サミガー大主の死
ウニタキか久し振りに現れた。フカマヌルと一緒に、どこかに消えてから四か月が過ぎていた。 城下の『まるずや』に行くと、裏の屋敷で、ウニタキは陽気に 「また 「勝連じゃない。 「ええっ!」とサハチはウニタキを見た。 その答えは意外だった。フカマヌルとの関係は隠し通すに違いないと思っていた。ウニタキはあっさりと白状した。 「俺はすっかり、フカマヌルに骨抜きにされちまった」 ウニタキは照れ臭そうに笑って、三弦を鳴らした。 「 「ずっと、久高島にいたのか」 ウニタキはうなづいた。 「ずっと、フカマヌルと一緒に暮らしていたんだ。家族も捨てて、何もかも捨てて、ずっと一緒にいようと思っていた」 ウニタキがそんなにもフカマヌルに夢中になるなんて意外な事だった。何事も冷静に対処する男だと思っていたが、ウニタキもやはり、惚れた女には弱いようだ。 「よく帰って来られたな」 「フカマヌルもこんな事を続けていては駄目だと思ったのだろう。フボーヌムイ(フボー御嶽)というウタキ(御嶽)に籠もってしまった。俺も島から出ようと思ったが、フカマヌルと別れる事はできなかった。ウタキに男が入ってはならない事は知っていたが、俺はそれを犯してまでも、フカマヌルに会いたかった。俺がウタキに入ろうとした時、突然、雷が鳴った。多分、俺は雷に打たれたのだろう。しばらく気を失っていたらしい。気がつくと土砂降りの雨の中で俺は寝ていた。俺は起き上がった。頭の中が、もやっとしていて、どうしてこんな所にいるのかもわからなかった。とにかく、フカマヌルの家まで帰って来て、また、眠ってしまったらしい。目が覚めると朝になっていて、少しづつ、昨日の出来事が思い出された。雷に打たれて、気絶した時に聞いた神様の声も思い出したんだ」 「なに、神様の声を聞いたのか」 ウニタキはうなづいた。 「俺には何の事だか、意味がわからなかった。俺は海を眺めながら、ずっと考えた。そして、ついに答えがわかって戻って来たんだ。不思議とフカマヌルの事を吹っ切る事ができた。もしかしたら、神様の声を聞かせるために、フカマヌルが俺を久高島に呼んだのかもしれないと思えるようになったんだ」 「神様は何と言ったんだ」 「それは言えない。誰にも言ってはならんと言われた」 「そうか‥‥‥とにかく、無事に帰って来て、よかった。ところで、フカマヌルが俺の妹だって知っているのか」 「フカマヌルから聞いて驚いたよ」 「そうか」 ウニタキは三弦を鳴らしてから、サハチを見ると、「お前にも驚く事を教えてやる」と言った。 「何だ?」 「 「グスクの中にそんな所があるのか」 「男は王様とその息子以外は入れないらしい。その女なんだが、 「例の絶世の美女だった女か」 「そうらしい。すでに五十歳になっているようだが、相変わらず美しい女だそうだ。ナーサという名前で、なぜだか知らんが、ムトゥが気に入られた。部屋まで呼ばれて、ジーファー( 「グスク内に仲間を入れる事ができれば、グスク内の様子がわかるな。五年前の婚礼の時、浦添グスクの中に入ったが、中はかなり広い。ただ、内通者に 「任せておけ」 「頼むぞ」 サハチはウニタキの顔を見て笑った。 「お前のような男が、女によって骨抜きにされるなんて思わなかったぞ」 「女は魔物だよ。だから、どうしようもなく可愛いのだろう」 ウニタキは三弦を鳴らしながら、歌を歌い始めた。意外にも、張りのある声で歌もうまかった。久高島で毎日、フカマヌルを相手に恋の歌を歌っていたのかもしれない。その姿を想像したら、吹き出してしまう程におかしかった。 十月九日、祖父が倒れたとの知らせが届いた。突然の事なので、サハチは驚いた。祖父はすでに七十を過ぎているが、相変わらず元気だった。倒れるなんて考えてもいなかった。 サハチはすぐに佐敷に向かった。祖父の隠居屋敷がある辺りは、家々がかなり建ち並び、『 ササが縁側で泣いていた。サハチが近づくと顔を上げて、「お爺様が逝っちゃうわ」と言った。 サハチは慌てて屋敷に上がった。馬天ヌルに教えられて、祖父が寝ている部屋に入った。祖母が枕元に座っていた。サハチが祖母の隣りに座ると祖父は目を開けた。 「サハチか‥‥‥」と祖父は弱々しい声で言った。 「お爺」とサハチは言った。 言いたい事がいっぱいあったはずなのに、言葉にならなかった。 「大丈夫じゃ」と祖父は言って、微かに笑うと目を閉じた。 馬天ヌルに言われて、サハチはウニタキと会い、父を呼ぶように頼んだ。馬天ヌルは目を潤ませて、寿命だから仕方がないと言って首を振った。せめて、父がキラマ(慶良間)の島から来るまで、逝かないでくれと祈った。 その夜、親戚の者たちが集まって来た。サハチも島添大里に帰らずに祖父の屋敷に泊まった。 祖父は時々、苦しそうに咳き込みながらも、父が来るまで、必死になって生き延びようとしているようだった。クマヌが薬草で作った薬を飲むだけで、何かを食べる事もできなかった。 隣りの部屋で祖父を見守りながら、叔父のウミンターが、「サミガー サハチはウミンターを見た。目が真っ赤だった。 「親父が隠居して、わしが跡を継いだ時、親父は『サミガー大主』の名も継げと言ったんじゃが、わしは断ったんじゃよ。まだ、わしはその名を継げんと言ってな。親父は、そうかと言っただけじゃったが、今になって思えば、わしに継いでもらいたかったのかもしれん」 サハチはウミンターの顔を見ているだけで、何も言わなかった。しみじみと叔父の顔を見ていると若かった頃のお爺とよく似ている事に気づいた。 「ウミンチュ(漁師)たちにとって『サミガー大主』というのは、尊敬すべき海の男の名前なんじゃ。わしは二代目になって、その名を ウミンターは静かに泣いていた。海が好きだった叔父は、当然のように祖父の跡を継いだ。何の問題もなかったと思っていたが、祖父の跡を継ぐというのは簡単な事ではないという事をサハチは初めて知った。若い頃に勝連に行った時、ウミンチュに『サミガー大主』の名を言ったら、サハチは大歓迎された。勝連だけでなく、『サミガー大主』を慕っているウミンチュは各地にいるのかもしれなかった。 佐敷ヌルは祖父にお腹の赤ん坊の事を話していた。祖父は嬉しそうに笑ったという。 『よろずや』の主人のキラマも、 サハチも昔の事を色々と思い出していた。子供の頃、妹のマシュー(佐敷ヌル)と一緒に祖父の 二十一歳の時に馬天浜に来てから隠居するまでの四十年間、祖父は鮫皮を作り続けてきた。四十年といえば長い歳月だった。祖父が馬天浜に来た時、 隠居してからも、のんびりする事なく、八年間も旅を続けて、若い者たちを集めてくれた。旅をしていた時の祖父は楽しそうだった。思う存分、旅ができて思い残す事はないと言っていた。 ウニタキに頼んだ日から五日後、父がようやく現れた。 父が枕元に座ると、祖父は嬉しそうに笑った。 「お前たちのお陰で、楽しい一生じゃった。ありがとう」 「親父、何を言っておる。まだ、途中じゃ。最後まで見届けてくれ」 父の言葉に祖父は微かにうなづいた。 「戦のない世の中を作ってくれよ」 それが祖父の最期の言葉だった。祖父は目を閉じると再び、目覚める事はなかった。 父は祖父のごつい手を握りしめて泣いていた。 サハチも涙を止める事はできなかった。 ウミンターは声を上げて泣いていた。 次の日の 何事かと行ってみると、数え切れない程の小舟が帆を上げて、浜に向かって来ていた。その数は何百という程、物凄い数だった。祖父の死を知って集まって来たウミンチュたちだった。 「こいつは大変だ!」とウミンターが叫んで、自分の屋敷に走って行った。 「凄いのう」と父が小舟に埋まった海を眺めながら言った。 「噂を聞いただけで、これだけのウミンチュが集まって来る。もし、親父が一声掛けたら、きっと、琉球中のウミンチュが集まったかもしれんぞ」 サハチは祖父の偉大さを改めて思い知った。亡くなった祖父の事が噂になって、こんなにもウミンチュが集まって来るなんて、とても信じられなかった。 ウミンターは女たちを集め、集まって来たウミンチュたちのために炊き出しを始めた。酒も用意された。馬天浜から祖父の屋敷までの道順もわかりやすいように、道々に矢印を書いた立て札も設置した。 新里の屋敷の方でも大忙しだった。途切れる事なく続く 禅僧のソウゲン(宗玄)が声を嗄らしてお経をあげていた。 その夜、馬天浜はサミガー大主を偲ぶウミンチュたちで溢れていた。ウミンターの離れに入りきらない者たちは、浜辺で焚火を囲んで、サミガー大主の事を語り合っていた。 弔問客もいなくなった祖父の屋敷では、みんながぐったりと疲れ切っていた。 「懐かしい人たちがみんな、いらしてくれましたわ」と祖母は目を潤ませて言った。 「あの人もきっと喜んでいる事でしょう。わたし、あの人に内緒にしていたのですけど、馬天浜にお嫁に来たのは、わたしの意思だったのですよ。わたし、十六歳の時の 祖母はそう言うと両手を合わせた。 祖母の話を聞いて、皆が涙を流していた。 「お母さん、ありがとう」と馬天ヌルが涙を拭きながら言った。 「お婆、ありがとう」とサハチも感謝した。 お爺がお婆に一目惚れして、お婆もお爺に一目惚れした。ここに集まっている子供たち、孫たち、ひ孫たちは、その時から始まったのだった。大グスクのお姫様だったお婆が、ウミンチュのお爺のもとに嫁いで来なかったら、今はなかった。サハチは祖父と祖母に心から感謝していた。 しんみりとした場を和ませようと馬天ヌルが、「それにしても、凄かったわねえ。お父さんたら、亡くなっても、あたしたちをこき使ったわ」と言って、皆を笑わせた。 「お爺様って凄い人だったのですねえ」とササが感心しながら言った。 ササが生まれた時、祖父は隠居して、ずっと旅に出ていた。ササにとって、祖父は旅をしているお坊さんだった。 次の日、馬天ヌルと佐敷ヌルの葬送の儀式のあと、 葬儀が済むとウミンチュたちも引き上げて行った。 父は後片付けを手伝い、次の日、キラマの島に戻って行った。 佐敷ヌルの妊娠を知らせると、「何じゃと!」と父は怖い顔をして怒鳴った。 馬天ヌルの時の反応と違うので、サハチは驚いた。 「相手は誰じゃ?」と父は怒ったような顔をして聞いた。 「サイムンタルー(早田左衛門太郎)殿の弟のシンゴ(新五郎)です」 「あいつか‥‥‥」と言ったあと、父は黙り込んでしまった。 サハチは佐敷ヌルから聞いたシンゴとの出会いの事を話した。 「お前は知らなかったんじゃな?」 「ええ、馬天ヌルの叔母さんと一緒にマシューを問い詰めて、初めて知ったのです」 「そうか‥‥‥マシューは今、いくつになったんじゃ?」 「俺より二つ下ですから二十九です」 「マシューが、もう二十九にもなったのか‥‥‥もう大人じゃ。祝福してやれ」 「マシューに直接言ってやって下さい。親父の事を気にしているようですから」 父はわかったというようにうなづいた。 父が帰るとサハチとマチルギも子供たちを連れて島添大里グスクに帰った。 葬儀が終わったあと、ウミンターは、『サミガー大主』の名を継ぐと言っていた。偉大な親父に負けないように、必死になって頑張ると言っていた。 祖父の死から二ヶ月後、佐敷ヌルは女の子を産んだ。シンゴの母親の名前をもらって、マユ(繭)と名付けられた。 先代のフカマヌルも馬天ヌルも佐敷ヌルも、マレビト神と結ばれて、跡継ぎになるべき女の子を産んでいるのが不思議だった。 |
馬天浜