沖縄の酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲







奇襲攻撃




 正月二十七日、東方(あがりかた)の按司たちが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの包囲を解いて引き上げてから、半時(はんとき)(一時間)ほど経った頃、東御門(あがりうじょう)が開いた。

 グスクから出て来た三十人ほどの兵は、弓矢を構えて、敵が隠れていないか確かめながら、グスクの周囲を探った。城下の家々の中も調べ、ようやく、誰もいない事を確認すると引き上げて行った。

 やがて、大御門(うふうじょう)(正門)が開いて、島添大里按司のヤフス(屋富祖)が鎧姿(よろいすがた)のまま、二人の重臣、嶺井大親(みにいうふや)平良大親(てーらうふや)を連れて外に出て来た。二人とも、ヤフスの側室の父親だった。

「やっと終わったか」とヤフスは疲れ切った顔で溜息をつき、「危なかったのう」と言って、城下の入口を塞いでいた柵を見た。先程の偵察の兵たちによって、半ば倒されてあった。

「城下が焼かれずに助かりましたな」と平良大親がホッとした顔で言った。

糸数按司(いちかじあじ)が我が物にするつもりだったのじゃろう。焼いてしまったら、再建するのが大変じゃからのう」と嶺井大親が厳しい顔付きのまま、敵が作った防御施設を見回した。

「とにかく、無事でよかった」とヤフスは目の前にある(やぐら)を見上げた。

 去年の十一月二十二日、父親の山南王(さんなんおう)汪英紫(おーえーじ))が突然、亡くなった。知らせが届いたのは、その日の午後だった。

 父親が亡くなれば、八重瀬按司(えーじあじ)の長兄と豊見(とぅゆみ)グスク按司の次兄が家督争いを始める事はわかっていた。ヤフスは迷う事なく、次兄のシタルーを支持した。

 長兄のタブチは自分を馬鹿にしているので大嫌いだった。今帰仁合戦(なきじんかっせん)の留守中に(うふ)グスクを奪われて、何もかも失い失意のどん底にいた時、タブチは、「この役立たずめ、お前も死ねばよかったんだ」と憎らしげに言った。その言葉はヤフスの胸に深く突き刺さり、今でも決して忘れてはいない。あのあと、ヤフスはタブチと口を利いていなかった。それに比べ、次兄のシタルーは慰めてくれただけでなく、大グスクを奪い返してくれたのだった。

 タブチは父親が亡くなったその日の夕方、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを攻め取った。まるで、父親の死を知っていたかのような速さだった。もしかしたら、父親はタブチに殺されたのではないかとヤフスは疑った。

 翌日の二十三日、シタルーから出陣要請が来た。次の日、ヤフスは兵を率いて豊見グスクに向かった。シタルーから前もって言われていたので、グスク内の兵糧(ひょうろう)は充分に蓄えてあった。去年の台風で、領内の作物は全滅してしまったが、台風が来る前に大量に買い入れていた。父親が密貿易で稼いだお陰だった。

 シタルーが父親の遺言書を持ってタブチと交渉したが、タブチは聞き入れなかった。シタルーは遺言書があれば、重臣たちを説得して、タブチを追い出せると自信たっぷりに言った。ヤフスもそう思っていたのに、そうはならなかった。どんな時でも冷静で、落ち着いているシタルーが、その時は凄い剣幕で怒っていた。

 二十五日から島尻大里グスクを攻撃した。シタルーの兵にヤフスの兵と瀬長(しなが)按司の兵が加わったが、兵力が足らなかった。シタルーは義兄の中山王(ちゅうざんおう)武寧(ぶねい))にも出陣を要請した。中山王が加われば勝利は確実だと思った。

 二十九日、タブチに味方した米須按司(くみしあじ)たちが攻めて来た。その中には、ヤフスの義父である具志頭按司(ぐしちゃんあじ)もいた。ヤフスは具志頭按司の婿養子で、具志頭按司を継ぐはずだった。しかし、知らないうちに廃嫡(はいちゃく)されて、妻の弟が若按司になっていた。タブチの仕業に違いなかった。

 不意を突かれたシタルー軍は敗れて退却した。

 ヤフスはシタルーに言われて、島添大里グスクに戻って来た。東方(あがりかた)の按司たちが島添大里を攻めるから、絶対に守り通せと言われた。

 ヤフスが島添大里グスクに戻って、しばらくすると、東方の按司たちが攻めて来た。城下の人たちが慌てて、グスクに逃げて来た。それから長い長い籠城戦(ろうじょうせん)が始まった。兵糧もほとんどなくなり、落城寸前まで来ていた。

 櫓を見上げていたヤフスは、右側にいる嶺井大親に目を移すと、すぐにシタルーのもとへ使者を送るように命じた。

 二か月間、グスク内に閉じ込められていたので、周りの状況がまったくわからなかった。東方の兵が引き上げて行ったので、シタルーが勝利を収めたとは思うが、確認しなければ安心はできなかった。

 ヤフスがグスク内に戻ると、東御門からぞろぞろと避難民たちが出て来た。皆、やっと歩けるような状況で、ヨタヨタしながら城下の我が家へと帰って行った。城下から戸板を持って行き、歩けないほど弱っている年寄りや子供を、それに載せて運んでいる者もいた。また、荷車に酒樽を積んでグスク内に運んでいる者もいた。

 避難していた二百人余りの城下の人たちが全員、グスクから出たのは日暮れ間近になっていた。避難民たちは東曲輪(あがりくるわ)の庭だけでなく、東曲輪にある屋敷とヤフスがいる一の曲輪の屋敷の一階の大広間にもいた。屋敷の中にいたのは家臣たちの家族だった。避難民がいなくなると東御門は閉められ、大御門も閉められた。

 グスク内では数カ所に篝火(かがりび)を焚き、御門番(うじょうばん)だけを残して、他の兵たちは久し振りにゆっくりと休んだ。

 一の曲輪の屋敷の二階では、ヤフスがささやかな祝いの(うたげ)を開いていた。

 シタルーのもとへ送った使者が戻って来て、シタルーの勝利を知ったヤフスは、わずかに残った兵糧をすべて使って炊き出しをして皆に配り、城下の『よろずや』から贈られた酒も皆に配った。

 四人の側室と六人の重臣、それとヤフスの妹の島添大里ヌルが宴に参加していた。

「シタルーの兄貴が山南王になったからには、山南も中山に負けずに、益々栄えて行くじゃろう」

 そう言って、ヤフスは大笑いした。

「ほんと、よかったですねえ」と島添大里ヌルが嬉しそうに言った。

 島添大里ヌルのウミカナはヤフスほど、タブチを嫌ってはいないが、シタルーの方に親しみを感じていた。大グスク按司の側室だった時、救い出してくれたのはシタルーだったし、シタルーが大グスク按司だった時は、大グスクヌルとして、シタルーを守っていた。今は従姉(いとこ)のフシが島尻大里ヌルになっているが、もしかしたら、自分が島尻大里ヌルになれるかもしれない。ここよりも栄えている島尻大里で暮らしたいと思っていた。

 側室たちも皆、嬉しそうな顔をして、敵に包囲されて不安だった日々の事を笑いながら話していた。トゥミも話を合わせて喜んだ。

 お祝いの酒を持って来たムトゥから、「翌朝、決行」とトゥミは聞いていた。いよいよ、その時が来たとトゥミは笑いながらも、強い決意を胸の中に秘めていた。

 武将や兵たちは一階の大広間で祝い酒を飲んで、炊き出しの雑炊(じゅーしー)を食べていた。辛かった日々を語り合い、すっかり安心して、そのまま、そこで横になって眠った。

 御門番たちも、「やっと終わったなあ」と安堵しながら祝い酒を飲んでいた。緊張感が解け、疲れが溜まっていたので、御門番たちもうっかりと眠ってしまった。

 明け方に目が覚めた大御門の御門番は、目の前に見える櫓の上に二人の武将が立っているのを見て、目の錯覚かと目をこすった。改めて櫓を見たが、武将の姿は確かにあった。おかしいと思って、視線を下に移すと柵の向こう側に、驚くほどの数の兵がいた。その数は、昨日の朝に見た数よりもずっと多かった。

 一体、どこからこんな大軍が湧き出して来たのか。御門番には何がどうなっているのかわからず、眠りこけている三人の御門番を揺り起こした。起こされた御門番たちは外の兵を見て、腰を抜かすほどに驚いた。夢でも見ているのかと思った。

 突然、法螺貝が鳴り響いた。

 大勢の敵兵が柵を壊して攻めて来た。御門番は弓矢を撃つ事も忘れて、ただわめいていた。驚いた事に、敵兵は大御門を抜けてグスク内に入って来た。

「誰が大御門を開けたんだ?」と御門番たちは叫んだが、御門の上に上がって来た敵兵によって皆、斬り殺された。

 三つの御門はすべてが開け放たれていて、グスクを包囲していた四百人の佐敷の兵がグスク内に雪崩(なだ)れ込んだ。

 按司の屋敷がある一の曲輪の御門は閉ざされていた。御門番は誰もいなかった。身の軽い兵が石垣の上に飛びつき、よじ登って向こう側に飛び降りて御門を開けた。

 異変に気付いた敵兵が数人、屋敷から飛び出して来た。迫り来る大軍を目にして、慌てて屋敷の中に逃げ戻った。

 屋敷の中に攻め込んだ佐敷の兵は、向かって来る敵を片っ端から斬り殺して行った。

 按司のヤフスの姿はどこにも見当たらなかった。

 向かって来る敵を倒しながら、二階に上がって行ったヒューガ(三好日向)は、部屋の中で死んでいるヤフスを発見した。

 血だらけの布団の上で、ヤフスは首を斬られて死んでいた。

 部屋の隅に赤ん坊を抱いたトゥミとその母親のカマが静かに座っていた。

「そなたがトゥミか」とヒューガは聞いた。

 トゥミはうなづいた。

 ヒューガはうなづき、「よく、やった」と言った。

 トゥミの目から涙がこぼれ落ちた。

 ウニタキの配下の者たちが来て、トゥミたちを保護した。

 キラマ(慶良間)の島から来た若者たちは皆、機敏な動きで敵を倒し、わずか四半時(しはんとき)(三〇分)で島添大里グスクは落城した。

 前もって父から命じられていたのか、ヤフスの側室も幼い子供たちも容赦なく殺された。三人の側室と三歳から十歳までの七人の子供が殺され、六人の重臣たちも殺された。子供を守るために、刃向かって来た四人の侍女が殺され、その他の侍女と女たちは縛られた。島添大里ヌルも縛られ、処置は馬天ヌルに任せる事にした。

 グスクが攻められると同時に、城下もクマヌ(熊野大親)と當山之子(とうやまぬしぃ)が率いた二百人の兵によって攻撃されていた。大きな屋敷はすべて攻められ、重臣の家族たちは皆、殺された。城下に住んでいる者たちには、八重瀬や豊見グスクに行きたい者は今日中に出て行けと命じた。

 戦が終わると法螺貝が鳴り響いて、兵たち全員が中央の曲輪に集まった。

 六百人の兵は一糸乱れずに整列した。その眺めは壮観だった。この兵が皆、佐敷の兵だなんて、夢でも見ているのではないかとサハチ(佐敷按司)は感動していた。

 サハチは父(先代佐敷按司)と一緒に一の曲輪の御門の所に立って、兵たちを見ていた。一の曲輪は兵たちのいる曲輪よりも四尺(約一二〇センチ)ほど高かった。

 グスクを囲む石垣には、いくつも旗が立っていて、風になびいていた。その旗には『三つ巴』の紋が描かれてあった。父がキラマの島で作らせたものらしい。その旗を見ながら、島添大里グスクが自分たちのものになった事をサハチは実感していた。

 父が兵たちを見下ろしながら、「みんな、よくやったぞ!」と叫んで右手を振り上げた。

 六百人の兵も右手を振り上げ、ウォーと歓声を挙げた。その歓声はグスク内に響き渡った。

「師匠! 師匠!」と兵たちはいつまでも叫んでいた。

 父は兵たちを見ながら何度もうなづいていた。その目には、光っているものがあった。

 サハチも胸が熱くなって、目が潤んできていた。




 昨日、島添大里グスクを引き上げたサハチは、大グスクに行って父と会った。すぐに重臣たちが集められ、作戦会議が行なわれた。運玉森(うんたまむい)からヒューガも来ていた。馬天ヌルと佐敷ヌルの顔もあった。

「準備は整った」と父は重臣たちを見回して言った。

「あとは、いつ決行するかじゃ」

「今、島添大里グスクには兵糧がほとんどない」と苗代大親(なーしるうふや)が言った。

「敵が兵糧を運び込む前にやらなければならない」

「明日の朝か‥‥‥」と父が言って、皆の顔を見た。

「敵が去って、一安心しているじゃろうから、それがいいかもしれん」とクマヌが言った。

「運玉森はいつでも出陣できます」とヒューガが言った。

「そうなると、俺たちは今のうちにグスク内に潜入した方がいいですね」とウニタキは言った。

「できるか」と父が聞いた。

「多分、御門を開けて避難民たちを解放するだろう。そのどさくさに紛れて潜入します」

 父が馬天ヌルと佐敷ヌルを見た。

 二人とも大丈夫というようにうなづいた。

「よし、明日の朝、決行する」と父は言ってサハチを見た。

 サハチは重臣たちの顔を見回してから、力強くうなづいた。

「合図は?」とウニタキが聞いた。

「そうじゃのう」と父は考えた。

「誰かが櫓の上に登ればいい」とファイチ(懐機)が言った。

「おう、それじゃ。グスク内からも見えるからのう」

「わかりました。櫓の上に人影が見えたら御門を開けます。どこの御門かは決められませんが、御門が開いたら突入して下さい」

 そう言うとウニタキは、皆にうなづいて出て行こうとした。

「ちょっと待て」と父が呼び止めた。

「島添大里の城下に配下の者はいなかったのか」

「あそこにも『よろずや』があります。山伏のイブキ(伊吹)が主人で、二人の使用人と一緒に、グスク内に避難していました」

「グスク内にいたのか」

「『よろずや』とは何ですか」とファイチが聞いた。

「何でも売っている店だよ」とウニタキが笑いながら答えた。

「酒も売っているか」

「酒も売っている」とウニタキが言うと、

「祝い酒を按司に持って行けばいい」とファイチは言った。

「祝い酒を敵に贈るのか」と父は怪訝な顔をしてファイチを見た。

「兵たちも飲めるように、いっぱい持って行け」

「成程。兵たちに酒を飲ませて、ゆっくりと休んでもらうのじゃな。そいつはいい考えだ」

「多分、東方の按司たちに店は荒らされ、酒も奪われたに違いありません」とウニタキは言った。

「佐敷から持って行けばいい」と父は言った。

 ウニタキは父から書き付けをもらうと出て行った。

 その後、行軍の事が決められた。夜中に移動しなければならないので、松明(たいまつ)が必要となる。今日は二十七日なので、月明かりは当てにできなかった。三百の兵が松明を持って移動すれば目立ってしまうが仕方がなかった。あとは、運を天に任せるしかない。夜明けまでに、運玉森の三百と大グスクの三百が、島添大里グスクに集結する事に決まった。

 馬天ヌルと佐敷ヌルによって、出陣の儀式が厳かに行なわれた。それが済むと、ヒューガと苗代大親と當山之子が、三百の兵を指揮するために運玉森に向かった。大グスクの三百の兵は、サハチとクマヌとサム(マチルギの兄)が指揮する事に決まった。サハチは佐敷の兵五十人と島の兵五十人を率いて行き、残った島の兵五十人の内、二十人は大グスクに残り、三十人は与那嶺大親(ゆなんみうふや)に率いられて馬天浜に向かった。三日前に馬天浜に来たシンゴ(早田新五郎)から米を受け取って、夜が明けたら島添大里グスクに運び入れる事となった。

 父は総大将として全軍の指揮を執り、ファイチは客将として父に従った。マサンルー(サハチの弟)は屋比久大親(やびくうふや)と一緒に大グスクを守るために残った。




 ウニタキが島添大里グスクに着いた時、避難民たちが解放されている最中だった。

 すっかり弱り切っている避難民を見て、ウニタキは城下の家から戸板を外し、配下の者十人と戸板を持って東御門からグスク内に入った。御門番はいたが怪しまれる事なくグスク内に入り、立つ事ができない避難民に戸板を渡して、これで運べと言った。

 東曲輪内には何人かの兵がいたが皆、疲れ切ったような顔をして、あちこちに固まって休んでいた。ウニタキたちは弱っている避難民たちを助ける振りをしながら、東曲輪の奥にある屋敷に近づいた。屋敷の中にも弱っている避難民が何人か残っていた。ウニタキたちは戸板を渡して、屋敷から出ると素早く屋敷の裏に隠れた。

 避難民の中にいた『よろずや』のイブキとムトゥ、ウミの三人は弱り切った体に(むち)を打って、ウニタキから渡された酒樽を荷車に積んでグスク内に運び、祝い酒だとヤフスに捧げた。

 ヤフスは大喜びした。

「まもなく、山南王になる豊見グスク按司に、お前たちの事をよく伝えよう。山南王の御用商人になれば、大いに稼ぐ事ができよう」

 ヤフスは得意そうに言って、機嫌よく酒を受け取った。

 日暮れ近くに避難民たちは皆、退去して東御門は閉じられた。

 避難民のいなくなった東曲輪の中はゴミだらけだった。焚火(たきび)の跡があちこちに残り、寒さを防いでいた(むしろ)がそこら中に散らかっていた。

 法螺貝が鳴って兵たちが皆、中央の曲輪に集められた。ヤフスが兵たちに、ねぎらいの言葉を掛けているようだった。それが終わると静かになった。東曲輪に戻って来る兵はいなかった。

 しばらくして、二人の兵が中央の曲輪から出て来て、何かを持って御門番の所に行った。二人の兵は御門番に何かを渡すと、話をしながら帰って行った。

 やがて、シーンと静まり返った。屋敷の戸締まりに来る者はいたが、屋敷の裏まで調べに来る者はいなかった。屋敷の東側の石垣の近くに物見櫓(ものみやぐら)があるが、そこに登る者もいなかった。

 一の曲輪の屋敷の二階で行なわれていた祝いの宴もお開きとなり、ほろ酔い気分のヤフスはトゥミに連れられてトゥミの部屋へと行った。久し振りにトゥミを抱き、すっかり安心して眠っていたヤフスは苦しむ事もなく、一瞬にして首を斬られて息絶えた。

 長い夜が明けて、辺りが薄明るくなった頃、外にある櫓の上に人影が見えた。

 ウニタキたちは屋敷の裏から出て、東御門に向かった、三人の御門番は石垣にもたれたまま眠っていた。三人の御門番を殺して東御門を開けた。

 東御門の前の櫓の上にいたのはサハチだった。

 ウニタキはサハチに手を上げた。

 サハチも手を上げて、大御門の方を指さした。

 ウニタキはうなづいて、大御門の方に向かった。

 東曲輪と中央の曲輪を結ぶ御門の所には、御門番はいなかった。御門は開いたままで、中央の曲輪を覗くと誰もいなかった。ところが、西曲輪(いりくるわ)の方から一人の兵が慌てて飛び出して来た。

 ウニタキが合図をすると配下の一人が素早く兵に近づいて行って殺した。

 ウニタキは五人の配下に西御門を開けるように命じ、残りの五人を連れて大御門に向かった。

 大御門は櫓門になっているので、御門番は櫓の上にいるらしく、大御門の所には誰もいなかった。

 ウニタキたちは大御門を開いてから櫓の上に登った。

 その時、法螺貝が鳴り響いた。

 ウニタキたちは、驚いて騒いでいる御門番たちを殺した。

 大御門の上からグスク内を見ると味方の兵で埋まっていた。

 ウニタキは配下の者たちにトゥミの救出を命じた。

 配下の者たちは石垣の内側にある武者走りを走りながら一の曲輪の屋敷へと向かった。

 洪武(こうぶ)三十五年(一四〇二年、実際は建文(けんぶん)四年)正月二十八日、サハチは父と共に、島添大里グスクを攻め落とし、長年の念願を果たした。





島添大里グスク




目次に戻る      次の章に進む



inserted by FC2 system