向きが悪いので、三月を過ぎたら持って行くと言ってくれた。 鮫皮の取り引きが終わったあと、サハチは恒例の歓迎の宴を開き、そこで踊り子たちの舞を披露した。ウミチルの指導で、稽古を続けてきた甲斐があって見事なできばえだった。サイムンタルーもクルシも喜び、叔父のウミンターと 「混乱していたという 「高麗の国は滅んで、今は『 「朝鮮?」 「『 「そうだったのですか」 「都も そう言われても、サハチには開京も漢城もどこにあるのかわからなかった。 「国が新しくなって海岸の守りも、高麗の時より厳しくなって来た。出掛けて行っても、収穫よりも損害の方が大きい場合もある。ヤマトゥの国も南北朝の争いが治まって、京都の将軍を中心にまとまりつつある。もう倭寇が活躍する時代ではないのかもしれない」 サイムンタルーは酒を飲んで、苦そうな顔をすると、「去年、兄貴が戦死したんだ」と言った。 「えっ、兄さんというと 「そうだ。兄貴の敵討ちだと攻めて行ったら、敵の待ち伏せに遭って、 「五島の叔父御というのは、 サイムンタルーはうなづいた。 サイムンタルーの兄の次郎左衛門は、跡継ぎにふさわしい貫禄のある武将だった。サハチは話をした事はないが、奥さんは高麗人で綺麗な人だった。富山浦で『津島屋』をやっている五郎左衛門の話だと、若い頃、次郎左衛門はよく富山浦に来ていて、奥さんと出会い、一目惚れしたらしい。父親のサンルーザに猛反対されたが、五郎左衛門の説得で何とか許され、奥さんと一緒になった。嫡男でありながら高麗で暮らしていても、サンルーザの期待は大きかったようだった。 備前守は五島の福江島にいて、サハチもお世話になっていた。 「二人を失ったのが大分応えたとみえて、親父は隠居してしまった。俺は中尾の姓から 「サイムンタルー殿がお頭になったのですか」 「お頭になったら、以前のように無茶はできなくなってしまった。みんなの命を預かる事になったのだからな」 サイムンタルーは酒を飲むと、サハチを見て力なく笑った。 何年か前にサイムンタルーの弟の左衛門次郎が戦死して、今回、兄と叔父が戦死した。サンルーザは勿論の事、サイムンタルーもかなり辛いのに違いなかった。 今回、イトの父親のイスケは、三男のカンスケ(勘助)を一緒に連れて来ていた。サハチが対馬に行った時、七歳だったカンスケは十六歳になり、立派な若者になっていた。 「今回が最後の船旅じゃ。あとは倅に任せる」とイスケはカンスケを見ながら言った。 「イトの娘のユキは九歳になって、母親と一緒に海に潜っている。母親に似て気の強い娘じゃ。もう少ししたら剣術も教えて、女船頭にするとイトは張り切っておるわ」 イスケは楽しそうに笑った。 イトが娘と一緒に海に潜っている姿を想像して、いつの日か会いに行きたいとサハチは思っていた。 |
セーファウタキ