沖縄の酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲







タブチの野望とシタルーの誤算




 年末年始をヒューガ(三好日向)は、久し振りに馬天(ばてぃん)ヌルと娘のササと一緒に過ごしていた。前回、一緒に過ごしたのは四年前の正月だった。(うふ)グスクを攻めていた時で、サハチ(当時は佐敷按司)に言われて、サハチの父(前佐敷按司)と一緒に佐敷に帰り、一晩だけだが一緒に過ごしていた。

 ササはその時、十二歳だった。ササが三歳の時、ヒューガは山賊になるために佐敷を離れた。十二歳になるまで一度も会っていなかった。ヒューガはササが自分の事など覚えていないだろうと思っていた。しかし、ササはごく自然にヒューガを父親だと認めてくれた。夢の中で、お父さんとは何度も会っていたという。

 ササはヒューガがいつも船に乗っていて、時々、キラマ(慶良間)の島に行く事を知っていた。馬天ヌルが教えたのかと思ったが、馬天ヌルは教えていないと言った。お父さんはお船に乗って遠くに行っていると言ってあるだけだという。今回もヒューガが帰って来るのを知っていて、酒と料理の用意をして待っていた。馬天ヌルには信じられなかったが、ササに言われるままにヒューガの好きな料理を作ったらしい。

 まったく不思議な娘だった。ササも十六歳になり、母親似の美しい娘になっていた。母親の跡を継いでヌルになるので、お嫁に出す心配がないのはヒューガにとって嬉しい事だった。

 ヒューガは家族水入らずの楽しい日々を過ごして、五日になるとキラマの島から若者たちの移動を開始した。

 まだ(いくさ)が始まるのかどうか確実ではないが、中山王(ちゅうざんおう)首里(すい)グスクに移る前に、首里グスクを奪わなければならなかった。もし、八重瀬按司(えーじあじ)のタブチが動かなかった場合は、中山王の武寧(ぶねい)山南王(さんなんおう)のシタルーを相手に戦う事になるかもしれない。武寧はシタルーを憎んでいても、シタルーにはそんなそぶりはない。首里グスクが奪われれば、武寧のために兵を出すかもしれない。また、シタルーも首里グスクを狙っているので、横取りすれば攻めて来るに違いなかった。最悪の場合は全滅の危機もありえるが、周りの状況を見ながらやるしかなかった。

 馬天ヌルと佐敷ヌルに伺いを立てると、二人とも「大丈夫よ」と言ってくれた。

 今、キラマの島には九百人の若者たちがいるという。五十人づつ運んでも十八往復しなければならず、大変な事だった。二月になると海が荒れるので、その前に、なるべく多くの若者を運びたかった。

 浮島(那覇)で船を降りた若者たちは、首里に行く人足(にんそく)に扮して与那原(ゆなばる)に向かい、運玉森(うんたまむい)の『マジムン屋敷』に待機させた。運玉森は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクと首里グスクを結ぶ重要な拠点なので、サハチ(島添大里按司)はいつの日か、グスクを築こうと思っている。立ち入り禁止にして、怪しまれないように、若者たちには人足姿のまま整地作業をしてもらうつもりだった。

 父はキラマの島へは帰らずに、佐敷グスクに行ったり、平田グスクに行ったりして孫たちと遊んでいた。孫は二十三人もいた。サハチの子が十人、マサンルーの子が五人、ヤグルーの子が四人、マタルーの子が三人、クルーの子が一人いた。二十三人もいるので、名前を間違えては孫たちに注意されていた。孫たちに怒られるのも嬉しいらしく、父は幸せそうだった。時には『東行庵(とうぎょうあん)』に籠もって、仏様を彫ったりして、のんびり過ごしていた。

 正月の半ば、八重瀬と浦添(うらしい)の婚礼があり、南部の按司たちは八重瀬グスクに集まった。タブチの六女のミカ(美加)が武寧の四男のシナムイ(砂思)に嫁いで行った。

 タブチは目に涙を溜めて、寂しそうな顔をして花嫁のミカを見送った。ミカは十五歳になったばかりの可憐な乙女だった。本来ならもう一年、手元に置いておいてもいい年齢なのに、自分の野望のために犠牲になった娘を見送りながら、その時だけは父親として悲しんでいるようだった。

 八重瀬には山南王のシタルーも勿論、来ていた。兄のタブチと何のわだかまりもないような態度で接していた。四年前の事など、すっかり忘れたようだった。シタルーはタブチのたくらみに気づかないのだろうか。それとも、気づいていない振りをしながら、タブチが動くよりも先に首里グスクを奪おうとしているのか、シタルーの顔付きから判断する事はできなかった。

 糸数按司(いちかじあじ)(上間按司)も何を考えているのかわからない男だった。タブチとくっついていると思ったら、シタルーの機嫌を取ったり、米須按司(くみしあじ)瀬長按司(しながあじ)の機嫌も取っていた。察度(さとぅ)(先代中山王)の末娘の婿である糸数按司にとって、シタルーも米須按司も瀬長按司も義兄だった。勿論、中山王の武寧も義兄だった。

 武寧の次男の(かに)グスク按司(ンマムイ)は落ち着きのない男だった。少し抜けているのか、とぼけた顔をしてフラフラしている。武寧がシタルーに押しつけたわけがわかったような気がした。

 小禄按司(うるくあじ)は不気味だった。面影が父親の宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)によく似ていて、口数は少なく、ぎょろっとした目で按司たちを眺めている。シタルーに付くのか、タブチに付くのか、まったくわからなかった。

 花嫁を見送ったあと、お祝いの(うたげ)があった。宴の最中、サハチは別室に呼ばれてタブチと会った。大きな火鉢を挟んで向かい合って座った。タブチと二人だけで会うのは初めてだった。先程の悲しそうな顔は嘘だったかのように、ふてぶてしい武将面に戻っていた。

「マカミーは元気でやっておるかね?」とタブチはわざと穏やかな顔をして聞いた。

「はい」とサハチはうなづき、「子供も三人できました。男の子が二人と女の子が一人です。マタルーと仲良くやっております」と答えた。

「そういえば、マタルーはヤマトゥ(日本)に行って来たそうじゃのう。与那原と馬天と、いい港を持っている、そなたが羨ましいわ。シタルーともうまく取り引きをしているようじゃな。いや、別にそなたを責めているのではない。実はな、折り入って頼みがあるんじゃよ。そなたはシタルーと二重の婚姻で結ばれている。もし、わしとシタルーが争った場合、どちらに付くつもりなのか、教えてくれんか」

「えっ、また、兄弟で争うのですか」とサハチは驚いた振りをした。

「このグスクと島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを比べてみたら一目瞭然(いちもくりょうぜん)じゃろう。どうして、わしがこんな所で我慢していなくてはならんのじゃ。弟が山南王になって、わしはずっと八重瀬按司のままじゃ。そなたもよく考えてみてくれ。もし、マタルーが島添大里按司になって、そなたが佐敷按司のままじゃったら、どう思うかね。兄が弟の上に立つのは当然の事じゃろう。ここだけの話じゃが、今度こそは、わしの方に勝算がある。中山王もわしの味方じゃ」

「ええっ?」とサハチは驚き、「中山王と山南王の仲のよい事は誰でも知っております」と言った。

 タブチは不敵な笑みを浮かべた。

「それは表向きの事じゃよ。中山王はシタルーを煙たく思っているんじゃ。頭がいいと思って、何にでもしゃしゃり出る。中山王はシタルーの存在をうっとうしいと思っているんじゃ。首里のグスクが完成すれば、シタルーには用がないと言っている。前回の戦の時、シタルーの味方をしたのは、首里のグスクを造るためだったんじゃよ。明国(みんこく)(中国)の宮殿を模したグスクを造るには、シタルーの協力が必要じゃった。それで、シタルーの味方をして山南王にした。用の済んだシタルーは滅ぼされ、今度はわしが山南王になる番じゃ。わしはずっと、この日が来るのを待っていたんじゃよ」

 サハチは信じられないといった顔をして、タブチを見ていた。

「心配はいらん」とタブチは笑った。

「わしが山南王になっても、そなたとの取り引きは続けるつもりじゃ。そなたには損はさせんよ」

 サハチはあまりの驚きで声も出ないという振りをしていた。しばらくして、「豊見(とぅゆみ)グスクはどうなるのですか。あそこには嫁いだ妹がおります」と青ざめた顔をして聞いた。

「豊見グスク按司は、シタルーの長男じゃからな、生かしてはおけん。ただ、そなたの妹は助けられるじゃろう。東方(あがりかた)の按司たちは皆、わしと同盟しているから、シタルーを攻めるじゃろう。米須按司、瀬長按司、小禄按司、兼グスク按司も、中山王が出て来ればシタルーを攻めるはずじゃ。島尻大里と豊見グスク以外は皆、わしの味方なんじゃよ。そなたがシタルーに付けば、島添大里グスクは前回と同じように敵に包囲されるじゃろう。せっかく、島添大里按司になれたんじゃ、勝ち目のない戦はするべきではない」

「わかりました。八重瀬殿に従います」とサハチは震えながら答えた。

 タブチは満足そうにうなづくと、「わざわざ呼んですまなかった。祝いの宴に戻ろう」と言って立ち上がった。

 八重瀬グスクには、お客を宿泊させる施設はないので、夕方には宴もお開きとなり、それぞれ帰って行った。

 帰る時にシタルーに声を掛けられ、タブチと何を話していたのか聞かれた。佐敷に嫁いだ娘の事を色々と聞かれたとサハチは答えた。

「そうか‥‥‥」とシタルーは言って、クルーに嫁いだウミトゥクの事を色々と聞いてきた。サハチも豊見グスク按司(タルムイ)に嫁いだマチルーの事を聞いた。

 次の日の午後、ウニタキ(三星大親)から浦添の状況を知らされた。ナーサが仲間になったので、浦添グスクの様子は筒抜けになっていた。

 婚礼の時、中部の按司たちは皆、浦添に集まって、八重瀬からの花嫁を迎えた。按司たちの話題は首里グスクの事ばかりで、普請(ふしん)の総奉行だった山南王の事をしきりに褒めていたという。これから戦が始まるような気配はまったくなかったらしい。

「完成の儀式は二月十日だ」とウニタキは火鉢に手をかざしながら言った。

「確かか」

「今月一杯で完成するようだが、十日というのはヌルのお告げで決まったらしい」

「もう一月もないな。タブチはすっかりやる気でいるが、中山王は本当にシタルーを倒すつもりなのか」

「それは倒すだろう。首里グスクの隅から隅まで知っているシタルーを生かしておくのは危険だ。上間按司(うぃーまあじ)に糸数を攻めさせ、タブチを(あお)らせたのも、そのためだ」

「ちょっと待て。上間按司が糸数を攻めたのは、確か、明国からの使者が来る前だぞ。そんなに早くから中山王はシタルーを倒す事を考えていたのか」

「俺も知らなかったんだが、シタルーは山南王になってから、急速に久米村(くみむら)のアランポー(亜蘭匏)に接近したらしい。明国の言葉がしゃべれるシタルーは、アランポーと直接に話をする。中山王は久米村がシタルーと強く結び付く事を恐れたんだ。そんな頃、上間按司から糸数攻めの話を聞かされ、上間按司にタブチに近づくように命じたんだよ」

「という事は、タブチが上間按司を通して中山王を動かしたんじゃなくて、タブチが中山王の思惑通りに動いているという事か」

「そうなるな。タブチよりも中山王の方が一枚も二枚も上手(うわて)だという事だ」

「それで、シタルーとアランポーは仲がいいのか」

「中山王が疑うほど仲はよくないようだな。アランポーはシタルーの才能を恐れている。アランポーとしては久米村は自分の思い通りにしたいと思っているんだ。中山王は明国の言葉がわからないので、久米村の事はアランポーに任せている。ファイチ(懐機)から聞いたんだが、中山王が明国に送っている進貢船(しんくんしん)は、冊封使(さっぷーし)が来るまで、ずっと、中山王察度の名前で使者を送っていたらしい」

「どういう意味だ?」

「察度はまだ生きているという事になっていたんだよ。察度が亡くなったのはもう十年も前だ。本来なら察度の死を明国に知らせて、武寧が中山王になるはずだ。アランポーは察度の死を明国の皇帝に知らせなかったんだ。詳しい事はわからんが、察度が生きているという事にした方が、アランポーの得になったのだろう。多分、その事もシタルーは気づいて、アランポーに文句を言ったのかもしれんな。他にもシタルーは色々な事に口を出しているようだ。アランポーとしてはシタルーは邪魔者だろう。アランポーはもう六十を過ぎているからな、跡継ぎの事を考えると、シタルーの存在は驚異に違いない」

「すると、シタルーを消せとアランポーは武寧に言ったのか」

「そこまではわからんが、アランポーとしてはシタルーが消えた方が安心なのは確かだろう。ただ、今回の戦の主役はタブチだ。武寧としてはタブチに頼まれて、仕方なく動くという立場を取る」

「タブチがシタルーを攻める正当な理由はあるのか」

「長男が跡を継ぐべきだという事だけだな」

「しかし、シタルーは冊封を受けて正式に山南王になってしまったぞ。それだけの理由で按司たちが動くのか」

「タブチの力では按司たちは動かない。中山王の命令で、皆、タブチに付くわけだ」

「すると、中山王は南部にも出陣命令を出すのか」

「糸数按司は勿論の事、弟の米須按司、瀬長按司、従兄(いとこ)の小禄按司、次男の兼グスク按司、そして、倅の嫁の父親である玉グスク按司にも来るだろう」

「玉グスクに来れば東方の按司たちは皆、その命令に従わなくてはならんな」

「勿論だ。微妙なのはシタルーと親しい瀬長按司だけで、あとは皆、シタルーの敵となる」

「シタルーはその事に気づかないのか」

「気づいている様子はないな。今のシタルーは周りの状況まで見る余裕はないようだ。石垣の失態が痛かった。あの失態を埋め合わせするために必死になっていた。首里グスクが完成すれば、その素晴らしさを知って、誰もが自分を賞賛するだろうと思っている。周りの者たちが自分を攻めて来るなんて、夢にも思っていないだろう」

「冊封されて王様になったので、安泰だと思っているのかな」

「シタルーはそう思っている。明国の偉大さを知っているからな、明国に認められれば絶対だと思っている。そこにシタルーの誤算がある。他の按司たちはシタルーが思うほど明国の事を知らない。明国に認められたから王様になるのではなく、実力で島尻大里按司になった者が王様になると思っているんだ」

「考え方の違いか‥‥‥それでも中山王を倒せば、シタルーが滅びる事はあるまい」

「シタルーの危機を救ってやる事になるからな。お前が中山王になったとしても感謝するだろう」

「タブチには恨まれそうだな」

「タブチはそう簡単にはへこたれんよ」

「まだ、懲りずに山南王になるというのか」

「生きている限り、夢は消えんだろう。また、その夢を追わなければ、生きている理由もなくなってしまう」

「夢か‥‥‥タブチの夢は山南王で、シタルーの夢は琉球統一か」

「琉球統一? それはお前の夢だろう?」

「シタルーもそれを考えているような気がするんだ」

「そう言えば、ファイチから前に聞いた事がある。冊封使が、明国の皇帝は琉球が一つの国になる事を願っていると言ったそうだ。シタルーもその事を聞いて、琉球統一を考えているのかもしれんな。おっと、肝心な事を忘れる所だった。『抜け穴』が見つかったんだ」

「何だと! 本当なのか」

 ウニタキはうなづいて、(ふところ)から紙を出して広げた。首里グスクの見取り図だった。

「これは簡単な奴だ。今、もっと詳しいのを作っている」

「よく、『抜け穴』が見つけられたな」

「外から見つけるのは容易な事ではないが、グスク内から見つけるのは、それほど大変ではなかった。穴を掘れば土が出るからな。不審な土がないか、ずっと調べていて、ようやく見つけたんだよ」

「お前が見つけたのか」

「いや、そうじゃない。人足として入っていた配下の者だ」

 ウニタキはここだと言って、見取り図を指で示した。示した所には『キーヌウチ(後の京の内)』と書かれてあった。

「何だ、『キーヌウチ』とは?」

「以前、首里天閣(すいてぃんかく)が建っていた辺りで、ウタキ(御嶽)がいくつもある一画だ」

「やはり、ウタキだったのか」

「大グスクの抜け穴と一緒だ。男が入れない所に作ったわけだ。ウタキの一つにガマ(洞穴)がある。そのガマを掘り進めて外に出られるようにしたようだ」

「どこに出るんだ?」

「グスクの南側の森の中だ。出口もウタキになっている。古くからあるウタキのように作ってある。石の板で塞いで、その上に土を被せてわからないようにしてある」

「そこを通ればグスク内に潜入できるのだな」

「俺も通ってみた。入り口は狭いが、しばらく降りて行くと広いガマ(鍾乳洞)に出る。中はまるで迷路のようになっているが、ちゃんと矢印が書いてある。矢印に従って行くとキーヌウチのウタキに出る。途中に何カ所か掘った跡があって、ウタキのガマを掘り進めて行ったら大きなガマにぶち当たったようだ。森の中の出口をどうやって掘ったのかはわからんが、見事な抜け穴だ」

「ガマの中に兵を待機させておけるのか」

「ああ、百人は待機できそうだな」

「グスクの下にそんなガマがあるのは危険だな」

「グスクを手に入れたら矢印を消して、森の出口を完全に塞がなければならないだろう。ウタキの位置もずらして置いた方がいいな」

「まず、それを一番にしなくてはならんな」

「『キーヌウチ』もかなり広いぞ。木が生い茂っているから隠れる場所もいくらでもある。しかも、男は入れないから兵もいない。そこで待機していて機を見て攻めればいい」

「そうか。シタルーはやはり『抜け穴』を作っていたか。それを見つけたのは凄いお手柄だな。首里グスクはもう手に入ったも同然だ」

 サハチは嬉しそうな顔をして、ウニタキを見た。

「ああ、確実に落とせるよ」とウニタキはニヤッと笑った。

「しかし、ウタキの中に入ってバチが当たらないか」

「それは何とも言えんな。そいつはヌルの領域だ。グスクを奪ってから馬天ヌルに祈ってもらうしかないんじゃないのか」

「そうだな。ヌルたちを総動員して祈ってもらおう。『サスカサの神様』もキラマの島から戻って来るだろうからな」

 サハチがウニタキと別れて、『まるずや』の店を出た時、目の前の大通りを行くヤグルー(平田大親)の姿が目に入った。一緒にいるのはフカマヌルだった。サハチはすぐに声を掛けて、二人を店の中に誘った。

「お前たち、こんな所で何をしているんだ?」とサハチは二人の顔を見ながら聞いた。

「兄貴こそ、どうして、こんな古着屋にいるんです?」とヤグルーが驚いた顔をして聞いて、「これから、グスクに行こうと思っていたんですよ」と言った。

「どうして、フカマヌルが一緒なんだ?」

「年末に誰も帰って来なかったようです。それで、何かあったのかと出て来たようです」

「そうか」とうなづいて、サハチは二人を連れて裏の屋敷に戻った。

 ウニタキはまだ火鉢の所にいた。フカマヌルを見ると驚いて、「どうしたんだ?」と聞いた。

「寂しかったのよ」とフカマヌルは言った。

「娘はどうしたんだ?」

「平田グスクで遊んでいるわ」

「平田にはお前のお母さんのために用意した屋敷があるぞ」とウニタキは言った。

「ええっ?」とフカマヌルは驚いた顔をしてウニタキを見ていた。

 その事はサハチも知らなかった。

「去年、お前の親父に頼まれたんだ」とウニタキはサハチに言った。

「もうすぐ、キラマの島を出るからフカマヌルのお母さんの屋敷を探してくれってな。姪っ子がいる平田の城下がいいって言ったんだ」

「お母さん、久高島(くだかじま)には帰らないつもりだったの?」

「お前が跡継ぎを産んだから安心したようだ。島の事はお前に任せるようだぞ」

「そうなの」

「島にいるのが寂しくなったら、いつでも、その屋敷を使えばいい」

 サハチはフカマヌルを残して、ヤグルーを連れてグスクに戻った。

 正月二十三日、シンゴ(早田新五郎)とクルシ(黒瀬)の船が馬天浜に来た。弟のマサンルー(佐敷大親)と長男のサグルーが無事にヤマトゥ旅から帰って来た。

 小舟(さぶに)から降りて来たサグルーは一回りも大きくなっていた。マサンルーは貫禄が付いて、見るからに倭寇(わこう)の大将といった感じだった。

「行ってきてよかった」とマサンルーは笑いながら言った。

「驚く事ばかりで凄い旅でした」とサグルーは目を輝かせて言った。

「京都まで行ってきました」とマサンルーが言った。

 サハチは驚いた顔でマサンルーを見た。

「なに、京都に行ってきたのか」

「思っていたよりも、博多からかなり遠い所でした」とマサンルーが言うと、「まさしく、ヤマトゥの都でした」とサグルーが言った。

「そうか、京都に行って来たのか。危険な目には遭わなかったのか」

「瀬戸内海という海には海賊が大勢いましたが、決められた取り決めを守れば、無事に通る事ができました。瀬戸内海には島がいっぱいあって、海賊たちが隠れています。取り決めを守らない船は海賊たちに囲まれて、皆殺しに遭うと聞かされました。京都にも『一文字屋(いちもんじや)』の屋敷があって、そこにお世話になりながら、都見物を楽しみました」

「そうか、京都まで行けるようになったのか‥‥‥」

 サハチがヤマトゥに行ったのは二十年近くも前だった。あの時は博多に入るのも大変だった。前回の旅で、サム(伊波大親)とクルーは備前(びぜん)の国(岡山県東南部)に行き、今回、マサンルーとサグルーは京都まで行った。サハチはもう一度、ヤマトゥ旅に出たいと心の底から思っていた。

「今晩、楽しみにしているぞ。旅の話をたっぷりと聞かせてくれ」と二人に言って、サハチはシンゴとクルシに会ってお礼を言った。

「親父が亡くなった」とシンゴが海を見ながら言った。

「えっ、サンルーザ(早田三郎左衛門)殿が‥‥‥」

 サハチには信じられなかった。まだ亡くなる年齢ではないはずだった。

「去年の五月だ。帰った時にはもう亡くなっていたんだ」

「病気だったのか」

「いや、寿命だろう。七十だったからな」

「なに、七十‥‥‥サンルーザ殿はそんな年齢(とし)だったのか」

「サイムンタルー(早田左衛門太郎)の兄貴も朝鮮(チョソン)の許可が下りて帰って来ていた」

「そうか‥‥‥サンルーザ殿が亡くなったのか」

 サハチはサンルーザの船でヤマトゥに行った時の事を思い出していた。サンルーザにはお世話になりっぱなしだった。いつか恩返しをしようと思っていたのに、とうとうできなかった。ヤマトゥから帰る時に、欲しかった長い刀と『三つ巴』の旗と『八幡大菩薩(はちまんだいぽさつ)』の旗をもらったのが最後だった。あのあとサンルーザが琉球に来る事はなかった。

 サハチは北の方に向かって両手を合わせ、サンルーザの冥福を祈った。





八重瀬グスク




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