伊波按司
江洲按司と組んでいた北谷按司は、 北谷按司の次の標的は勝連按司になった次男だったが、望月党がいる限り迂闊な行動に出るわけにはいかなかった。ところが、次男が勝連按司になってから半月後、望月サンルーからの連絡が絶えた。勝連按司もサンルーの隠れ家を聞いていなかったので、調べる事もできなかった。何が起こったのかわからないが、望月党は消えてしまったようだった。不気味な望月党が消えた事を北谷按司は神に感謝した。そして、勝連按司の若按司の妻になっている長女の手引きで、 北谷按司は得意になって、中グスク按司と 勝連の事が様々な噂になって飛び交っていた七月の下旬、久し振りに大きな台風がやって来た。その二日前、佐敷ヌルと馬天ヌルによって、台風の事を知らされたサハチは、領内に警戒態勢を取らせた。 強風は夜明け前から吹き始め、豪雨を伴って、一日中荒れ狂った。一歩も外に出られない状況が続き、雨戸を閉め切って、真っ暗になった屋敷の中に閉じ込められた。 山の上にある 夕方には風も雨も弱まって来た。しかし、まだ、外に出るのは危険だった。夜が明ける頃には風も雨もやんでいた。サハチは家臣たちに命じて、領内の被害状況を調べさせた。 台風一過のいい天気になったその日、全員総出で復旧作業に従事した。島添大里の城下は大丈夫だった。佐敷グスクも、平田グスクも、それ程の被害はなかった。 その夜、ウニタキが島添大里グスクにやって来た。サムレーの格好で来たウニタキは、一階の 「久高島から帰って来たのか」とサハチは言いながら、ウニタキの前に座った。 「台風が来るから、その前に帰れと言われてな。台風の時は城下の屋敷にいたんだ」 「何だ、そうだったのか」 「各地の状況を調べて来た。ここが大した事なかったんで、大丈夫だろうと思ったんだが、大違いだった。あちこちで物凄い被害が出ている」 「そんなにひどいのか」 「まず、 「なに、首里の石垣が崩れたのか‥‥‥」 「多分、 「そうか‥‥‥奪い取る前にわかってよかったな」 「まあ、そうとも言えるな。あれを直すのは容易な事ではないからな」 「すると、完成するのもずれ込むな」 「ああ、かなりひどいからな。今年中に完成させる予定だったようだが、間違いなく来年にずれ込むだろう」 「シタルー(山南王)は手抜きに気づかなかったのか」 「あれだけ大きなグスクだ。すべてに目が届くわけにはいくまい」 「そうか‥‥‥これで、 「中山王は怒り狂うだろう。溝が深まるどころではなく、真っ二つに割れるかもしれんぞ。それと、シタルーの所もかなりの被害が出ている。 「そんなにもひどいのか。 「それは 「そいつはよかった」 「勝連もひどい状況だ。船は流され、海辺の家もやられている。勝連の呪いはまだ解けていなかったようだな」 「北谷はどうなんだ?」 「北谷はそれ程でもないが、中グスクもかなりやられている」 「そうか‥‥‥どこかで 「それでも豊作が続いていたから、按司たちの米倉には米はたっぷりあるはずだ。それを使えば飢饉など起こらんが、出し惜しみする奴もいるからな。どこかで飢える人たちが出るだろう。ヒューガ殿の出番だな」 「飢えた人たちから子供を買い取るのか」 「飢え死にするより増しだろう」 「まあな。とにかく、親父に知らせてくれ。来年になりそうだとな」 「わかっている」 「久高島の娘はどうだった?」 ウニタキは顔を崩して、「可愛かったよ」と嬉しそうに言った。 「今年は俺たちも行けなかった。随分と大きくなっていただろう」 「ああ、驚いたよ。俺の顔を見るなり『お ウニタキの幸せそうな顔を見ながら、サハチは 首里グスクの石垣の崩壊は、中山王の 今年中に完成させて、来年の正月は、首里グスクで盛大に新年を祝おうと武寧は楽しみにしていた。その計画は、手抜き工事のお陰でぶちこわしとなった。余程、腹に据えかねたとみえて、手抜き工事に関係していた者たちは、 明国では、去勢された男たちが シタルーは台風の被害対策に大わらわだった。糸満の港は壊れた船の破片で埋まり、海辺の家々は皆、潰れていた。被災者たちのために炊き出しを行ない、家臣たち総出で、港の復旧と倒壊した家屋の片付けに従事した。 島添大里では九月の半ばには復旧作業も終了して、以前の生活に戻っていた。ようやく、一安心していた頃、 伊波按司が マチルギは突然の事に驚き、言葉も出ないようだった。正月に挨拶に行った時は元気に酒を飲んでいたのに、急に危篤だなんて、サハチにも信じられなかった。 サハチ夫婦、サム夫婦、そして、クマヌも一緒に馬に乗って伊波へと急いだ。 間に合わなかった。着いた時には伊波按司は亡くなっていた。 マチルギは父の 突然の事だったという。朝、いつものように、弓矢の稽古をしていて倒れたらしい。若按司の次男が倒れているのを見つけて、慌てて屋敷に運び入れた。意識はあったが、話をする事はできなかった。何か言いたそうに口を動かすのだが言葉にならず、何を言っているのかわからなかった。そして、 「あまりにも突然すぎたのう」と離れに行って休んでいる時、クマヌが言った。 「まさか、こんなにも早く亡くなってしまうなんて思ってもいなかった」とサハチは顔を上げてクマヌを見た。 「伊波按司と出会ったのはもう三十年近くも前じゃった」 クマヌは目を細めて、外を眺めながら昔を思い出しているようだった。 「あの頃はお互いに若かった。わしが浜辺で海を眺めていたら、馬に乗ったサムレーがやって来たんじゃ。わしの近くで止まると馬から降りて、声を掛けて来た。ヤマトゥから来られたのかとな。それが縁じゃった。ここに呼ばれて一緒に酒を飲み、意気投合して、しばらく、お世話になった。伊波按司は十八の時に、 「必ず、取り戻します」とサハチは、亡くなった伊波按司に誓うように言った。 クマヌはサハチを見つめながら、うなづいた。 「考えてみたら、わしと伊波按司が会わなければ、 「そうですね。マチルギと出会わなければ、どうなっていたのだろう‥‥‥でも、それ以前に、クマヌが琉球に来なかったら、俺の生き方も変わっていたと思いますよ。旅にも出なかっただろうし、今頃はどうなっていたのかわかりませんよ」 「そうか‥‥‥わしも按司様に会わなければ、こんなにも長く、琉球にいなかったかもしれんのう」 「いつの日か、ヤマトゥに帰るつもりなんですか」とサハチは聞いてみた。 クマヌがヤマトゥに帰ってしまうなんて考えてもいなかったが、クマヌもすでに六十歳になっていた。亡くなる前にヤマトゥに帰りたいと思っているのだろうか。 「いや」とクマヌは否定した。 「孫もいるしな。なによりも、按司様が夢をかなえる時を、この目で見たいからのう」 「約束ですよ。俺の夢がかなうまで、そばにいて下さいよ」 マチルギが目を真っ赤に腫らしてやって来た。 「大丈夫か」とサハチはマチルギに言った。 マチルギは無理に笑ってうなづいた。そして、縁側に座ると庭を眺めた。 サハチはマチルギの隣りに行って、何も言わずに庭を眺めた。名前は知らないが、綺麗な白い花が咲いていた。 「正月に来た時、お父さんが言ったの」とマチルギが言った。 「滅多に会えないから、今のうちに言っておくってね。わしは息子たちに『必ず 気を利かせたのか、クマヌの姿はなかった。サハチはマチルギを抱き寄せた。マチルギはサハチの胸の中で、声を殺して泣いていた。 盛大な葬儀が行なわれた。城下の人たちは皆、伊波按司の死を悲しんでいた。越来按司、勝連按司、北谷按司、 葬儀が終わって帰る時、マチルギは姉の伊波ヌルと仲直りしたと嬉しそうに言った。 「馬天ヌルの叔母さんのお陰なのよ」 「叔母さんは伊波ヌルにも会っていたんだな」 「叔母さんがあたしの事を褒めてくれたみたい。お姉さんとはずっと話をしていなくて、久し振りに話をしたわ。女のくせに武芸に励むなんて馬鹿みたいって、ずっと、あたしを馬鹿にしていたの。佐敷にお嫁に行った時も、南部の小さな按司の所に、お嫁に行くなんて、どうかしているって思っていたのよ。でも、叔母さんからあたしの事を聞いて、少し見直してくれたみたい。そして、あたしが島添大里按司の妻になってから、あたしの生き方は正しかったってわかったみたい。お父さんが佐敷に嫁ぐ事を許した意味も、よくわかったって言っていたわ」 「そうか。仲直りできてよかったな」 「お姉さん、張り切って、跡継ぎの若ヌルと安慶名ヌルの教育をしているのよ」 「葬儀の時、伊波ヌルを手伝っていた二人の娘だな。若ヌルというのは姉さんの娘なのか」 「いいえ。お姉さんにはマレビト神は現れなかったみたい。チューマチ(千代松)兄さんの娘よ。小さい頃からシジ(霊力)が強い娘なんだって。今、十三だけど、立派なヌルに育てるって言っていたわ」 「そうか」 「それと、トゥク(徳)兄さん(山田按司)から聞いたんだけど、次男のマウシ(真牛)は本当に先代の生まれ変わりのようだって言っていたわ。毎日、山の中を走り回って、剣術のお稽古に励んでいるそうよ」 「うちの次男と同い年だったな。ジルムイも負けてはおれんな」 サムは兄たちと相談して、正式にサハチの家臣になる事に決めていた。いつまでも、中途半端な 葬儀から帰った次の日、ウニタキから呼ばれた。城下の『まるずや』の裏の屋敷に行くと、ウニタキの姿はなかった。 「おい、ここだ」と上から声がした。 屋根の上を見上げると、ウニタキがいた。 「そんな所で何をやってるんだ?」 「雨漏りがするらしい。台風の時は大丈夫だったのに、おかしいと思って調べているんだ」 「そんなの屋根屋にやらせればいいだろう」 「そう思ったんだが、腕のいい職人はみんな、首里に行っているらしい」 「なに、ここの職人も首里に行っているのか」 「銭払いがいいらしいぞ」 「余程、急いでいるようだな。今年中に仕上げるつもりなのか」 「それは無理だろう」と言って、ウニタキの姿は消えた。 しばらくして、裏から現れた。 「直ったのか」とサハチが聞くと、ウニタキは首を振った。 「駄目だ。わからん。伊波はどうだった?」 サハチは首を振った。 「間に合わなかった」 「そうだったのか‥‥‥亡くなるには、まだ早すぎたな」 「六十二だった」 ウニタキは何も言わなかった。 「何かあったのか」とサハチは聞いた。 「 「 「そうた。タブチとしては、もっと早くしたかったんだろうが、娘の 「婚礼はいつなんだ?」 「正月の半ばだ」 「首里のグスクが完成するのもその辺りか」 「多分な」 「上間グスクなんだが、今、誰がいるんだ?」 「上間按司の弟だよ。大工だった弟が、糸数攻めの活躍で中山王の家臣となって、そこを守っている。まだ、按司にはなっていないようだ。 「兵力は?」 「五十といった所だろう」 「そうか。首里を攻めるのに邪魔だな。できれば、首里を攻める前に潰しておきたい」 「誰かが攻めて来るなんて思っていないだろうから、それほど厳重な守りではない。すぐに落とせるだろう」 「ただ、敵を逃がすと中山王に知られるからな。殺すか、捕まえるかしなくてはならない。いや、上間按司の弟を殺すのは、あとの事を考えるとうまくないな」 「大丈夫だろう。何とかなる」 「それで、タブチだが、婚礼が終わった後、山南王を攻めるつもりなのか」 「多分、そうだろう。中山王としても、石垣の失態があったからな、グスクが完成すれば、シタルーには用はない。早いうちに片付けるはずだ」 「すると、引っ越しはどうなる? 戦が終わった後になるのか」 「簡単にけりが付くと思っているのかもしれんな」 「タブチは 「シタルーは首里のグスクを作るために留守にする事が多い。山南王ともあろう者が、中山王のために、あれ程までやる必要はないと思っている重臣がかなりいる。密かに、タブチと手を組んだ奴がいたとしても不思議はないな。それと、ヌルも怪しいぞ」 「島尻大里のヌルが怪しいのか」 「今の島尻大里ヌルは、ここにいたシタルーの妹だ」 「馬天ヌルが許したヌルだな」 「そうだ。しかし、島尻大里には、それ以前からヌルがいる。先代は二年前に亡くなったが、無理やり隠居させられ、若ヌルは 「内通者がいれば、島尻大里グスクはすぐに落ちるな」 「シタルーも馬鹿じゃないからな。タブチの思い通りにはならないだろう。ただ、兵糧が問題だな。台風の炊き出しで、かなり消費しているはずだ。一月分あるかどうかといった所だろう」 「一月か‥‥‥一月、足止めできれば充分だろう。ところで、勝連はどうする?」 「どうするとは?」とウニタキは怪訝な顔をしてサハチを見た。 「お前の兄貴がいたから、勝連グスクを攻め落とすつもりだったが、兄貴は二人とも死んだ。按司になったのはお前の弟だろう」 「弟と言っても、俺はほとんど知らんのだ。奴は長兄と次兄と同じように正妻の倅だから一の曲輪の屋敷で育った。親父が亡くなった時は九歳だった。俺が殺された時は十四で、まだ、一の曲輪で暮らしていた。その後、何をしていたのかは知らんが、奴はどうしようもない長兄を見ながら育ったのだろう。そんな奴が按司になったら、いつかは滅ぼされる。早いうちに滅ぼした方がいい」 「そうか。お前が勝連按司になるか」 「いや、俺にはまだやる事があるからな。按司にはならんよ」 「家族の敵は討ったのに、まだやる事があるのか」 ウニタキはニヤニヤして、「お前の夢を見届けなくてはなるまい。腰を落ち着けるには、まだ早すぎる」と言った。 「最後まで、付き合ってくれるのか」 「そのために『 「ありがとう。そうしてもらえると助かる」 「礼を言うのは、成し遂げてからでいい」 サハチはウニタキの顔を見ながら笑った。 坊主頭の髪が伸びていた。望月党が消えたので、ようやく、髪を伸ばす事にしたようだった。 |
島添大里グスク
伊波グスク