不思議な唐人
シンゴ(早田新五郎)の船がキラマ(慶良間)を回って浮島(那覇)に入った頃、 梅雨が明けて、サハチたちは恒例の旅に出た。今回の連れはマタルー夫婦と佐敷ヌルだった。 佐敷ヌルと旅をするのは今回で三度目で、佐敷ヌルはサハチたちと同じように、梅雨明け間近になると浮き浮きして、旅に出るのを楽しみにしていた。 マタルーの嫁のマカミーはウミチルほど世間知らずのお姫様ではなかった。按司の娘といっても、村の娘たちとも一緒に遊んでいて、馬にも乗れるし、弓矢と剣術の腕も大したものだった。祖父(山南王)のいる マカミーの生まれ 「まだ帰るには早すぎます。それに、こんな格好で帰ったら誤解されますから」 「確かにな」とサハチたちは笑った。 いつものように、野良着姿に棒を杖代わりにした旅だった。 密貿易の影響か、島尻大里の城下は去年よりも賑やかだった。山のような荷物を積んだ荷車が行き来していて、唐人たちの姿もあった。 島尻大里のグスクに来た事はあっても、城下を自由に歩き回るのは初めてだったマカミーは、楽しそうに市場を見て回った。そんなマカミーを見ながらマタルーも嬉しそうだった。 マタルーは嫁が敵の娘だと聞いて、どう接していいのか迷っていた。サハチは嫁に来たからには佐敷の娘だと思え、生涯、連れ添う相手だと思って大切にしろと言った。それでも、まだ迷っていたようだったが、マカミーの方は佐敷を敵だとは思っていなかったので、マタルーも心を許せるようになって行った。マカミーは母親から、先代の佐敷按司は、わたしの 城下にある『よろずや』も開店してから七年が経って、店構えは相変わらずみすぼらしいが、商品は山のようにあって、何でもあるので、結構、 浮島も去年と同じように、各地から来た様々な船がいくつも泊まっていて、大勢の人が行き交っていた。その船の多さと人の多さに、マタルーとマカミーは目を丸くして驚いていた。マタルーは祖父と一緒に二年間、旅をしたが、北部ばかりを回っていたので、浮島に来たのは初めてだった。 シンゴの船も泊まっているのが見えた。ハリマの宿屋にいるかもしれないと思ったがいなかった。ハリマの宿屋はお客でいっぱいだった。 サハチたちは『よろずや』に向かった。浮島にできた『よろずや』は サハチたちは『よろずや』の裏にある小屋に荷物を置いて久米村に向かった。 久米村には食事をする店があるので、そこに入って唐人料理を食べた。お客のほとんどが唐人で、わけのわからない言葉が飛び交っていた。 マカミーは目をキョロキョロさせながら、「凄いわね。明の国に来たみたい」と言って笑った。 マタルーは料理を運んでいる女を見て、「女の唐人もいるんですね」と不思議そうに言った。 男の唐人は時々、 「ここには 突然、誰かが大声を出した。 声のした方を見ると三人の唐人が、一人の唐人に文句を言っているようだった。三人の男が、座っている男にしきりに何かを言っているが、座っている男は何も言わずに三人を見ていた。 「喧嘩かしら?」と佐敷ヌルが振り返った。 「そうらしいな」とサハチは言った。 三人の男は見るからに、ならず者といった感じだが、座っている男は恐れる様子はまったくなかった。年の頃は三十前後か、涼しい顔して座っている。サハチが見た所、かなり腕が立つように思えた。詳しい事は知らないが、明国にも独特の武術があるという。 三人のならず者の一人が怒鳴りながら、座っている男の胸ぐらをつかんで立たせた。立ち上がるとかなり背が高かった。ならず者が殴ろうとしたのだが、なぜか、殴ろうとした男が吹き飛ばされたように後ろに飛んで、尻餅をついた。残った二人が殴りかかろうとしたが、その二人も吹き飛ばされたように後ろに倒れて、他の客にぶつかった。 サハチには何がどうなったのか、わからなかった。背の高い男は三人に手を触れてもいない。それなのに三人は吹き飛ばされたように倒れた。 起き上がったならず者たちが再び、掛かって行った。背の高い男がならず者たちに、手のひらを向けて押すようにしただけで、ならず者たちは倒れ込んだ。ならず者たちは何事かをわめいて逃げて行った。お客たちが、ならず者たちを倒した男を褒め称えているようだった。背の高い男は軽く頭を下げて、銭を置くと店から出て行った。 「何だ、あれは?」とマタルーが驚いた顔してサハチに聞いた。 サハチは首を傾げた。 「明国の武術かもしれないな」 「凄いわね」とマチルギも感心していた。 「ほんと、凄いよ。手のひらだけで、触れもしないで相手を倒した」 マタルーはそう言って、自分の手のひらを見ていた。 「確かに凄い。 旅から帰って、その事をクマヌに聞いてみると、「以前、ハリマから聞いた事がある」と言って説明してくれた。 「明国には古くから 「道士というのか‥‥‥山伏にもそういう術はあるのか」 「山伏も サハチは道士という者に興味を持った。もう一度、会ってみたいと思ったが、会っても言葉が通じないのではどうしようもなかった。サハチは諦めた。 年末に祖父と 「最後の旅も終わったわい」と祖父は背中を伸ばしながら言った。 「えっ、最後なんですか」とサハチは聞いた。 あと一年あるはずだった。 「わしは大丈夫じゃと言ったんじゃがのう、ヒューガが心配してサグルーに言ったらしい。それで、来年はヒューガに任せる事になったんじゃ。ヒューガの配下の者が頭を丸めて 「そうだったのですか。長い間、どうも、御苦労様でした」 祖父は笑って、「実に長かったが、楽しい旅じゃったよ」と満足そうに言った。 「色々な人たちと出会えたからのう。人生というのは人との出会いじゃよ。わしは 「もう一つやり残した事があるでしょう?」とサハチは笑いながら言った。 「何じゃ?」と祖父はサハチを見た。 「対馬に惚れた 「おう。そうじゃったな。生きていれば会いたいものじゃ」 「俺が船を持ったら 「対馬か‥‥‥」と祖父は目を細めて、「楽しみにしておるぞ」と笑った。 サハチも笑いながらうなづいた。 「来年は 「そうじゃな。そうさせてもらうわ」 祖父はもう七十歳を過ぎていた。旅の途中で倒れたりしたら大変だと父が思ったのだろう。八年間もずっと旅を続けて、若い者たちを集めてくれた祖父に、サハチは心から感謝していた。 馬天ヌルは帰って来るなり、「やっと終わったわ」と溜息をついて、ホッとした顔をした。 「旅はもう終わりですか」とサハチは聞いた。 「 「 「勿論よ。今帰仁には古いウタキ(御嶽)がいっぱいあったわよ。ヤマトゥ(日本)の神様もいっぱいいたわ。神様のお陰で、難しいヤマトゥ 真面目な顔をしてそんな事を言う馬天ヌルの顔を見て、サハチは思わず笑った。 「神様からヤマトゥ言葉を教わるなんて、叔母さんくらいしかいないでしょう」 「あっ、そうそう、 「危険だって言ったじゃないですか」 「大丈夫よ。こうして、無事に帰って来たじゃない」 「まったく、もう。それで、望月ヌルは普通のヌルでしたか」 馬天ヌルは首を振った。 「あれは普通じゃないわね。あの時はよくわからなかったんだけど、ヤンバルでヤマトゥの神様から色々とお話を聞いたらわかるようになったの。望月ヌルはヤマトゥでいう『ミコ(巫女)』というのに近いようね。『マリシティン(摩利支天)』という神様だけにお仕えしているみたい。マリシティンを 「そうでしたか。その後、危険な目にも遭ってはいないんですね?」 「大丈夫よ。これが付いているもの」と馬天ヌルは胸に下げたガーラダマ( 「そのガーラダマ、あのあと、何かしゃべりましたか」とサハチは聞いた。 「あのあとって?」 「旅に出る前に、旅に出なさいって言ったんでしょ?」 「ああ、五年前の事ね。あのあとなら何度もしゃべっているわよ」 「ええっ?」とサハチはガーラダマを見つめた。 口もないガーラダマが、どうやってしゃべるんだとサハチには理解できなかった。 突然、馬天ヌルは意味ありげに笑って、サハチの胸を指でつついた。 「 「もうかなりの 「その人は二年前に亡くなっているわ。今の奥間ヌルは先代のお孫さんで、かなりの美人だったわよ」 「そうでしたか。あの老婆も亡くなりましたか。先代の奥間ヌルは何となく、凄いヌルだと感じましたよ」 「あたしたち、奥間の人たちに歓迎されてね、マサンルーが奥間 「サタルーが若様ですか」とサハチも驚いた。 「俺にもよくわからないんです。多分、先代の奥間ヌルが決めたんだと思います」 「そう。あなたを見て何かを感じて、その息子を長老に預けたのね」 「今のヌルは何か知りませんでしたか」 「サタルーがこの村を救ってくれると言っていたわ。中山王の 「そうだったのか‥‥‥鉄か。ところで、叔母さん、ヒューガ殿とは会いましたか」 「何よ、急に?」と馬天ヌルは言ってから、嬉しそうな顔をして、「久し振りに会ったわ」と言った。 「そうか。叔母さん、来年は旅に出ないんでしたね?」 「ヒューガさんがどうかしたの?」 「ヒューガ殿に頼んで、鉄を奥間に持って行ってもらおうと思ったんです」 「その事なら大丈夫よ。あたしが言っておいたわ。ヒューガさんも、奥間のためなら任せておけって言ったわ。ヒューガさんもあなたの子供の事、知っているのかしら?」 「さあ?」とサハチは首を傾げた。 父も元気に帰って来た。 「いよいよ、あと一年じゃな」と父は言った。 「絶好の時が来なかったらどうしますか」とサハチは聞いた。 「なに。じっくりと待てばいいさ。準備だけは完了させてな」 「そうですね。絶好の機会が訪れる事を願うだけですね」 サハチがサイムンタルー(早田左衛門太郎)の事を言うと、「この辺りが十年前とすっかり変わったように、ヤマトゥも変わって行ったのじゃろう」と父は言った。 「 「時代の流れですか‥‥‥」とサハチは言いながら、父が隠居してからの様々な出来事を思い出していた。 父は年末年始をのんびりと過ごして、キラマの島に戻って行った。 二月の半ば、山南王が倒れたとウニタキが知らせてくれた。 「ヤマトゥの商人と取り引きの最中、港にある蔵の中で倒れたらしい。しばらくは意識不明だったが、しぶとく生き返ったようだ。噂では疲れが出たのだろうとの事だ。今はグスクに戻って休んでいる。先の事はわからんが、そう長い事はないような気がする」 「そうか‥‥‥しかし、今、死なれたら困るぞ」とサハチは言った。 「まだ、準備が整っていない。来年の今頃なら丁度いいのだがな」 「そううまいわけには行くまい。一応、お前の親父さんには知らせを送った」 「ありがとう。これからは親父との連絡をすぐにできるようにしておいた方がいいな」 「ああ、わかっている」 「頼むぞ」 その後、ウニタキからは連絡がなく、山南王は持ちこたえたようだった。 平田に築いたマサンルーのグスクも完成して、キラマの島から来た五十人の兵が、交替で警固に当たっていた。グスクの 高台の上にあるグスクは、佐敷グスクと同じように石垣ではなく、土塁に囲まれていた。土塁の中の広さは佐敷グスクの サハチは父に言われて、平田グスクの後ろにある 「琉球に来たばかりの頃、わしはこの山に登ったんじゃよ」とクマヌは言った。 「もう三十年近くも前の事じゃが、あれから誰も、この山には登っていないようじゃな」 「この山なら一千の兵は隠せるんじゃないですか」とサハチは山の中を見渡しながら言った。 「隠せる事は隠せるが、そう長い間、隠れてはおれんぞ。食糧も運び込まなければならんし、それに、一千の兵がぞろぞろと、この山に入って行ったら何事かと怪しまれる」 「そうですね。 「ここだけでなく、分散させた方がいいじゃろう。 「運玉森に五百、ここに五百ですかね」 「それがいいんじゃないのか」 「そう言えば、トゥミはどうしています?」とサハチは聞いた。 「うまくやっているようじゃ。どうやら、子ができたようじゃとウニタキが言っていた」 「子供ですか‥‥‥トゥミはどう思っているんだろう? 敵の子を 「子供には罪はないからのう。立派に育てるじゃろう」 山を下りて、平田グスクで一休みしてから佐敷グスクに帰った。珍しく馬天ヌルが訪ねて来ていた。娘のササも一緒で、サハチの子供たちと一緒に遊んでいた。 ササはサハチの次男のジルムイと同い年で、もう十一歳になっていた。来年になったらヌルの修行をさせると馬天ヌルは言っていた。 旅を終えた馬天ヌルは、娘たちの師範代に復帰して、娘たちに剣術を教えていた。一緒に旅をしたユミーとクルーはそのままヌルになっている。五年間、馬天ヌルと共に暮らして旅をして、すっかり馬天ヌルに心酔した二人は、 「何か、神様のお告げでもありましたか」とサハチは期待しながら聞いた。 「今日、ササを連れて馬天浜に行ったのよ」と馬天ヌルは手に持った綺麗な貝殻を見ながら言った。 「ウミンター兄さんの 「ササがそんな事を言ったのか。叔母さん、顔負けだな。叔母さんはその唐人を見ても、何も感じなかったのですか」 「あたしは何も感じなかったわ。唐人の神様って、あまり会った事ないし、それに会ったとしても唐人の言葉はわからないから、あたしは駄目ね。子供は純粋だから、何でも受け入れてしまうの。言葉がよくわからなくても、何かを感じたんでしょうね」 「その唐人はどんな人なんです?」 「 「シタルーの所にいたのか。シタルーは明国に行ってたから、唐人の言葉がわかるのだろう」 「あの人、まだ、あそこで待っているわ」とササが言った。 振り返るとササが笑っていた。 「その人が俺を待っているのか」とサハチが聞くと、ササは真面目な顔をしてうなづいた。 「そうか。ササが言うのなら会わなくてはならんな」 サハチは馬天浜に向かった。ササも行くと言って、馬天ヌルと一緒に付いて来た。 唐人は浜辺に座り込んで海を見ていた。 その横顔を見て、サハチは思い出した。去年、浮島に行った時、久米村で見た不思議な術を使った道士だった。あの時、話がしたいと思ったが、言葉が通じないので諦めた。それが今、向こうから佐敷にやって来てくれた。ササがいう通り、俺にとって必要な人なのかもしれないとサハチは思った。 サハチは挨拶をして、唐人の隣りに腰を下ろした。 唐人はサハチを見たが何も言わず、また海の方に視線を戻した。 「去年の夏、会いましたね」とサハチは言った。 唐人はサハチを見たが、わからないようだった。 「久米村の料理屋で、あなたは不思議な術を使いました」 サハチはそう言って、手のひらを前に向けて押し出した。 サハチの仕草を見て、唐人は笑った。 「この島に来たばかりの時でした」と唐人は言った。 まだ一年も経っていないのに、唐人は島の言葉をしゃべっていた。 「あんな所で使う技ではありません。見られてしまいましたね」 唐人は照れくさそうに笑って、「久米村はいい所ではありません」と言った。 海の方を見て両手を広げると、「ここはいい所です」と言った。 「ありがとう」とサハチはお礼を言った。 「わたしはサハチと申します。ここの按司です」 唐人は驚いたような顔をして、「あなた、按司ですか」と聞いた。 サハチはうなづいた。 「あなたは明国の道士ですね?」 「はい。わたしはファイチ(懐機)と申します」 「ファイチ殿ですか。わたしのグスクに来ていただけませんか」 「どうしてですか」 「あなたはわたしのお客様です」 ファイチは少し考えてから、「行きましょう」と言った。 サハチは馬天ヌルとササをファイチに紹介し、ファイチを連れて佐敷グスクに帰った。 稽古着を着て木剣を持った娘たちが 「あっ、あの時の‥‥‥」とマチルギは思い出したようだった。 「佐敷まで来てくれたんだ」とサハチは言った。 「えっ?」とマチルギは意味がわからないという顔をした。 「稽古が終わったら話すよ」 マチルギはうなづいて東曲輪に向かった。 「わたしの妻のマチルギです」とサハチはマチルギの後ろ姿を見ながらファイチに言った。 「 サハチはうなづいた。 ファイチが興味深そうに東曲輪の方を見ていたので、サハチはファイチを連れて東曲輪に行った。 馬天ヌルも稽古着に着替えて、佐敷ヌルと一緒に屋敷から出て来た。 「馬天ヌルも女子のサムレーですか」とファイチは驚いた顔をしてサハチに聞いた。 「馬天ヌルは師範代です」と言おうとしたが、師範代の意味がわからないだろうと思い、「馬天ヌルはとても強い」と言った。 稽古が始まった。素振りから始まって、 ファイチは飽きる事なく、娘たちの稽古を見ていた。 マチルギがサハチの所に来て、「お客さんに模範試合を見てもらう?」と聞いた。 真剣な顔をして稽古を見ているファイチを見ながら、「興味あるみたいだから、見せてやってくれるか」とサハチは言った。 マチルギはうなづいて戻ると、皆の稽古をやめさせて、「今日は特別に模範試合を見ていただきます」と言った。 「よーく見ていて、参考にするのよ」 模範試合をしたのは馬天ヌルと佐敷ヌルだった。 二人は打ち合わせをした通りに見事に演じた。二人の動きには一瞬のためらいもなく、流れるような動きは華麗だった。二人ともサハチが思っていた以上に強かった。あの二人なら、 「素晴らしい」とファイチは目を輝かせながら言った。感動しているようだった。 ファイチはその日から佐敷グスクに客人として滞在した。 |
浮島の久米村
馬天浜