奥間のサタルー
十二月の半ば、サハチはヤキチに呼ばれた。 ヤキチはサハチの重臣として 日が暮れているので、作業場には誰もいなかった。ヤキチは作業場の奥にある部屋で、火鉢にあたりながら一人で待っていた。 「寒いな」と言いながら、サハチは部屋に上がると火鉢のそばに座った。 「何かあったのか」とサハチが聞くと、 「実は、サタルー(佐太郎)様の事なんです」とヤキチは小声で言った。 「サタルーがどうかしたのか」とサハチも小声で聞いた。 サタルーは長男のサグルー(佐五郎)よりも確か、三つ年上だった。今、十七のはずだった。何か、あったのだろうかとサハチは心配しながらヤキチを見た。 「来年の正月、長老の娘と婚礼を挙げて、正式に跡継ぎとなられます」 「ええっ、サタルーが長老の跡継ぎ? 長老殿には息子がいないのか」 「いえ、いらっしゃいます。 「どうして、その息子が跡を継がないのだ?」 「神様のお告げで、そのように決まったのでございます」 「長老の息子も承知の上での事なのだな?」 「さようでございます」 「そうか。サタルーが跡継ぎか‥‥‥」 「それで、是非、 「ヤザイム殿だな?」 「はい」 「正月のいつだ?」 「六日でございます」 「 「ありがとうございます。その時は、わしもお供をいたします」 「頼むぞ」 ヤキチと別れて、冬の月を見上げながら、サハチはマチルギに、サタルーの事を白状しようかどうか迷っていた。白状すれば、怒り出すに決まっている。また、追い出されるかもしれなかった。それでも、いつかはばれてしまうだろう。今、ヤキチから初めて聞いたという事にして、話してしまおうと思っていた。 グスクの屋敷に帰るとマチルギはマシュー(真塩)を抱いていた。その姿を見て、 「ヤキチと会って来た」とサハチはマチルギの隣りに座って、マシューの顔を覗き込んだ。 マシューが嬉しそうな顔をして笑った。 「ヤキチさんに何かあったの?」 「奥間で、長老の跡継ぎの婚礼があるから、出てほしいって頼まれた」 「奥間って遠いんでしょ?」 「ああ、 「行くつもりなの?」 「これから先、 「浦添を倒したら、今帰仁を倒すのね?」とマチルギは真剣な顔付きで聞いた。 サハチはうなづいた。 「勿論、倒す。お前の マチルギはうなづいて、「今帰仁を倒すためなら、行くべきよ」と言った。 「 「奥間の人たちって、中山王とのつながりがあったの?」 「先代の中山王のお 「どうして、叔母さんが、ヒューガさんにそんな事を頼んだの?」 「奥間のヌルに頼まれたのかもしれないし、叔母さんなりに、奥間の人たちを助けなければならないと思ったのかもしれない」 「そうか。叔母さんのやる事はよくわからない所もあるけど、あとで考えると正しかったっていうのがあるものね。何かひらめいたのね、きっと」 「鉄の事も正式に取り引きしようと思っている。シンゴ(早田新五郎)に頼んで、ヤマトゥ(日本)から鉄を持って来てもらって、奥間に持って行き、それで、武器や農具を作ってもらえばいいと思っているんだ」 「シンゴさんも毎年来るんだから、それがいいかもしれないわね」 サハチはマチルギから、奥間行きの許可を得る事はできたが、結局、サタルーの事は話す事ができなかった。 年の暮れに帰って来た父に、サタルーの事を話すと、「奥間は 「充分にわかっています」とサハチは答えた。 父はサハチの顔を見てうなづくと、「浦添グスクを落とすのは思っていた以上に難しい」と言った。 「キラマ(慶良間)の島で色々と考えてみたんじゃが、ただ、兵力があれば落とせるといった生易しい事ではない。 父は言葉を止めて、島から持って来た絵地図を広げた。島添大里グスク攻めに使った南部の地図ではなく、浦添を中心にして、南部すべてと北は山田グスクまで描いてあった。 「まず、中山王と 「南部はタブチ(八重瀬按司)に動いてもらって、シタルーの動きを止めましょう。中部は北谷が使えるかもしれません」 「北谷に何かあるのか」 「ウニタキが調べた所によると、北谷の若按司の妻は殺された 「成程、それは使えそうじゃな」 「北谷按司の娘は中グスクと越来に嫁いでいます。中グスクと越来を巻き込んで、北谷と勝連を争わせる事はできると思います」 「そうか。問題は時期じゃな。南部と中部の争いが同時に起これば、その隙に浦添を落とせる」 サハチは絵地図を見ながらうなづき、顔を上げると、「ファイチ(懐機)が 「ファイチが何かをやっているのか」 「あそこの支配者であるアランポー(亜蘭匏)という男を倒すそうです」 「ほう。ファイチがそんな事を始めたのか。確かに、久米村も味方にしなくてはならんな。 「まずは奥間に行って協力を頼み、ヤキチの配下を増やしてもらう事ですね」 「そうじゃな。情報網を広げなくては動きが取れんからな」 「親父も一緒に行きますか」 「奥間か‥‥‥わしが行けば長老も喜んでくれるじゃろうが、お前の影が薄くなってしまう。お前の倅の婚礼なんじゃから、お前が行くべきじゃよ。わしはそのあと、挨拶に行ってくる」 年が明けて、正月の儀式を無事に済ませ、サハチは四日の早朝、ヤキチと一緒に馬に乗って奥間へと向かった。 奇妙な天気だった。北の空は真っ暗で、雨に降られそうだと心配したが、結局、雨には降られなかった。まるで、雨雲が逃げて行ってくれているかのようだった。ついさっきまで、大雨が降っていたように辺り一面が濡れているのだが、不思議な事に、サハチたちが濡れる事はなかった。伊波を過ぎ、 サハチはいつもの旅の格好で、刀は持っていない。棒を杖代わりにして山道を歩いた。向こうで着替える正装はヤキチが背負っていた。サハチは自分で持つと言うのに、ヤキチは聞かなかった。山を越えて西海岸に出て、海岸沿いに北上した。 山道を歩いたり海岸沿いを歩いたりの繰り返しだが、今帰仁合戦の時に大勢の兵が通ったお陰か、以前に来た時よりも歩きやすくなっているように思えた。日が暮れる前に、何とか 前回に来た時にお世話になった木地屋の親方、ユシチ(与七)の屋敷に泊めてもらった。ユシチはサハチが来るのを待っていて、次の日は一緒に奥間に向かった。 塩屋湾まで行くと奥間の者たちが迎えに来ていた。用意してくれた 村の入り口辺りで、サハチは何者かに襲撃された。 敵は空から落ちて来て、サハチに鋭い一撃を加えた。 サハチは素早く敵の攻撃を避けると棒を構えた。 敵は刀を構えたままサハチを見つめ、急に笑うと刀を納めた。 「初めまして、サタルーと申します」と若者は言った。 サハチはサタルーを見ながら笑った。 「手荒い歓迎だな」 「俺の攻撃を見事によけたのは、あなたが初めてです。皆、何が起こったのかもわからずに死んで行きます」 「何人も殺したような口振りだな」 「それ程でもありません。無断で村に侵入して来る、よからぬ奴らです」 「そうか‥‥‥しかし、立派に育ったな」 「長老が待っています」と言って、サタルーは背を向けて先頭に立って歩いた。 「知っていたのか」とヤキチに聞くと、「止める事はできませんでした」と言った。 「斬られるようなら、父親の資格はないと申されました」 「そうか。父親の資格か‥‥‥」 ずっと放っておいて、父親の資格なんてなかった。立派な若者に育ててくれた奥間の人たちに感謝するばかりだった。 十七年振りに来た奥間は、あの時の風景とあまり変わっていないように思えた。長老の屋敷へと続く道には、村人たちが道の脇に並んで、サハチを歓迎してくれた。まるで、戦に勝利して ヤキチが以前、正月には各地に散っていた者たちが皆、帰って来ると言ったのを思い出した。正月に帰って来た者たちが、サタルーの父親を一目見ようと出て来たのだろうか。 長老の屋敷の庭にも大勢の人たちが集まっていた。 サハチは長老になったヤザイム(弥左衛門)に挨拶をして、長老から紹介された村の偉い人たちに挨拶をして、屋敷へと通された。前回、来た時はヌルがいて、サハチたちをじっと見つめていたが、今回、ヌルの姿はなかった。サタルーもヤキチもユシチも、いつの間にか、いなくなっていた。 その日の晩、歓迎の 宴に参加したのは長老と八人の親方たちとサハチの十人だった。 鍛冶屋の親方は長老の長男のヤタルー(弥太郎)が跡を継ぎ、炭焼きの親方と木地屋の親方、ウミンチュ(漁師)の親方が、代が変わっていた。研ぎ師の親方、 当時、十六歳だったサハチは何もわからずに話を聞いていたが、今回は親方たちの言う事も理解でき、サタルーのためにも、できるだけの事はさせてもらうと言った。 サハチは長老に、サタルーを育ててもらったお礼を言い、先程、サタルーが言った事が気になっていたので聞いてみた。 「この村に対して、よからぬ事をする奴らをサタルーが殺したと言っていましたが、あれは本当の事ですか」 「一度、人さらいの一味を倒した事があります」 「人さらいですか」 「奥間は 「そうだったのですか」 「人を殺したのはその時だけですよ。今はそんな馬鹿な真似はしません」 「そうですか」 料理を運んで来た娘たちが宴に加わって、お酌をして回った。長老が言う通り、皆、美人だった。 明日の婚礼が控えているので、宴は早めにお開きとなった。 親方たちが出て行き、娘たちも皆、出て行った。 「ちょっと待っていて下され」と長老に言われ、サハチは一人、取り残された。 倅の婚礼に来て、 しばらくして現れたのは、首に大きなガーラダマ( サハチはその美しい顔に見とれ、鋭い視線から目を離す事ができなかった。何か不思議な力で押さえつけられたかのように、体を動かす事もできなかった。 ヌルはサハチのすぐ前まで来ると座り込んだ。いつまでも見つめ合ったままだった。 「あなたが来るのを、ずっと待っていたのよ」とヌルは言った。 玉のように美しい声だった。まるで、夢の中にでもいるような心地だった。 何かを言おうとしたが、口が動かなかった。 「会いたかったわ」とヌルはサハチを見つめたまま言った。 その深い目に吸い込まれてしまいそうだった。 ヌルに誘われるままに、サハチは長老の屋敷を出て、隣りにある奥間ヌルの屋敷に入った。誘われるままに一緒に酒を飲み、誘われるままに一緒に布団の中に入って、本能の赴くままに奥間ヌルを抱いていた。 サタルーの婚礼は大勢の村人たちに祝福されて、賑やかに行なわれた。長老の娘である花嫁は、サタルーにふさわしい可愛い娘だった。婚礼の儀式を執り行なった奥間ヌルは、昨夜の事など、まるで嘘だったかのように 婚礼のあとの祝いの宴には、奥間ヌルも参加した。そして、当然のようにサハチの隣りに座っていた。その事が前もって決まっていたかのように、長老も親方たちも何も言わなかった。 長老の屋敷での宴が終わっても、村のあちこちで村人たちのお祝いは続いていた。村は夜更けまで、お祭り騒ぎに浮かれていた。宴が終わると、サハチは奥間ヌルと一緒に奥間ヌルの屋敷に帰った。 年齢が離れすぎているとは思ったが、「あなたは先代の娘さんですか」とサハチは聞いてみた。 昨夜はなぜか、一言も話をしていなかった。ただ、ずっと見つめ合っていただけだった。言葉なんて何もいらなかった。 「あたしは先代の孫です」と奥間ヌルは言った。 「先代の子供は男の子でした。その男の子の娘があたしです」 「そうでしたか‥‥‥昨日、あなたはずっと、俺を待っていたと言いましたね。どうしてですか」 「あら、どうしてかしら?」と奥間ヌルは首を傾げた。 「あたしがずっと、あなたを待っていたのは確かよ。でも、どうしてなのかしら? 昔の事だから覚えていないわ」 「先代の奥間ヌルから言われたのではないのですか」 「そうだったかしら? もう、念願はかなったんだし、そんな事はどうでもいいわ」 サハチは奥間ヌルを見た。いい加減な話だと思ったが、奥間ヌルの嬉しそうな顔を見ていると、そんな事はどうでもいいのかもしれないと思えてきて、サハチもその事は忘れた。 「もう少し飲みましょう」と言って、奥間ヌルは酒の用意を始めた。宴の時も、昨夜も、上等の酒だった。奥間はヤマトゥと取り引きをしているのだろうか。 酒を飲みながら、「サタルーが長老の跡継ぎになったのはあなたのお陰ですか」と聞いた。 「サタルーが生まれた時、あたし、神様の声を聞いたの。その頃、あたし、十四歳で、先代のもとでヌルの修行をしていたの。神様の声を聞いたの初めてだったから驚いて、先代に言ったのよ。そしたら、先代は、母親からあの子を取り上げて、長老に預けたの。あの子は母親の事は何も知らないわ。あの子を産むと、すぐに母親は亡くなってしまったと思っているの」 「父親は俺だと言ってあったのですか」 「神様のお告げは、『 「俺が龍? 龍というのはどういう意味なんだ?」 「龍というのは伝説上の動物なの。 「俺が王様なのか?」 「龍の子がサタルーなら、龍はあなたでしょ」 以前、サハチが馬天ヌルを訪ねた時、馬天ヌルの娘のササから龍の彫り物を渡された事があった。あの時は何も考えなかったが、ササも俺が龍だと思っていたのだろうか。 「俺は龍なのか‥‥‥」 「それで、あたしは龍が来るのを待っていたのかもしれないわね」 奥間ヌルはサハチに寄り添いながら、お酌をしてくれた。 サハチはお礼を言って酒を飲むと、「サタルーはかなりの腕だが、武術の師匠はいるのか」と奥間ヌルに聞いた。 「ヒューガさんじゃないかしら。サタルーが九歳の時に初めて会って、その才能を見抜いて教え始めたみたいよ。その後は毎年、やって来て教えていたわ」 「ヒューガ殿だったのか‥‥‥」 「ヒューガさんの娘さんもいたんだけど、お嫁に行ったわ」 「なに、ヒューガ殿の娘がお嫁に行った?」 「正確にはお嫁じゃないわね。村のために、中山王の若按司の側室になったのよ」 「ヒューガ殿の娘が、浦添グスクに行ったのか。村のために側室とはどういう事なんだ?」 「この村を守るためなのよ。美人に生まれた子は村のために、各地の按司に側室として贈られるの」 「そんな事をやっていたのか」 「仕方ないのよ、この村を守り抜くためには。新しい血を入れるとなぜだか、美人が生まれるの。そうして生まれた美人は村のために、力を持っている按司の側室になるのが、昔からの村の決まりなのよ。そうやって、何百年もこの村を守って来たの」 「それで新しい血を求めていたのか‥‥‥」 「あなたの場合も、初めは美人が欲しかったの。でも、龍の子が生まれて、その子に村の事を託す事に決まったのよ」 「サタルーはこの村を救うのか」 「それはあなた次第でしょ」 「わかった」とサハチは奥間ヌルを見つめながら、力強くうなづいた。 「必ず、この村を守る」 次の日、サハチは奥間ヌルに連れられて屋敷を出た。初めて気がついたが、屋敷の隣りに 「『八幡大菩薩』というのは海の神様じゃないのか」とサハチは奥間ヌルに聞いた。 「航海の神様でもあるし、 「そうだったのか」 村の中は静かだった。 「村の人たちはもう、みんな、帰って行ったのか」 「そうみたいね。静かな村に戻ったわ」 奥間村の前には田んぼが広がっていて、その先に、こんもりとした森があった。 砂浜に着くと、奥間ヌルは着物を脱ぎ捨てて裸になった。奥間ヌルの美しい裸体が眩しかった。奥間ヌルは海に向かって走ると、そのまま海の中に入って行った。 奥間ヌルの行動に驚いて、サハチは立ち尽くしていた。冬のこの寒い中、海に入るなんて、頭がおかしくなったのかと思った。それでも、奥間ヌルから手招きされると、サハチは着物を脱ぎ捨てて海の中に入って行った。 不思議と水温は冷たくなかった。空を見上げるといい天気で、日差しも強かった。ここだけ一足早く、夏になったのだろうか。 奥間ヌルは泳ぎが得意だった。まるで、魚のようだった。海の中には綺麗な魚がいっぱいいて、サハチたちを歓迎するかのように近寄ってきた。二人は綺麗な 海から上がると、奥間ヌルは嬉しそうな顔をして、サハチに抱き付いてきた。サハチは奥間ヌルを抱き締めた。 「人に見られたら大変だぞ」とサハチは心配した。 「大丈夫よ」と奥間ヌルは楽しそうに笑った。 「ここはウタキ(御嶽)なの。誰も来ないわ」 「何だって! 俺はウタキの中に入ったのか」 「あなたは入っても大丈夫なの」 「どうして?」 「龍だから」 意味がわからなかった。 「ここはアカマル(赤丸)のウタキって言うの。アカマル様は奥間の御先祖様で、初めて琉球に来た鍛冶屋なのよ」 「それにしたって、ウミンチュが海を通るだろう」 「あたしが サハチは奥間ヌルの顔を見つめてうなづくと、あとは本能にすべてを任せた。 日が暮れるまで、二人は裸で抱き合っていた。不思議と寒さを感じなかった。 翌日、奥間ヌルの屋敷で目を覚ますと奥間ヌルはいなかった。どこに行ったのだろうと思っていると、ヤキチが迎えに来た。 サハチは帰る支度をして、ヤキチと一緒に長老に挨拶に行った。サタルーも出で来た。 「親父」とサタルーはサハチを見つめて言った。 その一言で、サハチは嬉しくなった。 「頑張れよ」とサハチはサタルーに言った。 サタルーは力強くうなづいた。 「俺も頑張るよ」とサハチは言った。 手を振って、サタルーと長老と別れた。奥間ヌルはどこに行ったのか現れなかった。 振り返って村を眺めた。 奥間での出来事は、まるで夢の中の出来事のようだった。 |
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