マジムン屋敷の美女
明国に行った 明国から密貿易船が次々にやって来たのだった。彼らは浮島(那覇)を初め、 密貿易の商人たちは、明国で戦が続いている今のうちに、なるべく多く稼ごうと必死になっていた。琉球の王様たちにとっても、明国まで行かなくても、向こうから商品を持って来てくれるので助かっていた。それでも、今まで明国でやっていた取り引きを、通事(通訳)を通してやらなければならないので、王様を初めとして、家臣たちは勿論の事、 梅雨明けの恒例の旅で、サハチたちは久し振りに浮島に行った。 その賑わいは物凄かった。何度も浮島に来ているサハチとマチルギも、こんなにも唐人がいるのを見たのは初めてだった。しかも、人相の悪い唐人もかなりいた。密貿易船に乗って来るのは、 初めて浮島に来た佐敷ヌルとウミチルは、まるで、異国に来たようだと、言葉が出ない程にたまげていた。 佐敷ヌルと旅をするのは二度目で、ヤグルー夫婦とは三度目だった。マサンルー夫婦は、妻のキクが子供を産んだばかりなので、旅には出られなかった。ウミチルはキクに申しわけないと遠慮したが、来年はあたしたちが行くから行ってらっしゃいとキクに言われて、一緒に来る事になったのだった。ウミチルは前回の二度の旅では久高島に行ったので、 ハリマの宿屋にも大勢の唐人たちが泊まっていて、異国の言葉が飛び交っていた。 「明国は一体、どうなっているんです?」とサハチはハリマに聞いた。 「皇帝の家督争いが続いているらしいのう。去年の五月に 「混乱はまだ続きそうなのですか」 「よくわからんが、四、五年は続きそうじゃと明国の商人たちは言っている」 今の状況が長く続いた方がいいのか、サハチにはよくわからなかった。ただ、明国の混乱に乗じて、サイムンタルー(早田左衛門太郎)たちが倭寇として活躍しているのに違いないと思った。 ハリマの宿屋はお客がいっぱいで泊まる事ができず、仕方なく松尾山に登って野宿をした。山の中で眠るなんて初めてのウミチルは、星空を見上げて嬉しそうにはしゃいでいた。 旅から帰るとサハチはウニタキに、浮島に拠点を作ってくれと頼んだ。 ウニタキは笑って、当然、浮島には拠点はあると言った。浜辺にウミンチュ(漁師)の小屋があって、松尾山に それでも、『よろずや』を浮島に作るのもいいかもしれないと言って、早速、出掛けて行った。 七月の半ば、サハチはウニタキに呼ばれた。 ウニタキの屋敷に行くと、庭で二人の子供が追いかけっこをしていた。長女のミヨンは五歳になり、長男のウニタル(鬼太郎)は三歳になっていた。母親のチルーは庭の片隅にある畑にいた。 チルーに挨拶をして屋敷に上がると、ウニタキと一緒にクマヌがいた。この屋敷で、クマヌと会うのは初めてだった。 「暑いのう」とクマヌはサハチを見ると言って、手に持ったクバ扇を仰いだ。 「どうしたんです? こんな所で会うとは思ってもいませんでした」 「いい知らせがあると言われてな、呼ばれたんじゃよ」 クマヌの髪も髭もかなり白髪が目立っていた。いつの間にか 「うまく行ったぞ」とウニタキがニヤニヤしながら言った。 「浮島に『よろずや』を開く空き家が見つかったのか」とサハチはウニタキに聞いた。 「そうじゃない。空き家は見つからなかった。大通りから少し引っ込んだ所に建てる事にした。『よろずや』の事じゃなくて、もっと重要な事だ」 「一体、何がうまく行ったんだ?」とサハチはウニタキとクマヌの顔を見比べた。 クマヌも嬉しそうな顔をしていた。 「五年の計じゃな」と言って、クマヌは笑った。 何の事だか、サハチにはさっぱりわからなかった。 「トゥミが 「ええっ!」とサハチは驚いた。 トゥミと言えば、最も早くウニタキの配下になった娘だった。小柄で可愛い娘だったが、最近は見ていなかった。そのトゥミが、ヤフスの側室になったなんて信じられなかった。 「どういう事なんだ?」とサハチは聞いた。 「五年前の事だ」とウニタキが説明した。 「トゥミは母親と一緒に 「カマは佐敷按司が隠居した時に、侍女をやめたんじゃよ」とクマヌが言った。 サハチもカマの事は覚えていた。ウミンチュのおかみさんにしては上品な顔立ちで、見るからに侍女といった雰囲気を持っていて、侍女たちのまとめ役だった。 「カマの夫は、カマが侍女になる前に海で亡くなって、子供もいない。トゥミの母親になるのに丁度よかったんじゃよ」 「二人が与那原に住み着いた時の島添大里按司は、今のヤフスに変わったばかりだった」とウニタキが話を継いだ。 「山南王(汪英紫)をだますのは難しいが、ヤフスなら何とかなりそうだと思って、クマヌ殿と相談して作戦を練ったんだ。カマは島添大里按司の側室の娘という事にした。五十年程前、 「五年間か‥‥‥」とサハチは感心しながら唸った。 「よくも続けられたものだな」 「トゥミの熱意があったから続けられたんだ。トゥミは両親の敵を討つためならと頑張った。一緒に暮らして、カマもトゥミの事を本当の娘のように思うようになって、娘のためだと頑張れたのだろう」 「それで今、二人は島添大里グスクに入ったのか」 ウニタキはうなづいた。 「先月、ヤフスは運玉森に狩りに行って、トゥミと出会ったんだ。以前から、運玉森のマジムン屋敷に、美女が現れるという噂はあの辺りに流れていた。ヤフスもその噂を聞いて、何度も運玉森に狩りをしに行ったんだが、会う事はできなかった。なにしろ、会えるのは十二日だけだからな。マジムン屋敷で祈りをしているトゥミとカマを見つけて、ヤフスは二人から事情を聞いた。そして、一月後にまた会おうと言って帰って行った。ヤフスは二人の事を家臣に調べさせた。五年も前から与那原に住んでいるという事で、二人の話を信用して、十二日を待たずして、二人を迎えに行ったんだ。二人は少し考えさせてくれと言って、迎えの者たちを帰して、十二日に運玉森に登って祈りを捧げた。亡くなった祖母から許しを得たと言って、側室になったんだよ」 「そうだったのか。トゥミがヤフスの側室か‥‥‥」 サハチは何度か、ヤフスを見ていた。兄のシタルーと比べると、背が低くて、ずんぐりむっくりのあまり見栄えのいい男ではなかった。思慮に欠ける所もあるし、年齢も三十の半ばになっている。そんな男の側室になるなんて、いくら敵討ちのためとはいえ、可哀想な事だった。 「最近、ヤフスは何をしているんだ? まだ、佐敷を攻めようとしているのか」とサハチはウニタキに聞いた。 「いや、その気はないようだ。島添大里按司になった当初は、前回、ひどい目に遭わされた 「トゥミが島添大里グスクに入ったのはいいが、つなぎは大丈夫なのか」 「大丈夫だ。四年前に作った島添大里の城下の『よろずや』の女商人が出入りしている。トゥミと同期のムトゥだ。かなり信頼されていて、ヤフスの側室たちにジーファー( 「ヤフスは今、何人の側室がいるんだ?」 「トゥミで四人目だ。大グスクを攻められた時、側室も子供も皆、殺されたからな。その埋め合わせをするために、子作りに励んでいるのだろう」 「ありがとう」とサハチはウニタキとクマヌにお礼を言った。 「これで島添大里グスクは、落ちたも同然だ」 「あとは絶好な時を待つだけなんじゃが、これはちょっと難しいぞ」とクマヌが言った。 「今の状況のままで、島添大里グスクを落としたとしても、山南王と中山王を敵に回す事になってしまう。中山王と山南王を争わせる事ができればいいんじゃが、これも難しいのう」 「山南王の死を待つしかないでしょう」とウニタキが言った。 「六十は過ぎたようじゃが、山南王はしぶとい。簡単には、くたばりそうもないぞ」 「あと二年半あります」とサハチが言った。 「二年半の間に、何かが起こって、状況は変わると思いますよ」 「そうじゃな。何かが起こる事を願うしかないのう」 その夜は久し振りに、三人で酒を飲んだ。 「人の出会いというのは不思議なもんじゃのう」とクマヌが、チルーの手料理をつまみながら言った。 「はっきり言って、わしはもう諦めておったんじゃ。五年目にして、出会うとは不思議なもんじゃのう。しかも、出会った日は、島添大里按司の側室が殺された六月の十二日じゃった。丁度、五十年目に当たる日じゃ。何か、不思議な力が働いているような気がする」 「出会った場所が『マジムン屋敷』ですからね。マジムンが力を貸してくれたのでしょう」 ウニタキはそう言って、楽しそうに笑った。 「出会いといえば、俺とウニタキも不思議な縁だな」とサハチはウニタキを見ながら酒を飲んだ。 「お前が破れた着物を着て、刀も持たずに、やつれた顔をして現れた時には、本当に驚いたよ」 ウニタキは軽く笑うと目を閉じた。 「俺がマチルギと出会わなければ、お前とは会わなかっただろう。今でも不思議なんだが、あの日、俺はいつものように山の中で、イブキと一緒に剣術の修行をしていたんだ。修行が終わって、いつもなら、そのまま帰るのだが、なぜか、その日はイブキと別れて港に行ったんだよ。そして、マチルギと出会った。ヤマトゥの船が入って来た時に港に行く事はあっても、あの時は六月の末で、ヤマトゥの船は皆、帰ったあとだった。港に行く理由なんかないのに、なぜか、不思議な力に引かれるように俺は港に行って、マチルギと出会ったんだ」 ウニタキはサハチの顔を見てから酒を一口飲んだ。 「マチルギが佐敷に行ったと聞いて、俺は佐敷に行った。そして、お前と会った。お前とマチルギが一緒にいるのを見て、すべてを悟った。そして、俺は 「お前と出会ったお陰で、俺はかなり助かっている。改めて、マチルギに感謝しなくてはならんな」とサハチは笑った。 「わしもウニタキには感謝しているぞ」とクマヌが言った。 「わしも裏の組織を作ろうと思っていたんじゃが、なかなか作れなかった。お前がやってくれたので、本当に助かっている。十年程前の年の暮れ、お前ら二人が、わしの そういえばそんな事もあったなと、三人は十年前の事を思い出して、笑い合った。 それから一月程して、八重瀬から使者が来た。 八重瀬按司の娘をサハチの弟、マタルーの嫁に迎えてほしいという。サハチは驚き、突然の事なので考えさせてくれと言って使者を帰した。重臣たちと相談して、玉グスクに使者を送って意見を聞いた。 使者は戻って来ると、明日、玉グスクに来るようにとの玉グスク按司の言葉を伝えた。 サハチは翌日、玉グスクに向かった。 玉グスクには 去年の二月、糸数按司の娘が八重瀬按司の長男に嫁ぎ、今度は佐敷按司の弟に八重瀬按司の娘が嫁ぐ事になる。八重瀬按司は東方の按司全員と婚姻を結ぶつもりなのだろうか。 佐敷に帰ったサハチは、クマヌを使者として八重瀬に送った。 帰って来たクマヌは、「奴も随分と変わったのう」と感慨深そうに言った。 「奴とは八重瀬按司の事ですか」とサハチはクマヌに聞いた。 「そうじゃ。まあ、四十になれば、いつまでも馬鹿はやってられまいとは思うが、随分と思慮深くなっておった。顔付きも落ち着いて、どことなく、親父に似てきたのかもしれんな」 「そうでしたか‥‥‥それで、嫁になるという娘とは会いましたか」 「見せてくれと言ったわけではないが、自慢の娘なんじゃろう。会わせてくれたわ。幸い、父親には似ずに、母親に似て可愛い娘じゃった。母親は大グスク按司の娘じゃ」 「ええっ!」とサハチは驚いた。 「大グスク按司の娘が、どうして、八重瀬にいるのです?」 「大グスクが落城する前、島添大里按司(汪英紫)は娘を大グスク按司の側室に送った。その娘は落城の時に助け出されて、今では島添大里のヌルになっている。大グスク按司は人質になると思って側室をもらったんじゃが、側室には護衛のサムレーも付いて来た。護衛のサムレーによって、グスク内の事が島添大里按司に伝わる事を恐れた大グスク按司は、こちらも敵のグスクに家臣を入れようと思って、娘を側室として送り出したんじゃ。島添大里按司は喜んで受け取ったんじゃが、その娘を護衛のサムレーと一緒に八重瀬に送って、倅の側室にしたんじゃよ。その娘が八重瀬按司の娘を産んだというわけじゃ。母親としても、娘が自分の故郷の近くに嫁ぐのを喜んでおった」 「そうだったのですか。大グスク按司の孫娘か‥‥‥それにしても、敵の八重瀬按司と同盟するなんて思ってもいなかった」 「そうじゃな。八重瀬と結べば、豊見グスクのシタルーは敵になるぞ」 「そうですね。明国のように山南王も家督争いを始めるのか‥‥‥」 「いや、八重瀬按司にとっては、すでに始まっているんじゃろう。先手を取るために必死になっておる」 「今回もお願いします」とサハチはクマヌにマタルーの婚礼の事を任せた。 その年の十一月、マチルギは念願の女の子を産んだ。 サハチの次女は、マチルギの母の名をもらってマチルー(真鶴)と名付けられた。 |
運玉森
玉グスク