沖縄の酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲



ヒューガ(三好日向)の略歴(1355-1406)


1221年   小笠原長経が阿波守護になり大西城(徳島県三好市池田町)を築く。
1267年   三好郡の領主平右馬頭盛隆(平家残党)が謀叛を起し、小笠原長房(長経次男)が征圧する。
褒賞として美馬郡と三好郡に所領が与えられ、阿波岩倉城を拠点とする。
 
    三好孫太郎が阿波守護代になる。  
    三好太郎(孫太郎長男)が小笠原長種(長房嫡男)の娘を妻に迎える。  
    大西城には小笠原長房の次男が入る。  
1276年   小笠原長房、死す。長種が跡を継ぐ。  
1291年   小笠原長種、死す。長義が跡を継ぐ。  
1294年   三好孫太郎、死す。太郎が跡を継ぐ。  
1322年   小笠原義盛(阿波守)、大西城の城主を継ぐ。  
1331年   元弘の変。南北朝の争いが始まる。  
1335年   小笠原長義、死す。頼清が跡を継ぐ。  
1336年   足利尊氏、幕府を開く。阿波に北朝方の細川氏が入って来る。
細川和氏・頼春兄弟が秋月城を築いて守護所とする。
 
1337年 6月 池田の大西城に拠る小笠原阿波守義盛が讃岐を攻めるが、細川氏に降参して北朝方になる。
義盛に使えていた三好孫二郎も北朝方となる。
白地城の大西氏も北朝方となる。
 
    細川顕氏が讃岐守護になる。  
1338年   小笠原頼清の弟、長宗(民部大輔)が、一宮宗成を滅ぼし、一宮城を築く。  
1341年   細川和氏が隠居し、弟の頼春が阿波守護なる。  
1342年   細川頼春が阿波、讃岐、淡路の大軍を率いて池田の小笠原義盛を味方に引き入れ、川之江城を攻め滅ぼす。  
  9月 隠居していた細川和氏が秋月城で死す。
和氏の嫡男、清氏は細川頼春の保護を受ける。
 
1348年   細川清氏が河内国四条畷の戦いに参戦する。  
1350年   感応の擾乱。小笠原宮内大輔頼清、小笠原一宮長宗らが細川氏と戦う。
小笠原頼清は山間部に追い込まれ、田尾城(三好市山城町)を拠点にする。
白地城には頼清の養子の大西出雲守が守っていた。
かつての守護所、岩倉城には細川方の小笠原義盛が守っている。
 
    大粟神社の宮司の娘、笹が三好日向守の息子、三好太郎に嫁ぐ。  
1351年   阿波守護代の新開兵衛尉が阿波国牛牧庄雑掌定舜から乱妨を訴えられる。  
1352年 閏2月 細川頼之の父、頼春が京都で戦死する。  
    阿波にいた細川頼之が戦死した父の弔い合戦(男山合戦)に京都に赴く。  
    細川清氏が伊勢・伊賀両国の守護となる。  
    細川繁氏が讃岐守護になる。  
       
1355年   阿波国の田尾城の城下に生まれる。小次郎。
父は三好太郎。母は大粟神社の神官の娘、笹。

祖父三好日向守は南朝の阿波守護小笠原宮内大輔頼清の守護代を務める。
1歳
1357年   細川頼之が香川郡岡(香南町)に居館(岡の屋形)を築き、讃岐の進出拠点とする。 2歳
1358年   足利尊氏、死す
細川清氏が2代将軍足利義詮の執事に任ぜられる。
4歳
    大西城主小笠原義盛が亡くなる。  
    小笠原頼清が大西城を奪い取る。頼清の長男、貞頼が守る。
父、太郎が大西城将になり、小次郎も家族と一緒に大西城に移る。
 
1361年   懐良親王、大宰府を押さえる。 7歳
  南朝、京都を占領する。
1362年   北朝、京都を奪還する。 8歳
  7月 讃岐の白峰合戦。幕府方の細川頼之が南朝方の細川清氏を破る。
祖父と父が戦死する。家族も皆、殺される。
岩倉城の留守を守っていた小笠原孫五郎頼実に大西城を攻められる。
三好孫二郎も攻めて来て、大西城を奪い返す。
小次郎は山伏妙蓮坊と一緒に山で修行していて助かる。
妙連坊に連れられて大粟神社の伯母を頼る。

大西城にいた母と兄妹の遺体は吉野川の河原に捨てられ、妙蓮坊たちによって大粟神社に運ばれる。
母の実家、大粟神社で暮らし、母の姉が母親代わりとなる。
妙連坊から武芸と彫刻を学ぶ。
小笠原一宮氏は阿波守護細川氏に降伏する。
 
    細川頼之が讃岐守護になる。  
1363年   細川頼之が阿波の守護所を秋月城から勝瑞城に移す。 9歳 
1364年 9月 細川頼之が伊予を攻める。 10歳
1367年 1月 小笠原頼清が細川頼之に投降する。
宮方に立って抵抗した小笠原美濃守一族も阿波守護細川氏に降りる。
13歳
    細川頼之は幕府管領職に就任したので阿波守護職は弟詮春にまかせる。  
    小次郎が妙蓮坊と一緒に八倉比売神社に参拝して八倉姫像を奉納する。  
  12月 足利義詮、死す。  
1368年   足利義満が三代将軍になる。 14歳
    念阿弥(慈恩禅師)が筑紫の安国寺にて奥義を感得する。  
1369年 小笠原頼清、死す。 15歳
1370年   妙連坊、死す。
大粟神社を飛び出し、剣術修行の旅に出る。
16歳
1371年   懐良親王、「日本国王良懐」の名で明の冊封を受ける。 17歳
    今川了俊が九州探題に任命される。  
1372年 11月 今川了俊の弟仲秋の軍勢、呼子港に上陸する。 18歳
    今川了俊に攻められ、懐良親王、太宰府から良山に移る。  
1373年   熊野に行く途中、慈恩禅師と出会い、共に旅をしながら剣の修行をする。 19歳
    慈恩禅師と一緒に新宮から愛洲氏の本拠地、五ヶ所浦に行き、伊勢に行く。  
1375年 7月 阿波に帰り、三好日向を名乗って南朝方として活躍するが、すでに情勢は細川全盛となっている。 21歳
1379年 4月 細川義之が伯父の細川頼之と共に京都を追われて阿波に下る。
新しく阿波守護に任じられた細川正氏(清氏の子)の侵攻を受けるが、義之は正氏や阿波国内の南朝方を破って守護職を獲得し、室町幕府もこれを認める。
25歳
  11月 河野通堯が細川頼之と周桑郡佐志久原で戦い敗死する。  
    三好日向の敵、三好孫二郎義行が岩倉城で死す。  
    阿波の「山岳武士」と呼ばれた種野山の河村、小屋平、三木などや祖谷山の小川、落合、西山、菅生などの諸氏は、天険の要害に拠って永く細川氏に対抗したが、1370年代から80年代初頭には相次いで細川氏に降り、阿波の南北朝の争乱は終わる。  
1380年   懐良親王、明の太祖暗殺の計画に同意し、兵(倭寇)を送るが陰謀は露顕し帰還する。 26歳
    祖谷山の菅生氏が帰順したのが、反細川勢力の最後となる。  
    阿波を去り、旅に出る。  
1381年   義満、花の御所を完成させる。 27歳
1383年 3月 征西将軍懐良親王、死す。 29歳
1385年 8月 博多で早田三郎左衛門と出会い、対馬に行く。 31歳
    対馬で左衛門太郎たちに剣術を教える。後家のサワといい仲になる。
サワの夫は高麗で戦死。娘スズと息子新五郎がいる。
 
1386年 12月 乱世に嫌気がさし、早田三郎左衛門の船に乗って琉球に渡る。 32歳
    山伏クマヌの案内で、佐敷按司の息子サハチ(尚巴志)と一緒に琉球一周の旅に出る。  
1387年 1月 奥間で、シホと出会い、共に暮らす。 33歳
  2月 サハチたちは先に帰るが、若者たちを鍛えるために奥間に残る。  
  3月 シホと別れて奥間を去り、伊波に寄るとマチルギに頼まれて、剣術の指導をする。  
  4月 サハチが伊波に来て、マチルギと試合をして敗れる。  
    サハチと一緒に佐敷に帰る。クマヌの屋敷に世話になる。  
  5月 早田三郎左衛門の船で、サハチと一緒に対馬に行き、サワと再会する。  
1388年 1月 サワと別れ、サハチと一緒に琉球に戻る。 34歳
    佐敷按司が新築してくれた屋敷に住み、サハチに剣術の指導をする。  
  5月 サハチとマチルギ、マチルギの兄のサムと一緒に今帰仁に行く。  
1389年 2月 サハチが伊波按司の娘、マチルギを嫁に迎える。 35歳
  5月 サハチ夫婦と馬天ヌルと一緒に、久高島に行く。馬天ヌルはウタキに籠もる。  
  11月 馬天ヌル、久高島から戻り、ヒューガの屋敷に泊まるようになる。  
1390年 2月 サミガー大主が隠居する。 36歳
1391年 4月 今帰仁合戦。サハチと佐敷グスクを守る。 37歳
  6月 サハチとマチルギを連れて、伊波に行く。  
  9月 馬天ヌル、娘のササを産む。  
1392年 1月 佐敷按司のサグルーが隠居して、サハチが佐敷按司になる。 38歳
    サハチの弟、ヤグルーの指導に当たる。  
  5月 サハチ夫婦とサム夫婦を連れて、首里天閣を見に行く。  
1393年 1月 早田左衛門太郎が馬天浜に来る。 39歳
    サハチの弟のマサンルーの指導に当たる。  
  4月 左衛門太郎の船に乗って、久高島に行き、変貌したサグルーと会う。  
    サグルーとサハチのために、山賊になろうと決心する。  
  5月 運玉森を拠点に、山賊となる。  
    シマブク、サチョー、ウムン、グルータ、タムン、ウーマ、シルーの七人が配下となる。  
    島尻大里の城下を荒らして食糧を奪い取り、久高島に送る。  
1394年 5月 島添大里按司が島尻大里グスクを攻め落として、山南王になる。 40歳
    ウニタキと共に山南王の船を船乗りごと奪い取り、海賊になる。  
  7月 久高島に行き、サグルーと会い、サグルーを慶良間の無人島に連れて行く。  
1395年 4月 久高島の修行者たちを慶良間の無人島に運ぶ。 41歳
    久高島に来たウニタキ夫婦を乗せて慶良間の無人島に連れて行く。  
  6月 ウニタキ夫婦を浮島に連れて行く。  
    あくどい商売をしている遊女屋を襲撃して、遊女をさらって、慶良間の島に連れて行く。  
    配下のサチョーが島で遊女屋を始める。  
    奥間に行き、サハチの息子のサタルーと出会い、剣術を教える。娘のユリとも会う。  
    サミガー大主が集めた若者たちを慶良間の島に運ぶ。その合間に山賊働きをして、食糧を奪い取って、慶良間の島に運ぶ。  
1396年 1月 馬天ヌルがウタキ巡りの旅(玉グスク方面)に出る。 42歳
1397年 1月 馬天ヌルがウタキ巡りの旅(島尻大里方面)に出る。 43歳
1398年 1月 馬天ヌルがウタキ巡りの旅(浦添方面)に出る。 44歳
1399年 1月 馬天ヌルがウタキ巡りの旅(勝連方面)に出る。 45歳
1400年 1月 馬天ヌルがウタキ巡りの旅(ヤンバル方面)に出る。 46歳
  ヤンバルで馬天ヌルと再会する。馬天ヌルに頼まれて、奥間に鉄を運ぶ。
1401年 1月 サミガー大主に代わって、配下のタムンが東行法師になって、若者たちを集める。 47歳
  11月 山南王の汪英紫が亡くなる。  
    八重瀬按司(タブチ)と豊見グスク按司(汪応祖)の家督争いが始まる。  
    サグルーと共に慶良間の島から佐敷に帰る。  
1402年 1月 サグルーと共に慶良間の島に行き、600人の修行者たちを佐敷に運ぶ。 48歳
    大グスクを攻め落とす。  
    島添大里グスクを攻め落とす。サハチが島添大里按司になる。  
  2月 サグルーと200人の修行者を慶良間の島に戻す。  
  4月 ファイチ(懐機)が慶良間の島に来る。  
  5月 ファイチと一緒に山賊働きをする。  
  6月 ファイチを連れて奥間に行く。  
  10月 奥間にいる娘のユリが浦添の若按司の側室になる。  
  11月 配下のサチョーが浦添に遊女屋「喜羅摩」を開く。  
1406年 1月 久し振りに年末年始を馬天ヌルと娘のササと過ごす。 52歳
  2月 首里グスクを奪い取って、武寧を討ち取り、浦添グスクを焼き討ちする。  
    中山王の若按司が率いる中山軍を壊滅させ、若按司も討ち取る。  
    中グスクと越来グスクを攻め落とし、勝連と同盟を結ぶ。  
    サグルーが中山王になる。  
    中山王の水軍の大将になる。  




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