遙かなる船路
朝早くから浮島(那覇)はお祭り騒ぎになっていた。 佐敷、 サハチ(島添大里按司)の両親、妻のマチルギの姿は見送りの中にはいない。本人たちにはまだ自覚はないが、王様、王妃、 今回の正使はサングルミー( 『 サングルミーは それから三年後、 そんな時、声を掛けてくれたのが久米村の実力者のアランポー(亜蘭匏)だった。国子監にいた事を告げるとアランポーは驚いて、サングルミーを客として豪邸に迎え入れ、中山王の正使に任命してくれたのだった。それからは毎年のように中山王の正使として明国に行っていた。 去年、明国から帰って来て、アランボーが消えたと知らされた時は驚いた。恩人には違いないが、傲慢でいやな奴だと思っていた。久米村に帰ると村はすっかり変わっていた。子供たちが安心して暮らせる明るい村になっていた。 「誰の仕業だか知らないが、よくぞやってくれたと思ったよ」とサングルミーは笑って手を差し出した。サハチは 進貢船のサムレー大将は去年の五月、明国から帰国した 進貢船に乗る護衛兵は百人で、宜野湾親方が五十人、當山親方が五十人を率いている。當山親方が率いる兵は何もわからないので、宜野湾親方の兵から仕事を教わらなければならなかった。 琉球近海から外洋を航海中は 明国の商人たちと取り引きをするために、各按司が任命した者たちは跡継ぎの若按司が多かった。中グスク按司(クマヌ)は養子に迎えたムタ(武太)を任命して、 まったく以外だったのは 明国の商人と取り引きをすると言っても、どの按司たちも取り引きに使うべき商品を持ってはいない。明国の商人が欲しがる物は、ヤマトゥ(日本)の刀や扇、 『セイヤリトミ』と 本帆の大きさは縦七丈(約二十一メートル)、横五丈(約十五メートル)もあって、 船尾に快適な船室が四部屋あり、使者やその従者、サムレー大将、航海士たちが利用した。水夫や兵たちが利用する船室は 「こんな事で驚いていたら、明国に着いたら腰を抜かすぞ」とサハチは笑った。 「明国に行った事もないお前が何を言う」 「俺は 「宇座の御隠居の話は俺も聞いている。凄い所らしいな。早く腰を抜かしてみたいものだ」 「ウニタキさん、どこに行っても、そこで暮らしている人たちは、この島の人たちと大差はありませんよ」とファイチ(懐機)が言った。 「そうかもしれんが、俺は異国に行った事がない。どんな所なのか、早く見て見たいよ。ファイチ、お前、会いたい奴がいると言っていたが、女なのか」 「当たり前です。男に会いにわざわざ明国まで行きません」 「このすけべ野郎。そう言えば、メイファン(美帆)はどうしているんだ?」 「メイファンは去年、明国に帰りました」 「何だって?」とサハチは驚いた。「どうやって帰ったんだ?」 「ヤンバル(琉球北部)の 「 「こっちから行かなくても、向こうから来てくれるので楽なんでしょう」 「女が乗っても大丈夫なのか」とウニタキが心配した。 「メイファンがならず者たちにやられちまうぞ」 「ウニタキさん、メイファンが心配ですか」とファイチが笑った。 「いい女だったからな。ひどい目に遭ったら可哀想だ」 「大丈夫です。メイファンは強い女です」 「それにしたって、大勢の男どもに囲まれたらかなうまい」 「誰もメイファンには手出しはできません」 「どうしてだ?」 「メイファンは海賊の娘です。密貿易をしている者たちで、メイファンの父親を知らない者はいません」 「メイファンの親父はそんなに凄い男なのか」 ファイチはうなづいた。 三人は与えられた船尾の船室に荷物を置くと、船室の上に上がった。そこは見晴らし台になっていて、いい眺めだった。見送りの人たちで埋まっている浮島を眺めながら、いよいよ、半年間の長い旅が始まる事をサハチは実感していた。 「さっきの話だが、メイファンの親父が海賊の親玉というのは本当なのか」とウニタキがファイチに聞いた。 「本当です。メイファンのお爺さんはもっと凄い男なのです。洪武帝に敗れてしまいましたが、明国ができる前、 「その事を知っていて、メイファンを助けたのか」とサハチがファイチに聞いた。 「勿論です。と言いたいのですが、その事を知ったのはメイファンが帰る前の事です。わたしが明国に行って、海賊と取り引きをしなければならないと言ったら、わたしに任せてと言って、父親の事を話したのです。先に帰って、父親に取り引きの事を話してあげると言って、メイファンは明国に帰って行きました」 「そうだったのか。メイファンがうまくやってくれるといいな」 ファイチはうなづいて、「ヒューガ(日向大親)さんに頼まれた物を何としてでも手に入れなければなりません」と言った。 「こいつは面白くなりそうだ」とウニタキは楽しそうに笑って、ファイチの肩をたたいた。 ヒューガが頼んだ物は火薬に違いなかった。火薬は三百年ほど前の唐の時代に開発されるが、国家機密として国外に出る事はなかった。三十年前、 サハチはファイチと一緒に進貢船に初めて乗った時、甲板にいくつもある台座に気づいて、ファイチに聞いたら、その台座には 鉄炮というのはサイムンタルー(早田左衛門太郎)から聞いていた。対馬を攻撃した朝鮮の船が鉄炮を撃ったと言っていた。鉄炮によって船も家々も皆、破壊されてしまったらしい。サハチはまだ見た事もない鉄炮という武器が欲しいと思った。メイファンを通して、火薬や鉄炮を手に入れる事ができれば素晴らしい事だった。ウニタキではないが、面白い旅になりそうだと期待に胸を膨らませた。 「島添大里殿、そなたも行かれるのか」と声がして、振り返ると八重瀬按司のタブチがいた。 「八重瀬殿、ご自身が行かれるとは驚きましたよ」 「なに、わしもシタルーには負けられんからのう。この目で明という国を実際に見て来る事にしたんじゃよ。よろしく頼むぞ」 誰だと言う顔をしてウニタキとファイチを見ていたので、サハチは二人をタブチに紹介した。 「重臣の 「成程のう。王様の跡継ぎともなると二人も護衛が付くのか。しかも、一人は唐人か‥‥‥以前は護衛など連れずに、奥方と一緒に旅をしていたようじゃったがのう」 「もうそんな気楽な旅もできなくなってしまいました」 「偉くなるというのも大変な事じゃな」 タブチは皮肉っぽく言って笑った。 玉グスク、知念、垣花の若按司が揃って、サハチに挨拶に来た。サハチと幼なじみだった勝連の浜川大親も挨拶に来た。次々に来る者たちの挨拶を受けているうちに、兵士たちも乗り込んで来て、甲板の上も人で埋まってきた。 やがて、出帆の合図の ホラ貝や太鼓の鳴り響く中、進貢船はゆっくりと動き始めた。手を振る大勢の人たちに見送られながら、進貢船は浮島を出帆した。 「いよいよだな」とウニタキが嬉しそうに言った。 「楽しい旅にしようぜ」とサハチはウニタキとファイチに言った。 沖に出ると波が高くなって、船の揺れが激しくなってきた。皆、危険を感じて見晴らし台から降りて行った。 「凄い揺れだな」と言ったウニタキの顔が青ざめていた。 「おい、大丈夫か」とサハチは言って、ウニタキを連れて下に降りた。 ウニタキは口を押さえて甲板の 「ウニタキさん、大丈夫です。遠くを見なさい。そうすれば治ります」とファイチが言った。 ウニタキはファイチを見てうなづき、言われた通りに遠くに見えるキラマの島々を見つめた。 船酔いしたのはウニタキだけではなかった。何人もの兵たちが船縁から顔を出して吐いていた。 ウニタキに付き合って、サハチとファイチも甲板に立って遠くを眺めていたが、何だか船が止まってしまったように感じられた。帆を見上げるとたるんでいる。風が止まってしまったようだ。船出したばかりだというのに先が思いやられた。 風が出てきて動いたかと思ったら、また止まり、その繰り返しで、一日目はキラマの近くに停泊して夜を過ごした。二日目は 久米島で風待ちをして、ようやく風が吹き始めたのは 飽きずに海を眺めていたサハチも、毎日、同じ風景だとさすがに飽きてきた。ウニタキは船の揺れに慣れてきたようだった。サハチはウニタキと一緒に、兵たちが甲板上で武術の稽古をするのに参加して体を動かしたりしていたが、やはり退屈だった。 月は出ていないが降るように星が輝く静かな夜、ウニタキが見晴らし台に座り込んで 「ウニタキさんにこんな芸があったなんて以外です」とファイチがサハチに言った。 「あいつに恋の歌は似合わないが、心に響くいい歌を歌う」とサハチは言って、「憎らしい奴だ」と付け加えた。 ウニタキが陽気な歌を歌い始めた。 次の日は風が止まり、雨がしとしと降っていた。広い海のど真ん中にぽつんと取り残されたような不安に襲われた。雨のせいで視界が悪く、船の進行方向、多分、西だと思うがやけに黒い雲が流れていて、こちらに向かって来るように思えた。 「危険です」といつの間にか隣りにいたファイチが言った。 「あの雲は嵐を連れてきます」 「海が荒れるのか」 ファイチは厳しい顔付きでうなづいた。 船乗りたちもその事に気づいたのだろう。慌てて、帆を下ろし始めた。 「かなり揺れます。覚悟しておいて下さい」とファイチは言って船室に戻った。 サハチは黒い雲をもう一度見つめて、ファイチのあとを追った。 最悪だった。言葉では言い表せないほどの恐ろしさだった。何度、船が転覆してしまうのではないかと思っただろう。このまま死んでしまうと何度も思った。いや、こんな恐ろしい思いをするなら、いっそ、死んだ方がいいとも思った。 暴風雨は夜中まで続いた。船室の中は水浸しになり、真っ暗闇の中、必死に柱にしがみついているしかなかった。離したら最後、海に放り出されてしまうだろう。 恐ろしかった夜がようやく明けた。今までの事がまるで夢だったかのように雨も風もやんで、朝日が海を染めていた。波はまだ荒いが、昨夜の事を思ったら、どうって事はない。とにかく、船内に溜まった水を掻き出さなければならなかった。全員が総出で水を汲み出した。 作業が終わり、船の点検も終わったあと、点呼を取ったら四人の姿が見当たらなかった。三人の兵と一人の水夫だった。一人も欠かさず、無事に帰国させると誓ったのに、残念な事だった。全員が甲板に整列して、四人の冥福を祈った。 その日は快適に走った。海の色が急に変わって、黒っぽくなってきた。これが噂に聞く、黒潮かとサハチは思った。 帆が急に降ろされた。どうしたのかとサングルミーに聞くと、「 「これから 「風待ちか」 半時ほど待って、風が少し強くなってきた。三本の帆がすべて上げられ、船は風をはらんで勢いよく進み始めた。船の揺れも激しくなってきた。 サハチはヤマトゥ旅の時に黒潮を乗り越えた事を思い出していた。あの時は船がきしんで、壊れてしまうのではないかと恐ろしかった。今回も船のきしむ音は聞こえてくるが、あの暴風に耐えたのだから大丈夫だろうと安心感はあった。 黒潮の流れに逆らって、船は力強く進んで行った。黒潮の幅は思っていた以上もあり、なかなか乗り越える事はできなかった。日が暮れる頃になって、ようやく乗り越えたようだった。海の色が青くなり、波も穏やかになっていた。 その後は順調に船は走っていたが、いつになっても明国の大陸は現れなかった。 「遠いなあ」とウニタキが言った。 天気のいい夜はいつも三弦を弾いて気を紛らわせていたが、それも飽きてきたようだった。 「今日で何日めだ」 「十五日めだ」とサハチは答えた。 「いつになったら着くんだ?」 「普通ならもう着いているだろう。暴風に遭った時にかなり戻されてしまったらしい。進路を修正するのに時間が掛かったようだ。お前は三弦があるからいい。俺も笛を持ってくればよかった」 「お前の笛を聞いたら、みんな、余計に疲れるぞ」 「何だと」 ウニタキは楽しそうに笑っていたが、真顔になると、「今日は何日だ?」と聞いた。 「二月十日だ」 「すっかり忘れていたが、昨日は首里の 「あっ、そうだ。一周年のお祭りだったんだ。みんな、楽しく過ごしたかな。佐敷ヌルが張り切って仕切っていたに違いない」 「 「あいつは女たちをまとめるのがうまい。島添大里でのお祭りもあいつが仕切っていたんだ」 「そうだったのか。フカマヌルもお祭りには行くって言ってたな」 「佐敷や島添大里の者たちも集まって来る。みんなして楽しく騒いだだろう」 サハチはみんなが騒いでいる姿を想像して笑った。ふと、一人で店番をしているナツはお祭りに行けないなと思った。 その時、本柱に登っていた船乗りが何事かを叫んだ。唐言葉なので、何を叫んでいるのかわからなかった。それでも指さす方をじっと見ると島影のような物が微かに見えてきた。 「あれが明国か」とウニタキが見晴らし台から身を乗り出すようにして聞いた。 サハチにはわからなかったが、大陸ではなく、島のようだった。 船が進むにつれて島だということがはっきりしてきた。そして、その島の左側に大きな島も見えてきた。 「あれが明国か」とウニタキが興奮した声で聞いた。 それが島なのか、明国の半島なのか、サハチにはわからなかった。しかし、確実に明国に近づいている事は確かだった。 「あれは 「小琉球?」とサハチは聞いた。 「かつては琉球もあの島も、共に琉球と呼ばれていました。大陸の 「あの島も明国の一部なのか」 「言葉の通じない原住民が住んでいて、倭寇の拠点にもなっています。明国の役人はいませんから、明国とはいえないでしょう」 「倭寇の拠点になっているのか」 「海賊の拠点でもあります。政変で追われた者たちが逃げ込んでいるようです」 「メイファンはあの島にいるのか」とウニタキが聞いた。 ファイチは首を振った。 「海賊と言っても表の顔は商人です。あんな島にいては商売になりません」 船は左側に小琉球を見ながら進んだ。小琉球と呼ばれていても、かなり大きな島だった。小琉球を過ぎれば明国はすぐだろうと思ったのに、大陸はなかなか現れなかった。 次の日になって、ようやく大陸が見えてきた。大陸の周りには小さな島がいくつもあった。そんな島々を右手に見ながら、船は南下して行った。島に隠れている海賊どもが襲って来ないかと警戒しながら進んだ。なぜか、海の色は濁っていて、薄汚れているように思えた。 大陸が近いので夜の帆走はやめて停泊して、兵たちは交替で寝ずの番をした。 次の日、見晴らし台から大陸を眺めていると、突き出した半島の中程の山の上にグスク(城)のような石垣が見えた。 「あれはグスクなのか」とサハチはファイチに聞いた。 「多分、倭寇を倒すために作ったグスクでしょう。先々代の洪武帝は倭寇を退治するために、海岸にいくつものグスクを築いて兵を配置したと聞いています。あの高い塔から海上を見張っているのです。多分、この船を見ているに違いありません。もしかしたら、あそこのサムレーが調べに来るかもしれない」 ファイチが言った通り、グスクの下に泊まっていた船が何隻もやって来た。甲板の上に兵たちが弓を手に持って整列した。一隻の船がすぐ近くまでやって来て、明国のサムレーが何かを叫んだ。甲板に出て様子を見ていた 帆が降ろされて進貢船は止まった。明国のサムレーが武器を持って乗り込んで来た。 サハチとファイチとウニタキは見晴らし台の上から様子を見守っていた。三人のサムレーがサングルミーたちと一緒に船室に入って行った。しばらくすると、明国のサムレーたちは船室から出て来て船から降りて行った。去って行くかと思ったら、明国の軍船は進貢船を囲むように配置した。 「わたしたちは明の皇帝の大切なお客様です。 明国の軍船に守られて、ようやく、目的地の泉州に到着した。浮島を出帆してから十七日目の長い船旅だった。早く |
久米島
泉州