快進撃
中グスクの城下は朝早くから騒然としていた。信じられない噂が飛び交っていたのだった。 中グスク按司も戦死した‥‥‥ できたばかりの 浦添グスクを攻め落とした大軍が今、中グスクを目指している‥‥‥ どれもこれも、信じられない事ばかりだった。しかも、誰が中山王と中グスク按司を討ったのか、首里グスクと浦添グスクを攻め落としたのは誰なのか、大軍とはどこの兵なのか、それらがまったく、わからなかった。 噂は、中グスクの留守を守っている中グスク按司の叔父、 中グスク按司が兵を率いて浦添に向かったのは、三日前の午後だった。その日は浦添に泊まって、翌日、南部に出陣すると言っていた。出陣してから、まだ二日しか経っていないのに、中山王が戦死して、中グスク按司まで戦死したとは、一体、どういう事なのだ。まったく信じられん。 敵がでまかせの噂を流しているのか‥‥‥ それとも噂は真実で、 山南王は頭が切れるという。中山王の動きを察して、先手を取ったのかもしれん。首里グスクを奪ったのも山南王に違いない。首里グスクの 納得できる結論に達したので、久場大親は一安心した。大軍を率いているのが山南王なら、同盟を結んだ中グスクは安全だった。同盟したいと言ってきたのは山南王だった。山南王は中グスクではなく、 「大変でございます。大軍がこちらに向かって攻めて参ります」と伊集之子は青ざめた顔で、久場大親に報告した。 「大軍じゃと? どこの大軍なんじゃ?」 「わかりません。ただ、三つのガーラダマ( 「三つのガーラダマ?」と久場大親はわけがわからんといった顔付きで伊集之子を見た。 「兵たちも皆、 「兵力は?」 「およそ、七、八百はいるかと‥‥‥」 「七、八百? そんなに兵を持った者が、中山王の他にもいるのか」 「わかりませんが、あと 「それで、 伊集之子は首を振った。 「大軍の事を知らせなければと戻って参りましたので、その事を確認する事はできませんでした」 「もう一度、行って来い。按司様の生死がわからん事には、今後の対策が取れん」 「しかし、ここが大軍に包囲されてしまえば、戻る事ができなくなります」 「それなら、 「奥間の者でも戻れないかもしれません」 「その大軍がここを攻めるとは限らんじゃろう。もし、山南王の兵だったら、ここは素通りして勝連に向かうはずじゃ」 「山南王ですか‥‥‥そうかもしれませんね。あれ程の大軍を動かせるのは山南王しかおりません」 伊集之子はホッと安心したようだった。急に緊張が解けて、口からよだれが流れ落ちたのを慌てて手で拭った。 「中山王の命令で、山南王を倒すために、山南王と同盟したんじゃが、もし、中山王が討たれたのが本当なら、同盟を結んでいる中グスクを山南王が攻める事はあるまい」 伊集之子はうなづくと、安堵の表情で一の 大軍が山南王なら攻めて来ないとは思うが、城下の人たちが騒いでいるので、久場大親は 中グスクは一番高い所に一の曲輪があり、その北東に二の曲輪があり、一の曲輪と二の曲輪の北西に細長い三の曲輪(後の西の曲輪)があった。大御門は三の曲輪の南西側にあって、 城下の人たちは大御門から入って、三の曲輪内に避難した。 それから一時も経たないうちに、中グスクは大御門側も北御門側も大軍に囲まれた。
風もない、いい天気だった。 サハチ(島添大里按司)は八百人の兵を率いて、朝早く、首里グスクから出陣した。狙うのは『中グスク』だった。 奥間のサタルーからの報告で、留守兵は五十人と聞いていた。中グスクに入っている奥間の側室と侍女によって描かれた、詳しいグスク内の見取り図も手に入れていた。大筋の作戦は父(前佐敷按司)が立てた。あとはその場の状況によって、臨機応変にやって行けばよかった。 父も出陣すると言ったが、首里を守って下さいと頼んで置いて来た。父と弟のマサンルー(佐敷大親)、 問題は、マチルギと三人のヌルたちだった。何となく嫌な予感がしていたので、サハチはなるべく顔を合わせないようにしていた。おとなしく首里にいてくれと願ったが、やはり、 「新しく手に入れたグスクは、ちゃんとお清めをしなければならないわ」 「グスクを奪い取ってからでも大丈夫ですよ」とサハチは言ったが、馬天ヌルは首を振った。 「どんな戦になるかわからないけど、殺された敵がマジムン(悪霊)になって暴れる場合もあり得るわ。そうなったら大変よ。雷が落ちてきて、みんな、やられちゃうわ。それに、中グスクヌルも、 駄目ですと言おうと思ったが、言っても無駄な事はわかっていた。 「戦には参加しないで下さいよ」と念を押して、サハチは四人が一緒に来る事を許した。 サハチたちが進軍する前に、サタルーとヤキチ(奥間大親)が奥間の者たちを使って、中グスクの城下に噂を流していた。そして、城下の人たちを 山の上にある中グスクの近くまで来て、サハチは兵を二手に分けた。大御門に向かうのは、サハチ、クマヌ(熊野大親)、ヒューガ(三好日向)、ヤグルー(平田大親)の四人が率いる四百人で、北御門に向かうのは、 中グスクの大御門の前に到着すると、サハチは兵たちを配置につけた。しばらくして、グスクの向こう側から法螺貝の合図が聞こえてきた。北御門も配置についたようだった。こちらからも合図の法螺貝を吹いた。 クマヌが馬に乗ったまま少し進み出た。 中グスクの大御門は 「すでに知っていると思うが、中グスク按司は首里で戦死した」とクマヌはよく通る声で言った。 「中山王も戦死している。無駄な抵抗はやめて降参した方がいい」 グスクからは何の返事もなかった。 しばらくして大御門が開いて、馬に乗った武将が一人出て来た。久場大親だった。 一騎打ちでもするつもりかとサハチは様子を見守った。 久場大親が近づいて来るのに合わせて、クマヌも近づいて行った。馬の頭がぶつかりそうな距離まで近づくとお互いに止まった。 久場大親が刀を抜くかと思われたが、抜く事はなく、「わしらには今の状況が、まったくわからん。そなたたちは何者なんじゃ?」とクマヌに聞いた。 「わしらは 久場大親は整然と並んでいる兵たちの前で、馬に乗っている大将らしき武将を見た。顔に見覚えはなかった。大将の鎧の腹には、伊集之子が言っていた、三つのガーラダマが描かれてあった。そして、大将の両脇には、長い黒髪に鉢巻をした女武者らしいのが四人、馬に乗っていた。その光景が不思議に思え、夢でも見ているような気分だった。 「島添大里按司と言えば、島添大里グスクを奪い取ったという佐敷按司の事か」と久場大親はクマヌに聞いた。 「そうじゃ」 「島添大里按司が、これ程の兵力を持っているのか」 「信じられんじゃろうが、一千の兵力を持っている」 「一千か‥‥‥」 そう言って、久場大親は苦笑した。 「わしの一存では決められん。しばし、猶予をいただきたい」 クマヌはうなづいた。 久場大親もうなづき、馬の首を返して戻ろうとした時、「ちょっと待って」と馬天ヌルが声を掛けた。 馬天ヌルは馬に乗ったまま久場大親に近づくと、「佐敷の馬天ヌルです」と言って、「中グスクヌルと話がしたい」と言った。 久場大親はあっけに取られたような顔をして、武装した馬天ヌルを見ていたが、「伝えよう」と言って去って行った。 馬天ヌルとクマヌも陣地に引き上げた。 しばらく待つと大御門が開いて、中グスクヌルが一人で出て来た。年の頃は三十前後の清らかな美しさを持ったヌルだった。中グスクヌルの登場で、一瞬、その場がシーンと静まりかえったような気がした。 馬天ヌルは馬から下りると、歩いて中グスクヌルに近寄り、懐かしそうに手を取り合って再会を喜んだ。二人のヌルの様子は、ここが戦場だという事を忘れさせた。敵も味方の兵も二人の様子を穏やかな目で見守っていた。話が終わると二人は手を振って別れ、中グスクヌルはグスクに戻り、馬天ヌルはサハチの側に来た。 「説得してみるとは言ったけど、難しいみたい」と馬天ヌルは言った。 「中グスクヌルは中グスク按司の妹で、二人の弟がいるらしいわ。下の弟はまだ十八なので言う事を聞くけど、上の弟は無理だろうと言っていた。それと、戦死した中グスク按司の跡継ぎの若按司は、まだ十六歳なんだけど、父親が戦死した事を信じていないようね。父親が帰って来るまではグスクを守り通すと言っているみたい。可哀想に中グスクヌルは死ぬ覚悟をしているわ」 「そうか‥‥‥」と言って、サハチは高い石垣で囲まれたグスクを見上げた。 それから半時ほどして、久場大親は現れた。中グスクヌルと一緒に説得したが、うまく行かなかったと言った。 「いくら大軍に囲まれていようとも、簡単に落ちるグスクではない。守り通せば、きっと、山南王が助けに来てくれると言って聞かんのじゃ。わしも覚悟を決め申した。一戦、つかまつろう」 久場大親が大御門の中に消えると、サハチは法螺貝を吹くように命じた。こちらが吹くと北御門から返事が来て、お互いに戦闘態勢に入った。 サハチはもう一度、法螺貝を吹くように命じた。 それが合図だった。 やがて、奥間の者たちによって内側から大御門が開けられた。 クマヌが百人の兵を率いて突入した。サハチたちは大御門の両側の石垣の上にいる敵兵を弓矢で攻撃して、クマヌを援護した。 北御門からは美里之子が百人を率いて突入した。 三の曲輪内にいた敵兵を倒すと、避難していた城下の人たちをグスクの外に出して保護した。 二の曲輪と一の曲輪では、クマヌと美里之子の兵が、中グスクの兵たちを片っ端から倒し、留守将の久場大親、中グスク按司の若按司と二人の弟は討ち死にした。久場大親の命令に従って、浦添に向かっていれば助かったのに、伊集之子も討ち死にした。 戦が終わると、サハチは兵たちに命じて、敵兵の死体を片付けさせ、馬天ヌルにグスクの清めを頼んだ。 馬天ヌルは佐敷ヌル、フカマヌル、マチルギを連れて、ウタキ(御嶽)のある曲輪に登って行った。 サハチも一の曲輪に登った。一の曲輪には按司の屋敷が建っていた。思っていたよりも立派な二階建ての屋敷だった。ヤキチの調べによると、中グスク按司は 立派な屋敷以上に、そこからの眺めは最高だった。青い海が見渡せ、右を見れば遠くの方に 屋敷の中に入ると、中グスクヌルが部屋の隅で、うなだれているのが見えた。その部屋には、奥間の者たちに助けられた二人の側室と四人の侍女もいた。 中グスクヌルは自害するつもりでいたが、母親に止められて生きながらえていた。中グスクヌルの母親は奥間から贈られた側室だった。 「お前の父親は中グスク按司だけど、お前は奥間の女なのよ。これからは奥間のために生きなさい」と言われたようだった。 もう一人の側室は、先代の中グスク按司が去年、望月党に殺されたあと、新しい按司のために贈られたという。まだ十八歳の娘で、その娘は、サタルーの婚礼の時、宴に出ていたと言った。 「覚えていないのですね」と娘は恨めしそうな顔をしてサハチを見た。 「いや、覚えているよ」とサハチは言ったが、あの時、宴に出て来た娘は皆、美人だったので、目移りして覚えていなかった。 娘は笑って、「無理しなくてもいいですよ」と言った。 「これからどうするのですか」とサハチはどうでもいい事を聞いた。 「 サハチは慌てて周りを見た。兵たちがクスクス笑っていた。マチルギの姿が見えなかったのでホッとした。 「冗談ですよ」と娘は無邪気に笑った。 「そんな事をしたら、あたし、奥間に帰れなくなってしまいます」 「どうして」と聞こうとしてやめた。奥間ヌルが怖いのだろう。 サハチは意味もなく笑って、その場から離れた。
奪い取った中グスクをクマヌと百人の兵に任せて、次の日、サハチは七百の兵を率いて『 サハチはクマヌに中グスク按司になってもらおうと思っていた。クマヌもすでに六十歳を過ぎている。長年、尽くしてくれた感謝の気持ちを込めて、中グスクに腰を落ち着けてもらおうと思っていた。 昨日と同じように、奥間の者たちに噂を流させ、越来グスクの城下は騒然となった。昨日の噂に、中グスクも全滅して、グスクは奪われたというおまけが付いていた。 越来グスクは小高い丘の上にある石垣で囲まれたグスクだった。サハチは兵を展開させてグスクを包囲した。 ここは祖父の『 すでに城下の人たちはグスクの中に避難していて誰もいなかった。大御門の前に陣を敷いたサハチは、馬上からグスクの石垣を見上げたが、弓矢を構えている敵兵の姿は見えなかった。 「おかしいのう」とヒューガが馬でやって来て言った。 「敵の姿がどこにも見えんぞ」 「逃げたのですかね」とサハチは聞いた。 「この大軍に恐れをなして逃げたのかもしれんが、逆に、何か 「とにかく 「そうじゃな」とヒューガはうなづいた。 サハチは法螺貝を吹くように命じた。 法螺貝が鳴り響き、裏の方からも返事が返って来た。 しばらくすると大御門が開いた。二人の武将が徒歩で出て来た。一人は若く、もう一人は五十年配だった。 「 武装した姿を見た事がなかったのでわからなかったが、その武将はヤキチだった。そして、一緒にいるのはサタルーだった。 サハチは馬に乗ったまま二人に近づいた。 「親父、うまくやったぜ」とサタルーが嬉しそうな顔をして右手を振り上げた。そして、サハチの後ろを見ながら、「 サハチが振り返るとマチルギがいて、嬉しそうに笑っていた。 サハチは唖然としながら、サタルーとマチルギを見ていた。
サタルーとヤキチは噂を流したあと、配下の者をグスク内に潜入させるために城下で待機していた。城下の人たちが大御門の前で大騒ぎしているのに、大御門は閉ざされたまま、いつになっても開かなかった。 様子を探ると、グスクを守ってる兵の姿が見当たらない。グスク内で何かが起こっているに違いないと察したサタルーは、配下の者たちを連れてグスク内に潜入した。石垣の周囲に守備兵は誰もいなかったので、簡単に潜入する事ができた。 グスク内では争いが始まっていた。斬られた兵が、あちこちに転がっている。何があったのかはわからないが、内輪もめをしている事は間違いなかった。サタルーは配下の者たちを全員、グスク内に潜入させて総攻撃に出た。生き残っていた敵は三十人足らずで、簡単に始末する事ができたという。 事の成り行きをすべて見ていた越来ヌルから話を聞くと、反乱を起こしたのは、留守を任されていた 仲宗根大親は先々代の越来按司の長男だった。父親が亡くなった時、十五歳だったが、父親の跡を継ぐ事ができなかった。察度の三男のフシムイ(星思)が新しい越来按司として入って来たのだった。仲宗根大親の父親は察度の武将で、越来攻めの活躍によって越来按司に任命されていた。按司の嫡男だといっても、察度の命令に逆らう事はできず、新しい按司になったフシムイの重臣となって仕えてきた。 去年、フシムイは何者かに殺され、息子の若按司が跡を継いで按司となった。仲宗根大親は心の中ではいつも、按司になるのは自分だと思っていた。中山王が戦死して、越来按司も戦死したという噂を聞いて、もう我慢ができなくなったのだった。 仲宗根大親は自分のたくらみを兵たちに打ち明け、反対する武将とそれに従う兵を殺した。賛同する兵を引き連れて一の曲輪の屋敷を襲撃して、若按司と三人の弟を殺した。 ようやく念願の按司になれると思ったのもつかの間、奥間の者たちに襲撃されて、夢も一瞬のうちに消え果てた。 奥間から贈られた側室は二人とも無事だった。若い側室のお腹は大きくなっていた。 サタルーたちは騒ぎを起こさせないために、敵兵の遺体を隠し、越来の兵になりすまして、騒いでいる城下の人たちをグスク内に避難させ、サハチたちが来るのを待っていたのだった。 越来グスクの屋敷も立派だった。屋敷の中には、 越来グスクは仲宗根大親の反乱とサタルーの活躍によって、あっけなく落城した。
サハチが驚いたサタルーとマチルギの関係を取り持ったのは、やはり、馬天ヌルだった。 サタルーは島添大里の城下でサハチと会ったあと、佐敷に行って馬天ヌルと会っていた。 馬天ヌルが奥間に行った時、サタルーは十四歳だった。その時、サタルーは馬天ヌルから、まだ見ぬ父親、サハチの事を色々と聞いていた。父親の妻であるマチルギの事も聞いていた。サタルーは母親の事を知らなかった。サタルーが生まれるとすぐに亡くなったと聞かされている。マチルギが本当の母親ではないと知りながらも、剣術の達人であるマチルギが本当の母親のような気がして、サタルーの心の中の母親像として成長して行ったのだった。 サタルーは馬天ヌルに、一目でいいからマチルギに会いたいと告げた。馬天ヌルは困った。サタルーの話を聞いて、会わせてやりたいとは思うが、この事は、マチルギには内緒の事だった。マチルギに話せば、サハチが怒るに決まっている。マチルギもサハチを責めるだろう。二人の仲を裂く事にもなりかねなかった。 馬天ヌルはお祈りをして、神様のお告げを待った。神様は何も言ってくれなかった。サタルーの寂しそうな顔を見て、馬天ヌルは決心を固め、会わせる事に決めた。 次の日、馬天ヌルはサタルーを連れて島添大里グスクに行き、佐敷ヌルの屋敷にマチルギを呼んだ。 マチルギはすぐに来た。 「叔母さん、どうしたの?」とマチルギは言って、隣りにいる若者を見た。 マチルギはドキッとした。その若者は若い頃のサハチにそっくりだった。若者はマチルギをじっと見つめながら、目に涙を溜めていた。そして、「 マチルギは表情も変えずに馬天ヌルを見た。 「お師匠、怒らないでね」と馬天ヌルは言った。 「もしかして、奥間の‥‥‥」 「えっ、知っていたの?」と馬天ヌルの方が驚いた。 「あの人が奥間に行く前、奥間の話をしたんだけど、何か隠しているなって感じたのよ。それで、あの人が奥間に行った留守に、マサンルーを捕まえて白状させたの。それで、奥間に息子がいる事を知ったのです。あたしに隠しているなんてと思って、カッとなったけど、マサンルーから奥間村の風習だから、兄貴も断れなかったんだろうって言われて、仕方なかったのねと思ったわ」 「それじゃあ、サハチを許してくれるのね」 「許すも許さないも、あの時、あたしとあの人はただの剣術の好敵手でしかなかったもの。あの時のあたしは、まだ、あの人の事を好きだったなんて気づいてもいなかったわ。あの人と一緒になるなんて、これっぽっちも思っていなかった。そんな頃の事ですもの。あの人を責める事なんてできないわ」 「ありがとう」と馬天ヌルはお礼を言った。 「あたしはあなたがサハチを殺してしまうかもしれないと思って、ひやひやしていたのよ」 「叔母さん、何を言っているんですか。そんな事はしませんよ。あの人はあたしにとって、一番大切な人ですもの」 「ありがとう」と馬天ヌルはもう一度、言って、サタルーの事を話した。 母親を知らないサタルーは、自分がずっと心の中で思い描いたいた母親とマチルギの姿が重なり、感動して涙が溢れてきたと言った。 マチルギはサタルーを見つめて、「あたしでよかったら、あなたの母親になるわ」と言った。 サタルーは涙を流しながら、「母さん!」とマチルギを呼んで、その手を握りしめた。 馬天ヌルから、サタルーとマチルギの出会いを聞いたサハチは、マチルギに両手をついて謝った。 「十一人の子供が十二人になっただけよ」とマチルギは笑った。 「十一人?」 サハチとマチルギの子は十人のはずだった。 「十一人て、もしかして、対馬のユキも入っているのか」 「会った事はないけど、あたしは娘だと思っているわ」 「そうか‥‥‥ありがとう」 「でも、これ以上はもう駄目よ」とマチルギはサハチを睨んだ。 奥間ヌルとの間にできた娘は、絶対に秘密にしておかなければならないとサハチは思った。サタルーにも、きつく口止めしなくてはならないと思っていた。 |
中グスク
越来グスク