ナーサの遊女屋
大通りに面してグスクに近い所に重臣たちの屋敷が並び、次に中堅のサムレー、下級のサムレーと屋敷が並んでいる。重臣たちの屋敷は広い敷地を有して、石塀で囲まれて庭もあるが、その庭はまだ平地のままだった。中堅サムレーの屋敷は重臣たちの半分程の敷地で、下級サムレーの家は民家とさして変わらない小さな家だった。サムレーたちの屋敷が尽きると商人や職人たちの家々が並んでいる。 サムレーたちの一画と庶民たちの一画の間に大きな屋敷が向かい合って建っている。どちらも 遊女屋『宇久真』の開店の日、中山王の 夕暮れ間近、招待された浦添の重臣たちが集まって来た。 「中山王ともあろう者が遊女屋に重臣たちを集めるとは何たる事じゃ。 「あのお方は 「そうじゃ。威厳というものがない。情けない事じゃ。このままだと首里の都もそう長い事ないかもしれんのう」 文句をぶつぶつ言っていた重臣たちも遊女屋の門をくぐると一瞬にして小言も消えた。見事なヤマトゥ(日本)風の庭園に、ヤマトゥの着物を着て着飾った 招待された重臣たちは皆、浦添グスクが炎上した時、ナーサに招待されて浦添にあった遊女屋『喜羅摩』にいた者たちだった。 佐敷の重臣たちはすでに集まっていて、大広間の宴席に着いていた。参加したのは 正面に座っている思紹の右側に佐敷の重臣たちがお膳を前に一列に並んで、浦添の重臣たちを出迎えた。遊女たちに案内されて浦添の重臣たちも席に着いた。一人分、空席があった。 思紹が安謝大親に、誰が欠席なのか聞いた。 「体調が悪いと言って、平戸親方が欠席なさいました」 「そうか‥‥‥」と思紹はうなづいて、集まった者たちの顔を眺めた。 重臣たちを案内してきた遊女たちが引き下がると、 「皆の衆、本当にご苦労じゃった」と思紹は挨拶を始めた。 「ようやく、城下も形を整え始めた。毎日、忙しくて大変だったじゃろう。長い間、中山王の都と栄えた浦添から首里へと都が移り、中山王も新しくなった。しかし、これからが大変だという事を心掛けておいてくれ。先代の中山王(武寧)は 浦添の重臣たちも佐敷の重臣たちも、思紹の話に驚きを隠せなかった。思紹が琉球統一などという大それた考えを持っていたなんて、まったく知らない事だった。先代の中山王も落とせなかった山北王の 「今日は 思紹の挨拶が終わると横に控えていた女将のナーサが、 「皆様方のお陰で、念願のお店を開く事ができました」と言って頭を下げた。 「めでたい開店の日に皆様方に来ていただき、本当に幸せ者でございます。今後もご 女将が手をたたくと、仲居たちが料理や酒を運んできた。地味な身なりの仲居たちも少し年増だが、皆、美しい女たちで、男たちは鼻の下を伸ばして見守っていた。料理が揃うと仲居たちは消え、代わりにあでやかな着物をまとった 遊女たちは相手の男に挨拶をすると、 「琉球の将来のために」と言って思紹が酒盃を持ち上げると、皆、それに倣って酒盃を持ち上げた。 「乾杯!」と思紹が言い、皆も「乾杯!」と言って酒を飲み干した。 「無礼講じゃ。好きにやってくれ」と思紹が言うと皆が上機嫌で返事をした。 サハチが飲み干した酒盃に酒を注ぎながら、目の前にいる遊女が、「お久し振りです」と言った。 サハチは遊女を見た。先程、マユミと名乗ったが、知らない娘だった。 「また忘れたんですね?」とマユミはサハチを睨んだ。 その目つきを見て、サハチは思い出した。中グスクにいた奥間から来た側室だった。 「あの時の‥‥‥」と言いながら、サハチはマユミの姿をよく眺めた。 「綺麗な着物を着ているので、見違えてしまったようだ」 「何よ。すぐに忘れちゃうんだから」 マユミはすねた顔をして見せた。 「そんな事はない。お前は 「あら、嬉しいわ。でも、出戻りは側室にはなれないのよ。ナーサさんに誘われて、遊女になる決心をしたの。奥間にいて誰かに嫁いでも面白くないし。それに、もしかしたら、もう一度、 マユミは嬉しそうに笑った。 「何をうまい事を言っているんだ。すっかり、遊女が板についているようだな」 「お世辞なんかじゃないわよ。あたしの本心なの。奥間で初めて会った時から、ずっと好きだったのよ。でも、奥間ヌル様に取られちゃったし、あたしは諦めて、中グスクに行ったの。中グスクの側室になって、つまらない日々を送っていたら、突然、あなたが攻めて来たのよ。もう二度と会えないものと思っていたのに、目の前にあなたがいるなんて信じられなかったわ。運命の出会いだと思ったのよ。あの時、按司様の側室になりたいって言ったのは本心だったの。でも、奥間ヌル様にその事が知れたら、あたしは殺されてしまうわ。それで、また諦めたのよ。でも、今は遊女。遊女とお客様だったら、奥間ヌル様だって文句は言えないはずよ。ねえ、そう思わない?」 「奥間ヌルがどう思うかわからんが、まさか、殺す事はあるまい」 マユミは首を振った。 「奥間ヌル様は恐ろしいお方よ。逆らったら呪い殺されるわ。あなたは 「奥間の女に手を出したら、俺は罰を受けるのか」 「そうよ」とマユミは真剣な顔をして言った。 「でも、遊女とお客様なら大丈夫よね」 サハチは首を傾げた。 「大丈夫って言ってよ」 「俺は呪われたくないよ」 「意気地なし」 サハチは楽しそうに笑った。 「お前は面白い女だな。俺の奥方も恐ろしい女なんだよ。俺が浮気をしたら殺されるだろう。奥間ヌルとの事も内緒なんだ。さらに、お前に手を出した事がばれたら、俺はどうなると思う?」 「だから、遊女とお客様の関係なら大丈夫よ。今晩は泊まっていってね」 「今日は無礼講だからな」とサハチは笑った。 「そうこなくっちゃ」とマユミは大喜びして、「あたしも飲むわ」とサハチの酒盃を手に取った。 サハチはマユミに酒を注いでやった。 二人が楽しく話をしていると、「失礼いたします」と言って宜野湾親方が割り込んできた。 「平戸親方の事ですが」と宜野湾親方は深刻そうな顔付きで言った。 「安謝大親が体調が悪いと言っていたが、シャム(タイ)から悪い病でも持って来たのではあるまいな」 宜野湾親方は首を振った。 「そうではございません。ご存じないとは思いますが、平戸親方は先代の中山王( 「先代が最も頼りにしていた武将だったのだな」 宜野湾親方は心配顔でうなづいた。 「今回もシャム行きという重要な任務を任されて船出して行ったのでございます。それが、無事に帰ってきたら先代はすでにいなかった‥‥‥」 「 「あり得る事でございます」 シャムからの交易船が帰って来たのは六月の半ば頃だった。サハチは前回と同じように、兵を引き連れて待ち受けた。 宜野湾親方に対して、平戸親方の事をよく知らないという態度を示していたが、サハチは平戸親方の事は詳しく知っていた。ナーサからシャムに行っている平戸親方には気をつけなさいと言われていた。御内原に長い間いたナーサは武寧と平戸親方の関係をよく知っていて、必ず、騒ぎを起こすに違いないと言った。 平戸親方の父親は サハチはウニタキに頼んで、平戸親方の動きをずっと探っていたのだった。そして、平戸親方が 今、進貢船は二隻しかなかった。三隻あったのだが、先月の台風で、一隻は座礁して使い物にならなくなっていた。その船は七月に 「何とか帰って来られたが、もう明国まで行くのは無理だろう。かなりのおんぼろ船だ」とサングルミーは言った。そのおんぼろ船が台風にやられてしまったのだった。二隻しかないのに、一隻奪われたら大変な事だった。何としても防がなければならない。 「取っ捕まえて、首を刎ねればいい」とウニタキは言ったが、残党狩りの時期はもう過ぎていた。シャムまで行ってきた功労者を謀反の疑いありとして捕まえるわけにはいかなかった。そんな事をしたら寝返った者たちが 平戸親方が実行に移す時が今晩だという情報もウニタキによって探り出し、平戸親方を ヒューガは今日の昼、サスカサ(島添大里ヌル)と 「敵を討つと言って、ここに攻め込んで来るのか」とサハチは宜野湾親方に聞いた。 「まさか?」と宜野湾親方は首を振った。 「ここを攻めれば、 宜野湾親方が言う通り、この遊女屋の周りは厳重に警護されていた。ナーサが首里で遊女屋を開きたいと願っている事をサハチから聞いた思紹は、首里で一番高級な遊女屋にして、重要なお客をそこでもてなそうと考えた。惜しみなく援助をして、ナーサも驚く豪勢な遊女屋ができたのだった。勿論、重要なお客を招待するためには警護も厳重だった。遊女屋の周囲は百人の兵が待機できるように土地が確保してあり、今夜も厳重な警護体制が敷かれていた。 「何も起こらん。気にするな」と言って、宜野湾親方を帰したサハチはマユミを相手に酒を飲み始めた。 酒もかなり入ったとみえて、重臣たちは遊女たちと楽しそうにやっていた。皆、目の前の遊女に夢中で懇親どころではなかった。遊女の数が多すぎる。こいつは失敗だなとサハチは思った。 サハチがマユミから奥間ヌルが産んだ娘の事を聞いていると、ウニタキがやって来た。 「うまく行ったぞ」とウニタキが小声で言った。 「本当か」とサハチも小声で聞いた。 「行くぞ、ヒューガ殿が待っている」 サハチはうなづいて、「すまんな。また今度だ」とマユミに言って立ち上がった。 座敷を出る時、思紹と目が合ったので、微かにうなづいた。思紹も微かにうなづいて、サハチとウニタキを見送った。マユミとウニタキの相手だった遊女が見送りに来た。 「必ず、また来てよね」とマユミが念を押した。 「あれ、お前は‥‥‥」とウニタキがマユミを見ながら言った。 「あなたもいらして下さいね」とウニタキの相手が言った。 「わかった」と二人はうなづいて、大通りに飛び出すと数軒先にある『まるずや』に向かった。『まるずや』はウニタキの首里の拠点だった。『まるずや』で馬を借りると浮島(那覇)へと急いだ。 馬に揺られながら、「浮島の状況だが、誰がお前に知らせたんだ」とサハチはウニタキに聞いた。 「あの遊女屋にも手下が入れてあるんだよ」とウニタキは何でもない事のように言った。 「お前の相手をしていた遊女か」 「遊女ではない。酒を運んできた仲居だ」 「ほう、そうだったのか。抜け目のない奴だ。そう言えば、御内原にも誰かを入れたのか」 「勿論、入れてある」 「山南王と山北王が側室を贈ってきたからな。侍女たちの動きを見張っていてくれよ」 「わかっている。今のところ、奥間と山南王と山北王が贈って来た三人だけだが、この先、かなり増えるだろう」 「お前の仕事も益々増えていくな」 「やりがいがあるというものさ」 「頼むぜ」 わかっているというようにウニタキは手を振ると、「さっきの遊女だが、中グスクにいた側室だろう」とサハチを見て笑った。 「そうなんだ。出戻りは側室になれないらしくて遊女になったようだ」 「お前に惚れているようだな」 「何を言うか」 「マチルギに知られるなよ」 「うるせー。お前だって、いい感じだったじゃないか」 「若い娘というのもいいもんだな」 「チルーに知られるなよ」 「うるせー」 「犠牲者は出ましたか」とサハチはヒューガに聞いた。 「怪我人が何人か出ただけじゃ。敵は三十もいなかった。いざとなったら尻込みしたんじゃろう。 「よかった」とサハチはヒューガと當山之子にうなづいて、 「武寧の時代は終わったんだよ」と平戸親方に言った。 「わしがシャムに行かなければこんな事にはならなかったのに残念じゃ。船出した時、何か嫌な予感がしたんだ。昔、わしの親父は先代、いや、先々代か。先々代の察度殿と一緒に浦添按司の サハチは平戸親方の処刑を當山之子に命じて、ヒューガを連れて安里に戻った。 ヒューガも安里に馬を預けてあったので、三人で馬に乗って首里に向かった。 「師匠、ユリ(百合)はどうしてます?」とサハチはヒューガに聞いた。 「佐敷の馬天ヌルの屋敷で娘を育てているよ」 「カニムイ(武寧の長男)の娘を育てているんですか」 「可愛い娘じゃよ」 「娘に父親の事を何と言っているんですか」 「父親は立派に戦死したと言っているようじゃ」 「そうですか‥‥‥確かに立派に戦死しましたね」 「あいつは強いよ。奥間のために働いたと言っていた」 「ヒューガ殿の娘とは思えない程の美人ですねえ」とウニタキが言った。 「そんなに美人なのか」とサハチが聞いた。 「ヒューガ殿、こいつに会わせない方がいいですよ」とウニタキが笑いながら言った。 「なに、お前、ユリを狙っているのか」とヒューガは父親らしい顔をしてサハチを見た。 「師匠、ウニタキの言う事なんて信じないで下さいよ」 「いや、お前は昔から女好きじゃ。ユリに会わせるわけにはいかん」 「まいったな」 ウニタキは馬に乗りながら腹を抱えて笑っていた。 ヒューガを連れて、『宇久真』に戻ると、宴はまだ続いていた。遊女たちの姿はなく、佐敷と浦添の重臣たちが入り交じって騒いでいた。 遊女たちはどうしたのかと思紹に聞くと、「頃合いを見て下がらせて、遊女たちの芸を見せてもらったんじゃ」と言った。 「それが終わったあとも遊女たちは出さなかった。そして、佐敷の者たちに浦添の者たちのもとへ行かせて、酒を注がせたんじゃよ。それからはお互いに打ち解けてきて、この有様になったというわけじゃ」 「成功ですね」とサハチは笑った。 「平戸の件はどうなった?」 「そっちも成功です」 思紹は、よかったというようにうなづいて、騒ぎの中に加わった。サハチたちも加わり、賑やかな宴は夜更けまで続いていった。 |
首里グスク